放課後の河原。この日は夏の匂い風が吹く暑い日だった。風は汗を乾かすことなく、熱気を連れてくる。
「いやー……なんか面白いもので空から落ちてこねぇかな」
寝転がって空見上げていたキャップは、心底暇そうに呟いた。
「空から落ちてきて楽しくなるものなんて一つもねぇって。雷が落ちれば雨が降る合図だし、雨が落ちてくれば蒸し暑くなるし、他のものが落ちてくるなんて……考えたくもねぇや」
慶一は気だるい声で答えた。暑さのせいで、もう動くのさえももめんどくさくなっていた。
キャップは「ぶーぶー」と口をとがらせた。「冷たいぞ。お互い暇なんだから、意見を出し合うべきだぜ」
「オレは暇じゃねぇよ。このあと買い物だ。百代がポテトサラダを食べたいって言い出したから、芋を買って帰らないと。うーむ……」
今日の川神院での夕飯のメニューは既に決まって下処理もしてあるので、出すとしたら明日の弁当に入れるのだが、問題は味付けだ。
牛乳と卵をいれてクリーミーに仕上げるか、胡椒をきかせてスパイシーに仕上げるか、砂糖を多めに入れて甘くするか、他のおかずに合わせて変える必要がある。むしろポテトサラダの内容を決めてから、他のおかずを選んでもいい。
シンプルにするか、具だくさんにするかも考えなくてはいけない。
おかず系にするならばベーコンやハムやエビやチーズを使い、箸休め的なポテトサラダにするならばザワークラウトで酸味を足したり、きゅうりやれんこんなど歯ざわりのいい野菜を多めに入れる。
だが、シンプルなのも捨てがたいと、慶一は頭を悩ませた。
「そんなに悩むことか?」
すっかり黙ってしまった慶一に、キャップが呆れ気味に言った。
「なんでもいいって言われたら悩んでるんだよ。一番困る言葉だ」
「ポテトサラダだぜ? フルコースを作れって言われてるわけでもないのによ。それにしても……」とキャップは急に真面目な顔を慶一に近づけた。そして「オレも恋でもしてみるかな」と衝撃的な言葉を発した。
「なにを突然……また……」と今度は慶一が呆れた。
「だってよ。モモ先輩にポテトサラダ作るって考えてる時の慶一の顔が、なんかすげえ楽しそうだったんだもん。つまり暇つぶしに持ってこいことだろ?」
キャップはまるで名案が浮かんだとでも言うように、人差し指を慶一の眼前に突きつけた。
「今のうちに訂正しておいたほうがいいと思うぞ……。だいたい愛だ恋だなんて、ガクトよりわかってない男じゃねぇか」
「そんなん、慶一がポテサラ作ってくれるんだろ? そのうえ暇つぶしも出来るなら最強だぜ!」
「女の子と二人きりで、映画を見たり、街を歩いたり、ご飯を食べたり。キャップが散々前に文句を言っていたデートってもんをすることになんだぞ。まぁ、ポテトサラダくらいならついでに明日作ってきてもいいけどよ」
キャップは「うへー……」と露骨に嫌な顔をした。「デートって、あの最高に面倒くさいやつか……。ならポテトサラダだけでいいぜ」
「そもそも暇つぶしで恋なんかしてみろ。ガクトが血の涙を流して干からびて死んじまうよ。血の海で泳ぎたいってなら別だけどな」
キャップは「海か……」と一言漏らすと、「よっしゃ! ちょっとひと泳ぎしに行ってくるぜ!」と、夏風を切って走っていった。
翌朝、慶一は珍しく朝食の支度のあとに二度寝をせず、百代と一子と一緒に登校していた。
「今日もいい天気ね!」
一子は太陽に負けないくらいの笑顔で元気に言った。
「いい天気すぎるけどな。なぁ……あの太陽って少し削れねぇの?」
昨日と変わらない暑さに、慶一はげんなりしていた。
「地球に影響を与えるなってジジイに言われてるからな……」
「さすがお姉さま! 太陽を削れるのは否定しないのね! 私も日々精進だわ!」
「一子はいつでも元気だな……」
「慶一が元気なさすぎるのよ。暑さに負けちゃダメよ。ほら、ファイト!」
一子は「おー!」慶一に言わせようと拳を掲げるが、慶一がそれにこたえることはなかった。
「今、オレの両手はあがらない……なぜなら弁当の熱を冷ますのに団扇であおぎまくったからな。こう暑いと……食中毒対策に時間が……」
「本当に腕が上がらないのか試してみよう。いくぞ、ワン子。美人姉妹のコンビネーション攻撃だ」
