真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第四十一話

 見慣れた大男が図書室へと入っていった。遠くからその姿を見かけた慶一は、その後を続くように足を進め図書室の扉を開く。

 ガクトの大柄な体格のせいで棚と棚との隙間はひどく狭く見える。軽く腰を折り曲げて屈み気味になっているが、顔は本棚ではなく別の場所を覗いていた。

「そこの筋肉ダルマ動くな。連行する」

 慶一は自分の腕よりも一回り以上大きい腕を掴んだ。突然のことにビックリしたガクトが無意識に入れた力だけで、筋肉が膨張して掴んだ手の平を押し返してくる。

「オレ様が何をしたっていうんだよ」

「周りをよく見てみろよ」

 慶一とガクトは二人揃ってあたりを見回す。蔵書量の多い川神学園の図書室は古紙の匂いに包まれていて、ここに存在している人はそれすら楽しむように呼吸までもが静かだった。この場に響いているのは、本のページを捲る音と二人の話し声だけである。2-Fの喧騒とは違い、ここでは静寂が騒いでいた。

「わかってるよ。だからオレ様もシェイクスピアを読む為にだな……」

 そう言ったガクトの手には確かに本があった。タイトルは“シェイクスピア”と書かれているが、その舌に少し小さく“のすべて”と続けて書かれている。

「そりゃ、解説本だよ」

「なに?」

「そもそもシェイクスピアがタイトルなのか著者なのかも知らないだろ」

「慶一に隠し事をしてもしょうがないな。オレ様の目当てはアレよ」

 ガクトが示す方向では、背筋を伸ばして椅子に座った清楚が静かに本を読んでいる。慶一とガクトが立てる雑音など耳に入らない様子だった。

 映画のワンシーンを切り取ったような、あるいは絵画が具現化したような目麗しい光景からは、穏やかで静謐な空気が伝わってくる。

「なるほど。他の奴らと同じことを考えてたのか」

 慶一が言う他の奴らは、ガクトと同じく付かず離れずの距離で本棚の隙間から顔を出して清楚の様子を伺っていた。

 図書室ということだけが理由ではなく、声をかけないというのは暗黙の了解なのか、息を呑むような美しい光景を目の当たりにしたせいで体が動かないだけなのかはわからないが、男たちが各所から一点を見つめる光景はかなり異様だった。

「確かに今までのオレ様はそこらのモブと変わらなかったが、今日は違う」

「秘策ありなのか?」

「まぁな、慶一にだけこっそり教えてやるよ。なんて言ったってじーさんは安全圏だからな」

「……オレが葉桜先輩に惚れる事があったら全力で利用してやるからな。その言い草覚えてろよ」

 慶一の言葉を鼻で笑い、ガクトは話しだす。

 日々トレーニングに精を出す運動少女に比べて文学少女というのは、行き場のない性欲を運動で発散させることはないので、少しずつ身の内に性欲を溜めている。そのせいで常日頃から欲求不満が募っているので、少し性欲の扉を開放させれば向こうから求めてくるものらしい。

「そこで、その性欲の扉を開放するのがオレ様の筋肉ってわけよ。活字に埋もれ空想に浸る女性に本物の男の肉体をさらりと見せ付ける。文学少女がオレ様を意識しだした時は、瞳は潤み、股間はぐっしょりって寸法よ」

「そりゃまた、体の水分が抜けて干物になりそうな話だな」

「話の腰を折るなよ。乱れる葉桜さんを想像するだけで込み上げてくるものがあるだろ?」

 ガクトはじっと清楚を凝視した後に静かに目をつぶった。

「腰を折ってるのはガクトだけどな。……前かがみ止めろよ。少なくとも男の前では……」

「たしかに……。これだとヨンパチになっちまうところだ」

 ガクトは再び目をつぶると、眉間に深いシワを作り顔を顰めだした。恐らく清楚の痴態を相殺するものを思い浮かべたのだろう。こういう時男子学生は大抵母親の顔を思い浮かべる。

