『やっと会えた! 駆逐艦陽炎よ、宜しくね!』
その声、その台詞で艦娘としての最も古い記憶を刺激されて気付く。
これは夢だ。
自分が艦娘として、現世に顕現して間もない頃、顔を会わせることになった陽炎型姉妹の長女と出会った当時の思い出。
『どう、あたしの戦闘は? 少しは参考になったかな』
場面は切り替わり、初風が艦娘として最初の実戦を経験した日、陽炎が手本として戦った後に得意気な表情でそう言っていた。
あの時は初風をフォローしながらの戦闘だったからだろう、体や艤装の色んな箇所に損傷を負っていた。
怪我で出血もしていて顔は煤だらけなのに、それすら気にした様子もなく微笑みながら自分を気遣ってくれていたのが分かった。
『なぁに? お話ししたいの?』
雪風の事で思い悩んだ時期があった。
艦だった時代の出来事を気にしていた雪風のため、何か自分に出来ることはないかと、密かに姉として信頼していた陽炎を頼って相談した。
その時の陽炎は、それまで見たことがないくらい難しい表情を浮かべた。デリケートな問題だから頭を悩ませ過ぎたからか、素っ頓狂な発言をするくらいに動揺していた。
見かねた次女の不知火が助け船として、他の姉妹とも相談しようと言い出したら感極まった様子で、勢い良く抱き付いた時は苦笑いを浮かべてしまったものだ。
それで末妹の秋雲に至るまで姉妹全員で話し合う場を設けた時、情けないお姉ちゃんでゴメンねと頭を下げていた。
情けないのは、寧ろ初風だと思った。
自分は雪風についてどうしたら良いか分からなかったから、だから陽炎を頼ってしまった。素直じゃない自分はそれを自分から口にはできず、その場で黒潮に暴露されたときは赤面してしまったのは今でも覚えている。今も夢の内容として見ているが。
『初風、これあげる。お守りよ、もしもの時のためにね』
次に移るのは、第二水雷戦隊が壊滅した運命の日の前夜。
陽炎が何時になく真剣な表情で、普段からツインテールの髪型に結うのに使っているリボンを渡してきたあの時。前向きで快活な性格の彼女からは想像できなかったほど、不安を隠しきれない様子だった。
発端となったのはパプアニューギニアのニューブリテン島、その洞窟で発見された新種の鳥類の卵を本土まで輸送すると言う任務を受領した事だ。
学術調査団を乗せた護衛艦を護衛して第二水雷戦隊は南太平洋の島国へと出発した。既に卵は孵っているとも知らずに。
アレは鳥なんかではなかった。
爬虫類のような外皮。翼長15メートルはある蝙蝠のような翼手と翼膜。余りにも不気味な咆哮、強力な光線。何れを取っても既知の鳥類に分類できるような要素はなかった。
アレの存在が第二水雷戦隊を壊滅せしめた。
夜戦での砲雷撃戦を重視する水雷戦隊、その中でも世界最強と呼ばれた第二水雷戦隊は、まともに対抗することも出来ずに潰走した。
装甲の薄い駆逐艦とはいえ、艤装を呆気なく両断する光線。
その切れ味は断面が鏡のように光を反射するほど滑らかで、当たれば最悪は即死する威力だった。
機動力、運動性能も水雷戦隊では分が悪かった。
砲弾も機銃弾であってもヤツラを捉えることが出来ず、弾幕を潜り抜けて反撃してきた。それだけで大破する艦娘が出てくる。
ヤツラは、自分達を食料としか見ていないようだった。
霞と霰は対空射撃後の装填する隙を狙われて捕食された。機動力と運動性能が脅威であることは確かだが、何より数が多かったからだ。少なくとも数十羽以上は居たと思う。
『十六駆は下がって! 霰達がやられた以上、あたしと不知火で何とか食い止めるから!』
上空の怪物の群れに主砲を向け、初風達第十六駆逐隊の前で立ち塞がるようにしながら陽炎が叫ぶ。
初風はそれを聞き入れてその場から離れようとしたが、雪風は一緒に戦うと言って聞かなかった。
『私達はアンタ達よりお姉ちゃんなんだから、ここで死守するのみよ! 浦風! 十七駆で護衛して! 引き摺っていっても良いから!』
『了解じゃ陽炎姉! 雪姉、着いてきぃよ!』
浦風達第十七駆逐隊が進路を切り開くようにして弾幕を形成し、突破を試みる。
初風は泣き叫ぶ雪風を必死に抱き止め、生き残ろうと前進しようとした、その時だった。
海面スレスレの低空から怪物の1羽が迫る。
怪物の嘴の先は少し見えづらいが、景色が歪んでいるようにも見える。この時は何をしているかは判別できなかったが、今にして思えば怪物の攻撃の前兆だったのだ。
それに感付いた陽炎が怪物と初風達第十六駆逐隊の間で視線を往復させ、咄嗟に動き出した。
怪物の向かう先には初風達第十六駆逐隊があった。開いた口をこちらに向けている。あの光線が口腔から飛び出す寸前、陽炎がその間に割り込んだ。
(──やめて)
記憶を辿るだけの夢なのだから無駄と解っていても、懇願せずにはいられなかった。
これ以上は見たくない。聞きたくない。最期まで自分からは素直になれなくても、大好きだった姉を喪ったあの瞬間だけは。
そんな弱音混じりの願いも虚しく、夢だから瞼を閉じることも、耳を塞ぐことも叶わなかった。
怪物の口腔からあらゆるものを切断する光線が解き放たれる。それは第十六駆逐隊を標的として突き進み、割り込んでいた陽炎の背部にある艤装を直撃した。
(やめて!)
