生地作りさえ慣れれば、タルト作りの難易度はかなり下がると思う。薄力粉を入れてからは、混ぜすぎないように、でもしっかり混ぜないとグルテンが発生し生地が硬くなってしまう。この、微妙なさじ加減は何回か作ってみないとわからないだろう。
オーブンを開くと、むせ返るよう焼き菓子の匂いが充満している。焼き縮みも起こしていないし、ヒビも入っていない。我ながら上々の出来だ。
「よし」
「よし。じゃねぇよタコ。夜中に電話してきやがって、おかげで今日は寝不足だぞコラ」
「それでも、ちゃんと調理場貸してくれるんだから、あずみさんは優しいですよね」
「揚羽様のお気に入りじゃなければ、全身の皮剥いで吊るしてやるんだけどな」
「一応、小十郎さんには使っていいって言われてはいたけど。許可取り忘れてたら困るから連絡したんですけど……無駄でした?」
「いや、いい機転だったぜ。許可入ってなかったからな。大方、揚羽様に何か頼まれて忘れてたんだろうよ」
この調子じゃ小十郎さんは、まだ揚羽さんに鉄拳制裁食らってるんだろう。変わらない主従関係に何故か安心する。
「ったく、あたいだって忙しいのに、なんでこんなガキの面倒見なくちゃいけないんだか」
「まぁ、流石にオレ一人でいるわけには行かないし、あずみさん以外のメイドから嫌われてるからなー」
「ったりめぇだ。いくら揚羽様のお気に入りだっつっても、基本部外者だからな。それに嫌われてるのは、オマエが味見させまくるのが悪いんだろ。無理なダイエットで体調崩す従者が増えて大変だったんだぜ」
「九鬼の従者が自己管理出来ないようじゃダメですね」
「ホール丸ごと味見させる馬鹿はいねぇよ」
「あの頃は一日で二、三種類作ってたからな。練習中のを九鬼家の人間に食わせる訳にはいかないし。……確かにケーキ丸々一個分くらいの量食わせたかもな。今はそんなことしないのに……」
断れないほど美味しいというのは褒め言葉だが、避けるくらいなら断ってくれた方がこっちも気が楽なのだが、おかげで女性の従者は殆ど寄り付かなくなってしまった。
タルト生地にカスタードクリームを敷き詰め、くし型に薄切りにした白桃、黄桃を交互に外側から横向きに重ねながら並べていく。中心の桃を少し立てて丸め、バラのようにデコレーションして出来上がりだ。
「冷えるまでもう少しかかるから、ピーチティーでもどうぞ」
「料理の手際だけはいいな」
「勉強しないで、料理ばっかり熱心にしてましたしね」
「で、卒業後は九鬼くるのか? その腕、揚羽様のために磨いたようなもんだろ」
「前向きには検討してないかな。ここで働いたら過労死しそうだし」
「最近のガキは本当に根性ねぇな」
英雄がいない通常モードの時でも、口は悪いが動作の一つ一つはとても優雅だった。目で楽しみ、香りを楽しみ、しっかりと味を楽しんでいる。
「確かに料理は、揚羽さんに認められる為に始めたけど、こうやってたまに作りに来るくらいが丁度いいですよ」
「その度に、オマエの監視に借り出されるアタイの身になってみろってんだ」
「てか、あずみさんがオレの監視につくってことは、従者部隊って暇なんですか?」
「オマエが気にせず料理出来るように、少しでも見知った顔つけるように命令されてんだよ! 優遇されてることに気付けタコ!」
色々と優遇されているのは自覚している。九鬼家と言うことで、もちろん様々な調理器具がそろってる。早いうちからそれらを使うことが出来たのも、料理スキルが早く上がったことに影響している。特に包丁は用途によって使い所が違うし、それを全て揃えてるところなど他に無いだろう。料亭でも、実際に使う種類しか置いていない。
