真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第四十四話

「それにしても変わらないよなー」

 飲んでいたコーラのグラスをテーブルに置くと、つまらなさそうにキャップが口を尖らせていた。

「今日はなんか違和感ある気がするけど。まぁ、ソファーとかを運び入れた時がピークかもね」

 大和が秘密基地の中を見回して言った。

 秘密基地は慶一が初めて足を踏みれた時と変わりはなく、増えたものといえば雑誌やガラクタ、筋トレの道具くらいで、景観が変わるようなことはなかった。減ったものを数えても同じだろう。

「違うよ―、学校のことだって。せっかくクローンが転入してきたのにすっかり落ち着いちゃったじゃん」

「九鬼がそうしてるんだろ」

 ソファーに座り本を読んでいた慶一が、街で見かけるようになった執事服の男性やメイド服の女性を思い出しながら口に出す。

「美人のメイド服を見かけるようになったのは嬉しいよな。オレ様の筋肉レーダーがビンビン反応してるぜ!」

「そこは僕も同意かな。その分怖い顔した執事も学校に増えたけどね」

「あの顔で学生ってんだから面白いよな」

「キャップは相変わらず、美人の方に反応しないんだね……」

 呆れてるような安心してるような表情をモロが浮かべていると、小説を眺めていた京が口を開く。

「モロでもしっかり反応してるのにね―。モロのむっつり」

「京ぉ……。それは誤解だよ!」

「まぁ、楽しそうなのは百代だよな」

 慶一は高いところに胡座をかいて座り、皆を見下ろしている百代を人差し指で示す。

「私か?」

「全国の挑戦者は皆ラスボスを倒すために必死になってるぞ」

「こんな美少女がラスボスとはギャルゲーみたいだな」

「そういや美少女って“美が少ない女”って書くな」

 その言葉を聞いた百代は口の端を吊り上げて笑った。

「オマエ今日皆が帰った後居残りな」

「ちょっとからかっただけなのに」

 二人の会話の違和感に気付いたのはガクトだった。

「なぁ、変わったと言えば慶一。オレ様ちぃ~~っとばかし気になったんだがよ」

 開いた親指と人差指の距離を縮めながら訝しげに目を細める。

「どうかしたか?」

「オレ様の記憶が定かだったら、モモ先輩のことモモって呼んでた気がするんだが……」

「それで違和感あったのか。確かに姉さんのことはモモって呼んでたよな。心境の変化でもあった?」

「あぁ、それは――」

 慶一の言葉をガクトが遮る。

「ちょっと待った! 答えによっては心肺停止するかもしれない」

「そんな簡単に心臓止まるなんて、こっちが心配になるぞ」

「そんな心配しなくていいです。心配停止。なんちゃって」

「今のオレ様には、まゆっちのくだらない駄洒落に付き合う余裕はない」

 まゆっちが悶絶の声を上げて天を仰ぐと、腰掛けていたソファーがキシっと音を立てる。手の平に乗せていた松風が「まゆっち無念」とつぶやいていた。

「相変わらずまゆっちは空気よめないね」

 その京の一言がまゆっちにトドメを刺していた。

「今日の京は一言で相手を沈めていくな」

「で、結局何があったの? 慶一」

「そうだな、昨日の事だ。オレは片膝をついて百代の手を取り、Will you marry me? と言ったわけだ」

「つまりどういうことよ?」

 一子はガシャガシャと音を立てていたダンベルを止めて京に聞いた。

「プローポーズしたってことだね」

「へー、慶一は昨日吸血鬼と戦ったりプロポーズしたり大変だったのね」

「ありゃ、ワン子は反応薄いねぇ」

「プロポーズってプロテインの一種でしょ? 慶一が体を鍛えはじめたのには驚いけどね」

 そうだねと言うと、京は慈愛の眼差しを送りながら一子の頭を撫でていた。

「しかも、それっきりオレには返事がないわけだ」

 慶一は顔を手で覆うと、下を向いて泣き真似をする。

「姉さん返事くらいしてあげたら?」

「そうだよモモ先輩。大和もちゃんと返事くれるよSay Yesって。ね? 結婚しよう大和」

「お友達で」

「むー、惜しい」

「惜しくない」

 いつの間にか飛び降りていた百代が大和と京の頭をつかむ。

「お前ら……慶一がからかってるの気付いてのっかってるだろ」

「そ、そんなことないよ姉さん」

「元はといえばガクトのせい」

 京がガクトを指差すが、話を最後まで聞いていなかったガクトは放心したように固まっていた。

「ありゃ、しゃあねぇ。ガクトを運ばないといけないし、今日はお開きにするか。大和手伝ってくれ」

 キャップと大和が肩を貸してガクトを引きずるように運んでいく。その後を続いた慶一の肩を百代が掴む。

「オマエは居残りだって言ったろ」

 

