「でよー、こんなでっかい雷魚が釣れたんだぜ!」
キャップが手を広げて魚の大きさをアピールしている。腕を目一杯広げてるのを見ると相当大物らしい。
「そりゃ、良かったな」
「あれー、反応薄いぞ。ゲンさんも今度一緒に釣りに行かね?」
「俺は眠いんだよ。釣りもめんどくせぇ。なんだ、時間が空いたら行ってやる」
キャップが離れたのを確認するとゲンさんは眠りに入ろうと身を縮めるが、入れ替わりに大和がやってきた。
「ゲンさんゲンさん。そろそろヤドンとカリンが脱皮しそうなんだよ」
「それをオレに言ってどうするんだよ。まぁ良かったな、直江が寮にいない時はちょくちょく様子を見に行ってやるよ」
「ありがとうゲンさん。それで――」
「わかってる。脱皮始めてたら連絡してやるよ」
そう言いゲンさんは机に敷いた腕に顔を埋める。
その頭を影で浸すのは慶一だった。ゲンさんの前の席に腰掛けると呟くように言葉を出す。
「七浜って一人で歩くのと二人で歩くのって結構町並み違って見えるよな」
「まぁ、歩く速さが違うとそういう気持ちになるかもな」
「そういうことか、歩幅が違うもんな」
「つーか、いちいちオレに報告するな、うぜえ」
眠たそうに目を細めていたゲンさんが面倒臭そうに顔を歪めている。
「キャップと大和が逐一報告してるのを見ると、オレもそうした方がいいのかなって」
「これ以上面倒見なくちゃいけねぇ奴が増えてたまるかよ。まぁなんだ、話しくらいは聞いてやる」
「キャップと大和がゲンさんに懐く理由がわかってきた。男でも女でもツンデレってポイント高いんだな」
「誰がツンデレだ! 他に用がないならオレは寝るぞ」
キャップに話しかけられ、大和に話しかけられ、慶一に話しかけられたゲンさんはようやく机に突っ伏すことが出来た。
慶一もこれ以上睡眠を邪魔するのも悪いと思い、音を立てないように静かに席を離れる。ゲンさんの席からそう遠く離れていない一子の席では同じように机に突っ伏している一子がいた。
「珍しいな、空き時間なのにトレーニングしてないって」
「わうぅ、お腹が減ったわぁ……。お昼までエネルギー使わないようにしなくちゃ」
「早弁でもして英気を養うってわけにはいかんのか?」
「夏休みに向けて無駄遣いしないようにしてるのよ。今お弁当を食べて学食のお世話になるわけにはいかないわ」
胃の中が空っぽなのを主張するように一子のお腹が鳴る。グルルと言う犬の威嚇のような音が次第に大きくなっているように錯覚したのは、目尻に涙を浮かべて我慢をしている顔を見たからだろう。
見るに見かねて慶一は自分の鞄から弁当を取り出す。
「そんなに腹減ってるならオレの弁当食うか?」
「いいの!?」
「しっかり食って、ちゃんと授業受けろよ」
「了解よ! いただきまーす!」
一子は弁当のオカズを箸で摘むと言うよりも、箸で放り投げるように口に運んでいた。
「この様子を見ると、一日食事を抜いたら死にそうだな……」
「ワン子ならありえるかもね。慶一は昼どうするんだ?」
慶一が一子に弁当を渡しているのを見ていた大和が慶一に尋ねた。
「学食で済ませる。依頼の食券余ってるしな」
「なら、ワン子に食券渡せばよかったのに」
「学食も美味いけど、どうせ食べるなら体に良いもの食わせたいし。夏だから基礎体力上げようとトレーニングしてるのを見ると尚更な」
慶一は栄養面が良くも悪くもない学食のメニューを思い出しながら言った。
「言われ慣れてるだろうけど、ワン子甘やかし過ぎ」
「説教役は任せたぞ大和」
「思ったんだけど、慶一ってワン子に彼氏が出来たらどうするんだ?」
