真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第四十六話

 吹く風強く、右に左にどっち付かずに揺れる木々の葉は、ガラスの向こうで忙しなくちらついている。まだら模様のように明暗のある雲も、梅雨時の様に空に居付く前に風に流され消えていく。

 強い日差しは揺れた葉の濃い影を机に落としていた。

 耳を澄まさずとも、油が沸騰したように鳴いている蝉の声が聞こえてくる。

「さらば梅雨よ」

 慶一は両腕を上に伸ばして気持ちよさそうに目を細めながら言葉を漏らす。

 教室の窓の外に呟いた言葉は、当然のことだが木も雲も空も反応するはずもなく、夏の風景を作ったままだ。代わりに反応したのは、暑そうにYシャツの胸元を伸ばして空気を取り入れているヨンパチだった。

「なんだよ、いきなり」

「雨が降る心配ないって、心まで晴れるなーってさ」

「正気かよ慶一。雨が降らないってことは、女子の透けブラが減るってことだぞ」

「春夏秋冬エロに直結する奴だな」

 眉間にしわを寄せるとヨンパチは、大げさに唇を尖らせて舌を鳴らす。

「ちぇーっ、これだから彼女持ちは余裕があって嫌だぜ。モロから聞いたぞ、モモ先輩とデートするって」

「そう素直に反応されると優越感が沸き上がってくるな」

「雨が振るように短冊に書いてやるぜ」

「今日デートするわけじゃないから意味ないぞ」

 今日は七月七日の火曜日。デートの日までは、まだ五日もある。

 慶一の心には未だ慣れない感情が同居していた。“まだ”なんて露骨に心待ちにしている自分は随分と久しく感じる。

「ボーっとして、どうせ彼女のことを考えてるんだろ」

「そうだな、遠からずってとこかな」

「腑抜けになりやがって。神様どうか慶一に天誅を……っ!」

 ヨンパチは世界でも下から数えた方が早いと思うほど、みっともない理由で祈りのポーズをして天を仰いでいる。こんな願いを叶えるのは、神は神でも邪神だろう。

「そんなことを願うよりも、彦星と織姫の情事を望遠鏡で覗く準備でもしたらどうだ?」

「その手があったか!」

「おいおい、まさか七夕伝説を信じてるわけじゃないよな」

「当たり前だろ。でもよ、こういう行事に乗っかった上に、盛って外でヤルってのが日本のカップルだろ? 今夜は眠れない夜になりそうだぜ……」

 喉の奥で呼吸をしているヨンパチは興奮を隠すつもりはなさそうだった。

「怖い人のを覗いて殴られないように気をつけろよ」

「おう! 任せとけ! それにしても今日も来てるな」

 慶一とヨンパチは廊下を眺める。正しくは廊下にいる人なのだが、目を合わせないようにすると自然と人と人との隙間に目線を向けることになるからだ。

「上野のパンダに比べりゃましだよ。こっちは檻に入れられてるわけでもないしな」

 百代との交際を隠してるわけでもないが、声高らかに宣言してるわけでもない。それでも、どこから噂を知ったのか教室を覗く見物人は後を絶たない。

 ありがたいことに半数以上はただの興味本位で、通りすがりに覗く程度だった。あの武神に恋人が出来たのだ。気にならないというのは無理な話だろう。

 とりわけ有名人でもない慶一は全校生徒に顔が知られているわけではないので、どんな奴なのか一目見ようとする学生が多いのだ。

「でも、視姦されてるみたいでいいよな」

「それが理由でオレの周りをうろちょろしてたのかヨンパチは……」

「まぁな。男の目線もあるがオレのエロフィルターを通せば消し去ることは可能だしな」

「そりゃ、ネコ型ロボットの道具と同じくらい便利なこって……」

 元より男子の目線は気にならかった。

 百代の強さから周囲の男子には敬遠されているからだ。もちろん百代が男子に人気がないというわけではない。前に述べたとおり純粋に興味だけなので一瞥すると満足して去っていく。