 

 慶一は皆が秘密基地から出て行く僅かな時間をソファーで寝転びながら待っていた。

 皆が出て行くのには三分もかからず、百代は仰向けに寝転んでいた慶一の腹に馬乗りになると手を伸ばした。慶一も自然と手を伸ばすと、押し比べをするように二人の間で指が絡み合いだした。

 百代の垂れた黒い髪の隙間からは、意を決したような面持ちが伺えた。

「昨日のアレは本気か?」

「うーむ……」

「悩むのかよ!」

「いや……。まずは付き合うとこから初めてみませんか?」

 慶一は百代の手を握り返して言った。一文字言葉が口から出る度に、真空に閉じ込められたように息苦しくなる。外気にふれた言葉は不安定な心臓とは逆に、しっかりと一語一語を紡いでいた。

 精一杯の照れ隠しの意味で使った敬語は余計に体の熱を高めて、汗で濡れ出した手の平を密着させている。

 百代も力強くギュッと手を握ると、頬に紅を散らした顔で慶一の顔を見つめる。

「そのポーカーフェイスはどうにかならないのか? ……ずるいぞ」

「まだポーカーフェイス出来てたことに驚いたな。心臓がうるさいから百代みたいに真っ赤になってると思ってた」

 握り合っていた手を離すと、百代は慶一の胸に耳を当てる。

 慶一の心臓は膨張と収縮を繰り返して、大げさに鼓動をまくし立てていた。胸に百代の頬の熱さを感じ、また鼓動が早鐘のように脈を打つ。

「四六時中こうやってくっついてないと分からないとは、面倒くさいやつだな」

「オレからしてみればラッキーだけどな、抱きしめる理由が簡単に出来て」

 慶一の胸の上で無造作に広がった長い黒の絹糸のような髪を手で纏めるていると、慶一の手が百代のうなじを撫でるように触れる。百代がむず痒そうに体を動かす影が、ロウソクの光で壁に長く投影されていた。

「もう、くすぐったいぞ」

「いつも通りじゃれてるのも悪いとは思わないが、オレとしてはそろそろ答えがほしいんだけど」

 百代の顔が近づくと、躊躇うことなくあっさりと唇と唇が触れた。一秒にも満たないのではないかという行為だったが、部屋の時計の長針が何回も空気を震わせたような感覚に襲われる。

 不思議なもので慶一はその僅かな間に落ち着きを取り戻していた。妙な不安から開放された心臓はトクンっと一度大きく鳴った後は、静寂に紛れるように高鳴りを鎮めていく。

 見慣れた百代の顔が、ようやくはっきりと瞳に映った気がした。

「これが答えじゃダメか?」

 百代は自分の顔を眺めている慶一に視線を合わせて言った。

「じじいの耳には早すぎて聞き取れなかったから、もう一回……。今度はゆっくり話してくれ」

「こういう時に冗談を言える余裕がムカつく……。仕方ないなぁ」

 百代は体を起こして、また両手を自分と慶一の指と指とを絡めてつないだ。

 傍目には慶一が押し倒されいるように見えるが、それが随分と似合う事に気付いた慶一は可笑しくなって隠すことなく笑った。

「こら、笑うなよ」

「我ながら男らしい女に惚れたんだなって思うと、自分が女になったような気がしてきてさ」

 両手を塞がれている慶一は、一度出た笑いを隠すことも止めることも出来なくなっていた。

「ムードを台無しにするなよぉ」

 ロウソクの光に当てられて顔に影が出来た百代は、いつも以上に拗ねたような表情に見えた。

「わりぃわりぃ」

 笑いによって強張った体の力を抜くと百代の顔をまた見つめる。

 百代は顔を慶一に近づけると、首を捻ったり縦に振ったりと落ち着きなく顔を彷徨わせている。

「ええい! 慶一のせいで、なんかやりづらくなっただろうが! 逆だ!」

 慶一を乱暴に引き上げると、百代はソファーの上にごろんと仰向けに寝っ転がった。

 狭いソファーに先ほどまでの百代の格好で慶一が乗るは難しそうだった。ソファーと百代の太ももの間に片膝を入れて、もう片足は床に足の裏を付けて伸びている。両手を百代の顔の横に着くと、ようやくなんとか格好の付いた体勢に落ち着く。

