真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第四十二話

 冷蔵庫からしばらく出して放置していたバターは常温に戻っており、ゴムベラに少し力を入れるだけで包丁のように切れていく。

 切ったバターは軽く表面が溶け出しツヤが出ていた。それをはかりの上に乗せたボウルに入れようと手を伸ばしたところで、慶一の腕はステイシーにガッチリと掴まれた。

「ファック! ちょいと待ちなっ! オマエ今何を入れようとした?」

「いいんですよ、焼き菓子なんですからこれくらい入れても。さっ、続けてください慶一」

 万力のように慶一の腕を掴んでいたステイシーの手は李によって開放された。慶一は軽く会釈をすると続ける。

 改めてボウルにバターを入れて、ゴムヘラで更に小さく切ってから押すように練り混ぜる。切ってバラけたバターが混ぜていく間に一つに纏まりだしてきた。

 バターが柔らかくなったのを確認すると、次は砂糖に手を伸ばす。

「ファック!!」

「またですか? ステイシー」

「さっきのバターだって私はまだ納得いってないんだぜ」

「バターはアレくらい入れないと焼き上がりが固くなるんですよ。慶一が集中できなくなりますから、おとなしく見ててください」

 なにかやる度にステイシーが口を挟み手を止める。そして、李が説明をしてステイーシーを咎める。慶一が口を挟む暇はなかった。

 バターと同じく室温に戻しておいた卵を溶き、分離しないように2、3回に分けてボウルに入れて混ぜていく。と言っても、卵とバターは水と油なので完璧にクリーム状にするのはなかなか難しい。上手く乳化すると濃厚なバニラアイスのような見た目になる。

 小麦粉をふるいにかけると、きめ細やかな雪のような山が出来上がった。これを混ぜるのは雪かきと同じくらい疲れる。

 オーブンに生地を入れることが出来る段階になっている頃には。窓の外の色が変わりかけていた。

 勝手知ったる九鬼の調理場。慶一は茶葉をいれたポットにお湯を注ぎしばらく眺めていると、ゆっくりと葉が浮き沈みを繰り返してガラスの中で泳ぐのが見えた。葉が開いてくると湯気に香りが立ち上り始める。

