真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第三十話

 カラスの濡れ羽のような艶のある黒髪が風をきって揺れている。それを目標に走るが、追いつくどころかどんどんと距離を離されていく。時折少女が振り返り、離れすぎないようにスピードを緩める。

 いつもそうだった。最初は楽しく遊んでいるが、結局は手加減をされてしまう。子供ながらに男のプライドはズタズタだった。他の遊びをしようにも子供の遊びなんていうものは体力を使うものばかりで、鬼ごっこ、ちゃんばら、どれも勝った覚えはない。かくれんぼしても直ぐに見つけられるし、変身ヒーローごっこはこっちがいつも悪役だった。それでも遊びに行ったのは、夕暮れのお喋りの時間が楽しみだったから。

『同年代じゃ、もう私に勝てる奴はいないんだぞ』

『へーじゃあ怖いものなしなんだね』

『まぁな、上級生だって怖くないな』

『おばけも怖くないの?』

『もちろん! おばけだろうが妖怪だろうが私の拳で一発だ!』

 少女は真っ直ぐに拳を突き出すと、ゆっくり胸の前に引いて得意気に笑った。

『でも、おばけだったらパンチとか当たんないんじゃないの?』

『うっ……。除霊が出来るならパンチも当たるだろ』

『除霊する人だってパンチはしないよ。どうするの?』

 いつだったか夜にやっていたテレビでは、幽霊に向かってひたすら話しかけていた。水をかけたり塩をかけたりはしていたが、殴り飛ばしたりしているところは見たことがない。

『ええい! 生意気だぞオマエーっ!』

 腕ひしぎ逆十字固めをかけられる。手加減されているせいで関節の痛み自体は大したことはないが、圧迫された腕が痺れてくる。その痺れを上手く伝えることが出来ないので、出る言葉は結局痛いと言うことだった。

『いたた、人をいじめると仕返しおばけが出るんだぞーっ』

『生意気なこと言う方が悪いんだー』

『夜中に出るように念をかけてやるからなー!』

 

 

 やけにリアルな夢に目が覚めると、体に疲労感が襲ってきた。

 昨日の夜に足場が悪い道を歩いたせいで、ふくらはぎの筋肉に鉛がつけられたように重くなっている。筋肉に力が入らず足の付根から動かそうとすると、普段使っていない筋肉が一斉に悲鳴をあげだした。

