真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第五十話

 下から覗く水面は、水の揺らぎに合わせて天井の光を儚げに揺らす。薄青い蛍光灯に照らされて色のついた水の中をゆっくりと体を任せている魚の姿は、泳ぐというよりも浮遊しているという方がしっくりときた。

 その姿に目を引かれた人が次々と足を止めて水槽に目を向ける。慶一と百代も例外ではなかった。

「おぉ、ファイティングだ」

 百代が水槽に人差し指を当て動かすと、それにつられて魚も身を動かす。

 オレンジの体に絵の具で色を付けたように白色に、それを縁取りするような黒色の模様が入っているカクレクマノミのが、イソギンチャクに体を擦り付けるようにしてヒレだけ動かしていた。

「そっちで呼ぶなよ、それだと格闘映画みたいだろ」

「熱帯魚はかわゆいなぁ」

「そうだな。でも、少し目が回りそうだ」

 熱帯魚はどれも皆特徴的な体をしている。体つきだけに留まらず、青に黄色に紫に赤。水槽の色と合わさると、ブルーシートの上にゼリービンズをぶちまけたみたいに視界をチラつかせていた。

「あはは、確かにどいつもこいつも自己主張が激しいな」

「自己主張が激しいといえば、こっちの魚キャップみたいだな」

 慶一が指した魚は、赤の体に剥げかけた白の模様がキャップのバンダナの模様に似ていた。一匹で自由気ままに泳ぎまわっているかと思うと、他の魚がそれに惹かれるように付いて行き群れを作る。

「言われれば心なしか他の魚より泳ぐのも早いな。群れてるのは差し詰め風間ファミリーと言ったところか」

「そうなると途端に一匹一匹に特徴が出てくるな。いつも魚をさばいてるオレが魚になるのも変な感じするけど」

「あの青い魚にずっとくっついて泳いでる紫のやつは京だな」

 青い魚が大和なら、食物連鎖に巻き込まれようがヤドカリのブースに展示されたかっただろう。

「こっちにいるのは百代っぽいな、なんか貫禄あるし」

 慶一は隣の水槽にいる大きい魚を見ながら言った。可愛い魚ではなかったが、伸びた髭がペケ印になっているのが百代っぽく見える。

「なんで私だけ別の水槽に隔離されてるんだよ!」

「見ろ……。これが強さに溺れた奴の成れの果ての姿だ!」

「無駄に仰々しく言うなよ。でも、レッドテールキャットフィッシュって名前は良いな。かっこ良くもあるし、キャットで私の可愛さも現せている」

「キャットフィッシュってナマズのことだけどな。気に入ってもらえて良かった」

 そう言った慶一はからかって笑う。

「やっぱりナマズかよ! 見た目からそうかなぁとは思ってたけど。イルカとかペンギンとかもっと可愛いのに例えろよぉ」

「ペンギンにイルカねぇ……。あれ可愛いか?」

「美少女らしく人魚でもいいぞ」

「人魚でもって、随分高い妥協案を出してきたな……。人魚って尾ビレを乾かしたら人間の足になるんだっけ?」

 魔女に頼み声と引き換えに尻尾を人間の足を手に入れたのは、人魚というより童話の人魚姫だっただろうか。

「漫画とかだとそういうケースが多いな」

 百代の答えを聞いた慶一は、百代を爪先から順に腰まで眺めていく。

「それなら百代の人魚は見てみたいもんだ」

「これは喜んでいいのか、露骨な視線に怒ったほうがいいのか……。一番は慶一にそういう感情があって安心したような」

「ちょっと待て。最後の一言はオレが怒るぞ」

「ふふん、わかってる。結構ねっとりとキスするもんな」

 今度は百代がからかうように笑う。その時に下唇を舌で軽く舐めるのが、薄暗さのせいでやけに妖艶に見えた。

「なんか最近、精神的優位性が逆転してきたような……」

「そのうち完全に尻に敷いてやるからな」

「人魚に尻はないだろ」

 上半身が人間で下半身が魚。都合のいいように尻だけ発達することはないだろう。二足歩行や四足歩行のように足をバラバラに動かして泳ぐならともかく、尾ビレ一本で泳ぐのには尻なんて必要ない。なんてことをまじめに考えてしまった。