百代は手をわきわきと動かして慶一へとにじり寄った。一子も慶一が逃げないようにしっかりと後ろを捉えている。
「さぁ、観念なさい!」
一子が慶一の背中へと飛びついた瞬間「キャーーー!!」という女の子の声が響き渡った。
「慶一……そのリアクションは、彼女の私でもちょっと引くぞ……」
百代は眉を寄せて慶一の顔を見た。
「バカなこと言ってないで……助けたらどうだ? もうすぐ変態橋だし、変態でも出たんだろう。まぁ、こう暑けりゃおかしくもなるだろうな……」
「うちの生徒に手を出す輩は成敗しなくちゃな」
百代はワープでもするように姿を消した。
「それにしても凄い声ね。まるで歓声だわ」
そう一子に言われて、慶一も気が付いた。響いている声は、阿鼻叫喚の悲鳴ではなく、狂喜乱舞の嬌声だということに。それも一人や二人ではない。何十。いや、もしかしたら何百という声もかもしれない。
そして、慶一と一子が多馬大橋に到着するのと同時くらいに、百代がキャップを担いで空へ高く飛んでいくのが見えた。
「なにやってんだ……」
慶一が水平にした手のひらをおでこに当てて、影になった二人を見ていると、「前口くーん!!」千花ちゃんに声を掛けられた。
しかし、声を掛けた位置はかなり遠く、珍しく化粧が崩れることも気にせず全速力で多馬大橋を逆走してきた。
そして、慶一の前まで来ると呼吸を整える間もなく「あの話って本当!?」と必死な顔で聞いてきた。
「あの話ってどの話だ? 学食のイベントはしばらく考えてないぞ。それとも、ポテトサラダを大量に作ってきたって話か?」
「そんなくだらない話じゃないわよ!」と千花ちゃんは声を張り上げた。すぐに「ごめん、ごめん。前口君のポテトサラダが美味しくないとか、興味がないって話じゃなくて……」と訂正した。
「でも、今はこっちの方が大事!」と慶一が逃げないように制服の裾を掴んだ瞬間。今度は羽黒が「前口! みっけぽっこぺーん!」とタックルするように慶一を押し倒した。
一緒になって押し倒された千花ちゃんは「ちょっと……羽黒! 危ないじゃないの!」と睨みつけた。
しかし「千花りんなにやってんの。早くしないと他に先越される系」という羽黒の言葉に、「そうだったわ。あの話って本当?」と顔を近づけてきた。
そして二人同時に「風間(君)が恋人募集してるって!?」と叫ぶような大声で聞いてきた。
一瞬あっけにとられて「なに言ってんだ……」と呆れてみせた慶一だが、「あぁ、そういえば昨日――」と思い出しながら言った瞬間。
羽黒は「裏取れた系! 風間を押し倒してやんよ!」と千花ちゃんを押しのけて、イノシシのように走り抜けていった。
千花ちゃんは「ちょっと! 羽黒!」と消える背中に叫ぶと、「ごめん! 前口君、そういうことだから!」と、来た時と同じ勢いで走っていた。
「わふー……なんだか勢いに飲まれちゃったわ……。大丈夫? 慶一?」
一子は地面に押し倒された慶一に手を伸ばして引き起こすと、千花ちゃんと羽黒が走り去っていった多馬大橋に目を向けた。
そこでは「噂は本当だったんだ!」「チャンス到来!」などと口にする女学生達が、同じようにして走っていくところだった。
「わけはわかったけど、わけがわからん……。なんでキャップを追いかけてるんだ?」
「私がわかるわけないわよ……。そもそもキャップが恋をしていたなんて知らなかったわ」
「恋の話云々は勘違いみたいなもんなんだけど。うーむ……」
「悩む必要なんてないわよ、慶一! キャップを捕まえて事情を聞けばいいんだから!」
「まて、一子! 追いかけたら! ややこしくなるだろう!」という制止もむなしく、一子の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
一人になった慶一の背中に「慶一さーん!」という声がかけられ、思わず身構えて振り返ると驚いて目をパチクリするまゆっちが立っていた。
「どうしたんですか?」
「いや、なんかデジャブを感じたもんで……。それで――」
慶一が呼ぶ止めた理由を聞こうとすると「まゆっち! おいてかないでよー!」と、伊予ちゃんが遅れてやってきた。「あっ、おはようございます。前口先輩」と礼儀正しく挨拶すると、「あの話って本当なんですか?」とさっきと同じことを聞いてきた。
