真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第四十三話

「慶一って小食だよな」

 ファミレスでコーヒーだけを飲んでいる姿を見て百代がそう言った。

「子供の頃にモモに胃を潰されて以来どうしてもな」

「そんなことするわけないだろ! 記憶を捏造するなよ」

「そもそも少食ってわけでもないしな。今日は九鬼でクッキー食べてきたから」

 九鬼ビルからの帰り道ふらりと立ち寄った商店街で百代に見つかった慶一は、いつもどおり奢る羽目になっていた。

「ひどい洒落だ」

「ひどい駄洒落ってのは、もっと酷いもんだ」

 つい数時間前のことを思い出した慶一は遠い目をした。その間も似た音節を探してしまうのは、短時間で随分と毒されたのだろう。

「まぁ、駄洒落もコレの為ならいくらでも聞いちゃうけどな」

 小さなパンケーキを三枚重ねて、その上にアイスクリームの固まりが二つ。熱々の生地のせいで溶けたアイスが白い皿に乳白色を垂れ広げ、バニラの匂いがメイプルシロップと競争するように甘い匂いを鼻に届かせていた。

 百代がナイフを入れることなくフォークで無理やり切ろうとするとパンケーキが傾き、アイスが濡れた道を作りながら滑っていく。それをフォークにで切ったパンケーキに乗せて口に運ぶと、頬がとろけるように笑窪を作り目を細めていた。