直前まで迫った悲劇の再現を予感して尚も叫んだ。
だが、無情にもその瞬間は繰り返される。自分が無力だった事で姉は犠牲となったのだと糾弾するかのように。
光線が陽炎型駆逐艦の艦橋を模した基部ユニットに直撃してから、それを切り裂くまではあっという間だった。そして最後の防御手段である艤装服をもなんの抵抗もなく貫通して、
──後は、お願いね
艤装の誘爆で爆炎に呑み込まれる直前、陽炎の動かした口元からはそう言っているような気がした。
「──陽炎姉さんッ!」
跳ねるように上体を起こしながら、姉の名前を叫んだ。その直後、自分がいる場所の様子に気付いた。
一見したところ、ここは日本国国防海軍が国内外に建設してきた何処かの鎮守府、その医務室だ。
鎮守府やそれに相当する警備府、基地や泊地は同一規格で設計されているため、部屋の白い内壁からそうだと判断できた。
どうやら、自分は今までここのベッドに寝かされていたらしい。着ているのも陽炎型の艤装服ではなく、病院などで御目にかかるような入院着だった。
「ここは……? そうだ、ユキは──」
「──気が付いたようね」
声がした方へと振り向く。
そこには、長い銀髪の少女が立っていた。雪風のそれと似たワンピース風のセーラー服を着ていて、頭上には耳のようにも見える艤装が浮かんでいる。
「あなたは……。それに、ここは」
「焦らないで。ちゃんと説明してあげるわよ」
コツコツと靴音を奏でながら医務室に入室してきた。その手には衣類が抱えられている。多分、初風の制服だろう。
「貴女の制服を持ってきたわ。取り敢えず着替えてほしいけれど、手伝いは欲しいかしら?」
「──いいえ。大丈夫よ」
目の前の艦娘からの申し入れにそう答えると、「そう。なら、これが貴女の制服よ」と言いながら差し出してきたそれを受け取った。
それから数分。
日頃から元居た鎮守府で厳しく指導を受けて生活してきた甲斐もあって、病み上がりながら滞りなく着替え終わった。
「着替えたわよ。それで、説明してもらえるのよね」
「勿論よ。でも、その前に自己紹介させてもらうわ。特型駆逐艦、叢雲よ。ここ、ショートランド泊地では秘書艦のような者をしているわ」
「! これは失礼しました、叢雲秘書艦」
敬礼してきた叢雲と名乗った駆逐艦の少女に対して、慌てて答礼する。
「そんな畏まらなくて良いわよ。言ったでしょ、秘書艦のような者だって。公式の立場じゃないわ」
「……どういう、こと?」
「今から説明するわ」
叢雲の口から告げられたのは、最悪と言うべき現状だった。
当該鎮守府、ショートランド泊地は既に壊滅していた。その主犯は、やはり初風達第二水雷戦隊が交戦した、あの有翼の怪物のようだ。
数ヵ月前、突如として南方海域で出没するようになって、周辺の島々や住民に被害が及んだため、その駆除をすることが決定された。そしてショートランド泊地やそこに寄港していた本土の艦娘等で編成された艦隊が出撃したのだが、常識を逸脱した能力や物量の前に壊滅。
泊地も直接攻撃され、全滅は免れたが生き残ったのは事態発生前と比べると少数でしかない。泊地は再建中だが、未だ音信不通の状態だと言う。
「何よ、それ」
聞かされた内容に頭を抱える。
九死に一生を得て何とか生き延びることができたのに、辿り着いた先は既に壊滅した泊地。外部との通信も未だ回復せず、孤立無援の状況。
この状況を生み出したのは自分達が交戦したあの有翼の怪物達で、その脅威は完全に消えていない。控えめに言って絶望的だった。
「……大丈夫かしら?」
「……平気よ。状況がどうあれ、何時までもこうして下を向いているわけにはいかないもの。私がしっかりしないと」
現状は把握した。なら、次は行動するべきだ。
自分が収容されたなら、雪風も同様のはずだ。目の前にいる駆逐艦が救援に駆け付けてくれた当時、雪風もその場にいたのだから。