「それにしても、文学少女を落とす為の餌がシェイクスピアか……。安直というか、空想に浸ってるのはガクトだろうよ」

「オレ様の人生のバイブルにケチ付ける気か?」

「そういう本は、最終的にどのタイプの女もエッチになるって書いてあるもんなんだよ。運動少女の方の最後はなんて書いてあった?」

「たしか……。運動で火照った体はセックスで鎮めたがるって書いてあったな」

 案の定の答えに慶一は苦笑いを浮かべる。

「ガクト……。エロ本は読書の内に入らないぞ。葉桜先輩に警察呼ばれる前に止めとけ。な?」

 慶一はガクトの肩に手を置いて首を横に振りながら宥めると、反対側の肩にも誰かの手が伸びていた。

「その通り! 年上なんて止めとけ。女のいいところは全てロリに詰まってるんだからな」

「話をややこしくする奴が来たよ……」

 相変わらずの突飛な出現と、いつも通りのロリの話題に慶一は頭を抱える。

「なに、ロリがあるところにオレはある。それだけのことだ」

「どこにロリがあんだよ」

 ガクトにやったように周りを見渡せと合図するが、見ることなく井上は鼻で笑うと一冊の本を取り出して慶一に渡す。

「島津の人生のバイブルがエロ本ならば、オレの人生のバイブルはこれなんだよ」

 慶一は手渡された小説のタイトルを読み上げた。

「不思議の国のアリス?」

「そう。幼女と遊ぶために様々な登場人物が試行錯誤をする名作小説だな」

「勝手に内容を捻じ曲げるなよ。どっちかというと変質者が子供を困らす話だろ」

 慶一は小説を井上に突っ返しながら言った。

「いやー、某長編アニメーションの不思議な国のアリスのアリスって年齢高すぎね? 原作では7歳とちょうど半分って明言してるのに」

「おいおい、オレはオマエとロリ談義を続ける気はないぞ」

「だな、ロリコンの話なんてオレ様には理解不能よ」

 ガクトの小馬鹿にしたような不敵な顔つきに、井上は少し強く反応する。

「ロリの魅力がわからない奴に、女の魅力なんてわかるハズないだろ。理解できなくて当然だ」

「葉桜さんの魅力がわかってこその男だ。年上の落ち着いた雰囲気こそが大事なんだよ」

「野菜だって家畜だって育ち過ぎはダメだろ? 人間の女だってそうだよ。育ちすぎて腐ったものは食うに値しないよね」

「少し熟れた大人の魅力ってやつがわからんとは可哀想な男だぜ。女の体っていうのは柔らかいものなんだよ。どこが乳か腹かわからないような硬そうな肌に魅力はないだろ」

 少しずつヒートアップしてきたガクトと井上の言葉の端々には、危ないワードが飛び出してきている。

 二人の議論は静寂を好む図書室には似つかわしくないもので、他の利用者の視線が痛く突き刺さる。

 それを一番に感じたのは議論の蚊帳の外にいる慶一だった。あまりに居た堪れなくなったので、二人の間に割って入った。

「もう止めとけよ、イカレ筋肉屋と満月ハゲうさぎ。オレが狂ったお茶会に呼ばれたアリスみたいになってるから」

「オマエのようなアリスがいてたまるか!」

「だから、それを止めろって言ってんだ!」

 慶一は毛が一本も生えていない手を出したくなる頭にチョップをした。

「くっ……っ。悪かった。アリスのことだとついカッとなっちまってな」

「人生のバイブルはロリータじゃないんだな」

「それは聖書だ」

「意味は同じだろ?」

「バイブルではなく聖書として崇めるのはな、同時に和の心も忘れないためだ!」

 

 