 次は腕を動かしてみる。時間を確認するために手元にある携帯を右手で取るが、特に痛みを感じることもなかった。

 時刻は朝の6時前。日曜日は朝ごはんの用意をしなくていいので早く起きすぎたくらいだ。

 寝起きに体を伸ばしたいが左腕が動かない。仕方なく右腕だけを伸ばすと、寝てる間に溜まった疲労感を体の外に押し出すように欠伸が出てくる。

 慶一の左肩辺りに生温かい寝息がかかるので、そこだけ熱がもっていた。ここでようやく布団に潜り込んでいた百代に声をかけた。

「起きないと朝の鍛錬に遅れるぞ」

「むぅ……」

「起きたか?」

 百代は一度薄目を開けて慶一の顔を確認するが、直ぐにまた目を閉じる。

「……もうちょっと寝る」

 猫のように体を丸め、頭の座りを直すしたいのだろう。もぞもぞと慶一の腕に擦りつくように動く。

 痺れた左腕は感覚がなくなっていて、指先を動かすと筋肉が電気に反応する時のようにピクピクと動くが、自分の手じゃないみたいな不思議な感覚になっていた。

「学長に怒られるぞ」

「じじいなんか怖くないぞー。どうしても起きてほしかったら、添い寝料金一万円になりまーす」

 百代は慶一の胸の上に手の甲をつけて指を広げていた。

「むしろ布団の使用料と腕の痺れの慰謝料を払ってもらいたいんだがな」

「早くしないと延長料金が発生するぞー」

 慶一の胸に置いたままの手を付けたり離したりして催促を始める。

「……一人一役の美人局なんて初めて聞いたぞ」

「起きて一番に美女の顔が見れるなんて幸せだろ?」

「朝起きて一番最初に見えるのは天井だよ」

 慶一が未だ寝転がったまま欠伸をすると、古い天井にカーテンの隙間から入った太陽の光が鋭利に照らしだされていた。

「本当は嬉しいくせに素直じゃない奴め」

「悪い気はしないけど、こういうのは前後の行為があって初めて成立するもんだと思うぞ」

「我が儘だな。そういうこと言うとどいてやらんからなー」

 慶一の服を抱きつくように掴み不法占拠を宣言する。

 遠くから元気に廊下を走る音が近づいてきて慶一の部屋の前で急に音が止んだ。

「慶一! お姉さまを見かけなかった?」

 扉を開き一子が慶一の部屋に入ってきた。川神姉妹はノックをするということ知らないのだろうか……。

「おはよう一子」

「ワン子か? もうちょっとしたら鍛錬に行くから待ってろ」

 一子の視線からは布団の端から顔を出して寄り添っている二人の姿が見えた。

「あわわっ! お邪魔しましたっ!」

 勢い良くドアを開けて入ってきた一子は、同じように勢い良くドアを閉めて出て行った。吊るされた部屋の電灯が船の上のように揺れている。

「ワン子には刺激が強かったかな?」

「いやー、正直言うとオレにも刺激が強いんだけどな」

 いつもは背中に当たる柔らかな感触がわき腹に当たっているので、慣れない心地よさと気恥ずかしさが慶一に押し寄せていた。

「ふふん、そう言われると益々このままでいたくなるな」

 百代は顔を近づけて慶一の困り顔を楽しそうに眺めている。

「もう少し困ってやっててもいいけど、あまり遅くなると朝から説教になるぞ」

「うーん、仕方ない。準備するかぁ」

 百代が腕から頭を離すと、慶一も起き上がり布団の上に胡座をかく。

 反対の手で痺れた腕を持ち上げてみるが、触られた方の腕は感覚がなかった。手を離すと糸の切れた人形みたいに痺れた腕が布団に叩きつけられた。

「おおう……。すげぇ痺れてる」

「そういう時はこうするといいぞー」

 百代は慶一の左手をとり、腕から指先まで順番に乱暴にマッサージをする。

 指先まで血液が巡り、じんわりとした痛みと熱が広がっていった。広がり切ると、今度は血液が炭酸になったかのようにシュワシュワとした痺れとパチパチとした痛みに変わった。

「いてぇっ! ……だけど手が動くようなったな」

 慶一はグーパーをするように手を何度も握ったり開いたりする。

「そうそう、痛くても動かして血液を循環させた方が早く治るぞ」

「つーか原因を作ったのはモモなんだから、もっと優しく治してくれてもいいのに。川神流腕のしびれ治しとかないのか?」

「そんなピンポイントの技を作るほど川神院は暇じゃないんだよ」

「結構ピンポイントな技存在してるじゃねぇか……」

「さて、朝の鍛錬に行くかー! ……美女の残り香でナニするなら今のうちだぞ」

 そう言い残すと、百代は自分の部屋に着替えに行った。

(言うことがオヤジ臭いんだよな……)

 寝直そうと思い、再び横になって日射しを遮るように頭まで布団をかぶるが、一度目を覚まし血液が循環しているので目が冴えてしまっている。そうなってくると百代の体温と匂いが布団の中に充満していることに気づいた。早鐘のように煩く心臓が騒ぎ立て始めたので慌てて布団を捲り顔を出す。

(これは健康に悪いな……。いや青少年的には正しいのか?)

 下腹部が自己主張を始めたせいで寝間着を脱ぐ時に引っかかる。抑えこむように普段着のズボンに履き替えてベルトを閉めた。

 気分転換も兼ねて洗面所へ向かう。冷たい水を手ですくいバシャバシャと顔を洗うと、タオルで拭き取る頃にはすっきり目が開いていた。

 

 

 脳が活動を始めるとお腹が減ってくる。門下生が朝ごはんの支度をしているが、出来上がるのを待てないし自分で一人分を作るのもめんどくさい。

 とりあえず部屋に戻りBGM代わりにテレビをつけて、押し入れの奥に閉まってあったダンボールを引っ張りだす。

 被っていた埃を払いガムテープを剥がす。邪魔な簡易寝袋を取り出し端に置く。ろうそくに簡易トイレ、ナイフまで入っていた。上半分の荷物をどかすとようやく目当ての物が出てくる。乾パンに魚や肉の缶詰、保存用の味噌汁の缶まであった。

 シャリシャリと金属擦れる音を聞きながら乾パンの缶詰を開けていく。スナック菓子感覚で口に放り込んでいく。昔は一個ずつじゃないと食べられないくらい固かったが、ここ数年で随分と柔らかくなったと感じた。それでも味も素っ気も無いのは変わらずで、それをどうにかする為に味噌汁の缶のプルタブを開ける。しっかりとカツオの出汁が効いていて、小切りにされた麩と大根も入っている。飲み口が大きくなっていて多少は具が食べやすくなっているが、引っかかった具を食べるのに結構イライラが溜まる。食べ合わせというのもあると思うが、ぬるい味噌汁はお世辞にも食が進むとは言えなかった。

 乾パンを半分も食べる前に味噌汁が空になった。飲み水が不足する状況だと乾パンは食べないほうがいいのかもしれない。

 葛飾区のおまわりさんが問題を起こしたと流れるニュースに耳だけ方向けながら、食べかすが落ちて汚れないように敷いた一昨日の新聞記事に目を通す。〝暴走族退治法〟と小さい見出しで書かれていて、自分で直接制裁を加えるのは危険なので警察に連絡との文がある。川神には川神院と九鬼ビルがあるので暴走族なんてものは大っぴらには走ってない。親不孝通りの方へ行けば多少は存在しているのだろうが、前に述べた二強に目をつけられても得することなんて一つもないので、不良も自分達が楽しく遊ぶためにもある程度自粛はしている。たまに若さで暴走する奴がいるくらいだ。

 夏の迷惑風物詩の〝蚊〟〝暴走族〟〝住宅街でのロケット花火〟どれも切っても切れない日本の夏である。

「流石におやじくさすぎるだろ」

「とても若者の朝には見えないわ……」

 慶一の寛いでいる姿を見た川神姉妹が好き勝手なことを言ってくる。

「これが休日の朝の正しい姿だぞ。つーか、いいかげんノックを覚えろよ」

「大和の部屋にもノックしないのに、オマエのところにノックするわけないだろう」

 百代のトンデモ理論が出たらもう何を言っても無駄だ。いよいよとなったら鍵を付けたほうがいいかもしれない。

「鍛錬が終わったなら、朝飯でも食べてきたらどうだ?」

「もう、とっくに食べ終わったぞ。今何時だと思ってるんだ?」

 時計を確認すると、もう10時を回っていた。無駄に時間を過ごすしていることに如何にも休日なんだと実感する。

「あーっ! 非常食食べたら大和に怒られるわよ」

「後で買い足しておくから大丈夫だよ」

「人が食べてるのを見ると美味しそうに見えるのよねー」

「食べたら食べた分だけ後悔するぞ。カロリー的に」

 慶一は乾パンのクズが散らばっている新聞紙をそのままくしゃくしゃに丸めてゴミ箱の中に入れる。

 慶一の行動が一段落をしたところを見計らうと、一子がいつもの元気な声で言った。

「さぁ! 秘密基地に行くわよ!」

「いやいや、この時間に行っても誰も居ないだろ。昨日は夜中まで起きてたんだし」

「キャップはきっといるわ!」

 確かにキャップは疲れ知らずだし、もう秘密基地にいるかもしれない。キャップがいるということは大和も連れて行かれいそうだ。そうなると当然京も一緒だろうし、同じ寮のまゆっちとクリスもいる可能性が高い。なんだかんだみんな秘密基地に集まっていそうだ。

 慶一は一子に手を引かれノロノロと歩き出す。その姿を見た百代はくすくすと笑いだした。

「笑うとこか?」

「なに、将来オマエに子供が出来た時の姿が容易に想像できてな」

 休日の父親と子供という図式を慶一と一子に重ねあわせたのだろう。百代は二人を微笑ましく眺めている。

「お姉さまも早く早く!」

「ほら行くぞ、お父さん」

 百代はそう言うと、慶一の背中を叩き先頭を歩いて行った。

 

 

 

 

 

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