「ありがたやありがたや」
「あたいじゃなくて、揚羽様に直接言うんだな」
「そりゃ、もちろん。でも今は面倒見てくれてるあずみさんに感謝を」
「おう。そういう気遣いは大事だぜ」
あずみさんは姉御肌という気質もあり、なんだかんだ言いながらも面倒を見てくれている。九鬼の中ではくだけて話せる数少ないうちの一人だ。
「未だにわかんないぜ。揚羽様がオマエを従者に欲しがる理由が」
「オレもわかんないんですけどね。英雄に気に入られてる理由も」
英雄を紹介されたのは何時だったか。揚羽さんにオレと同い年の弟がいるから会わせたいと言われ、顔を合わせることになった。第一印象は揚羽さんの弟、それ以上も以下も無い。もちろん悪い意味ではなく、あまりにも雰囲気が揚羽さんにそっくりだったのが印象に残っている。
「揚羽さんとはたまに会って色々話して、元気な顔見せ合うのが好きなんですよ。従者になったらその関係が壊れちゃいそうですし」
変わらない人との変わらない会話が好きだ。当然人は年をとったら変わっていく。恋人、仕事、友人関係。理由は様々だろうが変わっていく。だからこそ、何も変わらない時間を過ごすというのがとても大切な時間に感じる。そんないつまでも変わらない安心感を与えてくれる揚羽さんの存在というのは、比べるまでもなく別格なのだろう。
「揚羽様はご老人が好きだしな。そういうオマエのじじくさいところも気に入ってらっしゃるのかもな」
「なんか最近じじくさいばっか言われてるような……」
冷蔵庫を開けタルトを確認してみると、いい具合に冷えていた。この冷え具合ならば、切るときにカスタードクリームも型崩れしないだろう。
「のらりくらり生きてるからだろ。 少しは英雄様を見習って――」
「フハハハハ! 我、光臨!」
「お待ちしておりました英雄さまぁ☆」
ちょうどタルトが冷えたところを見計らって英雄が現れる。冷蔵庫を開けてる時にでも、あずみさんが連絡したんだろう。
「桃の香りがカスタードクリームと混ざり合い、味に奥深さが染み出ておるわ! 日々精進しているようだな」
「まぁな、唯一九鬼に対抗できる武器だしな。錆びつかせたら出入り出来なくなりそうだし」
「殊勝な心がけ、大儀であるぞ!」
「てか、最近働きすぎじゃね? 仕事か学校どっちか休めばいいのに」
「フハハハハ! 心配無用だ! 勉学も職務も軽々こなして見せるわ!」
「さすがです! 英雄様ぁ!」
そういうことじゃないのだが。あずみさんが心配してないし大丈夫なのだろう。人前で弱みを見せるような人間じゃないし、聞いても無駄なのだが、学校に、仕事に、鍛錬にと、やることがありすぎて心配になるのが普通だ。
「英雄様! そろそろ職務に戻る時間です☆」
「オレも用あるからそろそろ帰るよ」
「この次も更なる精進を期待しておるぞ!」
「おいコラ、次また夜中に電話かけてきたら容赦しねーぞ」
あずみさんも、こそっとしっかり釘をさしてから調理場を出て行った。
九鬼財閥極東本部を出て、島津寮へと向かう。日はまだ高く、風景を青々と照らしている。
「遅いぞ! 慶一!」
「どっちかと言うと早いくらいだろ。約束したのは夕方だろ? 今、二時だぞ」
「島津寮は土日炊飯システムだからな、キャップは昼飯作りに来てくれるの期待してたんだよ。ついでにオレも」
「腹減ってだれるくらいなら、自分達で作りゃいいのに。作れる奴いないのか?」
「オレ達のゲンさんがバイトに行ってるからな。大和もオレも食料が尽きてるんだよー、なんか食い物くれよー」
「オマエ達のゲンさんが何者かは知らんが、桃のカスタードクリームタルトがあるぞ。食うのは京が帰って来てからだけどな」
