いつの間にかお馴染みとなっている後ろからの抱擁は、付き合う前も後も繰り返されていた。その態勢で百代は慶一と一緒に雑誌を眺めている。
ページを捲る度に紙同士が摩擦されることによって鳴る乾いた音だけではなく、紙のしなる音が聞こえていた。それだけのことで、写真が多く使われている雑誌だということが伺える。
現に今開いているページは、行く予定のない遠くのテーマパークを写した写真が見開きで掲載されていた。
用のないページは軽く目に映す程度で直ぐに次のページヘと捲っていく。
「映画でもいいぞ、冬以来行ってないし」
百代に言われた慶一は今週の情報誌を映画のページまで捲る。
「オレは映画好きだからいいけど、今話題のだとホラー物だぞ? 再来週になれば魔法使いのやつの続編やるけど」
「くっ……。慶一が嫌なら仕方がない他のにしよう」
「怖いの嫌いなのバレてるんだから、素直に嫌だって言えばいいのに」
「うるさーい。いいから、次のページ捲れよ」
しばらく映画のページが続いていたので適当に捲っていくと、色鮮やかなページが目に触れた。ちょうどいいので、そのページをじっくりと眺める。
粗く切られたトマトの果肉が上に乗っかり、薄い赤色のソースが平べったい生パスタに絡みついている。それだけでもほのかな酸味が漂ってきそうで美味しそうだが、飴色まで炒めてある玉ねぎまでも覗くのだから堪らない。
その横にはマルゲリータが並んでいる。同じトマトを使った料理だが、赤色のソースに紛れたモッツァレラチーズを見るだけでコクが想像できる。チーズが入るだけで味が変わるものだからトマトソースの汎用性はバカに出来ない。そしてなにより手作り独特のピザの耳の焦げが食欲を誘う。
斜め上から撮られた写真は料理だけではなく、店の雰囲気も写しだしていた。木目を貴重とした内装とレンガの壁に、シックな黒の椅子がよく映えていた。
「この店いいな」
「美味しそうだけどいいのか? 結構高そうだぞ」
「いいのか? って奢られる気満々だな。まぁ、奢るからいいけど」
「奢り最高ー。奢ってくれる慶一はもっと好きだぞ」
慶一は文字を指でなぞりながら店の住所を調べる。
「店の場所は七浜か……。それなら百景島の水族館行くか。前に行った時はゆっくり見れなかったし」
「少し遠くないか?」
「水族館を最初の目的にしてこの店寄るなら、川神に戻る途中だしちょうどいいんじゃねぇか」
「いつもの遊びじゃなくてデートだもんな。遠いほうがいいか」
文字をなぞっていた慶一の手に百代が優しく触れる。慶一が手を翻し手の平を上に向けると、どちらともなく握り合う。
「あの~お二人さん……。そろそろ止めていただかないと、ガクトがいつまで経っても屋上から帰ってこれないんですが」
二人の会話を聞いていた大和は、この上なく言いにくそうに苦言を呈する。
「まだ戻ってきてないのか」
百代と慶一が付き合うことになった次の日。つまりは今日のこと。報告するためにファミリーを秘密基地に集めていた。
もちろん皆は祝福してくれたし応援もしてくれた。多少の嫉妬の暴言もあったが、ガクトも例外ではなかった。
ただ、二人の会話やコミュニケーションを見ると恋人と言うのが現実味を帯びてきたのか、耐え切れなくなり屋上に風を当たりに行ってしまった。
「原因を作った張本人なのに人事過ぎるって! まぁ、やってることはいつもと変わらないように見えるのに、こうまで雰囲気変わるもんなんだなぁ」
「よく見て大和。ちゃんと雰囲気以外も変わってるよ」
「京には違いがわかるのか?」
「前までの慶一なら、モモ先輩に抱きつかれてる時は普通にしてたけど。ほら」
京は慶一からもしっかりと指を折り曲げて握られている手を指す。
「そう指摘されると流石に恥ずかしいんだが」
「恥ずかしがってる顔には見えないけどな。なんとなく姉さんと付き合うのは想像出来てたけど……。いちゃつきゃ踏つくってやつか」