「心配かけてごめんなさい。私は大丈夫。それよりユキは、一緒にいたあの娘は何処に居るの」
「今いる建物とは違う場所よ。案内するわ」
叢雲の案内でそれまで居た庁舎から外に出た。
内部は本土の鎮守府と大差ない様子だったが、南方の泊地だからか高床式の建物のようだ。
階段を降りて建物から離れ、泊地の敷地内を歩いていく。
再建中と言うだけあって、建物を建て壊している破壊音や重機の駆動音が周りで満ちていた。叢雲曰く、初風が寝かされていた庁舎は被害を免れた数少ない建物だったと言う。他は新しく建て替えたり、補修工事中のようだ。
「この建物よ。居住区画の駆逐艦娘用宿舎、1階の部屋にいるわ」
「私がさっき居たのは」
「医療棟よ。貴女は重患だったから、入渠してからちゃんと治療できるまで数日かかったわ」
「そんなに……」
叢雲から告げられた事実に衝撃を受けるが、同時に初風は当然の結果とも受け取れた。
自分はあの時、怪物の光線が胴体を背中から腹部まで貫通していた。急所ではなかったので即死には至らなかったが、叢雲が来てくれなければあの場で死んでいた筈だ。
「そう言えば、あの時私とユキを助けてくれたわよね。お礼、言ってなかったわ」
「別に、気にしなくて良いわよ。私と
「……」
宿舎に入っていくなかで、初風は拳をきつく握った。
叢雲が救援に駆け付けるのがもっと早ければ、等と結果論を言うつもりはない。
そもそもとして、最初の事件発生地域とショートランド泊地では距離が開きすぎている。自分と雪風がここまで遁走を続けてきたから、あの怪物の追撃から叢雲の助けで生き延びることが出来たのだ。感謝はしても、謗ることは有り得ない。
ただ、悔しかったのだ。
何も出来なかった自分が。近くの海面で霰と霞が餌食になったのを防げなかった自分が。自分と雪風を逃がそうとした天津風と時津風、姉である陽炎に庇われ、爆炎に包まれるのを見ているしか出来ない自分が。不甲斐なくて、無力感で胸が一杯になっている。
「それよりも、ここから先は覚悟して頂戴」
「……どういう意味?」
「すぐに分かるわよ」
意味深げに言ったのは、きっと気遣ったからだろうと思えたのは、この後に見た光景を目の当たりにしてから少し経っての事だった。
◇◇◇
駆逐艦娘用宿舎の一階にある目的の部屋まで初風を案内してきた叢雲は、室内から既に漏れ聞こえる声を聞いて顔をしかめていた。
本当は、今の雪風の姿を初風に見せて良いものか悩んだ。先に救出した際の様子を見る限り、初風にとって自己犠牲をしてでも護りたいと思う存在に思えたからだ。
(初風には酷な話になるわね。それを知った時に、この娘はどう思うかしら)
「───ユキッ!」
やはり初風にも部屋から漏れ聞こえる声が聞こえてしまったようだ。勢い良くドアを開け放ちながら叫ぶ。
だが、そこから続く言葉がでないようだった。無理もない。何故なら目の前にあるのは。
「離してッ、離してくださいッ!」
「落ち着いて下さい! 今の雪風ちゃんは海に出ちゃダメです!」
「イヤ、イヤです! まだ、あの海域でみんな戦ってるんです!」
「ここまで強硬ではな……。拘束ベルトと、鎮静剤の用意をするべきか」
雪風が周囲の艦娘や泊地のスタッフらしい人間に押さえ付けられ、なおも暴れている光景があったのだから。
雪風に抱き付くようにして必死に抑えようとしている長い黒髪の少女──綾波型駆逐艦潮は何とか説得しようとするが聞き入れてもらえず、その様子から正常な精神状態ではないと推察した銀髪の少女──睦月型駆逐艦菊月が最終手段の準備に入り始めていた。
「……ユキ!」
初風が部屋の奥に居る雪風に向かって駆け寄る。それに気付いたスタッフに止められるが、それに構うことなく雪風に呼び掛け始めた。
(そう。貴女はそれを選んだのね)
果たして、あの忠告を初風はどこまで意識したか。もしかしたら、その言葉の真意について良く考えずに突撃しているだけかもしれない。
