黄桃のような色のぷっくりとした黄身に、それを引き立てるくらいに透明な白身。
それをお玉で持ち上げたときに黄身と白身が分離しない程度に菜箸で泡立たないよう切る様に混ぜていく。そこに少量の砂糖を加えるとつやのある濃い黄色へと変わっていく。
その色が変わらないくらいの薄い出汁を合わせる。
熱したフライパンに垂れ流すとすぐに所々膨れ上がってくるので、それを菜箸で潰しながら半熟のまま素早くほぐしたとろろ昆布を一面に薄く引いて巻いていく。
それを数回繰り返すと、出汁が蒸発する微かな臭いの中ふわふわの出し巻きが完成すする。
巻き簾で軽く形を整えてから包丁を入れていくと、とろろの昆布で巻き目が面白いくらいにはっきりと映っていた。
サニーレタスを下に敷きその上に卵焼きを載せる、こうすると別のおかずには味が移らないし、レタス自身にはほんのり塩気が移り食べやすくなる。他のおかずも慣れた手つきで弁当箱に詰めていく。
慶一が作る弁当には卵焼きが入っていることが多い。彩りを考えたときに便利と言うこともあるが、慶一自身の好物というのも大きいだろう。
余ったおかずを摘みながらふと考える。自分が最初に作った料理とはなんだっただろうか。
母親が作る卵焼きが好きだったから卵焼きではないことは覚えてる。単純にホットケーキだろうが、それとも少し凝ってロールキャベツだっただろうか。当然だが今みたいに色々作れるわけなく簡単なものだったはずだが。
「どうした難しい顔して」
廊下を通った百代が調理場に入るなり、余った茄子の照り焼きを摘みながら問いかけてくる。
「初めて作った料理ってなんだったかなーって。フライパンを持ってたって事は覚えてるんだけどな」
「初めてっていつ頃の話だ?」
「ありゃ、札よりも小銭の方が価値があるように思えたずっと子供の頃だな」
冗談ではなく500円硬貨が最上級だった時代を思い出す。一際重い硬貨を握り締め何をしようかあれこれ考えては、少しずつお菓子を買ってなくなっていったしょうもない思い出に浸るが、直ぐに現実に引き戻される。
「そんな純真な子供時代なら、ウインナー焼いたくらいじゃないのか」
それを料理と呼んでいいのかは微妙なところではあるが、そう言われればウインナーを使ったような気もしてくる。大方めだまやきも一緒に焼いたくらいだろうか。
「磐鹿六雁命の生まれ変わりと呼ばれるオレの初料理は幻と消えるのか……」
「仰々しい奴だな、そんな呼ばれ方してるの聞いたことないぞー」
「そりゃそうだ、これから流行らすんだからな」
「まぁ、料理は興味あるが、そろそろワン子に弁当渡さないと学校前の鍛錬に出ちゃうぞ」
「おっと、一子を昼飯抜きにさせるわけにはいかないな。ちゃんと拭けよ」
照り焼きで汚れた指を舐め取ろうとする百代におしぼりを手にかけるように渡した。
春先の氷の上を歩いているような冷たい廊下とは違い、ずいぶんと暖かくなったと実感する。玄関付近に着くとちょうど一子が体を側面を伸ばしてストレッチしているのが見えた。
「お嬢さん、お弁当忘れてどこ行くの」
「忘れてないわ。慶一が来るまで準備運動しながら待ってたのよ!」
「横着してるなぁ。あと、これ学校行く前にお腹すいたら食べろよ」
弁当とは別におにぎりと一口で摘める簡単なおかずが入った袋を手渡す。
「ありがとー! それじゃあ、いってきまーーすっ!」
一子が元気に走っていくのを見送った後、いつも通りもう一度布団に入り直す。川神院に来てもう一年以上経ち早く起きるには慣れに慣れたが、だからと言って眠気が取れるわけでもない。
学校で寝るという本末転倒にならないようにも目覚ましをセットしギリギリまで寝る。
