真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第五十五話

 揺蕩う身体は波まかせ。夏の陽を受けて蕩揺している藍色の海原を流木の様に身を任せる。

 額に滲む汗は溜まり流れて、こめかみを擽るように垂れていった。

 他の生徒達がしているみたいに水とは格闘しない。

 慶一は仰向けに寝転び水に抱かれ、無風地帯に飛び出した帆船の様に長閑に浮力を感じていた。

 横を追い越していく者が作り出した飛沫がかかり少し顔をしかめるが、光線のような真夏の太陽を浴びるとそれもどうでもよくなる。

 唇を舌で拭うと、カワハギの肝醤油と海水の仄かな塩っぽさが口の中に広がった。

 幾許かのゆったりとした時間を楽しむと、船の上から声が聞こえる。

「コラーッ前口! しっかりと泳げ!」

 梅先生からの叱責を受け、再び足をばたつかせ波を掻き分けて対岸へと泳ぎを進める。程なくして梅先生が乗っていた船と入れ替わるようにもう一つの船がやってきた。

「なに小島先生に怒られてやがんだ。うらやましいぞ」

「宇佐美先生だっていつもウメ先生に怒られてるでしょうに」

「オジサン怒られるつーよりも呆れられてるから……」

「それより、その船には宇佐美先生一人?」

 船の上をぱっと見渡すが、宇佐美一人の影を落としているだけで他は見当たらない。

 それならば取引で船に乗せてもらおうと、持ちかける話を考えるが、慶一が考えつくよりも早く宇佐美が船室を指さしながら言った。

「そんなわけないだろ。オレがここにいるのに誰が船運転してると思ってんだ」

「そうそう、だめだヨ慶一。宇佐美先生に頼んで船に乗ろうとしているんだろうけド、余力があるうちは頑張って泳ぐんだヨー」

 ルーが操縦席から顔だけを覗かせた。

「というわけだ。まぁ、ルーが乗ってなくても、彼女が出来たオマエにかけてやる情けはねぇ」

「年下の、それも学生に嫉妬するとは……」

「悔しかったらオレと小島先生が上手くいくよう祈ってろ」

 人任せな神頼みとエンジンの音を残して船は行ってしまった。

 左右交互に肘を宙に晒し指先から水入する。波に抗い大げさに飛沫を上る。数十メートル泳いだところで船が見えなくなったのを確認すると、再び背中に浮力を感じるように仰向けになり目をつぶって浮かぶ。

 今度はゆっくりとアメンボが水面を移動するように手を動かす。波に合わせ身体が浮いたり沈んだりする予定が、思ったよりも浮かばず変だと思い目を開けると、百代が丸太に両腕を乗せて休むように上半身を慶一の胸元に預けていた。