「性格、年収、学歴、借金歴、友人関係、女性遍歴、性的嗜好、家族構成、家族に薬物中毒者がいないか、アルコール中毒者がいないかを全部調べ上げて欠点を探す。少しでも問題があるような奴だったら、この身を悪に売ってでも戸籍を抹消する」
慶一はまくし立てるように言葉を吐き出していく。息継ぎ一つしない物言いに大和は少し当惑の表所を浮かべた。
「け、慶一怖い……」
「流石に冗談だぞ」
「そうは見えなかったけど」
「よっぽど変な奴だったら大和だって止めるだろ?」
幸せそうにお弁当を頬張っている一子を見る。
「そうだな、危ない奴だったら困るし。ワン子ならしばらくはそんな心配いらないだろうけど」
一子が「なんか用事?」と言いたげにこちらを見ていたが、慶一はなんでもないと手を振って答える。
「なんにせよ優しい奴が一番だな」
「さっきまくし立ててた条件にはなかったぞ、それ」
「言うまでもないことだからな」
「一子の彼氏になる男は、慶一のこともクリアしないといけないのか……。相手が大変そうだ」
「人に優しさを見せれないような奴に一子はやれん!」
放課後を知らせるチャイムが鳴り、慶一は階段を降りて生徒玄関へと向かう。
靴を履いて数歩のところで、生徒玄関の向こうの影が見える。人力車の傍らで仁王立ちしている姿は直ぐに誰だかわかった。
「フハハハ! 待っておったぞ慶一!」
「約束した覚えはないぞ」
「ディナーに誘おうと思ってな」
慶一は考えたが、やはりそんな約束をした覚えはなかった。英雄の気まぐれだろか。わざわざ夕飯に誘うのは珍しいことだった。
「なんかあるのか?」
「友とディナーを共にするのに理由が必要か。否! そんな物は必要ない!」
「そりゃそうだろうけど」
どうにも慶一は腑に落ちなかった。
「我と食事をするからといってそう恐縮するな、面を上げい!」
「オレの方が少し背が高いし、むしろ頭が高いって感じがするけど」
「ごちゃごちゃ言ってると、全身の毛を剃り落としますよ♪」
気づけばあずみが手に持ったくないで慶一のわき腹を牽制している。少し動けばチクっと痛みがきそうなほど体に触れていた。
慶一は痛みの元をひきつった顔で見る。
「あずみさん……ディナーの誘いに脅しはないでしょう」
「今日、川神院で食事を作らないことは確認済みです。英雄様の好意を無下にするなんて、人の気持ちを察するのが得意な前口様がなさるわけないですよね!」
あずみの笑顔には有無を言わさない力があり、慶一は為す術なく頷くしかなかった。といっても予定と言った予定はないので支障はない。
「わかりましたけど、一応川神院に連絡しないと。オレの分まで夕飯用意されたら悪いし」
「安心してください! すでに連絡済みです」
手回しが早いというよりも根回しが早かった。
「そうと決まれば慶一! 人力車に乗れ! 特別に我の隣に腰を下ろすことを許可する」
「コレに乗れってか……」
百歩譲って車夫衣装の男に引かせているならともかく、メイド服を来た女性に引かせている黄金の人力車は摩訶不思議な和洋折衷を醸し出している。これに乗ると言うことは世間の目は変人扱いな訳で。富良野は寒い訳で。
「つべこべ言ってるとオマエの下半身だけが人力車に乗ってるところを、上半身だけのオマエが見ることになるぜ」
「前口慶一乗ります!」
慶一はあずみに敬礼を向けると、人力車の泥除けに手をかけて座席に座る。思いの外良い乗り心地だった。
「我の隣に座れることを光栄に思え」
「二人で乗るには幾分狭くないか?」
「フハハハ! ならば落ちることがないよう、我が肩を抱いてやろう」
英雄はそう言うと慶一の肩に腕を回し「行け! あずみ!」と号令をかける。一度軽く体が揺れると人力車は直ぐにスピードに乗った。あずみの力量が大きいのだろう。自転車より早く自動車よりも遅い、端から見たら乱暴な運転は乗ってみたら意外に快適だった。