そう言えばそうだ、
今はただ、どうなるかだけ見届けさせてもらおう。そう考えて、部屋の入り口前の壁に寄りかかった。
「ユキ! 私よ、分かる!? 初風よ!」
「……初、風ちゃん?」
それまで周囲の艦娘やスタッフ達が手を付けられないまで暴れていた雪風は、知っている声を聞いてか動きを止めた。それを見て、初風が更に言葉を重ねる。
「そう、私! さっき目が覚めて、叢雲秘書艦に連れてきて貰ったの! 本当に、無事で良かった……」
そう言って雪風を抱き締めようとしたのか手を伸ばして……その寸前で払われた。
「……え」
「何であの場から、雪風を連れて逃げたんですか」
予想もしなかったのだろう反応に呆然とする初風に、投げ掛けられたのは糾弾するような声だった。
「あの時、二水戦が生き残るには一人でも戦力が必要だった! それなのに、戦線の維持よりも雪風の離脱を優先したのはなぜなんですか!」
「それ、は……」
雪風の疑問に対して初風は即答できないようだった。恐らく、こんな言動は予想してこなかったのだろう。そんな姉の様子を見て雪風は顔を逸らし、
「雪風を逃がそうとばかりするからっ……」
(その先を言えば後悔するわよ)
きっと後悔する。あの時の初風に言うべきじゃなかったと、この先ずっと自分を責めて苦しむことになる。
「雪風を逃がそうとばかりするから、みんな死んだんだ! 陽炎姉さんも、天津風ちゃんも時津風ちゃんもみんな雪風の為に死んでいった!! みんな、初風ちゃんが雪風を連れて逃げようとしたからだ!」
「わたし、は……」
「……初風なんてっ」
先程までの初風に対する二人称が呼び捨てに変わり、親の仇を見るような表情で初風を睨みながら。
「初風なんて、大っ嫌いッッ!!」
口に出したのは拒絶の言葉だった。相手の献身をただ否定して、突き放すような叫び。
本当は、こうなることが叢雲には分かっていた。仮定だが、そうなることが
「……ごめん、なさいっ」
踵を返して初風は駆け出し、部屋から飛び出していった。
それを見て叢雲もその後を追おうと歩き出し、肩越しに部屋の奥を見る。
激昂した雪風を一度眠らせるためだろう、菊月が用意した鎮静剤を雪風に投与したところだった。
暴れる雪風への投与を終えて、注射器を控えていたスタッフに渡してから叢雲に視線を投げ掛けてくる。
──早く行け。
視線だけでも雄弁にそう語りかけてくるのが分かった。
「……ここは任せるわね」
信頼するには充分すぎる、深海大戦勃発当初から戦い続けてきた古参兵の眼差しを背に受けながら、叢雲は足早に部屋を後にした。
叢雲が初風を追い掛けてから間もなく、思ったより近場で発見することができた。
宿舎の近辺にある浜辺で佇んでいた。叢雲から見て背を向けていたが、近付いていくと反応を示した。
「……ああなるって、解ってたのよね?」
「ええ」
初風からそう聞かれ、叢雲は頷いた。
宿舎に足を踏み入れる直前、叢雲はこの先からは覚悟しろと言った。それを覚えていた初風は、そこから結論付けたのだろう。
「
「そう……、酷い話ね」
吐き捨てるように初風は言う。
実際、彼女の言う通りだった。
叢雲には結果が事前に視えていて、過程も認識できていた。それを敢えて伝えずにいたのは事実なのだから、酷いことをしたと謗られても文句は言えない。
「悪かったわ。けれど、これから貴女はどうしたいの?」
「──現状を打開する」
叢雲に向き直りながら、初風は簡潔に答える。
「雪風に拒絶されたのは、正直辛い。でも、それで嘆いてばかりも居られないから。あの娘に恨まれても、陽炎姉さんに託されたから私は……」
初風の決意表明を聴いていた叢雲は、彼女に歩み寄り始める。
見ていられなかった。目尻からは涙滴が溢れ、頬を伝っていたから。
聴いていられなかった。感情を堪えるように声が震えていて、最後には言葉が詰まっていたから。