「美少女参上だにゃん」

「あれ? まだこんなところ泳いでたのか?」

「いいや、慶一を見かけたから飛んできた。とっくに泳ぎ終わってまったりしてたぞ。まぁ、ヒュームさんには負けたけどな」

「そういえばあの人も学生だったな。それも後輩……」

 意外に馴染んでいるので違和感は薄かったが、思い出すとあの年で宿題とかやるのだろうかと、そんなことばかりを考えてしまった。

「モンプチの護衛だしな。それより、こんなところで浮かんでないで早く岸まで泳げよ。もう少しだぞ」

 辺りを見回すと、いつの間にか人の影が見えるくらいに岸に近づいていた。

「ってことは、ほとんどゴールしたのか?」

「まだ、結構残ってるな。ファミリーで言うと大和にモロ、後ガクトもゴールしてないな」

「ガクトもか? 珍しいな、張り切りどころなのに」

 せっかく普段から鍛えてる筋肉をアピール出来る場だというのに、似つかわしくなくまったり泳いでいるらしい。

「ガクトのことだろうし、女子の泳ぐ姿を後ろから鑑賞するためにゆっくり泳いでるんだろ」

「せっかくのモテるチャンスを自らふいにするとは、らしいやつだな」

「もし慶一がガクトと一緒だったら海の藻屑にしているところだ」

 百代が足を交互にバタつかせる度に、柔らかく弾む乳房が慶一の胸の上で形を変えていた。

「そんな心配されるほどスケベなところは見せてないハズだけどな。それにしても、人が上に乗ってても意外に泳げるもんだ」

「泳いでるの私だけどな」

「オレと百代は一心同体ってことで」

 百代が慶一の胸に腕を置いてその上に顎を乗せ、ラッコの子供のように上に乗っている。慶一は浮いているだけで、百代が水を蹴ると飛沫を上げて身体は前に進んでいった。

「とうちゃ~く」

 百代はそう言うと岩場へと飛び乗る。慶一も足場になりそうな手頃な岩を探し足をかけて上った。

「いやー、疲れた疲れた。水上体育祭の締めに遠泳するなんて考えた奴のオカズを減らしたくなるな」

 水から上がったばかりの重量感と疲労感で、未だ水の中にいるようだった。慶一は岩肌でも気にせず寝転がろうとしたが、百代に強引にストレッチをさせられる。

 片足を抱えるように寝て、腕の力で足を胸に引きつけるように腿を伸ばす。

「こらっ、もっとしっかり伸ばせ」

「元々体が固いんだよっ。つーか、なんでわざわざ疲れることをしなきゃならんの……だっ」

「前の東西交流戦の時、次の日に辛そうにしてただろ。しっかりクールダウンしとけ。ただでさえ運動不足なんだからっ!」

 慶一がしっかりと腿を伸ばしていないのを見抜き、百代が体重をかけるように足を押す。力の入れ加減が絶妙で痛みを感じる一歩手前だった。

「痛くはないけど苦しいぞ」

「無駄口を吐いてる暇があったら、筋肉を伸ばしてる間は息を吐け」

 肩と腕と腿のストレッチを十五秒から三十秒感伸ばすのを数セット続けさせられた。

「かえって疲れたような気がしないでもないな」

「文句が多いやつだなぁ」

「そうだよ。モモちゃんが前口君の為を思ってしてくれてるんだし、感謝しなきゃダメだよ」

 ひょこっと現れた清楚が、顔に微笑みを浮かべていた。髪の乾き具合からして慶一より早く遠泳を終えていたようだ。

「文学少女侮りがたし」

「え? え?」

「葉桜先輩なら最後尾あたりをウロチョロしてるもんだと」

「それは侮りすぎだよ。これでも九鬼のカリキュラムで鍛えてるんだからね」

 清楚は力こぶを作るように肘を曲げるが、細い腕は細いまま太陽に照らされていた。

「腕の筋肉を出すならこれくらいはないと」

 慶一が同じように肘を曲げると、程よく固く締まった筋肉が顔をだした。

「思ったより鍛えてるんだね。そっちの方が驚きだよ」

「これが鉄鍋を振るう料理人の筋肉です。まぁ、腕だけなんですけどね。それもガクトみたいのが近くにいたら霞む程度の筋肉ですし」

「それくらいの方が前口君らしいかも。あんまり筋肉がモリモリしてるよりもいいよ」

「そういえば川神先輩に限らず、武士娘は強いわりに筋肉って感じしないよな」

 慶一は横にいる百代を見ながら言った。純粋な腕力だけでもトップクラスなのに、腕も脚も腰も女性らしく細くおさまっている。

「美少女だからな」

「でも――」

「美少女だからな!」

「……女体の神秘ってことにしとくよ」

 有無言わさずの迫力に圧されてしまった。

 しばらく三人で話していると、百代が慶一にタオルをかける。背中に柔らかい布地を感じると太陽とは別の温かさが体を包む。

「なんだ突然」

「別にぃー」

 その様子を見て清楚が目を細めて、ただくすくすと笑っている。慶一には何がそんなにおかしいのかわからず、清楚の笑顏をじっと見ているだけだった。慶一の視線に気づくと、弟の悪戯を見つけた優しい姉のような笑顔のまま百代を見た。

「さっき私が前口君の腕の筋肉に反応したから隠したいんでしょ? ね、モモちゃん」

「はーい、今から清楚ちゃんのおっぱい揉みまーす!」

「ひゃあっ、ちょ、モモちゃん」

 清楚の芳醇に実った育った二つの肉丘は水着の上から揉まれ、百代が手を動かす度に目の前でたぷたぷと揺れていた。

「波に揉まれた後は川神先輩に揉まれるとは、葉桜先輩も大変ですね」

「えぇ? 助けてくれないの!?」

「オレは既に社会の荒波に揉まれてますから」

「意味がわかんないよーっ!」

 

 