「美味そうに食うなぁ。帰ったら晩飯なのに」

「別腹って知らないのか?」

「別腹は満腹になった後のことだろ」

「わかったわかった。ほら、あーん」

 百代は一切れフォークで刺すと、慶一の目の前でチラつかせた。慶一がそれをぼーっと見ていると、いらないのか? と言いたげに首を傾げて自分の口へと運んだ。

「今オレの胃の中はクッキーで埋まってるからな。パンケーキなんか食ったら化学反応を起こして腹が膨らみそうだ」

「腹が膨らむのは食ったら当然のこと、料理人様は人が作ったものは食べないのか?」

「むしろ人が作ったものの方が好きだけどな」

 見ているだけで甘そうなパンケーキを口に運ぶ百代を見て、慶一はコーヒーを一口すすると口の中の空想の甘みを流し込む。

 普段ならなんてことないのだが、胃が膨らんだ状態では甘さが口の中をまとわりいてくる。料理をしているせいで、味が簡単に想像できるので厄介だ。

「そういうもんか?」

「腹に入れば皆同じ。コンビニ弁当だって嬉しいもんだ」

「コンビニは機械だけどな」

「人が作ってもフライパンやらなんやら使うんだ。気にするようなことじゃない」

 コーヒーをコースターに置いた慶一は、頬杖をつきながら百代の顔を見る。

「その割には凝ったものとか作ってるじゃないか」

「そりゃ当然。今までの話はオレの胃の中に入る食い物の話。一子に食わせるものとはわけが違うからな」

「相変わらずワン子に甘いこって」

「川神院の師範代を目指して、ひたむきに努力する姿は応援したくなるだろ? アレを見て負の感情が湧き出すのは人間じゃないと思うけどな、オレは」

 慶一の言葉を聞いていた百代は、憂いを誘うように瞳を落としていた。パンケーキを食べていた時の満悦の笑みのせいもあり、その表情が慶一の目にひどく焼き付いた。

 慶一の視線に気付いた百代は、フォークをテーブルの上に置いてゆっくりと口を開いた。

「慶一はワン子が師範代になれると思うか?」

 百代の真剣な言葉は空気を変えた。次に出る言葉を、期待と不安が入り混じったような複雑な目つきを慶一に送っている。

「思ってるよ。……無理なのか?」

「武の頂に立てるのはほんの一握りだ」

 慶一の問いに対する答えとしては十分過ぎる一言だった。静かに放たれた言葉は、ファミレスの喧騒にも紛れず真っ直ぐに慶一の耳に届いた。

「そうか」

 慶一の静かな返答も、紛れることなくしっかりと百代の耳に届く。

「それだけか? てっきり冷たいこと言うなって怒られるかと思った」

「モモがそう感じたなら間違いないだろ。一般人のオレにも伝わるくらい重い言葉だからな」

 食べるのが止まっていた百代の手の代わりに、慶一はフォークでパンケーキを刺して百代の口元に持っていくと、力なく咀嚼しだす。

 変わらない慶一に安心した百代は、姿勢を崩して机に突っ伏している。

「それが分かってるからなかなか言い出せないんだよー」

「直ぐに言わなくてもいいんじゃないか? なにも道が途切れたわけでもないだろ」

「師範代試験は身内贔屓なしの実力選考だぞ。ワン子には悪いがとても無理だ」

「一子みたいな存在って大事だぞ。努力大好きって奴」

 突っ伏した顔を少しだけ上げて一度だけ慶一を見ると、直ぐにまたテーブルと睨めっこをする。

「私だって努力してるぞ」

「知ってる知ってる。でも、天才の努力はオレみたいな捻くれた人間からしたら嫌味にしかならないからな。努力の天才の言葉の方が耳に入ってくると思うぞ。オレが武闘を始めるなら一子の意見の方が参考になる」

「素人意見だなぁ。本気で強くなりたいって思える奴はしっかりと聞くだろ」

「ド素人もいいとこだからな」

 そう言って自分を指して笑う慶一の姿は百代の力を余計に奪っていく。

「相談した相手が間違いだったか……」

「武闘派のスペシャリストだけを作るならそれでいいかもしれないけど、川神流派である前に川神院だしな。武の頂に立てるのは一握りなんだろ? 神様祭ってるところが手からこぼれた人を蔑ろにしちゃイカンだろ」

 話しながら慶一が開いていた手の平を百代に向けながら強く握る。

「蔑ろにしてるわけじゃないけどな。そのこぼれた人間を救うのがワン子なのか?」

「一子とオレだな」

「オマエはなにもしていないだろ……」

「体づくりで行き詰まったら大抵食事制限始めるからな。栄養管理が楽な同じものを食べやすいんだよ。同じ栄養でバリエーションがある物食えたら、一日のモチベーションが違うだろ」

 そう言って慶一は最後の一切れを百代の口に運ぶ。

「あむっ、そういうもんかもな。努力が嫌味にならないタイプって言うと、理想はルー師範代と言ったところか」

「ただ、一子の師範代問題が解決したわけじゃないんだけどな。師範代が弟子より弱かったら意味ないし」

「そうだよー。まぁ、別の道があるって見えただけでも良かったのか……」

「まぁまぁ、難しいことは学長に任せてのんびりしようぜ。悩め若人って言うけど、どう考えてもオレらが悩む問題じゃないもん」

 慶一の笑いに今度は百代も笑顔で答えた。

 

 

