大きな手が草を摘み花を摘み、握るのに疲れたのか腕に抱えている。そのせいで人並み以上に成長した体を縮こませることなっているので、背中にはひどく哀愁が漂っていた。
「似合わないことやってるなー。どういう心境の変化なんだ?」
体も頭も重い授業も終えて、今は放課後。身も心も軽くなった慶一は、川沿いの一辺にある二人の男の姿を見かけ話しかけていた。
慶一の問に答えたのはモロだった。苦笑いを浮かべて話を始める。
「それが今日学校でさ――」
お昼を少し過ぎた川神学園では談笑がそこかしこで響き合い、まるでお祭り行事のように騒ぎ立っていた。そんないつもと変わらない時間を過ごし、いつもと変わらない話をしている女生徒達がいた。
「いい男が売り切れるのは早いって本当よねー」
「千花りん草食すぎっしょ。アタイみたいに人の男でもガンガン食い荒らしていかないとダメ系」
「あんたは見境なさすぎんのよ。人の男に手を出すかフツー」
「料理も男もスパイスかかってた方が美味い系」
内緒話でもない二人の会話は同じ教室にいた男子の耳にも届いていた。
「そんなお腹壊しそうなスパイスありえないって!」
「でも、マジな話男も女も草食系は流行らないっしょ」
「まぁ、確かにねぇ。せっかく付き合っても進展ないのは嫌かなぁ」
その二人の話を聞いていたガクトは、肉食系というのを鍛えている男と勘違いしたらしく、ここぞとばかりにアピールをかけ始めた。
「おっと、オレ様の鍛えぬかれた筋肉に引っかかってノートが落ちちまった」
わざと肘にノートを引っ掛けて床に落としたガクトが横目でチラっと千花の姿を見る。
「ほらよ」
ガクトの視線から外れていた羽黒がノートを拾い上げてガクトに手渡す。
「うぅ……。サンキュー……」
「つーか島津さぁー、ちょっと臭うよ」
顔をしかめた千花が距離を取るようにガクトから離れる。なにを勘違いしたのかガクトは満足そうな顔でニヤけ出す。
「千花りんも匂いに気づいたか。香水なるものをつけてちょっと大人びたオレ様とかどうよ?」
「汗臭いのは汗臭いので嫌だけど、磯の香りとかありえないって。そんなんで女の子にモテようなんてどうかしてるんじゃないの?」
「――と、まぁこんな感じ」
「それで珍しく気落ちして花摘みなんてしてるのか」
「いや、それが……」
「おお! 慶一じゃねぇか」
先ほどまで摘んでいたモノ以外は興味がないのか、他の生えている花々は気にすることなく踏みつけて闊歩しながらガクトがこちらに向かってくる。
「なんだ元気じゃねぇか。千花ちゃんにフラレて落ち込んでたんじゃないのか?」
「当たり前だろ。常に前を向いてるオレ様だぜ」
「それで今度は花でも送るのか? せめて花屋で買えよ」
「それは浅はかな考えと言うんだぜ慶一。オレ様の考えは常に先へ先へと進んでるん……だっ!」
ガクトは人差し指を立て、指を左右に振りながらチッチッチッと口を鳴らす。
そして、摘んでいた花を手のひらに包み力任せに握りつぶした。腕の血管がはち切れそうな程膨らんでいて、なにやら必死さが伝わってくる。
プルプルと震えている腕はやがて止まった。ガクトが手を開くとすっかり小さくなった花や雑草の固まりが乗っかっていた。その固まりをガクトはその辺に投げ捨てる。
草花の汁で汚れた手のひらを慶一に向けて、ガクトはゆっくりと口を開いた。
「ふぅ……。どうだ?」
「せめて小石くらい握りつぶさないと、力自慢にならないんじゃないか?」
「違う違う。匂いだよ」
慶一はガクトの言っている意味が理解できず、モロに助けを求めるように視線を送る。
「モテる香水が不評だから、今度は花の匂いで勝負するらしいよ……」
「そりゃまた、ぶっ飛んだ考えに行き着いたもんだな」
「いいから感想を聞かせてくれよ。モロは飽きちまったみたいでもう嗅いでくれないんだよ」
仕方なく慶一は恐る恐るガクトの手のひらに鼻を近づける。
まず最初に鼻に届いたのはタンポポの茎のツーンとした匂いだった。そして雑草を擦り合わせた独特の生臭さが広がる。ほのかに香る河川敷の花の良い匂いもあるが、そのせいでかえって嫌な臭いが強調されてしまっている。
どこかで嗅いだことあると思ったら、子供の頃に外で遊んだ時にズボンに付着した緑色の染みの匂いと似ていた。
「大将棋みたいに複雑な臭いだな……」
「いい意味でか?」
「悪い意味に決まってるだろ!」
「まぁ、確かに女が寄って来る匂いではないな」
ガクトは鼻を鳴らし自分の手の匂いを嗅ぐと、手洗いの後のように手を振って汁を飛ばす。
「そんなんじゃ取れないだろ。川の水で洗ってきたらどうだ?」