 慶一は紅茶をカップに注ぐと、二人の元まで持っていった。

「どうぞ」

「いやー、おっそろしいモノ作りやがって」

 ステイシーは赤い熱を放っているオーブンを一瞥してそう言うと、ゆっくりとティーカップに口をつけた。

「作ってたのは普通のクッキーなんですけど……。本格的な洋菓子の店とかもっと大量使ってますよ」

「オマエが九鬼のメイドの平均体重を上げたっていう、ファックな噂は本当だったんだな」

 ファックファックと今日は何回聞いただろうか……。少なくとも柄の悪い洋画を一本見たよりも聞いた気がする。

 メイド服の優雅さと性格の粗暴さが入り乱った女性は不思議な魅力があった。少なくとも慶一は、あまり気を使うことなく仲良くやれそうだと感じていた。

「あん? なにガン垂れてんだよ」

 慶一は普通に見ていた筈だが、何故かステイシーは慶一を睨んでいた。

「初対面なのにファックファック言われる身にもなってもらいたいなと」

「ガキの面倒なんてファック以外のなんでもないだろ」

「ガキとファックを合わせたら犯罪臭が上がりましたね」

「変なとこ合わせるなよ! ったく」

 ステイシーは紅茶を飲み干すと、ティーカップの模様を観察するように手首を動かしていた。

「紅茶ねー、こんな洒落たもんよりコーラでロックにいきたいね」

「紅茶とコーラ……。母音が似てんだからいいじゃないですか」

「よかねーよ! クラシックとロックくらい違うぞ!」

 悪いことではないが、クラシック音楽を聞きながらコーラを飲むということは、お世辞にも似合うとまではいかないだろう。

 クラシックを聞きながら紅茶を楽しむ。ロックを聞きながらコーラを飲み干す。どう考えても絵になる組み合わせはこちらなのは明白だった。

 ステイシー自身は深く考えた言葉ではなさそうだったが、慶一はなるほどと、言葉の返しに無駄に感心する。

 空になったステイシーのカップに新しい紅茶を注ぎながら慶一は言った。

「そりゃ、ロックでもないこといいましたね」

「かーっ、つまらない洒落だぜ。どうせ言うならもっとガツンと来るようなやつを言えよ」

「そんなことで、心に鍵をかけないでくださいよ」

「ハートロックってか? って、しょうもないことを私に言わせるなよ!」

 目を細めたステイシーがまた慶一を睨んでいると、口数少なくなっていた李の口から空気が漏れた。

「んぷっ。……そのやりとりはずるいです。では、私も」

「ほら、オマエが餌をばら撒くから、小鳥が餌を啄みにきやがった」

「そんな繊細な表現も出来るんですね」

「どーいう意味だよ!」

 慶一に食って掛かりそうなステイシーを押しのけて李が前に出た。

「ステイシー邪魔をしないでください」

「わかったよ。好きにしろよ」

 オーバーにリアクリションを取って肩を竦めたステイシーを気に留めず、李は慶一の方を向くとわざわざ姿勢を正して言った。

「いきます。三連発ですよ。猿を買ったさるお方。重量感のある銃交換。隠し事を書く仕事。どうですか? 慶一」

「いや、どうって言われても……。脈絡のないギャグにどう反応すればいいのかさっぱり」

 一本調子で続けられた駄洒落は、慶一の耳に残ることなく通り抜けていってしまっていた。

 やたらと高いテンションと低いテンションの両極端の二人に挟まれた慶一は、少なからずあずみを物恋しく思っていた。

「ははは、直球で言うとつまんねーってよ! 李」

「……あぐふ!」

 李は喉が締めあげられたような大げさな呻き声を上げると、矢でも撃たれたかのようにその場に倒れこむ。

 無言。

 呼吸に合わせて膨らんだり縮んだりするはずの胸やお腹が微塵も動いていない。慶一を見ているはずの瞳は空を捉えたまま、無機物のような動きのない目から虚ろに光が漏れているだけだった。

あまりに突然の出来事に呆気にとられている慶一に、ステイシーが笑いながら説明をした。

「驚いたか? 李の持ちネタの死んだ真似だ」

「勘弁して下さいよ……。ティーカップの中に毒でも入ってたかと思いましたよ。そしたら疑われるのオレだし、悪くもないのに言い訳の言葉を探してましたよ」

「そりゃ、もう少しほっとけば慌てふためく慶一を見れたな」

「悪趣味……。でも、これはほっといて大丈夫なんですか?」

 慶一は李の目の前で手を振るが、相変わらず瞬きをしないままじっとしていた。ここまで来ると死んだふりと言うよりも、仮死状態と言ったほうがしっくりくるくらい見事なものだった。

「大丈夫大丈夫。むしろここからが見どころだぜ。もういいって言うまでクールな死体を演じ続けるからな」

「二人共初対面なのに飛ばしてくるなぁ……。そういえば、これからオレが来る時って二人共監視につくんですか?」

「私達が美人だからって欲張っちゃいけねーよ。今日は顔合わせも兼ねて、私も李もいるけどな」

「美女は命を削る鉋だって言いますしね。早死したくないし一人で十分ですよ」

「つまんねー男だな。もっと若さに任せてロックに生きられないのかよ」

 ロックに生きるとは果たしてなんなのかという定義はわからないが、少なくとも慶一には当てはまらない。自分らしく生きるという事なら当てはまるが、ロックに生きるとは少なからずリスクを伴うものだ。“今これをやりたい”と思うよりも“今これをやった後はどうなる”と先を考える慶一にとっては無縁なものだろう。