「そういう慶一は魚だとなにがいいんだ?」

「アンコウかな」

「また微妙な魚を選んだな」

「捨てるとこがないってのは魚にとって一番の魅力だろ。鯛もいいな。煮て良し焼いて良し、でもワサビがしみるからタタキは嫌だ」

 他愛のない話だったが、水族館にいると話題に事欠かなかった。

 同じような大きさの水槽が連なるが一つ一つ違う世界を作り出している。海を空間ごと四角に切り出したような神秘的な光景は目を釘付けるには十分だった。

 ふとガラスに映る自分たちの姿に気付いた。その時、辺りの喧騒がふいに遠くなったように感じられた。手を握り、腕をからませ、肘をつけて、肩をぶつけるように寄り添っている姿は恋人同士に見えたからだ。恋人同士なのだから当たり前のことなのだが、客観的に見る機会なんてなかったので新鮮な感じがした。

 暗い場所では素直な欲求や願望が出やすくなると聞いたことがあるが、あながち間違いでもないと思った。水族館の中に入ってからはずっと肩を触れ合わせて歩いている。キスや抱擁に比べると触れ合いの度数としては物足りないものだが、何故かいつも以上に心臓が脈を打ち出す。

 なんとなく握る手に力を込めると、百代も同じように返してくる。小さな反応が返ってくる度に心嬉しく感じるものだから、やりだせば切りがない。次の水槽へと足を向けるまでは話しながらずっと続けていた。

 

 

 水族館から出ると空気が変わった。まるで今まで水の中にいたように深い呼吸を繰り返す。来た時と同じように無人の運転席を長めながらシーサイドラインの電車に乗る。

 七浜駅に足を下ろした時は、もうすでに太陽が傾いていた。この時間帯の足音は特殊で、急いで家に帰ろうとするコツコツと鳴らす足音よりも、ペタリペタリと街を彷徨う足音のほうが良く響く。

 七浜中華街へ向かう人の影は土日ということもあり長く続いていた。途中まではその流れに沿って歩き、狭い路地へと曲がりもう一つの大通りへと向かう。駅からの道はこの路地を通らないと遠回りになってしまうからだ。

 レンガ造りの建物に挟まれた短い路地は、直ぐ先の景色が見えてしまう程味気ないものだったが、一瞬の雰囲気としてはなかなか趣がある。

 路地を出て直ぐ右にある店が、予約をしたイタリアンのレストランだ。

 ドアベルの音色をくぐるように店に入る。暖色の電灯で照らされた店内は外と同じ夕暮れの色をいていた。ベルの余韻がまだ残る内に店員がこちらに向かってくる。

「二名様ですか?」

「はい。二名で予約した前口です」

 白いコックコートに黒のソムリエエプロンを付けた店員が二人を奥の席へと案内する。

 少し狭い店内を通る時に周りを見ると、店員に比べてカジュアルな服に身を包んだ客が目に入る。慶一と百代も普段とあまり変わらない服だった。イタリアンの店はカジュアルな格好でも“らしさ”がでるので必要以上に気を使うこともなく、学生でも気軽に利用出来るのがいい。

 大人になったら大人になったでワインを頼めば、またひと味違う雰囲気が味わえるのも魅力だ。

 店内はイタリアンらしくチーズの焦げる匂いとトマトの臭いが充満していた。この臭いは卑怯だ。メニュー表を見る前からコレを頼めと急かされている気持ちになる。

 それではつまらないとメニュー表を舐めるように見るが、これはこれで種類が多すぎて悩みの種になるものだ。

 こういうときに助かるのがセットメニューだ。エビとトマトソースのパスタに生ハムのサラダと南瓜のスープ。外れもなさそうだが当たりもなさそうな面白味のないチョイスかもしれないが、慶一はこれに決めた。