「こんな状態のオレたちに見せ付けるだなんて、鬼畜過ぎるぜ!」
「まぁ、飯作るのはいいけど、材料あんのか?」
「たぶん麗子さんが、冷蔵庫に食料補充しといてくれてると思うけど」
案内され、台所に向かい材料を確認すると、肉に野菜、調味料と揃っているが、ご飯は炊かれていないので、パスタを作ることにする。
お湯を沸かし塩を入れるが、程よく麺にも下味をつけたいので少し多めに入れることにする。
茹でている間に、鍋にオリーブオイルとにんにくを入れ、玉ねぎ、ひき肉、ナスの順に炒めコンソメを加える。ひき肉の色が変わったら、トマトとケチャップを入れる。フードプロセッサーもホール缶も無かったので適当にざく切りにして、鍋の中でつぶしていく。
茹で上がったパスタにかけると、ナス入りのミートソースパスタが出来上がった。
「本当は煮込みたいけど、どうせ我慢できないだろ」
「十分で出来るなんて流石慶一だぜ! そこにシビれる! あこがれるゥ!」
「世辞はいいから、食いねぇ食いねぇ」
「はぁ~、美味かったぜ」
「ほらよ。食後のコーヒー」
「至れり尽くせりだな」
自分の分も淹れ、一息つくことにする。
「始めてきたけど、島津寮って旅館みたいだな」
「温泉も出てるしね。ちなみに2階は女子専用だから勝手に入ると市中引き回しの上、学院校門前に吊るされるから気をつけた方がいいよ」
「京なら、大和来るの大歓迎だろうに」
「そういや、なんで慶一は京って呼んでるんだ?」
ファミリー以外じゃ珍しいぞと風間が疑問を投げかけてきた。
「クラスで最初に仲良くなった大和がそう呼んでたから」
「あー、だからモロのこともモロって呼んでるのか。謎が一つ解けたぜ!」
「あれ? じゃあワン子は、なんで一子なんだ?」
「一子は、大和より先に川神院で世話になってる時から会ってるからな」
「理由があったんだな、ただ慣れ慣れしい奴かと思ったぜ」
「それは、いくらオレでも傷つくぞ。せめて褒め言葉を混ぜてくれよ」
「わかってるよ。京がめずらしく心開いてるからな」
「あれは、大和以外眼中にないだけじゃないのか?」
「いーや、確かに京が大和にべったりなのはそうなんだけどよー。ファミリー以外で会話が続くなんてめずらしいぜ?」
「温泉入りに来たのに、飯作らされてるオレもめずらしいけどな」
笑って誤魔化す風間達と談笑していると、大和の携帯が鳴った。
「後で、姉さんとワン子も来るってさ」
「お? じゃあ、風間ファミリー勢揃いだな」
「今さらっとオレも数に入れただろ」
「いいだろー! いいだろー! いい加減はいれよー!」
満腹になったからなのか、いつも以上に元気に駄々をこねている。
「いいよ。よろしくなキャップ」
「ずいぶんあっさり返事したな。もう少し落とすのに時間がかかると思ってたよ。頑なに断ってた奴とは思えないな」
今まで何度も断る時に助け舟を出してくれていた、大和が驚いている。
「ここのところ、じじくさいじじくさいばっか言われてるから、若者と戯れて環境の変化でもと」
「その考えが、すでにじじくさいような気が……」
「余計なこと言うなって大和! この傾奇者の気が変わったらどうすんだよ!」
「微妙に違うんだけどな。叔父御」
「前口慶一だもんな。そこまで来ると、逆に合わせろよって言いたくなるわ」
「オレとしては、ガクトみたいに名前負けしてるって言われないから助かるけどな」
何気ない時間は何気なく過ぎていく。これから先、大人になっても思い出すことは無いのかもしれない時間だが、一瞬一瞬がとても大切とも思える。そんな時間を過ごしていた。