「ロックがどうこうより、そろそろ李さん起こしたほうがいいじゃないですか?」

「そうだな、直ぐ言わないあたりオマエも馴染むの早いよな。おい、李もういいってよ」

 ステイシーがそう言うと、死んだふりをしてる間とたいして変わらない顔のまま李が立ち上がる。

「……慶一はいけずです。もう少し反応してくれてもいいのでは?」

「ここからが見どころって言われたもんで、しばらく泳がせとこうかなと」

「スイスですいすい泳ぐ」

 慶一は興味深く李の顔を観察していた。感情の起伏が少なく何を言っても表情が変わらないので、どこまで踏み込んで話していいかが分からなかったからだ。

「あの、聞いてますか慶一」

「あっすみません。ヨーロッパで酔う老婆でしたっけ?」

「……国が変わってます」

 慶一が李に向ける視線の意味に気付いたステイシーが、慶一の肩を叩いて言った。

「オマエにはまだ無理だよ。しばらく一緒にいないと李の表情は読み取れないぜ」

「ステイシーさん程分かりやすいのも、九鬼のメイドとして大丈夫なのかと思いますけど」

「ファック! ガキに心配されるほど落ちぶれちゃいないぜ! まっ、李はいきなりギャグ言ったりするけど悪いやつじゃないし、気長に付き合ってやんな」

 最後にさらっと李にフォローの言葉をいれる。それだけのことだったが、二人の仲の良さが垣間見れた。

「でも、ステイシーさんもロックとかファックとか意味分かんないです」

「悪いニュアンスはファック。良いニュアンスはロックだぜ」

「そういや、クッキーの様子を見ないと」

「聞けよ!」

 

 

 オーブンを開けると、喉が焼けるようなバターの匂いが熱気と共に這い出してくる。その匂いと熱のせいで目尻には涙が溜まった。

 慶一は目をこすると薄目を開けて中の様子を確認するが、それよりも早く李の言葉が届く。

「ちょっと焼き上がりがあまいですね」

「そうですね。微妙なところなんで、鉄板一枚いれて加減します」

 鍋つかみをはめれば良かったと思うには遅かった。鉄板に触れないように気をつけていたものの、中の熱気にあてられて手が動いた弾みに、手の甲が鉄板に触れてしまっていた。

「あっち!」

 その短い言葉を言い終える前に、慶一の手は水道水にさらされていた。

「大丈夫ですか? しっかり冷やしてください」

「すいません」

「いいえ。オーブンも閉めておきましたので安心してください」

 いつの間に閉めたのだろうか、閉められたオーブンはまたクッキーを暖色に照らし出していた。

「いくらやり慣れた工程だとしても気を抜いてはいけませんよ」

「そうですね……」

 慶一は磁石のように李の顔から目を外せないでいた。

「なんだ李に熱視線送って、惚れたか?」

「思えば、年上の女性に優しくされるなんて半世紀ぶりな気がして」

「オマエ何歳だよ!」

「まぁ、正確には一人やたら甘やかしてくる人いるんですけどね。甘えたいタイプなのに実際そういう状況になると気恥ずかしくなるジレンマ」

「聞いてねえよ!」

 焙った豆が弾けるように勢い良くステイシーは慶一にツッコミを入れる。

「慶一も表情があまり変わらないのに、感情が豊かですね」

 慶一がそうしたように、李も李で慶一の様子を観察していた。淡々とした話しぶりだが、ステイシーに対してと李に対しての話し方は微妙に抑揚が違っている。

 差別ではなく区別だった。人によって敏感に広さを変えていくパーソナルスペース。それを感情と表現したのは感情に乏しい李ならではの感じ方だった。

「巷じゃこれをクールガイと呼ぶらしいですよ」

 慶一は自分を指さして口の端を吊り上げて笑う。

「フールガイの間違いだろ」

 慶一に言葉を返したステイシーも口の端を吊り上げた。

「夏に行くのは?」

「プールかい? って、だから! 私に言わすなよ!」

「そうです。そういうパスは私に欲しいです……」

 そう言った李の瞳は、慶一の目に少し非難しているように映ったのは、心の距離が少し縮まったからか、それとも思い違いか。

「えーっと……。ガソリンスタンドに寄っていいですか?」

「給油かい」

「ちょっと苦しかったですかね……」

「……そうですね」

 

 

 何度目かのやりとりを繰り返す。

「パエリアによく使うのは?」

「っ!? ムール貝」

 そう言い終えると、李と慶一は顔を見合わせて静かにサムズアップを交わした。

「……いいかげんにしろよ」

 冷めた紅茶を飲みながら、ステイシーは二人を冷めた目で見ていた。

 無論バターたっぷりのクッキーも……。

 

 

 

 

 




本当は二十六話あたりに使おうと思ってた話。
駄洒落に疲れて放置してました。
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