あくびをかみ殺すと、目頭に涙が溜まっていく。それを指で拭うとぼやけた世界が少し広がるが、開いた現代文の教科書のページの活字がまだ踊っている。理由は簡単で船を漕いでるからだ。周りを見渡すと同じように数人うつらうつらとしている。慶一もいっそ寝てしまおうかなと思うと、チャイムの音が鳴り響いた。そうすると不思議もので睡魔が波を引いていくのだ。
「眠そうだったねー。見てると僕まで眠くなりそうだったよ」
「午後の授業ってのは、一度眠気に襲われたら抜け出すのは至難の業だよな」
「ワン子は抗う術もなく、大人しく寝てたけどね」
ペナルティが厳しい先生だと大和が起こしているのだが、現代文の受け持ちの先生はテストと提出物さえちゃんとしてればいいという考えらしく、大和はそのまま一子を寝かしていた。幸せそうに寝息を立てているが、放課後前には起こされるだろう。
「アニメのブルーレイ全編を一気に見たせいで、授業の後半はオレも現実と夢の世界をフラフラしてたけどな」
「昨日貸したのにもう見たんだ。僕は見終わってるからゆっくりでも良かったのに。で、どうだった?」
「昔やってた、赤武神ヤシャみたいにドタバタギャグ物だと思ってたから、面食らったな」
「多少暴挙まどが☆割れたは、アニメ初心者にはきつかったかもね」
「三話でいきなり窓ガラスで首を落とされるとは……。可愛い絵柄なのに酷いことするもんだ」
「あれも売りの一つなんだけどねー」
「次のは、もっと軽いノリのやつ頼むわ」
「モロは基本暗いからな、オレ様はグラップラー餓鬼くらいわかりやすい方がいいぜ」
先程まで一子と同じように爆睡していたガクトがチャイムの音に起こされたのか、枕にしていた今週号の週刊チャソピオソをもって現れる。
「ガクトは漫画よりグラビアが目当てだろ。しっかり折り目ついてるぞ」
「いいだろ! 男なんだから普通はこっちに目がいくっつーの!」
確かに最近のグラビアアイドルよりは、一つ頭抜きん出るくらいスタイルのいい子が写っていた。ショートカットの髪が邪魔をせず、首元から肩のラインを女性らしくなだらかに見せている。Fカップと売り文句がある通り、胸は水着に支えられているわけではなく、むしろ弾き飛ばしそうになっているくらいに強調されている。その胸を支えるには不安を感じるくらいの細いくびれとは対照的に膨れ上がるお尻が、平面の写真の中で立体の女性の美しさを表していた。
「確かに、この尻は漫画を見るより価値あるな」
「だろ? オレ様は尻よりFカップの胸に目がいくけどな。顔も結構可愛いんだこれが」
「顔ねー。可愛いよりも綺麗系のが好きなんだけどな。モロはどうなんだ? 女の子苦手でも好きなタイプはあるんだろ?」
「むっつりなモロは、紙とjpeg専門だからな」
「そんなに酷くないよ!!」
そういう認識で押し切られるのが嫌なのか、少し声を張り上げる。女の子と話すときは目を合わすのも苦手らしく、会話が続いているのを見たことが無い。ファミリーの女の子と話せるの考えると、心を許すのに時間がかかるタイプなのだろう。
仕切りなおすように、短い咳払いをして口を開く。
「僕は綺麗な髪してるかどうか見ちゃうな」
「髪の毛フェチかよ! なんか変態ぽいな」
「ガクトにだけは言われたくないよ!」
「まぁ、モロのいってることも少しは分かるけどな」
「でしょでしょ! 慶一もそう思うでしょ?」
仲間を見つけ嬉しそうに何度も同調を求めてくる。ガクトは納得いかない顔で何度も首をひねっていた。
「頭撫でるときとか、綺麗な髪の方がいいもんな」
「うっ……。なんか僕と微妙にニュアンスが違う」
「まさか、食うとかじゃないよな。……流石にそれはオレも引くぞ」
「変なこと言わないでよ! それが広まったらどうするのさ!」
声を張り上げると、近くの数人がモロに反応する。話の内容が聞こえたわけではなく大きな声に反応しただけのようで、直ぐに自分たちのコミュニティの輪へと戻っていった。
「ほらぁ、慶一が変なこと言うから目立っちゃったじゃない」
「わりぃわりぃ。髪の毛で思い出したけど、川神先輩って昔からあの髪型なの?」
「モモ先輩? どのくらい昔の話なのか分からないけど、子供の頃はもっと髪短かったよ」
「前髪もクロスさせてた?」
「うーん、どうだったかなぁ。いつの間にかチャームポイントにはなってたね。それがどうかしたの?」
「記憶の整理」
そう答えるとモロが不思議そうにしている。聞かれたところで言葉通り自分の記憶の整理なので答えられないので困るのだが、モロもそれ以上突っ込んでこずこの話題が終わった。
そんな話をしていると担任が来て帰りのホームルームが始まる。
ホームルームが終わると、途端に学校が活気を出していく。朝の校内とも違う、昼の校内とも違う、放課後だけにある独特な喧騒が広がっていく。
「大和とゲーセン行くんだけど、慶一はどうする?」
「今日はパスだな。英雄に用があるからS組寄ってくわ」
モロと大和に別れを告げS組へと向かう。F組の喧騒から離れると気付く、いわゆる普通の放課後の風景。そして、S組に近づくと感じるまた違う空気を感じる。
Sクラスとは川神学園の特進クラスであり、成績が五十番以下になると在籍できなくなると言うエリート集団の集まりである。決闘の制度といい、Sクラスのことといい、競争意識を高めることが好きな学校だと思う。
