真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第六十一話

 渓流の流れは早く、苔生す岩にぶつかり蹴散らされた飛沫が白く泡立ち水に色を付けていた。川の両側にある鬱蒼と茂る細い木々の幹が更に細い枝を張り出し、葉の重みに耐えられないかのように川の方向へと傾いている。まるで上空の敵からこの場所を隠すように覆いかぶさり、下にある川の流れを優しく見守るようだった。

 明るくも暗くもない不思議な空間は、まるで空気の色が見えているようだった。葉を透かしたような緑に、上げらた飛沫が作り出す霧のような白を、川面に更に光の川を作る太陽の光の反射が薄く混じり合わせている。

 当然のことだが気体に目に見える色を付けることは不可能だ。それでも、そう錯覚させるくらい確かに生命の色をつけていた。

 木漏れ日の揺らぎに集うように鳥の鳴き声がこだまする中、静かに針が入水する音が紛れる。

 この山で生まれ育った川虫を用いて、この川で生まれ育った川魚を釣る。この場所で異物といえば人間だけだった。

「釣りはあくまで精神鍛錬の一助である。心気を竿頭に注ぎ、異物である自分自身を自然のサイクルに溶けこませる。さすれば、無心の精神は魚の動静を感じ取ることが出来る」

 釣りを始める前の鉄心の言葉だ。

 それから三時間。

 普段ならとっくに飽きて文句を言っていそうな百代だが、水面に垂れた糸が一度も動かなくとも同じようにじっとしていた。

 時間的には昼。そろそろお腹が減ってくるだろうと思い、慶一は鉄心が釣り上げた鮎を焼く準備を始めた。

 鮎のお腹を親指でしごくように押してフンを出して、細かい鱗を取り除いていく。

 川魚は鱗を取らないことが多いが、鱗を取ったほうが歯当たりがいいし、焼き上がりも綺麗になるからだ。

 藻類を食べる鮎は内臓を取る必要がなくそのまま食べられる。普通のサイズのものはそのまま、大きめのサイズのものは小石を飲み込んでいる可能性があるので内臓を取る。

 取り除いてしまった内臓は小石の有無を確認してから、鉄心のつまみ用に苦うるかでも作れば無駄にならないだろう。

 燃えにくいイチョウの生木を少し太めに削り、先を尖らせて長い串にしたものを鮎に串打ちしていく。

 鮎の口から串を刺して、エラの後ろから串先を出し、身を“く”の字にするように持って中骨を縫うようにくねらせながら串を刺し込んでいく。最後に尾ビレの後ろから串先が抜けるように刺す。

 ぬめりを取る前に、手頃な大きさの岩で丸く囲んだ炉に炭を足してしばらく待つ。

 強火になったのを確認して軽く水洗いをしてぬめりを取り、鰭にだけ天然塩を丁寧につける。

 鮎の頭を下にして、串を立てるように遠火で腹からじっくりと焼く。

 音というのは調味料になる。

 絶え間なく続く、優しく唸るような渓流のせせらぎを遠くに聴く。鮎のアク油が串を通り、熱せられた岩にこぼれる激しい蒸発音。身から脂が染み出し燃える弾けるような連続音。