「貴女の思いは受け取ったわ。その決意は立派だと誉めてあげても良い。けれど──」
「……っ」
初風を抱き寄せる。両腕を背中に回し、頭は引き寄せて包み込むように胸に埋めた。
「その前に貴女は、とりあえず泣きなさい」
「……何言ってるの。今はそんな場合じゃ」
「いいえ、今はそんな場合よ」
抱き締める力を強める。
平静を装うとしているが、強がって無理をしているのは目に見えて明らかだった。ここで初風に我慢を続けさせるわけにはいかない。
「い、痛いわよ。離して」
「離さないわよ。私がもう良いと判断するまではね」
痛がってるのは確かだろう。だが、それは体を締め付けるからだけではないように思われた。
「……っ、痛い……!」
「痛いって、どこが……?」
「分からないわよっ。でも、痛くて、苦しくて、溢れそうで……っ」
嗚咽を堪えることも出来なくなったようだった。
その声音は既に涙声へと変わっていて、聞いているだけで痛ましいという気持ちを誘われるようだった。
「──良く頑張ったわね」
「……っ」
「初風はあれだけの惨事に遭って、それでも護りたいものを優先しようと行動した。僚艦に庇われて、その分まで背負おうとした。本当に良く頑張ったわ」
叢雲には、初風にかけるべき言葉はそれしかないと思えた。
今、こうして抱き締めている駆逐艦の少女は、我慢するなと言って素直に聞きはしないだろう。
何故なら、過去の叢雲と酷く似ているような気がしたからだ。
悲惨で絶望的な状況のなか、それでも立場上の責任で気を張り続けていた叢雲。惨劇に遭い、散っていく僚艦達から託され、背負う羽目になった重荷を懸命に抱え込む初風。
両者は互いに異なりながら、一度決めたことを最期になるまで続けようとするあまり余裕がない点については共通していると感じた。
「わたし、は……っ」
叢雲の背中に手が回される。両腕ですがるように抱き返して、自分から顔を胸に押し付けてきた。
初風という艦娘は、かつての自分と同じように簡単には弱音を吐けない性格であるのは叢雲には分かっていた。
だから、我慢するなと催促するのではなく、良く頑張ったと誉める方が適切なのだ。今の初風は自分が置かれた現状に対する不安や、惨劇に遭ったばかりなせいで張り詰めた糸のような心理状態の筈だ。
「わたしは、なにもできなかった……! 目の前で霰と霞がやられたのに、見ていることしかできなくて……っ。あの場から離脱できたのも、陽炎姉さんが身を挺してまで戦ったからだった……!!」
そんな状態だったからだろう、叢雲から掛けられた純粋な労いの言葉は均衡を崩すには充分だったようだ。
それまでは目端から涙を溢れさせながらも、折れそうになる心を必死に堪えているような有り様だった。
仲間を次々と亡くして辛いはずだろうに、ただ懸命に耐えていた。
最愛の姉から託されたものは本当に重いものだろうに、健気にそれを抱えていた。
守りたいと願った相手から拒絶されて傷付いただろうに、それでもすべきことを意識して、なおも亡き姉の遺志を果たそうとしている。
それでも、初風の心は限界だったのだろう。
今まで塞き止められたものが決壊するように溢れ、溜め込んできた様々な感情を吐露するようになったのが目に見えて分かる。
「ここまで良く耐えたわ。現状は大変だけれど、今は少しでも楽になりなさい」
叢雲のその言葉で、初風は抱えていたものを堪えるのを止めた。
泣き声が大きくなるのはすぐだった。堪えた分だけ、吐き出す感情が溜まっていたから。
すがり付く両腕は叢雲を離さなかった。今だけでも、受け止めてもらえる相手として認めてもらえたのだろう。
胸元が湿っていくのが分かった。それだけ流れている涙を受け止めているのだと思った。
そんな初風を嫌な顔ひとつせず抱き締めながら、落ち着くまで優しく髪を撫でてやる。
この日の夕方、ショートランド泊地の砂浜には、日没前の夕日は二人の影が草地まで長く伸びていった。