 ファミレスを出た慶一は夕暮れを楽しみながら歩いていた。日中に燦々と陽が降り注いでいた日は、夕焼けが綺麗に空の雲を燃やしているからだ。

 闇に包まれる一つ手前の時間は、赤色の空が遠くの工場の風景を黒く影を映してコントラストを強調している。

 特に空の赤は幾重にも色を重ねた絵の具のような哀愁を漂わせていた。そんな名残の光を惜しむようにカラスが夕日に向かって羽ばたいている。

 川神院に着くと見上げていたはずの景色は地面に変わった。

「無言で歩くとはどういうことだ!」

 慶一が振り向く間もなく百代が背中に飛びついてきたので、衝撃に押されて自然と頭を垂れる結果となっている。

「暇だったなら、その時に言えばいいじゃねぇか」

「楽しそうに上見て歩いてるから、邪魔できなかったんだよ」

「人生、空を見る余裕を持ちましょう」

「本当にじじ臭い奴だ」

 一瞬一瞬で表情を変える空の楽しさを百代に教えるのは大変そうだと、慶一は心のなかで笑う。

「日がな一日のんびり空を見るのが将来の夢なんだよ」

「私なら体が腐りそうだ」

「ついでに大豆も発酵させると、松永先輩が喜びそうだな」

「燕は買ったほうが喜ぶと思うけどな」

 そう言った百代は慶一の首筋に顔を詰めて鼻をひくひくと動かした。

「なんか、美味しそうな匂いがするぞー」

「クッキー作ってたから、その匂いだろうな。焼けたバターの匂いってなかなかとれないし」

 慶一も服についた匂いを自分で嗅いでみると、しっかりとバターの匂いが染み付いていた。九鬼が用意したバターだけあって香りが強かったのも原因だろう。

「そんなのがあるなら、パンケーキなんて頼まなかったのに」

「悪いな、土産はないぞ。ファッキンメイドが明日の運動と引き換えにかなりの量を食っちゃったからな」

「わけがわからないぞ。それにしても本当に美味そうな匂いだな……。はむっ」

 百代は慶一の首筋に甘噛みというよりは、唇で啄むように上唇と下唇を動かす。皮膚が粘膜に触れる度に、咥えられているような吸い付かれているような不思議な感覚に襲われて背中が痺れだした。

「これはやりすぎ。身がもたない」

「甘い匂いつけて帰ってきたのに、土産がないのが悪いんだ」

 先ほどより優しく、触れるか触れないかくらいの唇の感触は、慶一の身をくすぐるように刺激する。首を竦めた慶一はその場で静かに暴れだした。

「や、やめろって」

「体をよじるなよ。肩甲骨が当たって痛いぞ」

「なはは、無理無理。だんだんくすぐったさの方が勝ってきたから」

「期待してたのはそういう反応じゃないぞー」

 つまらなさそうに首筋から唇を離した百代は、再び慶一に体重を預ける。

「はぁー、肩甲骨に急に力が入ると痛くなるんだな」

「ただの運動不足じゃないのか?」

「下っ腹が出るまで、体を鍛えないって墓前の誓いを破る時が来たか」

「そんなもん墓前に誓うなよ。もっとマシなことを誓うとかないのか?」

 話を聞いた慶一は腕を組んで唸った。

「ふぅん、後は朝晩の歯磨きくらいかな」

「こんな適当な奴に育って心配してそうだ」

「きっと不良になってなくて安心してるって」

 取り留めの無い話を続けていると、急に百代の声のトーンが変わった。

「なぁ、いつまで川神院にいるんだ?」

「モモが卒業しても後一年はいるぞ。今更家借りるなんて金の無駄だしな」

「そうか」

「なんだ寂しいのか?」

 慶一は頭をコツンと百代の頭に当てると、同じように百代も頭で返事を返して耳元で答えを返す。

「……寂しいかな。慶一は寂しくないのか?」

「寂しいに決まってるだろ。でも、寂しいのは皆同じだろうな」

 他の友人達よりも一際強く結ばれた風間ファミリー。絆が壊れることはないと信じているが、卒業後は同じ道を歩めないことは決まっている。そこに一抹の寂しさがあることは否めない。

 慶一も例外ではなく、想像すると夏の風が少し寒く感じた。

「私は皆より一年早く卒業するしな」

 百代も同じ想像をしたのか、少し遠くを眺めてそんなことを呟く。

「結婚するか? 百代」

 もう一度慶一は百代の頭に頭を乗せると、空を仰ぎながらそう言った。

「……なんでそうなるんだよ」

「百代が思ったより寂しそうだったから」

「ええいっ同情するなら金をくれ! ……バーカ」

 慶一の首元に噛み付くと、バーカ、バーカと木霊するように、何度も「馬鹿」と言いながら百代は川神院の中へと姿を消していった。

 入れ違いのように鍛錬終わりの一子が駆け寄ってくる。

「慶一、おかえり!」

「おう、ただいま」

 慶一はいつも通り一子の頭を撫でた。

「わふー。あれ? 首元赤いわよ」

「ちょっと吸血鬼に噛まれてな」

「吸血鬼!? それで慶一の手が少し震えてるのね! 大丈夫だった?」

 慶一が手の震えに気づくと、トクントクン脈打つ心臓の音も届いてきた。普段顔に出ないが体は正直に反応するらしい。

 胸に手を当ててる慶一に気付くと、一子も慶一の胸に耳を当てる。

「心臓の音も凄いわよ! 慶一を突き破ってプラーガが出て来たりしないでしょうね」

「なんか別のものにすり替わってるぞ」

 その後バターの匂いに気付いた一子のために、慶一はお菓子を買いに行った。

 

 

 

 

 

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