「それもそうだな。ちょいっと洗ってくるぜ」
ガクトは日光に当たり育ちすぎて背の高くなった草を踏み開きながら川へと歩いていった。
まだ少し鼻の粘膜に残る草の汁の臭いに慶一は顔をしかめる。
「雑草の臭いって強烈なんだな」
「僕も最初は止めたんだけどね。ハーブなんて雑草みたいなもんだから、いい匂いがするのもあるはずだって聞かないんだもん」
「まぁ、餅は餅屋って言うしな。聞いてみるか」
「心当たりあるの?」
モロの質問に慶一は「まぁな」と答えると、ある場所に連絡をした。
「いらっしゃい慶一君」
「こんにちはナトセさん。いきなりすいませんね」
久遠寺家の玄関で待っていてくれたナトセさんに挨拶をする。
「慶一君のお友達さんもいらっしゃい」
「お、お邪魔します」
ぎこちない挨拶のモロを押しのけるようにガクトが前に出る。
「はじめまして、島津岳人です! 趣味は筋トレです。結婚を前提にお付き合いをしてください!」
「あはは、慶一君のお友達っておもしろいね。南斗星です。よろしくね」
「早速で悪いんですけどいいですか?」
「うん。それじゃ庭に案内するよ」
玄関にある花壇の通りをぬけて庭園へと丁寧に案内される。鳳仙花が今にも花開きそうなほどに蕾が膨らんでいた。
「おい、聞いたかモロ? よろしくされちゃったぜ」
「……相手にされてないだけだと思うよ」
「拒否されなかっただけ、一歩前進だぜ!」
上機嫌に歩くガクトに慶一は釘を刺す。
「そういう意味で紹介したわけじゃないんだから、変なことするなよ」
「わかってるよ。栄光のモテモテロードの為の第一歩を無駄にするオレ様じゃないぜ」
西洋式のよく手入れさた庭園の中を歩いて行くと、香りの風景が広がっていた。夕焼けの空の下で色とりどりの草花が風に揺られて踊っていた。
ナトセが腰を下ろして近くに咲いていた葉っぱを一つ摘み慶一に渡した。
「よく香水に使われるのは、このレモンバーベナかな」
「なんだが涎が出て来そうな匂いですね」
匂いを嗅いだ慶一は、頬の内側がムズムズと唾液を出そうとしているのを感じた。ひと通り匂いを嗅ぐとそれをモロに渡す。
「確かに、すごいレモン臭がするね。爽やかな感じだけどガクトに似合うかな?」
「ただのレモンの残り香にしか感じないような……」
ガクトは何度も鼻を大きく鳴らして匂いを嗅いでいるが、お気に召さないらしく難しい顔をしている。
「あはは、確かにこれだけで嗅ぐとそう感じるかもね。香水は柑橘系の他にも色々なモノを混ぜて香りを強くしてるから」
「そういえばレモングラスってのもありますよね。確か、ベトナム料理で使ってたような」
「よく鶏肉と炒められたりしてるね。植物にはレモンの香りがするのものはいっぱいあるよ。レモンバームとかレモンマートルとか、大抵はそのままレモンって名前の何処かについてるくらいだからね」
手入れされたハーブ園は多種なハーブが植えられているが、混濁した嫌な匂いではなく爽やかな匂いが風に運ばれていた。
その中からなにかを嗅ぎ分けたガクトが動物のように鼻を鳴らしながら移動していく。
「この匂いはどこかで嗅いだことあるような……」
「それはカモミールだよ。日本は香水と言うよりも入浴剤とかアロマの香りとしての方が使われるね」
「こんな雑草みたいな花がですか? オレ様似たようなの河川敷で見たことありますよ」
「それはハルジオンかヒメジョオンだと思うよ。カモミールの方が花びらが大きいね」
そう言って花びらがわかりやすいように捲って見せてくれるが、花の知識がない男子校生の三人には違いがわからなかった。
「料理に使うようなハーブは多少知ってるけど、ハーブティーに使うようなのはオレもわかりませんね」
「そうだ! それじゃあ、せっかくだからハーブティーを淹れてくるよ。あそこに椅子とテーブルがあるから座ってまっててね」
返事も聞かずナトセは屋敷の中へと向かっていった。椅子に腰掛けた三人は花々が似合うとはお世辞にも言えず、花園にいる奇妙な三人組の光景に映っているだろう。
「いやー、それにしてもナトセさん美人だな。紹介してくれた慶一に感謝するぜ!」
「そういう紹介じゃないんだけどな。まぁ、ナトセさんに会ったこと百代には内緒にしといてくれよ」
「それは断る。モモ先輩も大事なファミリーだからな。慶一が浮気をするようなら正直に話すぜ」
ガクトにしては珍しく真剣な表情だった。
先程までナトセがしゃがんでいた場所を眺めながめて、慶一も真剣な声でガクトに話す。
「ナトセさんはそんな仲じゃないよ。あの人は結構強いんだよ」
「モモ先輩と同じくらい強いのか?」