 そう言い切った井上に何者かの影が映しだされると、小さな可愛らしい咳払いが聞こえた。

「こほん。えっと……図書室ではお静かにね」

 注意するというには優しすぎる顔の清楚が立っていた。

「変な想像してすいませんでした!」

「熟成カレーは好きです! 許してくださーい!」

 柔和な笑顔に居心地が悪くなったのか、二人は失言とも取れる謝罪の言葉を残して脱兎のごとく図書室から姿を消した。

「それじゃオレも」

 出遅れた慶一も図書室を出ようと、清楚に会釈をして扉へ向かおうとする。

「待って。読みたい本があるなら一緒に探してあげるよ」

「ありがたいんですけど、冷やかしに来ただけなんで」

 慶一の言葉を聞くと、清楚は口に手を当てて静かに笑い出す。ひとつひとつの仕草から淑やかな女性らしさが現れていた。

「前口君って正直屋さんなんだね。その様子だと相変わらずモモちゃんとじゃれ合ってるのかな?」

「そうですね、楽しくやってますよ。喉元掻っ切られないように気をつけながら」

 慶一は親指の先を首元に付けてそのまま横にスライドした。

「フフフ、モモちゃんに聞かれたらまた怒られちゃうよ」

「葉桜先輩が黙っててくれたらバレませんよ」

「もし私がモモちゃんにばらしちゃったらどうする?」

「ばらしたら……」

 いつもならポンポンと出てくる嫌味が全く出てこなかった。深海を目指す潜水艦のように僅かな光を頼りに頭の奥を探るが、ただ濃い色をした水が張り詰めているだけで底には何もなかった。

 それだけのことだが、慶一はやり場のない気持ちに苛まれる。

 ようやく見つけた言葉は、清楚から濃艶に変えてやるなんて小学校高学年くらいが考えつくような程度の低いものだった。

「あれ? どうしたのかな?」

 慶一がこめかみ辺り押さえて、二日酔いのサラリーマンのように歪み苦しげな表情を浮かべているので、清楚は心配をして顔を覗きこんでいる。

 慶一は覗きこんでいる清楚の顔を悲しげな表情で見つめてこう言った。

「完璧過ぎるのがいけないと思います。正直ガッカリです」

「いつの間にか私が悪いことになってる!?」

「美人は欠点があるからこそ輝くものだと思うんですよ。葉桜先輩にはそれがない……」

「そんなこと私に言われても……」

 慶一に無茶苦茶言われた清楚だが、眉を八の字に曲げて困っている表情も様になっていた。

「本当に毒気がないですよね。鬱憤たまったりしないんですか?」

「全くないってわけじゃないけど、そういうのは心を落ち着けたらどっかいっちゃうよ。前口君は溜めるタイプなの?」

「オレはその場で発散するタイプですからね。次の日に持ち込むなんて鮮度が下がるようなことしませんよ。そういえば自分が誰のクローンかってわかったんですか?」

 慶一の最後の質問はなんの脈絡もなかったが、不意に気になったことが自然と口から言葉になって出ていた。

「ううん、全然わからないよ。25歳くらいになったら教えてもらえるらしいんだけどね」

 清楚は少し目を伏せる。その動作は微かな悲しみが伺えたが、慶一が瞬きしている間にいつもの顔に戻っていた。

「オレはオレとしか言いようがないんで気持ちはわからないんですけど、やっぱり気になるもんなんですか?」

 前世があるわけでもない、別の世界から来たわけでもない、もちろんクローンでもない慶一は、自分では絶対に遭遇することはない悩みに少し興味を示していた。

「私は誰なんだろうって思う時はあるよ。他の三人は名言されてるから、たまに少し取り残されたような寂しい気持ちになっちゃたり……ね」

 心の内を少し晒した清楚は、誤魔化すように語尾を強めた。

「そういうもんなんですね」

「もう、聞いておいて人事なんだから」

「葉桜先輩が誰のクローンであろうと変わりはないですしね」

「私が誰であろうと気にしないでいてくれるってこと?」

 清楚の問に慶一はゆっくり首を横に振った。

「オレも他と変わらず、元から文学少女って色眼鏡で見てますからね。先輩がマウンテンゴリラのクローンだったとしても、こっちはゴリラとして眼鏡を掛け直すだけですよ」

「フフフ、そういう返しが来るとは思わなかったな。前口君っておもしろいね」

「そうでしょう。面白くてカッコイイ後輩がいるって広めといてくださいよ」

 今度こそ慶一は扉へと向かう。話に夢中になっていて気が付かなかったが、男のやっかみの視線に晒されていたからだ。

「もう行くの?」

「思ったより長居しましたからね。今度はもっとゆっくり出来るところでお喋りしましょう」

 はじめと違い、今度は会釈ではなく片手をあげて友達のように別れを告げた。

 扉を開けて廊下に出ると、ガクトが図書室に向かってくるところだった。

「どうしたガクト? 戻ってきて」

「いや、貸出カードに片っ端からオレ様の名前を書いとこうと思ってな」

「ガクトの恋愛バイブルの幅広いな……」

 

 

 

 

 

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