予定だったが、洗い物が残ってるのを思い出し再び調理場へと向かうことになった。
味噌汁が入っていた寸胴鍋をゴシゴシと洗う。おかわりも考慮し多めに作っているのだが、いつも残さず食べてくれるので冥利に尽きる。
「お疲れさんじゃ、それにしてもずいぶん力がついたのう」
寸胴を持ち上げる慶一に学長が自分の髭を撫でながら話しかける。
大人数の食事を作るためには、寸胴や中華鍋などの大鍋を使うことが多いので自然と筋肉がついたらしい。軽々とはいかなくても最初の頃に比べれば幾分楽に扱えるようになっていた。
「川神院で過ごすと何もしてなくても鍛えられそうですよ」
「ほっほっほ、慶一も鍛錬に参加してもよいのじゃよ」
「今のところ無駄に筋肉つけても使い道がないので遠慮しときます。どうせなら包丁を持つ時間を増やしたいですしね」
「初心を忘れないのは大切じゃな」
納得するように首を動かした後、何かを考えているのか柔和な笑顔から真面目な顔になる。
慶一が洗い物を終え、布巾で小物を拭いていると学長が口を開く。
「……モモにも料理をやらしてみるかのう」
「そりゃ、また唐突な思いつきなことで」
「鍛錬以外に料理にでも興じれば、お主みたいに少しは落ち着くかと思ってのう」
百代が料理に勤しむ姿を想像してみる。
姿だけ想像してみるとなかなか悪くないが、心持ちというか、誰かの為に料理を作ると言うことに理解が追いつかない。というより出来てもやらないだろう。
それならば、一子の方が想像が容易い。
「まぁ、そんなことしても戦闘衝動は収まらないでしょうけどね」
「……お主も気付いておったか」
「あんだけあからさまですからね。それに揚羽さんと長いこと一緒にいましたから、他の人よりは多少敏感ですよ。まぁ、戦闘衝動と言ってもモモと揚羽さんのは別物だと思いますけどね」
揚羽さんのはどっちかというと対決願望と言った方が正しいだろう。
「なにか良い手はないかのう」
「学長が思い浮かばないなら今のところ放置しかないのでは?」
「モモと仲の良い慶一なら、なにか思いつくと思ったんじゃが」
そう言うと百代と同じく茄子の照り焼きをつまみ調理場を出て行こうとするのでおしぼりを渡す。
血が繋がってるとこういうところまで似てくるものなのだろうか。
ぐるると小動物が鳴くようにお腹が空腹の合図を始める4時限目が終わり、そそくさと勉強道具を仕舞い弁当箱を広げる。
自分で作った弁当を楽しみにするのは少し寂しい気もするが、これがなかなかどうして良いものである。特に出来がいい日なんてのは心躍る午前を過ごせる。
「犬の弁当はいつも美味しそうだな」
「美味しいに決まってるじゃない! 慶一の特製川神院弁当よ!」
「そりゃ、オレが凄いのか川神院が凄いのかようわからんな。語呂悪いし」
「もちろん両方すごいわよ。いただきまーす!」
弁当がガツガツと口に吸い込まれていく様に消えていく。
「クリスは今日も稲荷寿司か?」
「もちろん! この美味しさはまさに東洋の神秘! 慶一も稲荷寿司を作るべきだぞ!」
相変わらず稲荷寿司にハマっているクリスは、一子に負けず美味しそうに頬張っている。
その顔を見ると慶一のお腹もより空いてきた。
楽しみにしていた出汁巻きよりも、そろそろやって来る夏に向けて痛み難いものをと思い作ってみたサーモンとパプリカのマリネを口に運ぶ。
時間が経ちじっくりとマリネ液が染み込んだことによって、朝に摘んだよりもしっかりと味が一体化していた。
やっぱり酢の物があるとさっぱりとして食がよく進む。川神姉妹には心配ないだろうが、夏ばてしてても食べやすそうだ。むしろ自分自身の方が夏ばての心配をしたほうがいいかもしれない。