「私も大和と結婚してる未来が想像出来るよ」
「それは妄想」
大和は感化されることなく京の求愛を断る。数えきれないほど見てきたやりとりだが、めげる様子のない京には敬服の念を唱えたくなりそうだ。
同じやりとりと言えば百代と大和のことが気になっていた。結果として鳶が油揚げをさらうことになっていたのではないかと慶一は思っていたので、それとなく大和に聞いてみる。
「オレとしては大和に聞きたいけどな。百代と付き合ってよかったのか」
「なんで? 姉さんは姉さんだから気にすることはないよ」
その言葉を聞いた百代は嬉しそうな表情を浮かべて、余った手で大和の頭を撫で始める。
「安心しろ大和。私はいつまでもオマエのお姉ちゃんでいてやるからな」
「なんか優しい奴隷制度みたいだ……」
「発言には気をつけろよ大和。じゃないと撫でてる手が別の動きに変わるかもしれないぞ」
口角を歪めて不敵に笑みを浮かべた百代は、大和を撫でている手の指を徐々に広げて、頭型に合わせ掴むように形を変えた。
「ね、姉さん怖い笑い方はやめて!」
今のところ自分と百代が付き合うことになっても変わらないファミリーに慶一は安心する。
「なぁ京、この場合“相手変われど主変わらず“と“雀百まで踊り忘れず”どっちが正しいんだろうな」
「単純に三つ子の魂百まででいいんじゃないかな」
大和が力を込めだした百代の手から逃げることが出来た頃、ようやくモロに手を引かれてガクトが戻ってきた。
モロが一歩後ろに下がる度に不器用に足を前に進めるガクトの姿は、下手くそにプログラムされたロボットのように不自然な足取りだった。
「オレサマ、アイシラナイ。ケイイチ、アイシッテル」
「クッキーよりロボットらしくなって帰ってきたな」
慶一の言葉が耳に入るとゆっくりとガクトが振り向く。その横の動作に比べて目線を下ろす縦の動作は驚くほど早かった。
「って! さっきよりイチャイチャしてるじゃねぇか!」
「ガクトだってモロと手を繋いでんじゃん」
「ちょっと! こっちに変な矛先を向けないでよ!」
慌てて手を離したモロは、手を後ろに伸ばして必要以上にガクトから手の距離を取る。
「二人に感化されたのは私だけではないようだ」
怪しく目を光らせた京がモロとガクトを見ていた。
「ほらぁ! 京が食いついてきちゃったじゃん!」
「こういう当たり前のやりとりって安心するよな」
「勝手に当たり前にしないでよ!」
慶一は片手を自分の目の前で立てて悪いとモロにジェスチャーすると、恨みがましい目で見ているガクトに話しかける。
「オレが百代と付き合うことでガクトにもメリットあるんだぞ」
「ほう……。聞いてやろうじゃねぇか」
ふてぶてしく腕を組んだガクトが慶一に詰め寄ってくる。真剣な目は冗談は通じないと言っているように光らせている。
「単純に百代目当ての女子があぶれるってことだ。それもかなりの量の」
慶一の言葉を聞いて静かに口を閉じているガクトの代わりにモロが口を開く。
「自分目当ての女の子って言わないあたり、微妙な寂しさがあるねぇ」
「身の程はわきまえてるよ」
「まぁ、モモ先輩を落とせただけ十分だと僕は思うけどね」
「落ちるというよりは、蟻地獄のようにジワジワと距離が縮まったような気もするけどな」
「なんか嫌な例えだなぁ」
慶一とモロが笑い合っていると、それをかき消すようにガクトは腹の底から声を上げる。
「ワン子ォ!!」
「ひぃ! なんなのよいきなり!」
「オレ様にそのダンベルを貸すんだ」
「ガクトは自分専用のを秘密基地に置いてあるじゃない」
棚の下にしまってあった自分のダンベルを取り出すと、ガクトはそれを手に持ち力を込めてコブを作る。
「これじゃ足りないんだよ。すぐそこにある来たるべき日に備えて更なる筋肉増量を目指すからなっ!」
ガクトは一子が手に持っていたダンベルを奪うと、器用に両手に二つずつダンベルを掴み鼻息荒くトレーニングを始めた。
