春に比べて今はずいぶんと夕暮れがのんびりと居ついている。
最近のなにかと騒がしい川神学園とは違い、秘密基地ではいつも通りのゆったりとした時間が流れていた。
「むぅぅ……」
適当にかけたラジオからは懐かしい洋画の主題化が流れていた。その歌に思いふけると雨の中を唄い踊る男の姿がはっきりと目に浮かぶ。あの映画を見るたびに子供の頃の濡れる楽しさを思い出すのと同時に、びしょ濡れで帰って廊下を汚して怒られたことも思い出す。
雨と言えばそろそろ梅雨もやってくる。食材の管理も今以上に気を付けなければいけない。弁当作りが少し大変になってくる時期だ。
色々と考えている間に、ラジオの曲が終わりDJが次の曲の紹介をしている。いいかげん差し出している腕が疲れてきた。
「むむぅ……っ」
「ババ持ってるのはクリスなんだから悩んでもしょうがないだろ」
「なんでわかるんだ!?」
「そりゃ、二人でやってんだからわかるだろう」
「それもそうか……。むっ…これだ!」
慶一の手から勢いよく一枚カードを取ると、しばらく自分の手札を眺めてから嬉しそうな顔をして叩きつけるように2枚のカードをテーブルに置く。
ババ抜きも終わりに近づき手持ちのカードも残り少なくなっている。
クリスの手持ちのカードは三枚。一番左のカードに手を伸ばしてもクリスの表情は変わらない。右にひとつ手をずらすと眉毛が少し動く。一番右のカードに手を伸ばすと笑窪が出来る。
すぐに表情に出るので本来は勝負にはならないはずだが、戦績は4対2でクリスが勝ち越している。5本先取で勝負しているので、今回でクリスが勝つと慶一の負け越しが決定する。
慶一はそのまま一番右端のカードを取って確認すると、案の定憎たらしい顔をしたジョーカーの絵が描かれていた。適当にシャッフルして、またクリスが取りやすいように腕を差し出す。
のんびりと過ごしていると、携帯をいじりながら大和が部屋に入ってくる。
「ながら歩きしてると転んだりして危ないぞ」
「気をつけるよ母さん」
「おかしいな、大和を腹痛めて生んだ記憶はないんだがな」
爺さんからお母さんに変わったが、どちらにせよそんなに嬉しいものではなかった。
「まぁ、あったら怖いよね。いきなりだけど、なんかいいツマミってある?」
「ツマミねぇ……。学長とかには酢の物作ってるな」
「酢の物か……」
何か考えるように大和は顎に手を当てている。
「何か問題あるのか?」
「学校だと匂いがちょっとな」
「学校で飲むのか? また、中途半端な時期にグレるんだな。夏休み明けまで待てないのか?」
「そんな理解を示すなよ! もしグレたらしっかりとオレの道を正してくれ……。これ以上古傷を増やしたくないからな。ツマミは川神水好きな弁慶にあげようと思ったんだよ」
てっきりヒゲ先生あたりにでも渡すものと思っていたが違っていた。
「飲んべえなら塩でも舐めさせとけばいいんじゃね?」
「そういうのは聞いたことあるけど、一応は酒じゃなくて川神水だしどうかな」
「なんか好きな食べ物とかで攻めるとかは?」
「今日の昼のクマちゃんおすすめのちくわは喜ばれたな」
「ちくわかぁ……」
味噌をのせて炙ると淡白なちくわに香ばしさが溶け込み絶品だし、磯辺揚げにするとサクサクの食感を楽しむ度に青海苔の香りとちくわ本来の魚の旨味が広がっていく。
やはりちくわを楽しむには香りを楽しみたいが、どちらも作りたての熱々のが美味しいので学校で食べるにはちょっと無理があるだろう。
時間が経っても美味しいとなると、ちくわの穴にチーズを入れたり、きゅうりを入れてマヨネーズで食べるなら常温でも美味しいと思う。