 慶一はその状況をしばらく放っておいてから、百代を清楚から引き剥がした。慶一の力でも直ぐに剥がせたということは、それほど固執していなかったのだろう。

「もうそろそろ照れ隠しもいいだろ。葉桜先輩も困ってるし」

「あー……清楚ちゃん」

「あーじゃないよモモちゃん。前口君も助けてくれるなら、もう少し早く助けてくれてもいいのに」

 本人は恨みがましい顔をしているつもりなのだろうが、どっちかというと目を潤ませて泣きそうな表情に見えた。

「なんか突然今日の晩飯のことが気になりまして、疲れた体で何を作ろうかと」

「人が薄情になる瞬間を初めて見たよ……。でも、助けてくれたってことは何を作るか決めたの?」

「消化がいい、体力の消耗を回復するためよく煮込んだ魚や肉料理にでもしようかと。主に自分の為に」

 冬だったら肉と野菜たっぷりの鍋を作るのだが、肉じゃが系にしようかブリ大根系にしようか悩みどころだ。

「私はハンバーグが食べたいぞー」

「ハンバーグね……。ハンバーグ自体も消化にいいし、煮込みにして野菜も取るかな。それなら帰りにレバーを買いに寄らないと」

「レバーなんて何に使うんだ?」

「答えは簡単。オレが川神院で使うひき肉料理には全てレバーが入ってるから」

 慶一はおどけるように手を左右に振りながら答える。

「なん……だと……。今まで全然気づかなかったぞ」

「臭みは可能な限り取ってるからな。脂質は消化吸収速度が遅いから、取り過ぎないように気を付けてるんだよ」

「凄いね。九鬼に負けじ劣らずの栄養管理してるんだ。他にも気をつけてることあるのかな?」

 感心する清楚に気分が良くなった慶一は、清楚に向き直し話し始める。

「毎日朝から晩まで作ってるわけじゃないんで、オールマイティーに栄養が取れるように一品のカロリーは少なく、小鉢で種類を多く食べさせるようにしてますね。皿が多いと箸を伸ばす回数も多くなって、自然と噛む回数も増えますし。葉桜先輩の好きな杏仁豆腐も果物の栄養が沢山とれるのでいいですね。牛乳の代わりに、アーモンドと水をミキサーにかけて絞ったアーモンドミルクを使うと、ビタミンEと食物繊維も豊富に取れるしコレステロールもゼロで――」

「おぉ……なんか前口君いきなり饒舌になったね」

「慶一に料理の話でうかつな質問はダメだぞ。前にカレーが晩飯に出た時、ワン子の質問で一時間以上説明されたからな」

「でも、男の子が夢中で話してるところは結構可愛いよ」

「ん? それって」

 百代が清楚の顔を見直した。百代が何かを言う前に、清楚は慌てて言葉を付け足した。

「あっ! 違うよ、そういう意味じゃなくて、男の子は何歳になっても男の子なんだなぁって」

「オレの料理講座の途中なのに、別の話で盛り上がるとは……」

「いやいや、そもそも始まってないからな」

 百代は呆れたという風に肩をすぼめる。

「人間なんでも饒舌になるものがあるんだよ。大和のヤドカリ然り、モロのパソコン然り、まゆっちの松風然りな」

「最後のはちょっと違うだろ」

 

 

 水上体育祭も終わり、夕焼けの中ファミリーは帰路に着く。

「そういえばガクトはいつ頃遠泳ゴールしたんだ?」

「ヨンパチと一緒だったから最後も最後、どん尻よ」

「ふーん」

 慶一の気のない返しにモロが反応する、

「あれ、聞いといてそれだけなの?」

「ガクトとヨンパチが一緒だったってだけで答えが出てるようなもんだしな」

「あはは、だよねー」

 慶一とモロはどうせエロが関わっているのだろうと思っていた。次のガクトの言葉でやはりそうなのだと、いつも通りのことに呆れる。

「そうやって笑ってるけど、オレ様は絶景を見てきたんだぜ。平泳ぎの女子とか無防備に股を広げてやがんのよ!」

「よくもまぁ、色々考えつくもんだ」

「天才ですから」

 少し前を歩いているガクトがいい笑顔をして振り返ってきた。

「でも、平泳ぎってカエルが泳いでる姿にしか見えないけどな」

「おい、やめろよっ! ネタが新鮮な内に使おうと思ってたけど、もう思い出す度にカエルも一緒に浮かんでくるじゃねぇか!」

 

 

 

 

 

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