「大和ぉ……。ガクトにダンベル奪われたわ」
「今日はガクトに優しくしてあげなさい」
大和は一子の頭を撫でながらガクトの味方をする。
「わかったわよぉ」
「そういえばワン子は驚きもしてなかったな」
「私は昨日の夜に二人から聞いていたから」
「ワン子寂しくなったらパパとママのところに来るんだよ」
京は大和に寄り添うように横に来ると、一子の頭を撫でてそう言った。
「京さん今日はいつにもまして積極的ですね」
「くくくっ、言ったでしょう。感化されたのは私だけじゃないって。ということは、当然私は感化済み……。抑えきれぬ愛で斬る! 大和ぉ~~!」
飛びついてきた京から逃げ惑いながら大和が叫ぶ。
「いつも抑えてないじゃないかぁっ!」
これまたいつもの光景だが、大和は武の才能があるのではないだろうかと思うほど、狭い部屋の中で器用に避けている。
「あはは、こっちもそのうちくっ付くのかしらねぇ」
いつも通りの大和と京、いつもと変わった百代と慶一を見てふとした疑問が浮かんだクリスは、プラモを作っているキャップに話しかける。
「キャップはモモ先輩と慶一が付き合うのを見ても感化されないのか?」
「う~ん、やっぱりオレは付き合うってよくわかんねーわ」
「自分は愛とは良いものだと感じたぞ」
「そうは言うけどよ、クリスも誰とも付き合ってねーじゃん」
キャップはヤスリをかけていたプラモデルのパーツに息を吹きかけながら答えた。
「クリ吉の場合はドイツと日本の戦争の火種になるかもしれないからシャレになんねーぜ」
「そんなことないぞ! 父様はきちんと公私を使い分ける人間だ。マルさんは少し心配してくれるかもしれないがな」
「お父様とマルギッテさんの二つの火種があることが問題な気がしてきました」
珍しく松風ではなく、まゆっちの口からポロっと本音が漏れだしていた。
「自分のことより、まゆっちはどうなんだ?」
「私ですか? 恋人は素晴らしいと思いますけど、まずもっと友人が欲しいです……」
「あ……うぅ……。なんか悪いことを聞いたな」
「いいんです。私には伊予ちゃんがいますから」
前向きなのか後ろ向きな発言なのかは本人にしかわからないが、まゆっちは満足そうな顔をしていた。心なしか松風も胸を張っているように見える。
ファミリーの興味が各々別の事に向き始めると、慶一と百代は再びデートの話を始める。
「来週の半ばが梅雨明けらしい、雨の心配なくてちょうどいいだろ」
慶一は朝の天気予報を思い出していた。梅雨が明けると言っていたアナウンサーもどことなく嬉しそうな表情を浮かべていた。
春夏秋冬四つの季節があるが、あれだけ雨が降ると梅雨はもう一つ新しい季節のように感じる。
「でも、雨が振ったらどうする?」
「土砂降りじゃない限り七浜で、無理そうだったらイタリア商店街のショップをブラブラで。そしたら飯にも困んないしな」
「雨降ったら気弾で晴らしちゃうか?」
「やめてくれ……。デートどころか学長の説教に変わっちまう。まぁ、大丈夫だろうし店の予約取っておくよ」
携帯を取り出すと慶一は店の電話番号をメモしていくが、いつも通り充電をしていない携帯は番号を打っている最中に警告を出す。
「ちゃんと充電しとけよ」
「面倒くさいんだよな……。最近はなんでも充電で部屋の中ケーブルだらけになるし。川神流携帯充電気功みたいな技ねぇの?」
「川神流を便利屋みたいな扱いするなよ」
「古人はカマキリからインスピレーション受けて蟷螂拳を編み出したんだろ? 現代だったら機械から武道に発展することもあるんじゃないか」
慶一は小さく前倣えをすると、一瞬右にぴくりと手を動かしてから手の形を変えずに一定の速度を保ったまま左とへと滑るように動かしていく。
「それはロボットダンスだろ」
「たのむからロケットパンチとか編み出さないでくれよ……。戦闘の度に自分の腕を飛ばすのなんて見たくないぞ」
「そんなこと出来るか!」