F組とは違う重い空気の扉を開ける。
「英雄いるか?」
「F組の山猿が何のようじゃ」
「英雄は用事で、もう帰りましたよ」
声がした方に顔向けると、葵冬馬が柔らかい笑みを向けていた。同じ男から見てもかなり整った顔立ちをしている。さすが女の子達にエレガンテ・クアットロの一人と騒がれているだけはある。
オレとこうして話してる間にも女の子に話しかけられては、嫌な顔をせずにひとりひとりに挨拶を交わしている。人との繋がりを大事にしているのは大和と一緒だなと思い、素直に感心する。
「帰っちまったか。当然あずみさんもいないよな?」
「そうですね。英雄がいないのに彼女が学校に残る理由なんてありませんからね」
「そうだよな。暇そうな時間に電話してみるか。ありがとな」
いないものは仕方がないので、モロ達に合流してゲームセンターにでもよろうと思い携帯を取り出し連絡しようとする。電話帳からモロの電話番号を探していると話しかけられた。
「つれないですね。私とお話でもしませんか?」
「めずらしいな。S組のやつがF組のオレと話したいなんて」
「前から、興味があったんですよ。英雄のお友達のあなたに」
「どっちかと言うと英雄の姉の友達だけどな、葵こそ英雄の友達だろ?」
「ええ、これを気に、慶一君とお尻愛になりたくて」
「字が違うぞって言いたいけど、俺の尻を触ってるとなると、それであってんだな」
「私は守備範囲が広いですから」
オレの臀部を触る手を払い除ける。続けざまに触ってこないのを見ると彼なりのおふざけなのかなと思っていると。
「気をつけろよ、若は本気だからな。若の友達はオレの友達、オレは井上準だ。よろしくな」
葵と違いとっつきやすそうな男が握手を求めてくる。
「川神院じゃ見ない顔だな。修行僧じゃないのか? まぁ、よろしく」
「オマエ今、頭見ただけで判断したよね? オレは医者の息子だってぇの」
「学生でその頭を理解しろってのが無理だって。あんたが準ってことは、後ろにいるのは蛍か?」
「それ準じゃなくて純だよね! なんか、初対面でずいぶんグイグイくるね!」
「彼女は小雪ですよ。慶一君に小雪挨拶してください」
「うぇーい! 小雪だよ!」
「おう。よろしく」
「ヌ? チョウチョ飛んでる。綺麗」
自分なりにはちゃんと挨拶をしたつもりだが、伝わったのか伝わらなかったのか、マイペースに蝶々を追いかけてフラフラしている。なにやら特殊な周波数を持っているようで、合わせるのは困難するだろう。
「すいませんね、なにせユキはマイペースですから」
「近くにあんな美人がいるのにゲイとはもったいないな」
「小雪は家族みたいなもんですからね。それに私はスイッチヒッターですから、正しくはバイです。気に入れば老若男女いけますよ。ちなみに準はローボールヒッターといったところでしょうか」
「子供の将来のためにもジャストミートしないこと祈るだけだな。それで頭をツルツルにしてるのか」
「オレが頭を剃ってる理由とは違うが、なるほどそう言われると一層この頭が気に入って来たぜ。ロリコニア王国はいつでもオマエを歓迎するぜ」
さりげなく厭味を言ったのに肯定されてしまうとは、ロリに対する愛が凄いと言うかなんと言うか。愛は盲目という言葉が思い浮かんだが、こんなことで使いたくないので頭の隅に追いやることにした。
「オレはハイボールヒッターだからやめとくわ。血走った目で子供を見るような奴にはなりたくねぇしな」
「それは違うぞ。子供は野に咲く花を見るように、優しく見守るもんだ」
「子供だろうが花だろうが、恍惚とした表情で見てりゃ変態だよ」
「いつだってロリへの道は理解されない……」
「バルテュス展やってても、平常心でいられるなら認めてやるよ」
「くっ! 痛いところをついてきやがる。木を隠すなら森の中、ロリを隠すなら芸術の中。先人達も理解をされず苦しんできたわけで……」
蝶々を追いかけるのに飽きた小雪が、ぶつくさ言っている井上を押しのけなにやら白い物体を差し出している。
「マシュマロ食べる?」
「おう、いるいる。ありがとう」
川神学園に入学してから知り合った人たちは大半がマイペースな人な気がする。それでも回りに溶け込んでるのはマイペースなだけではなく、ちゃんと自分っていうものを持っているからだろうか。一部溶け込む様子も無い奴もいるが……。
もらったマシュマロを口の中に放り込むと、さらさらとした粉の舌触りが噛むと直ぐに溶けていく。それと同時に程好い甘さが広がる。久しぶりに食べたせいか、噛み潰して食べたことを少し後悔する。
「冬馬ー、そろそろかえろーよー」
「結構話し込んじゃったな、学食か喫茶店でも行けばよかったな」
夕日が空に溶け込み、部活生徒の影法師を細長く映し出している。気付けばそんな時間で、今更モロに連絡を取ったとしても向こうもそろそろ帰る頃だろう。
「では、この次お話する時はホテルなどいかがでしょう?」
「不純同姓交遊は老後の楽しみにとっておくことにしてんだ」
「残念ですねー。老後を楽しみにしてますよ」
「さて、帰るか。それじゃ、またな。着物少女もじゃあな」
S組に入るとき誰よりも最初に反応した着物姿の女の子にも一応声をかける。無視され続けてもこの場に残ってるのを見ると、流石に少し罪悪感を感じるからだ。
「気付いていたならもっと早く声をかけるのじゃ!!」
名前も知らない少女の声が放課後の校内に響いた。