「そういえば何処に行くんだ?」
「フルコースでも馳走してやろうと思ってな」
「英雄はいいかもしれないけど、俺は学園の制服だぞ」
「我と一緒なら服装は気にしなくてもよい。だが、そう言うならスーツでも買うてから行くか」
英雄があずみに声をかけて道を変更しようとする。
「いいって、一食の為に無駄な出費してたまるか」
「心配するな我持ちだ」
「尚更遠慮するっつーの!」
「ならば、あずみ! 慶一の分の執事服を用意せよ!」
あずみの返事が聞こえると、いつの間にか慶一の膝の上に綺麗に畳まれた執事服が置かれていた。人力車は風を切っているはずだが、どうやって用意したのだろうか。
「執事服って……。まぁ、制服で食うよりましか」
夕焼け始め、英雄との早めの食事を終えた慶一はリムジンで川神院へと送られていた。
「仕事で忙しいところわざわざすいませんね、クラウディオさん」
慶一は着慣れない執事服のせいできつく感じる首元に、人差し指を入れて広げながら喋る。
「いえいえ、英雄様の御友人を送り届けるのも立派な仕事です」
「それでも今は源氏組のことや紋白のことで大変でしょう」
学生の身としてはリムジンもどうかと思うのだが、人目に晒されている人力車に比べれば車内は気楽だった。
「大変だなんて、学生のパワーを貰って私も若返りそうですよ。時に私はふくよかな女性が好みなのですが、もし食料品店や飲食店がなくなったら慶一様はどうなさいますか?」
「ふくよかじゃなくても、食べ物なくなったら死活問題ですね。そこら辺の野草や動物でも捕って食べさせますかね」
「おや、慶一様は狩りがお得意で?」
「やったことないからわからないですね。狩猟免許も持ってないですし。でも、ワニとかラクダとかじゃなければ、大抵は捌けますね」
初めての解体の体験は鶏だった。その前に魚は捌いていたのだが、その姿であまり店頭に並ぶことない鶏を捌くのはショッキングなものだった。それでも魚を捌くよりも命を食べるということを意識させられた出来事だった。それから豚、牛。今後調理する機会がないかもしれないが鹿、猪、鴨など講習を受けに行った。
「その若さで珍しいですね。立派なことです」
「自分が普段食べてるものは知っとく必要があると思いましてね」
携帯が震えたので確認すると、ゲンさんからの電話だった。慶一はクラウディオに一言断りを入れると電話にでる。
『もしもし、どうした? オレに電話なんて珍しいな』
『仕事帰りにケーキをたくさん貰っちまってな、寮に食べに来ないか?』
『ケーキ? なんでまたオレなんだ?』
『いや、来ねぇならいい』
『折角だから行くかな。でも、ちょっと――』
遅くなると言いたかったが、慶一が言い終える前に携帯の充電が切れた。
ゲンさんからの連絡自体珍しいが、ケーキくらいのことで電話が来るのは初めてじゃないだろうか。慶一は物珍しさから島津寮に寄ってみることにした。
「すいませんクラウディオさん。次の十字路を右に曲がってもらえますか? 島津寮に用事が出来たので」
「わかりました。島津寮への道は覚えておりますので大丈夫ですよ」
島津寮に近付くと、あることを思い出した。
「そう言えば、この執事服どうすれば」
慶一は未だに着ている執事服を指して言う。
「そのままお召になっていただいて結構ですよ。慶一様なら悪用することもないでしょうし、次から九鬼に来る時は着て来てはいかがでしょうか?」
クラウディオは「料理で制服が汚れても大変ですし」と一言付け足すと、クリーニングに出したように綺麗になっている学園の制服を慶一に渡す。
