真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第六十二話

 武道の修練とは負ける要因となっているものを除去し、勝てる道理へと自分を導くものだ。

 武道の師とは、弟子の前にあって自己の力量や能力を披瀝し威圧するようのことがあってはならない。それが純粋な腕力だとしても。

 好戦家の威圧とは相手を挑発するものであり、ただ威張りたいが為の自己満足の“威”である。

 変わって、達人の威圧というものは、無用な戦闘を避けるための威光の為の“威”である。

 前者は不自由であり自由で、相手を戦いへと縛りつける。戦いの意味をつけるならば“負けたくない”、“敵を討つ” 戦いの理由はなんとでも自分で付けられる。

 後者は自由であり不自由である。相手には“戦う”や“逃げる”など自由な選択肢を与え、己はその相手の決定に従わなければならない。

 対峙する鉄心と百代。二人の前には、そんな何かを縛り付ける“威”というものがなかった。木々や風と同じように、ゆったりとした空間に佇んでいる。

 鉄心は数十年来の友人に挨拶をするかのように、百代の顔を見ながら歩き出す。老人らしくゆっくりと大地を踏みしめ、景色を楽しみ、第一声の話題を考えているかのように緩慢な足取りだった。

 百代は動くことなく、左腕を前に出して上段に構えて拳を軸に納めている。上段で構えるとは守備重視であるということだ。

 百代が数多くの武道家達を倒してきた技に無双正拳突きという川神流の技がある。

 上段からの攻撃は、肘を伸ばす動作が丸見えになるので、相手に予備動作を感知されやすくなってしまう。

 今までの百代はならば、それを危惧して拳を中段に置く構えをとっていた。拳先を真っ直ぐに最短距離で突き出せるスタイルなので、攻撃一辺倒になりがちな百代の好きな構えだった。

 一歩。また一歩と鉄心が近づくが、構えを下げることなく見据えている。

 言葉を交わすような距離になると同時に、鉄心の拳が百代へと伸びていた。

 百代の手の平に収められた鉄心の拳は音もなく、代わりに足元の砂利が靴裏で擦れる音が響いた。

 鉄心は素早く、追撃される前に拳が届かぬ間合いまで距離を取る。二度三度と同じようなやりとりが行われ、鉄心がもう一撃放とうとすると百代が足の幅を僅かに広げた。

 間合いを変えられた事によって鉄心の攻撃の拳は防御へと変わる。拳撃を受け止めるために、鉄心が重心を低く構えた。

 すかさず、百代は打ち頃に下がった側頭部をめがけて回し蹴りを放つ。

 格闘舞台の平坦なリングだとしたら、次に繋げる一手や決めの一手になり得る事が出来たかもしれないが、問題はここは足場の悪い不整地だということだ。

 蹴りは片足立ちで不安定になりがちであり、鉄心は百代が軸足をついてる砂を足の先を使って掻き出し、少し百代のバランスを崩すことによって蹴りの軌道を変えた。

 が、それだけで。強烈な一撃の風圧は凄まじく、追撃は無理だと悟った鉄心は、間合いを取ることしか出来なかった。

 予測不能の相手の動きに合わせて、次の動きを読みながら自分の動きを作っていく。即興で繰り出される攻防は、まるで演舞のように美しかった。

 それは武に乏しい慶一にも感じられることだった。いつもは百代の戦う姿にあまり興味を示さないが、今回は違った。武に触れてみたくなると感化されるような百代の立ち振舞は、体の奥底を熱くさせた。

 全ての動きを目で追うことが出来なくても、一挙手一投足が直接に脳に映し出されるような感覚。

 言葉にすれば「凄かった」の一言に収まってしまう。寝て起きた後の夢の内容を人に伝えたいのに、上手く説明できないもどかしさに似ていた。

 いつものように気を放つわけでもない、爆煙が上がるわけでもない。視線を釘付けにされるのは、ただただ純粋な人の動き。

「昼食の用意が終わったら、間に入って止めに来てくれないかのう」そう言った鉄心の言葉を、慶一は実行出来ないでいた。

 以前のような、もしかしたら巻き込まれてしまうのではないかという怖さからではなく、この空間を邪魔してはいけないような気がしたからだ。

 それでも足を一歩前に踏み出すと、蹴られた小石が音を立てて他の小石にぶつかりながら転がっていく。戦っている二人放つ音よりも、自分の出している雑音の方がやたらと大きく聞こえた。

 慶一の存在は目に入っていたのだろう、少し近づくだけで戦っていた二人の動きが止まった。百代は鉄心と同時に拳を下げると、慶一の元まで歩いてきた。

「どうした? おっ、ご飯だな!」

 鼻を鳴らし慶一の服に付いた料理の匂いをかぐと、百代が穏やかな顔で笑う。

「あっ……。いや、まぁ……」

「なんだよー。歯切れが悪いなