真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第三十三話

 朝から太陽を隠している墨を磨ったような重々しい真っ黒な雲は、昼過ぎにはとうとう本格的に降り出した。授業の時間が終わっても雨は止むどころか激しさが増し、雷光が雨雲に包まれた仄暗い世界をたまに照らしだす。

 叩き付けられる雨音に反応して窓を見ると、新しい雨粒が直ぐに新しい雨粒に押し流され滝のようになっている。

 校内放送のチャイムが鳴ったのは帰りのHRが終わって直ぐだった。近くの川が氾濫しそうなので、落ち着くまでは帰宅せずに校内待機と放送が流れたのだ。屋内で出来る部活はそのまま活動しているが、それ以外の生徒は突然校内に閉じ込められるような形になっているので、皆思い思いに暇をつぶしていた。

 読書に勤しむ慶一には、近くでゲームをするモロとヨンパチの声にが聞こえてくる。

「ヨンパチ僕の後ろにばかり張り付いてないで、ちゃんと攻撃してよ」

「モロが女キャラのエロ装備でオレを誘惑するから悪いんだろ!」

「ほら、二段噛みつきがくるよ!」

 二人の声に呼応するようにガチャガチャとボタンの音が鳴っていた。

 それに混ざり、一子の細い穴を通る風のような呼吸が慶一の耳に届く。重そうなダンベルを上げ下げし、一息ついたのか慶一に話しかける。

「ねぇ慶一。ティラノザウルスの肉って美味しいのかしらね」

「筋肉が発達しすぎて固いだろ。それに肉食獣の肉は臭みをとるのも大変そうだ」

「トリガラトプスは?」

「……そんないい出汁がでそうな名前の恐竜は知らんぞ」

 羽毛恐竜の肉なら鶏肉の味がして美味そうだ。アンズ・ワイリエイなんて地獄の鶏を意味する名前をつけられた羽毛恐竜もいるくらだし、意外に食べられそうな恐竜もいるかもしれない。

「あれ? トリニクトプスだっけ?」

「よけい遠のいたな……。何故か食べられる度はアップしたけど」

 梅雨時の本は古紙の匂いが漂っている。パラパラと図鑑のページを捲るとインクの匂いまで染み出てくるようだ。

「きのこの本なんか読んでどうするの?」

「せっかく雨が降ってるんだし、料理の勉強」

「たしかにこうジメジメしてると、きのこが生えそうねぇ……。あっ、これ真っ赤で綺麗ね」

 一子は珊瑚のような形で生えている、鮮やかな赤の色をしたきのこの写真を指さした。

 その写真の下にはカエンタケと書かれていた。

「それは、毒キノコだな。数グラム食べただけで死に至るとさ」

「ひぃっ! じゃあ、これはシイタケに似てるから大丈夫そうね」

「横の写真見たほうがいいぞ」

「ひいぃぃい! 緑色に光ってるわっ!」

 シイタケに似ているツキヨタケ。シメジに似ているクサウラベニタケ。なめこに似ているコレラタケ。

 似ている似ているばかりだ……。食べられるきのこほど似たような外見の毒きのこがあるので、素人判断がいかに危険かと言うのは、ただ図鑑を眺めているだけでも理解できる。

「きのこ栽培バンザイだな」

「慶一も何か育ててみればいいのに」

「川神院で?」

「許可でるんじゃないかしら」

 川神院で栽培するとなると、主になる食材は人数のことを考えるといくら植えても足りないかもしれない。薬味で使うものなら良さそうだが、観光にも使われてる川神院で堂々と植えるのもおかしい。植えるとなると修行場の隅になるだろう。

『行くぞっ燕っ!』

『いつでもいいよ、百代ちゃん!』

『川神波ーーっ!』

「……無理」

 考えたら一瞬で結論が出た。松永先輩が修行しに来るようになり、百代ともちょくちょく手合わせをしている。修行場になにかを植えても、戦火に巻き込まれることは目に見えていた。

「お姉さまのこと信用しなさすぎよ」

「普段ならともかく、松永先輩と戦ってる時でも周りに気を使うと思えないぞ」

 人間には危害を加えないだろうが、草花に気を使うことはしないだろう。

「よー! 集まってるか」

 曇天模様でも晴れ晴れとした笑顔でキャップが教室に入ってきた。

「放送の後すぐにいなくなったから、川に行ってたと思ったぞ」

「まぁ、最初は様子を見に行こうとしたんだけどな。危ないからってルー先生に玄関で止められちゃったぜ!」

「キャップらしいわねぇ」

「それより、慶一もワン子も野球しようぜ!」

 キャップがそう声をかけると、バケツの裏を叩き鳴らしたような音が響く。雨が怒り狂ったように勢力を強め出した。

「キャププロくん、外は雨でやんす」

「流石に私もこの雨の中は遠慮願いたいわ」

「大丈夫。ルー先生が第二体育館使っていいさ。童心に帰って傘とピンポン球でやろうぜ!」

 そう言うとキャップは肩に担いでいた傘を野球のバットに見立てて構える。

「流石キャップね! 体を動かしたくてウズウズしてたところなのよ。慶一も行きましょ」

「まぁ、まだしばらく帰れそうにないし行くか」

「よぉーし、オレに続けー!」

 キャップの声に続いたのは慶一と一子だけで、モロはヨンパチとゲームを続けるらしい。他のクラスメイトも後で見学に来る人はいそうだが、とても野球をやる気分ではなさそうだった。

 

 

 既に体育館には百代、京、ガクト、まゆっちに、同じく一年の大和田伊予が集まっていた。

「なんか見慣れない奴がいると新鮮だな」

「オレ様は松永先輩とか、年上がいないことに不満だけどな」

「それでも綺麗どころが集まってるんだし、無い物ねだりは罰が当たるぞ」

「まっ、ここでオレ様がホームランでも打てば、活躍の噂が広がって三年のお姉さま方に届くかもしれないしなっ!」

 ガクトが力任せに傘で素振りをすると、豪快に風を裂く音が聞こえてきた。

「2チーム作るには人数が足りないから、いつも通り適当に打者と守備を決めて始めるかーっ」

「湿ってて滑ると危ないから、ちょうどいいかもな」

「かっ飛ばすぞ―!」

 バッターボックスに入ろうとするキャップの肩を慶一が掴み止める。

「まぁまぁ、一番って言ったらオレだろ」

「そんなイメージないぞ。まっ、珍しく慶一がやる気出してるからいいけどよ」

 キャップとタッチをすると慶一はバッターボックスに歩いて行く。

「京の変化球には気をつけろよ慶一」

「ピンポン球だし誰が投げても一緒だろ? 川神のリトル梅井と呼ばれた実力を見せてやるぜ」

「一番、慶一くーん」

 キャッチャー兼審判の百代の呑気なアナウンスを聞いて左打席に入る。

「変化球の打ち方その1! 腰の回転で打つべし!」

 外角高めのストレートかと思った球は、途中でいきなり軌道を変え内角に沈み込んできた。

「ストラーイク」

 突然の変化に合わせゴルフスイングように振るが、傘に当たることなく球は百夜の手に収まった。

「アノ内角の打ち方は、まさしく元東武マーライオンズの梅井の空中回転打法!」

「伊予ちゃんは他のチームのことも詳しいんですね」

「ベイスファンの私としては、1998年の七浜対東武の日本シリーズを何回も見てるからね。あぁ……栄光のマシンガン打線」

「め、珍しく伊予ちゃんがトリップしてます」

 ゆったりとしたフォームから京が2球目を投げた。

「変化球の打ち方その2! 下半身で粘るべし!」

 先程の球から、ピン玉はホップしてから大きく曲がることが分かった。バットが先に出ても下半身を残しておけば当てることは出来る。

 先ほどと全く同じ内角に沈むカーブがきて驚いたが、考えていたとおり下半身でタイミングを合わせて振り抜く。

「ストライクツー どうした追い込まれたぞ」

 ジャストミートしたと思ったが、傘の柄の輪になっている部分を通り抜けていった。

 慶一は京にボールを投げ返す百代に話しかける。

「これはホームランでもいいんじゃないか?」

「まぁ、皆条件は同じだからな。空振りだ」

「……融通の利かねぇ審判だな」

「審判に暴言吐くと退場にするぞー」

「わかったわかったって。要は次打てばいいんだしな」

 下が土でもないのに右足で足場を直すように、踏んだり擦り付けたりする。ワックスがかかってる床はキュッキュと音を立てた。

「よし! こい京!」

 傘の先端を京に向けて煽るが、そんなもので揺さぶられる京ではなかった。

「ククク。追い込まれた慶一は怖くないよ」

 同じく外角に球が投げられる。京のコントールの良さなら同じ所に曲がってくるはずだ。

「変化球の打ち方その3! とにかく当てろ!」

 気持ちのよい金属音が響く。白球が青空に吸い込まれていくのを目で追うと、スタンドに近づくのに比例して完成が地鳴りのように大きくなっていく。バットから離れた左手は自然とガッツポーズをしていた。

「三振。アウトーだぞー。現実逃避やめてさっさと守備につけよ」

 京の投げたボールは外角いっぱいにシュートする球だった。

「そもそもあんな球打てるかぁ! 曲がりすぎだ!」

「……くっくっく。私のボールは性格と同じくらい曲がるのさ」

「ちくしょう……。オレだって捻くれた性格のはずなのに」

「……オマエら自分で言うなよ」

 グローブなんてないので、傘を次の打者のキャップに渡すと慶一はそのまま守備についた。

「けいいっつぁん見事な扇風機だったぜ! くるくるくるーっと」

「まゆっちにはそろそろ説教しとかないとな」

「今のは松風が言ったのであって、私が言ったわけではっ」

「あ、あの! 野球お好きなんですか?」

 大和田伊予が身をせり出すように近づいてきた。

「まぁ、そこそこかな。最近は見てないから」

「そうなんですか……」

「選手から好きになって球団ファンになるからね。梅井はメジャー行っちゃたしな」

「星とかどうでしょうか?」

 野球で星といえば七浜ベイスターズだ。

 2008年の成績は48勝94敗2分でセの中ではぶっちぎっての最下位だった。

 本塁打48本の村谷は本塁打王。外川に至っては首位打者、最多安打、最高出塁率を手にしている。

「……星は星でも黒星はちょっと」

「はう! たしかに今年も借金スタートでした……」

「返せない借金はするもんじゃないねぇ。ベイファンは辛そうだ」

「でも、今年こそはイケる気がするんです!」

 両手で握りこぶしを作り、目には闘士を燃やしていた。

「こらーっ固まるなーっ!」

 百代が立ち上がり、散らばれと手を降って合図を始める。

「確かにキャップは足速いから、散らばって守らないとシングルヒットが二塁打になっちまうな」

「あ、あの! また野球の話していいですか?」

「いいけど、最近の野球なら大和の方が詳しいと思うぞ」

「特定のファン球団がない前口先輩なら洗の…いえ、ベイを好きになってくれるかと思いまして」

 微妙に本音が見え隠れした言葉だったが、慶一はとりあえず頷くとその場から離れて守備につき直した。

 キャップはと言うと守備位置に関係なく、誰も居ないコースへと長打を打っていた。

 

 

 気づけば体育館中に響いていた、屋根に小石が叩きつけられているような音は止み、静かな雨だれが切れ目を作り不規則に響いている。

 時間が経ち帰宅可能と放送が流れる頃には打者は2巡3巡しており、このガクトの打席で終わろうということになった。

「今度こそオレ様のホームランが飛び出すぜ! 京! 打ちやすい球をたのむぞ!」

「しょーもな……。そんなんで打っても意味ないのに。秘技! ハンサムは空振るボール」

 京がそう言って投げるとふわりと優しい球がど真ん中に山を描いて飛んで行く。

「ハンサムだと!? オレ様のことだな。うぉぉりゃぁあああ!」

 バキっと音と共にガクトが空振りをする。

「三振ー バッターアウト!」

「ごめんねぇ~ハンサム。くっくっく」

「きたねぇぞ京! ハンサムの俺様が打てない魔球を投げるとは!」

「それより今の音はなんだ?」

 慶一が気になったのは、空振りでは絶対に鳴らない何かが折れる音だった。 

 ガクトの手に握られている傘は降る前の真っ直ぐな傘ではなくL時に折り曲がり、傘の機能としては役に立たない物になっている。

「やっべ! キャップの傘壊しちまった!」

「いいって、気にすんなよガクト」

「そうか?」

「それに謝るならガクトも、オレじゃなくて慶一に謝った方がいいぜ」

 そう言うとキャップは慶一の元まで歩いてきて両手を目の前に合わせて頭を下げた。

「わりぃ! 慶一!」

「オレの傘かよ!」

 

 

 さあっと音をたてる傘の外側とぽたぽたと音を鳴らす内側は、まるで違う世界のように境界線を引いていた。

 一つの傘の下で水に跳ねる足音が二つ、同じタイミングで鳴っている。

「感謝しろよ、私の存在に」

「感謝してるよ。傘を貸さないって言われてたら末代まで怨んでやったけどな」

「相変わらず小さい男だなー」

「少なくともこの傘よりは広い心を持ってるよ」

 慶一がさす傘にピタリと寄り添い百代が隣を歩く。早足で通り抜ける人に比べて、二人の歩みは景色を楽しむかのようにゆっくりだった。

「そういえばワン子はどうした?」

「今日の歴史の小テストの点数が悪かったから、島津寮で大和の補修受けるってさ」

「相変わらずだなーワン子は」

「……モモは人のこと言えないと思うけどな。晩飯は島津寮で食うって言ってたぞ」

 昼に比べて勢力を弱めた雨は会話に邪魔にならない程度におさまってきている。

「それにしても、慶一は珍しくテンション高かったな」

「そういやそうだな」

「三振してたけどな」

「あれが普通のバットとボールだったらセンターオーバーはかたいぞ」

 体を動かしたせいか随分と体が軽く感じる。自分では気づいていないが梅雨でストレスでも溜まっていたのだろうか。対して百代は呑気に鼻歌なんかを歌っていた。

「そっちはストレスなさそうだな」

「ふふーん、わかるか? 最近は義経ちゃんの対戦者選びで充実してるのだ」

「それもしばらくは出来そうにないな。明日もまた降るらしいし」

「まぁ、戦い詰めだったからな。こうのんびりするのも悪くない」

 百代がリラックスするように手を伸ばすので、慶一は慌てて傘を上にあげる。

「おっと。モモと歩くと傘のコントロールが大変だな」

「知らないのか? 美少女と相合傘出来るのは幸せなことなんだぞ」

「ビニール傘は小さいんだから動かれると濡れるんだよ。見ろよオレの左」

「そういうのは黙ってるもんだろー。いざってなった時に優しさにときめかないぞ」

「どうせなら、もっと普段の優しさを感じてほしいけどな」

 雨の幕の向こうの風景はやけにぼんやりとしていて、傘の内側だけが色づいたように感じる。

「それにして小腹がすいたな―っ」

「せっかくならどっかで茶でも飲みたいけど、そんなことしてたらまた雨が強くなりそうだな」

「別にいいんじゃないか。家に帰って慶一が入れたお茶を飲めば」

「知ってるか? オレの入れたお茶と菓子を食えるのって幸せなことなんだぞ」

 久しぶりの二人きりの帰り道は周りと時間の流れが違っている気がした。

 

 

 

 

 

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