「なし崩しに執事にさせられそうですね」
「そうなれば、私は揚羽様や紋白様に褒めていただけたかもしれませんね」
そう言って笑うクラウディオに礼を言うと慶一は車から降りた。
降りて直ぐ島津寮に顔を向けると、ゲンさんが玄関の前に立って待っているのが見えた。
「いきなり電話切りやがって、なにかあったじゃねぇかと思ったじゃねぇか」
「わりぃな。充電切れちまって」
「充電くらいちゃんとしとけ」
中に入ると、島津寮組のメンバーは皆揃っていた。
「あれ? 皆いるんだな。てっきり数が少ないから呼ばれたんだと思ってた」
慶一の言葉に反応する者はいなく、皆慶一の方を向いて固まっている。均衡を破ったのはキャップだった。
「モモ先輩と付き合ったと思ったら、今度は就職先まで決めてきたのか? オレに負けず劣らずの風のように素早い行動力だな!」
「違う違う」
慶一が事のあらましを説明すると、ゲンさんが小さく言葉を漏らした。
「ちっ、あの野郎。どこで知ったんだ」
「どうかしたか?」
「なんでもねぇよ。ほら、茶だ」
「お、おう、ありがとう」
ゲンさんが淹れてくれたお茶はケーキに合わせて渋めになっていた。
「ケーキと言えばイチゴのショートだな。異論は認めん!」
目を輝かせたクリスがショートケーキを見ながらはしゃいでいる。
「オレはレアチーズが好きだな。上に何も乗ってないシンプルなやつ」
「うーん、確かにチーズケーキも美味しいな」
「少し食べるか? クリス」
「いいのか!?」
慶一が頷くのを見ると素早くケーキにフォークですくった。
「やっぱりケーキはレアチーズ!」
「その鞍替えの速さだと、クリスは戦国時代行っても生き延びれそうだな」
「慶一にも自分のケーキを一口あげるぞ」
「え? それこそいいのか?」
「今日は気分がいいから特別だ!」
食べてみるとケーキは相当美味しかった。箱を確認すると最近川神に進出してきた有名店のケーキだった。
美味しいケーキに舌鼓を打ちしばらく続いた談笑に区切りをつけると、慶一は立ち上がる。
「それじゃ、オレはそろそろ帰るぞ」
「おう、気をつけて帰れよ」
何故か最後まで玄関まで見送りに来てくれたゲンさんに別れを告げると、夕焼けが終わったばかりの道を歩いて行く。
川神院に着くなり百代が飛びついてきた。
「執事服でお帰りか。なんだかポイントがぐっと高まるなぁ」
「主を持たないさすらいの執事です」
「それ執事じゃないだろ」
「それにしても百代はいつも通りで安心するな」
少し体勢を変えて慶一は百代を正面から抱きしめる。とても武道をやってると思えない細い腰を引き寄せると、百代の匂いが強くなった。
「なんだなんだ? 少し私と会えないくらいで寂しくなったのか?」
「なんか皆が変に優しかったから、オレもうすぐ死ぬんじゃないかと思って」
「どこをどうとったらそういう結論に行き着いたんだ……」
「映画とかで癌の宣告された主人公に皆が優しく接する描写とかあるじゃん。まぁ、オレは病院行ってないから関係ないんだけど」
特にゲンさんと英雄の優しさは不自然な程だった。
「それじゃ、慶一に何が起きても対処できるように私が近くにいて添い寝をされてやろう。無論その執事服でな!」
「いいけど、執事服で寝るのは肩が凝りそうだ」
「とうとう川神院にも執事がきたか。メイドじゃないのがちょっと残念だけど、慶一なら執事服も悪くない」
「執事ねぇ……。飯作って、茶淹れて、境内の掃除して、客人元い観光客の相手して、最終的には百代のわがままを聞くと……。これっていつもと何処か変わったか?」
ゲンさんと英雄。不器用な男達の慶一への優しさは、この後もしばらく続いた。