 見物人の男子が五割、女子が五割と半々にするなら、その女子の中の三割も男子と同じように興味の視線だけで終わる。

 残りの二割りというのが、コアな百代のファンなのである。端から見たら慶一が女の子にモテて見えるように教室の前に固まって慶一に視線を送っているが、わかりやすいほど嫉妬の炎を瞳に宿らせている。

「でも、慶一はあんまり気にしてないよな」

「人の噂も七十五日って言うしな。四十九日にならなければなんでもいいよ」

 そう言った慶一は飛んでいる虫を見るように上を向く。

「よし! 友達思いのオレが一矢報いてやるぜ!」

「なにするつもりだよ」

「負の感情に苛まれてる女は身だしなみに隙が出来るからな、パンチラ取り放題だぜ!」

 低くカメラを構えたヨンパチは教室を走るように出て行った。その姿を見送ると慶一は大和の席へと歩いて行った。

「大和、キャップは?」

「竹を取りに行くからって、早退したよ」

「竹ねぇ……。そんな遠くまで行かないとなかったっけ?」

「一番見栄えの良い竹を取ってくるって意気込んでたから」

 イベント事は全力で楽しむキャップらしい行動だった。流石に鹿児島や京都までは行かないだろうと思うが、川神市にもいない気がする。

「それじゃ、オレもなんか差し入れ持ってくかな」

「いいね。持つべきは竹馬の友だな」

 慶一の差し入れイコール料理と言うのは定着したのか、大和は静かに舌鼓を打った。

「竹馬で遊んだ頃は出会ってないけどな」

「そもそも今はステンレススチール製のが多いしね」

「鋼馬か、なんか強そうだな」

「ステンレススチールは正しくは不銹鋼って書くらしいぞ」

 大和はノートの端にペンで漢字を走らせた。

「不銹鋼馬か……。一気に中国語っぽくなったな。こういう漢字四文字ってどうして頭の隅に残るんだろうな」 

「四字熟語って昔からあるからなー。日本人だと頭に残りやすいんじゃない? 不銹鋼馬って言葉はないけど」

 慶一と大和が愚問愚答を繰り返していると学校のチャイムが鳴った。

 

 