「あの話ね……」
「やっぱり! 風間先輩はカープ派だと! つまりベイの敵であると!?」
伊予ちゃんに言葉に慶一は首を傾げた。すると伊予ちゃんも首を傾げ、まゆっちも首を傾げた。
「キャップが恋人を募集してるって話じゃないのか?」
「そうです!」とまゆっちは慌てて「なんでも、キャップさんを一番最初に捕まえた人が恋人になれるという話です! 慶一さんは知ってましたか?」と早口で言った。
「その話は勘違いなんだよ。当然キャップがどこどこのファンってのもな」
慶一は昨日のことを二人に話すと、最初に言葉を発したのは松風だった。
「いやーびっくりしたぜ。キャップってばいつのまに目覚めたのかと思ったぜ。男の成長って早いなって感じだぜ」
「オレもびっくりだ。そんな話になってるなんてな。まぁ、今頃大和が手を回して沈静化してるだろう」
「そうでしょうか……」と伊予ちゃんが暗い顔で言った。「流れは止まらないものですよ。まるで昨日のベイの中継ぎのように!」
「負けたんだ」
「はい……鯉が龍に化けてあれよあれよと大量失点……。風間先輩が鯉のファンなら、その豪運のせいかと思いましたが。ただ負けただけでした……」
伊予ちゃんがうなだれると、松風が「へいへい!」と陽気に声を掛けた。
「伊予ちゃんファイトだぜ! 星は見上げるためにあるんだ」
「そうですよ、下を向いても勝ち星は落ちていませんよ! 拾うよりも、掴み取りましょう!」
「そうだね……まゆっち! 松風! 勝ちは前に進んだものだけが手に入れられるものだよ。ファンの私も前進しなくちゃ! 昨日の負けを追い越すぞ!」
伊予ちゃんは慶一に「前口先輩、お先に失礼しますと」と頭を下げると、勇ましい足取りで歩いていった。まゆっちもその横を応援しながら歩いていた。
「なんか、もう……今日は色々わけがわかんねぇ……」
慶一はどっと疲れが押し寄せてきていた。
思わず丸まる背中に「今からその説明だ、ほら急げ」と、いなかったはずの百代の声が聞こえてきた。
「もう遅刻でいいよ……」と慶一は振り返る。
「しょうがないやつだ。特別に運んでやる」と百代は慶一に手を伸ばすと、頭を強めに叩いた。
「なにすんだよ……疲れてる彼氏にやる仕打ちか」
「化粧の匂いをプンプンさせてるからだろう。彼氏がなんで知らない香水と化粧の匂いを制服につけてるんだ」
「キャップを狙う羽黒にタックルされたからだよ……。まったく……香水は服についたら取れにくいってのに……化粧とかシミになってねぇだろうな」
慶一はうんざりとした顔で制服のチェックをする。その様子を見た百代はとりあえずこの場は機嫌を直した。
「とりあえず全校集会だ。遅れるとジジイがうるさいからな。そのあと――ジャージに着替えろよ。他の女の匂いをさせたまんまは許さん」
百代は慶一を抱っこすると学校へと向かった。
慶一は百代の腕の中で「全校集会?」と呟いた。
全校集会。学長は嘆いていた。
「まったく嘆かわしいことじゃ……一人をわいわいと追いかけるとは……」学長は長い溜息をついた。そして出した分吸い込むと「やるならば本気で逃げて、本気で追いかけるのじゃ!」と活を入れるような大声で言い切った。
生徒のざわつきが収まらない中。学長は話を続けた。
騒ぎを聞きつけた学長は、熱くてダレて学業がおろそかになるならば、授業を中止して身体を動かすイベントを開催しようと思い立った。
さすがに恋人になるというのは無理なので、キャップを捕まえた生徒には普通食券五〇枚。キャップが逃げ切った場合には百枚。
生徒は協力することは許されないが、キャップは協力を請うことができる。ただし、それで逃げ切った場合には百枚の中から協力者に報酬を渡さなければならない。
誰かの恋人になるのはゴメンだが、楽しいことが起きないかと思っていたキャップには願ったり叶ったりだ。学長の提案を受け入れた。
いくつかの注意事項とルールの説明が終わると、学長が「川神鬼ごっこの開始じゃ!」と叫んだ。
お祭りごとが好きな川神学園の生徒はいろいろな思惑が渦巻く中、鬨の声をあげた。
当然、中には参加を渋る生徒もいる。
参加しても、なんの旨味もない慶一もその中の一人だった。