しかし、せっかく料理のことで相談されているのだがら、もうちょっと捻った意見を出したいところだ。
慶一の手札を見て未だ悩んでいるクリスと同様に熟考する。
「そんなに悩まれると相談を持ちかけたのが悪い気がしてくるなぁ……。別にちくわに拘らなくていいよ」
「クマちゃんとか、いつものネットワーク使ってどっかから仕入れるのが手っ取り早いんじゃないか?」
「それは存分に使う予定だけど、折角だし今回は慶一に作ってもらおうかなと」
「よし! これだ!」
大和と話してる最中に、やっとクリスが慶一の手札からカードを一枚抜き取り2枚を捨てる。これでクリスの手持ちは一枚になり慶一の負けということになる。
「自分の勝ちだな! 約束通り言うことを一つ聞いてもらうぞ」
「あれ? そんな約束してたっけ?」
「してたんだ! だから真剣にやってたんだぞ!」
クリスが無駄に悩んでカードを選んでたのには理由があったらしい。慶一はすっかり忘れていたが……。クリスなら無茶振りをしてくる心配はないので、面倒くさいことにはならないだろう。
「自分も慶一の料理がいいな。……よし! 稲荷寿司を所望するぞ!」
「自分もってちゃっかり聞いてたのか、やらしい奴だな」
「なっ!? や、やらしいとはなんだ大和! 大きい声で話してたから耳に入ったんだ。自分は悪くないぞ!」
「そうだな、オレの言い方が悪かったな。盗み聞きなんてスケベだなクリスは」
「もっと悪くなってるぞ!」
クリスは流すということを知らないので、茶化す言葉全てに反応する。むくれる顔が可愛いので、大和がからかう気持ちもわかる。
「まぁまぁ、本当に稲荷でいいのか? 甘味くらいなら帰りにでも奢るぞ」
「いや、稲荷でいいぞ。一度しっかりと慶一の料理も食べてみたかったからな」
「どうせなら、義経との決闘で勝ったらとかだったらもっといいもの作るのに」
「その時はその時でまた強請ることにする。それに稲荷は至高の逸品だぞ!」
そう言えば最近稲荷寿司を食べていない。定期的に食べるものでもないのだが、あまりにもクリスが崇拝しているので食べたくなってくる。
「それじゃ明日の弁当に作ってくるかな。大和の要望のツマミも何か考えて持って行くよ」
「助かるよ。後で材料費いくらかかったか教えてくれ」
「いいよいいよ。大和にはいくつか借りがあるしな、ここで返しとくわ」
材料を買いに行くために商店街まで足を向ける。
金柳街は夕飯のおかずを求める主婦とファミレスやカラオケを目的とした学生で溢れていた。その人の群れに紛れて、いつもより機嫌の良い見知った顔が歩いている。
「ようモモ。こんなところに一人で珍しいな」
「なんだ慶一か。じじいに頼まれてお使いだ」
「……本当に珍しいな。隕石でも降らせる気か?」
普段なら学長の用事なんて突っぱねそうだが、機嫌がいいのにも関係しているのだろう。外部からの義経への挑戦者の選定を任されたので戦いに不自由しなさそうだと言っていたから、それで機嫌がいいのだろう。たしか今日の放課後からだったはずだ。
「小隕石くらいならいつでも落としてやるぞー。例えば生意気な男の頭上とかにな」
「将来金に困ったらオークションで儲けられそうだな。それにしても、そんなに上機嫌になるほど強い相手がいたのか?」
「まぁ、それはぼちぼちかなー。でもな、九鬼が近々私を負かす相手を用意してくれるんだと」
「あぁ、それで」
機嫌の良い理由はただ戦えるからと言うわけではなく、いずれ戦えるというまだ見ぬ強敵に思いを馳せているからだった。理由が理由なだけに、特に興味のない慶一は何も言うことがなかった。
「慶一は誰だと思う?」
「ティーレックスとかじゃないの?」
「……オマエはまたすぐバカにするな」