 琴と鷲に挟まれた七月の河は、他の星座が泳ぐように巻き込みながら長く流れているはずだ。

 光の淡い天の川は工場が多い川神では目視するのは困難だった。それでも幾千の星の瞬きは、河が氾濫したのではないかと思うほど夜空を騒がせている。

「綺麗ねぇ」

 一子は首に後頭部が付きそうになるくらい空を見上げて歩いている。

「あんまり上見て歩いてると転ぶぞ」

「大丈夫大丈夫! 慶一こそ上見てたら危ないわよ」

「オレは空を眺めるプロだからいいんだよ」

 同じく慶一も、星の一つ一つを確かめるようにゆっくりと歩いている。目を凝らすが、やはり天の川は見えてこない。

「とおっ」

 慶一の足元を掬われ、しばし重力を体感した後に柔らかいものによって後頭部を支えられた。目の前には百代の顔が逆さに映っている。

「危ないだろ前を見てないと」

「後ろからの衝撃は前を見てても備えられないだろ。つーか、とおって掛け声聞こえたし」

「ふふん、危険性を身をもって教えてあげたんだ。優しい彼女だろ?」

「優しい彼女だったら、こんな無理な体勢をさせないだろ……っと」

 仰け反った体勢を戻すと腰が鳴った。

「星ばっかり見て、私にかまわないのが悪いんだ―」

「オレと一子は感性が豊かなんだよ。たまには一緒に見上げてみないか?」

 百代も同じような格好で空を見上げると、笑窪を作り悪戯に笑う。

「気弾打ったら、どれかに当たるかな」

「どうせ撃ち落とすなら、価値がありそうな星を撃ち落としてくれよ。NASAに暴利で売りつけるから」

「どういうのが値が張るんだろうな」

 百代はおでこに手の側面を付けて遠くの星を値踏みしている。慶一は百代の視界に指を入れて、まん丸く満ちた月を指し示す。

「月の石は、一グラム六十万クラスらしいからな。うまい具合に削って地球に飛ばしてくれ」

「あわわ、お姉さまと慶一が星を壊す計画を立ててるわ」

「いいんだよ。月はそうやって人間に削られて丸くなったからな」

「それなら問題ないわね」

 一子は慶一の適当に付いた嘘にあっさりと頷く。

「え? 納得するのか?」

「あーあ、ワン子が間違って覚えたら慶一のせいだぞー」

「月を壊せそうな人間が、一子の周りにいっぱいいるのが原因な気もするけど」

 学長に百代、ヒュームに揚羽。軍事力でも考えるなら九鬼にドイツ軍。指折り数えていると片手が簡単に埋まる。

「二人共、冗談だから安心してよ。いくらなんでも人間が月を削ってないことくらいわかるわ」

「それじゃあ、月が満月になったり三日月になったりする理由はわかるのか?」

「もちろん! 太陽の光があーなってこーなっていっちょ上がりよ!」

 肝心なところは身振り手振りで適当に誤魔化していた。

「流石一子だな。その理論を使えば、日本の税金問題もあーなってこーなって解決だ」

「まーね! まーね!」

 目を細めて得意気にしている一子の頭を慶一が撫でているのを、百代は呆れて見ていた。

「……褒めて伸ばすにも限度があるだろ」

 慶一達が島津寮に到着すると、玄関先からでも談笑の声が聞こえてきている。

 島津寮に集められたファミリーは皆中庭に集まっていた。いつもと変わらないことに疑問を思ったのかクリスが慶一に話しかける。

「七夕ってなにするんだ?」

「短冊を書いて後は、飲み食いするだけ」

「それでは他の行事と変わらないじゃないか」

「花見みたいなもんだから良いんだよ。要は集まる理由が出来ればなんでもいいんだから」

 慶一は特にやることがないのに騒ぎ立てているキャップを見て言う。七夕の飾り付けで上がったテンションが下がることなく維持していた。

「こうやって見るとクリスマスツリーみたいだな」

「最近はバンブーツリーなんて造花も売られてるし、あながち間違いじゃないかもな。聖なる夜には程遠いけどな」

 笹竹には“彼女が出来ますように”と“大和と結婚します”と書かれた短冊が交互に吊るされて、竹を中心に円を描いていた。

「京のに至っては最早願望じゃなくて宣言になってるな……。慶一はなんて書いたんだ?」

「家内安全」

「それは、川神院にいる限り難しそうな願い事だな」

「まぁ、大きな怪我さえなけりゃそれでいいよ」

 川神院で汗を流している二人を想像すると、慶一は優しく笑みを浮かべた。

「それにしても慶一なら商売繁盛とでも書くと思ったがな」

「仕事をサボって離れ離れにされた彦星と織姫に祈ってもご利益なさそうだからな」

「慶一らしいと言えば慶一らしいが、少しくらい京やガクトのように欲を出してもいいんじゃないか?」

 飾られた短冊の内容には“目指せ! 川神院師範代!”や“冒険家になる!”なんて宣言が多いのが風間ファミリーらしい。“友だちが出来ますように”と書いたのはまゆっちだろう。どれも誰が書いたかわかりやすいものだった。

 たしかにその中に紛れた“家内安全”と書かれた短冊はなんとなく情けなく見える。だが、自分が好むものというものはわかっているが、望むものとなるとなかなか浮かんでこない。

 愛は百代で満たされる。金は稼げる。次に浮かぶのは友人のことだ。“長楽萬年”とでも書こうと思ったが、そんなことをわざわざ書くほどのことでもない。皆が同じく思っていることだから。 

 やはり家内安全が一番しっくりきた。

「もったいねぇ……。オレの性格もったいなさ過ぎる」

 改めて考えてみても何も浮かんでこない自分に慶一は頭を抱える。

「慶一にはランプの魔人が出て来る必要がなさそうだなぁ……」

「反対にクリスはダース単位でランプが必要そうだけどな」

「なっ! 自分はそんなに強欲ではないぞ!」

「おーい! なにやってんだ飯食おうぜ!」

 キャップの声が聴こえると、からかわれていたのも忘れてクリスは寮の中へと入っていった。

 慶一は短冊に災難消除と付け足すと、何も漢字四文字で括らなくても良かったと苦笑いを浮かべて寮の中へと向かった。

 

 

 

 

 

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