「京の弁当は今日も真っ赤っかねー。卵焼きまで赤いってどうなのかしら……」
「赤いのは明太子が入ってるから」
「明太子入りかー、そりゃ美味そうだ」
「……食べる?」
「そいじゃ、交換で」
一切れ弁当箱の蓋に乗せて渡すと、京もそれを取り自分の卵焼きを蓋に乗せる。
せっかくなので箸で切らずにそのまま口に放り込んだ。
ピリッとした辛味が舌の上を走る。次に来る卵のまろやかさを予想していたのが……。
運動をした後の如何にも代謝が上がってると言うような爽やかな汗でもなく、南国のリゾートにいるようなすっきりとした汗でもない。まるで熱帯雨林に放り込まれたようにべた付く汗が文字通り滝のように流れてくる。
それを手のひらで拭き取ると余計に汗の通り道が増えてしまい、顔全体を濡らしていく。
だらしなく犬のように伸びた舌は、空気を取り込もうと必死に下顎を押し下げているが、空気が舌の上を通り抜けていく度に痛覚を刺激していく。
「大袈裟だなー。そんなに辛くないのに……。大和も食べる?」
「あの様を見てオレに食えと? まぁ、慶一は自業自得だな。京の弁当は辛いってわかってるだろ」
「ひょうだけど、ひゃまひょひゃきまへはらいとおもわないはろ」
「いやいや、なに言ってるかわかんないって」
唐辛子なのか別な物なのか分からない辛味はペットボトルの水を飲み干したところで取れるわけもなく、喉に張り付くような痛みに咳き込んだりもする。
「それにしても凄い汗ねー。私のスポーツタオルで拭きなさいよ」
一子のいい匂いが漂うタオルに顔を埋めると、ようやく顔の汗の広がりが止まる。と言っても出てくる汗をタオルが吸収しているだけなので、背中や腋などは未だにワイシャツに染みを作っていくのには変わりない。
慶一は辛さに負けず、なんとかもう一度言葉を搾り出す。
「卵焼きまで辛いのはおかしいだろ」
「そう? 普通だと思うけど……。慶一も味覚をもっと鍛えたほうがいいんじゃない?」
「辛味は五基本味には入ってないんだが……」
窓から吹きぬける風が汗ばんだ体を冷やしていく。しゃべれる位に舌が回復したところで、朝から楽しみにしていたとろろ昆布の出汁巻きを口に運ぶが、辛さのせいで味が全然分からない。先に京スペシャルの卵焼きを食べたことを後悔した。
それでも多少は口直しの効果があったらしく、モヤモヤとしていた辛味の元になった正体がわかってくる。
「ハバネロ?」
「流石だね。御名答」
醤油代わりなのかおかずに垂らしていたハバネロソースを見せてくる。毒々しいというか髑々しいパッケージの中に入ってるソースは、液体と言うにはあまりにも固形物が浮きすぎていた。
「そんなに辛いのか? よし! 自分も――」
いざ勇み、口に運ぼうとするクリスの手を慶一が慌てて掴み首を横に振る。
「顔が怖いぞ!」
「友達の自殺は止めることにしてるんだよ」
「皆酷いなぁ、こんなに美味しいのに」
京は慶一があんなに苦しんだ刺激物質を汗一つ掻かずに平然と口に入れていく。
「ケツから火をどころか溶岩が噴き出しそうな辛さをよくもまぁ……」
「ぶっ! 食事中に汚いこと言わないでよ慶一!」
「わりぃわりぃ」
吹き出した一子の口周りを借りたスポーツタオルで拭く。食べかすが飛んでいないことになにかしらの執念を感じる。
「よしっ綺麗になったな」
「ありがとー」
吹き出した原因は慶一にあるのだが、綺麗に拭かれた一子は笑顔を見せる。
「大和、慶一のあれは犬を甘やかしすぎじゃないのか?」
「クリスがそれを言うとは」
「なんだと!」
慶一はそんな言い合いに耳を傾けながらあることを思い出す。
「あっ、そういやこれで汗拭いたんだった」
「ちょっと! いいかげんにしなさいよね!」