 よだれが溢れてくるくらい、美味そうな音だった。

 よだれ以上に溢れるのが鮎のアク油だ。その為、煤や煙で汚れないように遠火で焼いている。

 垂れ流しのアク油のおかげで、から揚げのように黄金色に焼き目がついていく。

 アク油が止まるとジワリジワリと旨みを含んだ油が出て、灰緑色の皮の上で優雅に沸騰していた。腹が焼けたので、ひっくり返して背側をまたじっくりと焼いていく。

 焚き火のたなびく煙に鮎の焼ける匂いが川面に漂うと、頃合いを見計らった鉄心と百代の二人が戻ってきた。

「さすが香魚と呼ばれるだけあって、たまらん香りじゃのう」

「特にこの時期にいる、夏鮎の適度な脂の乗りがいいんですよね」

 海から戻った夏頃の鮎は、川の石や岩に生えている川藻を食べるため特有な香りがある。特に急激に成長するこの時期の若魚は、骨が柔らかく頭から丸ごと食べることが出来る。

 近くの岩に腰掛けた百代が、待ちきれないと言わんばかりに焼きかけの鮎をじっと見ていた。

「じっくり自然と対話した後は、自然の恵みを美味しくいただくぞー」

「今まで対話してた相手を食うって、非情に聞こえるな」

「これだけ美味しそうな匂いを漂わせてるんだ。鮎も食われるのを待ち遠しにしてるだろ」

「食べ頃はもう少しかな」

 慶一は鮎の尻尾を指でつつくように触って答える。尻尾のあたりの皮が身から少し離れふわっとしたら、そろそろ焼き上がりだ。

 鮎に焼き目が付き、水分が飛んで表面の皮がシワシワになっている。それでもまだ水が沸騰するような音が聞こえるのは、適度に身に残っている水分が柔らかい中骨を煮詰める音だ。そのおかげで中骨はより柔らかくなる。

「美味しく焼けろよー。ついでに、今日の汁物はなーにかっな」

 百代は鼻歌でも歌うようにリズムに乗せて、味噌汁の鍋の蓋を開けた。

「三つ葉と山ウドの味噌汁。味見したら、山ウドの大根とはまた違った風味が美味かったぞ。後はわらびとドライ納豆の和え物と、適当な山菜の煮物」

「なんか川神院にいる時とそこまで変わらないな」

「肉料理がないけどな。あっても挽き肉だけだし。っと、そろそろいいかな」

 皿代わりの割った竹の節と節の間に鮎を置く。思いつきでやってみたが、風韻を感じていいものだ。

 支度を終えると、三人声を合わせて食事の挨拶をする。

 さっそく鮎を口に運ぼうと近づけるが、食べる前に思わず鼻がうごめく。青い匂いというかフルーティというか、スイカやメロンの匂いがするとよく言われるが、なるほど言い得て妙だ。改めて匂いを嗅ぐと、香ばしい焼き香りの匂いで余計に引き立つ。

 焼いたからこの匂いがするわけではなく、釣り上げた時からこの匂いがしている。他の淡水魚の様に生臭くないのだ。鮎ほど天然と養殖でこうまで違いがでる魚はいないだろう。

 ”鮎の塩焼きは頭から食え”なんて言葉があるが、慶一は焦げ目のついた皮がまだジュワジュワと音を手ている熱々の焼きたてを、ふっくらと膨らんだ腹からかぶり付いた。

 歯を立てると、パリパリに焦げた皮が芳ばしい匂いと一緒に崩れていった。直ぐ下の少し固い身は、歯が刺さると脂がプチプチと隙間から跳ねるように飛び出てくる。微かな塩に混じる鮎本来の旨みが上顎を通って舌に垂れてきた。口に入り切る前だというのに、美味なる情報がこんなにあふれてくる。

 中骨のカリッとした歯当たりを感じると、ようやく上の歯と下の歯が合わさる。ゆっくりと口を離す間に、鮎についた自分の歯形のあとを眺めながら苔の移り香が鼻から抜けるのを感じた。

 程よく染みた塩味が淡白なだけではない、ほくほくとした身の甘さを引き立てる。全体に塩を振らなくて良かった。それはそれで美味いが、この甘さに気付くことは出来なかっただろう。

 はらわたのそこはかとない苦味はまた別格な風味を広げ、次の一口をまた楽しみにさせる。

 鮎は背の上部の頭に近いほど多くの脂肪を持っていて、脂肪の下がはらわただ。すなわち、真っ先に齧りついたこの部分が両側を一気に楽しめる所だった。

「夏の味わいだなー」

 思わず慶一は口に出していた。

 咀嚼して中のものを喉へと通し、再び口を開くと新鮮な空気が流れ込んでくる。塩より炭よりも鮎の味を引き立たせているのは雄大な自然美なのかもしれない。

「うむ。自然のなかで食べるとまた格別じゃな」

「最近じゃ水質も良くなって多馬川でも穫れるらしいですね」

「熱帯魚も泳いでいるタマゾン川の鮎はあまり食いたくないのう……」

 鉄心は今まで笑みを浮かべながら食べていた鮎を、苦虫を噛み潰したような顔で見つめる。

「野生の大根とか小松菜とかも生えてるようなところだし、百代にフラレて川神院に居づらくなったら多馬川にでも家を建てるかな」

 慶一の言ったことを、呆れたといったような声で百代が返す。

「それは家があってもホームレスだろ」

「でも、たまに釈迦堂さんとか見かけるけどな。よく鯉とかとってるぞ」

「あの人はなにをしてるんだ……」

 