「やっぱりこの体勢だと男らしくなった気がするな」

「元から男だろう」

 いつも通りの他愛のないやりとりに二人は少し笑みを浮かべると、慶一は百代に顔を近づける。

 触れ合った薄い皮膜は自分の唇だけではない別の熱を感じ取っていた。熱に触れた百代は体がピクンと一度跳ねるように震えた。その僅かな動作でさえも、柔らかい唇は潰し広がり形を変える。

 唇同士が密着すればするほど、逃げ場を失った空気が鼻から吐息として漏れていく。邪魔をする者が誰もいない部屋では、二人から発せられる音は良く響いていた。

 その音は自分たちが何をしているかを自覚させて気持ちを盛り上げていき、合わせるだけという行為は少しずつ別の形に変わっていった。

 唇とは上手いこと作られているものだ。二つの唇が合わさると段々重ねのようになる。

 慶一が百代の上唇と啄むと、百代は慶一の下唇を啄む。百代が慶一の上唇を啄むと、慶一は百代の下唇を啄む。お互いの唾液で濡れ出した唇は、呼吸をしようと離す度に吸盤を外すようなマヌケな音が鳴る。それがやたらと官能的に聞こえるくらいに、二人は唇を重ね合わせる行為に酔っていた。

 体感にしては数時間だが実時間にすると五分程度だった。貪りあった唇はどちらの体温かわからない程に混ざり合い、満足するとどちらからともなく口を離す。

「この体制はキスする前より、した後の方が照れが襲ってくるな」

 慶一の下には薄っすらと掻いた汗で艶やかに髪を湿らした百代がいる。

「これだけ顔が熱くなってるのに、顔が赤くならないのが不思議だ」

 そっと慶一の頬に触れた手が撫でるように動く。百代の手の平も熱かったが、それ以上に慶一の頬には熱がこもっていた。

 頬に触れた百代の手に包み込むように手の平を重ねると、慶一はそのまま百代の胸にゆっくりと倒れこむ。

「このまま寝ちまいたい……」

「美女の胸で寝るとは贅沢な奴だなぁ」

「夢見心地って言うだろ? きっとこんな時に作った言葉なんだろうな」

「これじゃ私が重いだろぉー。だから、寝る時は絶対上下逆のほうがいいぞ」

 それでも百代は退けろとは言わず、未だ慶一の頬に触れている手をまた撫でるように動かす。

 いつまでもこうしているわけにもいかず、言いづらそうに慶一が口を開いた。

「……帰るか。一子が心配しそうだし」

「そうだな。なんか秘密基地でいちゃついた後、同じ家に帰るって変な感じだな」

 慶一が名残惜しく百代の胸から顔を上げるのをきっかけに、二人は帰り支度を始める。ここまでは今までもよくある光景だった。

「行くか」

 そう言って慶一が差し出した手を、百代は今までもそうしてきたかのように自然に握る。

 二人が外に出ると雲ひとつない夏の夜が広がっていた。那由多ある星が、今にも降ってきそうなほど輝きを放っている。七夕近くの月は満月とほとんど変わらず、目を凝らすと月の端に陰りが薄っすらと見えるくらいだった。

 あれだけ夜空を輝かす光も、地上では街灯の光の方が強く輝きを放つ。その明かりを頼るように二つの影法師が重なり、寄り添いながら歩いている。

「帰ったら直ぐ晩飯かー。今日は当番じゃなくてよかった」

 歩けば歩くほど空腹を感じて現実に引き戻される。それでもさっきまでのことが夢ではないと実感できるのは、繋がれた手が解かれていないから。

「そういえば、明日から慶一が作る弁当は愛妻弁当になるのか?」

「要望があればハート型でもなんでも作ってやるけど、いそいそとそんなの作ってるオレの姿を見たいか?」

「あーっ、でも、想像したら結構似合うぞ。見たいか見たくないかは別として」

 いつものじゃれあいは小さく纏まり、握り返したり指でなぞったりと、慶一の右手、百代の左手だけで行われていた。

 慶一は足を止めてふと空を見上げる。

「なぁ、百代。月が綺麗だな」

「あぁ、そうだな」

 二人は肩をくっ付けるように寄り添うと、川神院までの道のりをゆっくりと歩いて行った。

 

 

 

 

 

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