「本気で戦ってるの見たことないけど、少なくとも暇つぶしになるくらいに強いはず。そうなるとどうなるかわかるだろ?」
「間違いなく、モモ先輩が勝負を挑みに来るね。それもかなり強引に」
状況が理解できたのかモロが苦笑いを浮かべながら言った。
「ナトセさんは勝負事が好きなわけじゃないから、迷惑かけたくないんだよ」
「そういうことならしょうがない。オレ様も黙っててやるぜ」
「機を見て紹介はするつもりなんだけどな。それよりもガクト、ハーブの匂いはどうだった?」
「あぁ、ハーブはオレ様にとっては苦手な匂いってことがわかったぜ。ずっと嗅いでると鼻がムズムズしてきやがる」
花の香りでモテようという作戦は土台無理な話だったのかもしれない。とりあえず磯の香りの香水させしなければ臭いと言われることはないのだし、下手に体に匂いをつけるよりも別の道でモテるために努力をしたほうが良いという結論に落ち着いた。
「またせてごめんね。今日は暑いから、ミントとジンジャーレモングラスでさっぱりとしたハーブティーにしてみたよ」
慶一は手際よく淹れてくれたカップを口に運ぶ。飲み慣れない味に悩んでいたのも束の間、口の中が洗浄されるような爽やかなミントに混ざったレモンの香りが喉を進めていく。思ったよりもレモンの味が濃いが、慣れればゴクゴクと飲み干せるくらいすっきりとした味わいだった。
「どう? 美味しいかな?」
「もちろんですよ! ナトセさんが淹れたものならなんでも!」
拳を握ったガクトが大声で盛り上がる中、慶一とモロは小声で会話をしている。
「ありゃ無理してるな」
「だねぇ。一口しか飲んでないし、ガクトは好きなものは一気にいく派だもんね」
いつも通りガクトは筋肉を出してアピールしていたが、この家にはもっと凄い筋肉の持ち主がいるから関心を集めるのは無駄だと慶一は知っていた。
それを口に出さないのは、名前を出した瞬間にその人物が現れそうだからだ。
夢やナトセや錬とは仲良くしているが、それ以外の人物はアクの強さから慶一は苦手としていた。
「あはは、ありがとう。でも、これはベニが淹れてくれたんだよ」
「関係無いです! オレ様、ナトセさんが淹れたハーブティーなら毎日でも飲みたいくらいです!」
「本当?」
「もちろんっす!」
ガクトは強く胸を叩いてそう言い切った。
「じゃあ、ベニに言って帰りにお土産で持たせてあげるね」
「え? あれ? オレ様そういう意味で言ったんじゃ……」
「もしかして苦手だった?」
「そんなことないっす! ありがたくいただきます!」
その言葉を聞いたナトセはお土産の準備をしようと立ち上がった。
慶一はそろそろ頃合いだと思いナトセに声をかける。
「オレ達もそろそろ帰るんで、玄関のところで待ってますね」
「わかった。それじゃ、袋に入れたら玄関まで持っていくね」
ナトセが再び屋敷の中へと入るのを確認したガクトが、ため息を吐くように言葉を出す。
「なぜこんなことに……。オレ様には雑草を煎じて飲むような趣味はないのに」
「自業自得だろ。注いで貰った分くらいは飲み干しとけよ」
ナトセにお土産を貰った後、三人は駅前まで歩いてきていた。
「あぁ……。なんでオレ様は飲めもしないハーブティーなんて持って帰らなきゃいけない羽目になってるんだ」
「ガクトが見栄張るからでしょ。素直に飲めないって言えばいいじゃん」
「そう言うなよモロ。美人の前だと無理を通すのが男だろ。オレ様は男を貫いただけだぜ」
「女の人の前だけで良い格好するからモテないんだと思うよ僕は」
「飲めなかったら島津寮にでもおすそ分けすりゃいいだろ。それじゃ、オレは寄るとこあるから」
慶一は手を挙げると、駅とは逆の方向へと歩こうとする。
「ここまで来たんだ、オレ様達も付き合うぜ?」
「先に帰っていいぞ。七浜まで来たついでに百代とのデートの下見するつもりだから、男と歩いたら雰囲気ぶち壊しだし」
慶一は手でシッシと早く帰るように二人を煽る。
「モロ……。オレ様腹が減ったぞ」
「そうだね。せっかくだから慶一になにか奢ってもらおうか」
「おいおい、なんでそうなるんだよ」
「前に秘密基地で見てた雑誌のイタリアンの店に行くんでしょ? 不味かったら困るから僕達も一緒に味見してあげるよ」
モロとガクトの二人はピタリと慶一の後を付いて歩く。
「ええい! なんで百代より先にお前らと飯を食いに行かなきゃならんのだ」
「彼女持ちの男の発言で傷付けられた僕達の心を、ご飯くらいで治せるならいいじゃない」
「モロもこっち関係の話だと、遠慮なくたかってくるんだな……」
楽しそうに揺れる三人の夏の影は、夕闇に溶けて七浜の街の喧騒に紛れて消えた。