 慶一はメニュー表を閉じると百代に話しかける。

「百代は決まったか?」

「うーん、もうちょっと。慶一は決まったのか?」

「オレはセットメニューにした」

「そっか、そういう手もあるのか。セット……セットっと」

 百代はページを捲り、セットメニューのところで睨めっこを始める。

「せっかくだから、セットにするより好きなもの頼んだほうがいんじゃねぇか」

「そういうこと言うと、端から端まで全部頼んじゃうぞ」

「イタリアンで満漢全席はやめてくれ……」

 とは言うもののイタリア料理の色鮮やかさは、テーブルにたくさん並べたくなるのもわかる。食材の持つ豊かな色彩の味わいは、和食の淡さとはまた違った良さがあった。

 結局百代もセットメニューにしたらしく注文は一言で済んだ。

「この曲なんだっけ」

 百代は談笑に混ざった店内のBGMに耳を傾ける。

「七フィルのCDだろ。ここら辺りの店じゃよくかかってるな」

 久遠寺森羅の指揮の元で奏でられる見事なアンサンブルは、若者を中心に人気が集まり、近年のクラシック音楽のブームに一役買っている。

「そういえば慶一はその久遠寺森羅と知り合いなんだよな」

「顔見知り程度だよ」

「美人な姉ちゃんに会いたいな―、会いたいな―」

 百代はわざとらしく何度もチラチラと慶一の顔を伺う。

「七浜コンサートホールに行けばグッズが売ってるぞ」

「ガクトじゃないんだから写真なんかじゃ満足できないぞ」

「ガクトだって写真で満足したいわけじゃないと思うけどな」

 話していると料理が運ばれてきた。調理が早いのは生パスタを使っているからだろう。

 慶一は早速パスタにフォークをいれる。

 エビの身が歯と歯の間で噛み切られると、プリっとした身が舌の上に転がる。次の咀嚼するための一噛みでエビ特有の甘みと海の香りがトマトの酸味と交じり合った。複雑なようで単純な味は生パスタによく絡んでいた。

 慶一のサラダにフォークが二刺し、引き上げる時には皿の上の生ハムは全てフォークに捕られていた。

「おお! 生ハムのサラダも美味しいなぁ」

 サラダを口に運んだ百代は頬を緩ませて咀嚼していた。

「生ハムサラダの生ハムを全部食われたら、もうただのサラダだよ。あぁ……、オレの生ハム……」

 申し訳程度に生ハムの欠片が残っているサラダは、オリーブオイルがやけに寂しそうにテカってる。

「ほら、私のやるから。あーん」

 慶一は口を開けるが、なかなかサラダが入ってこなかった。

「くれるなら早くくれよ」

「いつもは私があーんされてるから、食べさせるのがなんか新鮮だなーって」

「そっちの新鮮はいいから、新鮮な野菜をくれ」

「わかったわかった、ほら」

 少し強引に口の中にサラダを詰め込められる。

 オリーブオイルだけがかけられているサラダは、生ハムの塩気だけで十分美味しかった。むしろ野菜の青臭さを消して甘みを引き立てている。

「つーか同じサラダなんだから、オレの食べる必要なかっただろ」

「人のだと美味しく見えるからしょうがないんだ。これは人類が生まれてきてからずっと抱えてきた問題だからな」

「そんなに根が深いとは。どうりで世の中から不倫がなくならないわけだ」

 

 

 慶一は人生の岐路に立たせれている。

 食事を終えた後に雰囲気だけ味わおうと中華街に足を踏み入れたのが間違いだった。

 薄い皮を身に纏った海老の身が、明かりをつけた提灯のように赤色に透けている。もう一つ薄い皮をゴツゴツと広げた豚ひき肉は、今にも肉汁が溢れ出てきそうなほど脂で透けていた。

 右には海老シュウマイ、左には豚シュウマイ。

「いっそ両方くだ――」

 慶一が店員に頼もう腕を伸ばすと、百代がその腕を掴んで止める。

「甘やかし過ぎはダメだ」

「でも、一子なら二パックくらいならお腹いっぱいだったとしても食べられると思うんだ」

「食べる食べられないの問題じゃないだろ。本当ワン子の事になると無限の甘やかしが発生するな……」

「くっ……。それじゃ半分ずつ入ってるやつ一パックなら」

 歯を食いしばった慶一は、すがりつくような目で百代を見る。

「お土産買うくらいでそんな情けない顔するなよ。精神的に優位に立てなくなってきたのは慶一に問題がある気がするぞ」

 なんとか百代を説き伏せた慶一はシュウマイを買うことに成功した。

「中華街といえば、知り合いの店に美味いチャーシューが……。帰るか」

 百代の顔を見た慶一は自重して最後まで言うのをやめた。

「たまに見せる慶一のそういうところは可愛くていいけどな」

「それじゃ――」

「さぁ、帰るぞぉー」

 最後まで聞かず、百代は慶一の手を引っ張り七浜駅へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

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