 

 昼食も終わりまったりとしていると、火を挟んで向かい側に座っていた百代が叫ぶように声をあげた。

「あー、玉子焼きが食べたいぞ―っ!」

「今、ご飯食べ終わったばっかりなのに何言ってんだ」

「毎日ごはんの時にあったから、ないとなんか変な感じなんだよ」

「そういやオレの好物だし、たん白質とれて便利だし毎日作ってたからな」

 山に来てから、日の出を見た回数を数えると七。そうなると、ちょうど一週間食べてないないことになる。

「よし、決めたぞ! 帰って最初に作ってもらうのは玉子焼きにする!」

「甘いのか? それともしょっぱいのか?」

「うーん……。慶一は日によって味付け変えてるからなー」

 百代は腕を胸の前で組み悩むそぶりを見せる。真剣に悩むその姿に、何故か慶一は嬉しさが込み上げてきた。

「いっそ両方作るか?」

「それもなんか違うんだよなー……。そうだ! キスした時の味で決めるか」

「するまでもなくしょぱいぞ。今日は甘いもの作ってないから。オレは食べ物よりも座布団が恋しいかな。そろそろ岩とか地面に座るのも疲れてきた」

 慶一は座ってる岩を叩く。布団もない、座布団もない。ずっと慣れない硬さに身を任せていると、筋肉痛ではない打撲のような鈍い痛みが体に響いていた。

「そうか? わたしは大丈夫だけどな」

「そりゃ、寝る時も座る時もほとんどオレの上に乗ってるんだし、百代は快適だろうよ」

「厳しい鍛錬の合間に体を癒すのにちょうどいいんだよ」

 そう言った百代は向かい側からわざわざ歩いてきて、慶一の膝の上に座る。

「オレも料理で疲れてるんだけどな」

「美少女の温もりで存分に癒やされるといいにゃん。でも、料理する環境が整ってないのってそんなに疲れるのか?」

「ダッチオーブンで大抵は賄えるけど、火加減が面倒くさいし時間かかるからな」

 川神院では火力調節レバーを一回しするだけで簡単に火加減が調節できるが、山の中だとご飯を炊くにしても飯盒全体を炎で包むようにしたり、弱火にするために薪を抜いたりする。

 他の料理の時も薪を増やしたり減らしたり、飯盒の場所を変えるなり、炎の具合をその都度調節しなければいけない。

「確かに大変だな。ご飯を炊いてる間に他のこともしないといけないし」

「料理に使えそうな技とかないのか?」

「あるぞ。気で腕を紅蓮の炎に変化させて攻撃する、川神流炙り肉って技が」

「技名だけは料理に使えそうだけど、攻撃って……。弱火とか出来ないのか」

「出来ないことはないだろうけど、そういう微妙な気の変化って苦手なんだよなー」

 百代は手を握ったり開いたりを繰り返して、何かを確かめている。

「人体発火とか出来れば、手のひらに鍋置くだけで済むのにな。とろ火とかって調節レバーでも結構面倒くさいんだよ。気付いたら沸騰してたりで」

「ずっと片手に鍋持ってるほうが面倒くさいだろ」

「そう言われたらそうだ。それがダメならクッキーの料理専門形態とかないかねぇ」

「とろ火の為にロボを望むとは……。あれ以上クッキーが変形したら大変だろ」

 第一形態の楕円形。第二形態の人型。第三形態のたまご型。クッキーがポロッとこぼした話では第四形態もあるらしい。

「グツグツ煮込むのはいいけど、とろ火で様子を見るって料理で一番暇になる工程なんだよな。洗い物をしてるほうが手を動かす分まだ楽しいぞ」

「まぁ……いつも感謝はしてるぞ」

 照れくさそうに感謝の言葉を述べた百代は、誤魔化すように横を向いた。

 そんな百代の頭を撫でながら慶一も感謝の言葉伝える。

「こっちも美味しく食べてもらって感謝してるよ。でも、そう思うなら感謝のついでに制御できる人体発火を覚えてくれ。既に名前も決めたから」

「気が早いな。こっちは覚えるとも言ってないのに……。ちなみにどんな名前つけたんだ?」

「川神流“我好焜炉(ガスコンロ)”! オレが好きなコンロってことで」

「……そこは素直に瓦斯でいいだろ」

 

 

 

 

 

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