「わりと真面目に答えてるんだけど。今のところモモが人間に負けるのって学長くらいしか想像出来ないし、人外のほうがありえそうな気がするからな」
「だからって恐竜はないだろ! もっと美少女に合う対戦相手を選べよー」
遺伝子情報から源氏のクローンが作れるのだし、恐竜も作れそうな気がする。そこら辺の知識は映画で見たくらいしかないから曖昧だ。ティラノサウルスがT.rexと浸透し始めたのもその映画からだったと懐かしむが、さっさと商店街を回らないと店が閉まってしまう。
「話しかけといて悪いけど、用事があるからまた家でな」
「本っっ当自分勝手だな」
わざわざ金柳街に来た理由は、稲荷寿司に入れる野沢菜漬を買うためだ。漬物はスーパーで買うよりも漬物屋で買ったほうが美味しい。毎朝川神院で出してる漬物もここで買っている。
「で、ついて来たっていいことないぞ」
「いいだろー。暇なんだよ」
「学長のおつかいは?」
「ただの届け物だからな、もう終わったんだよ。せっかくやる気出してトレーニングしようとしてたのに。……じじいめ」
珍しいことと言うわけでもないが、百代がやる気を出していたらしい。やはり近くに目標がある方が身が引き締まるのだろう。
「そんなことより、稲荷寿司って三角と四角どっちがいい?」
「そんなことで片付けるなよー。まぁ、最近は三角もよく見かけるな」
「四角の方が詰めやすいんだけどな……」
「とうっ!」
店員から野沢菜漬を受け取ったところで、百代が慶一の背中に飛びつくように乗っかった。
「フラストレーションが溜まってるからな。慶一で発散することに決めた。今決めたー」
「しまった。からかい過ぎた」
手には袋を持っているので、そのまま百代を引きずるように歩いていると耳の横で喋られるので息がかかって耳がくすぐったい。
「明日は稲荷寿司なのか?」
「そうだよ。クリスと約束したからな。もう一種類くらい変り種の作りたいところだけど……」
「天かす入りの美味いぞ」
「天かすもいいな。刻んだ生姜も入れて、それにするかなー」
普通の稲荷寿司に今買った野沢菜、五目は川神院の材料でどうにかなる。メインのおかずは唐揚げにしたいので、稲荷寿司はさっぱりとしたものにしたい。
何にしようか決心がつかないまま色々考えて歩いていると、八百屋で良さげなものを見つける。
「葉わさびか……。ちょうどいいし醤油漬けにして大和に渡すかな」
これなら稲荷寿司に入れても美味しいし、酒のつまみにも合うだろう。もう旬ではないのでこの時期はスーパーにはなかなか出回らない。商店街まで足を伸ばして良かった。
「野菜もいいけど、どうせなら肉がいいぞー」
半ば強引に首を捻られると、視線の先には肉屋が映った。
「お? スペアリブが安売りしてるな」
「買うのか? これは夕飯が楽しみだなー♪」
慶一の背中で百代がはしゃいでいる。
「いや、晩飯じゃなくておやつだな。一子が義経に負けたらしいし、好物の骨付き肉でも作ってやろうかなーって」
「過保護過ぎじゃないか?」
「負ける度にいじけるならそこまでしないけどな。一子は負けても前を向いてるんだし、応援ならいいだろ」
「いや絶対慶一は、ワン子が負けていじけることになっても甘やかしてると思うぞ」
否定は出来ない。というよりも図星をつかれた気分だ。
それでもスペアリブとコロッケを2個買う。
「ほれ、たまには甘やかしてやるよ」
「お? 今日は優しいじゃないか。おぉ! 肉屋のコロッケはジューシーで美味いなぁ」
コロッケを渡すとさっそくかぶりついていた。
「衣をこぼすなよー。オレにかかるんだから」
初夏の日差しよりも背中を暖めてくれる百代を引きずりながら川神院へと歩いていく。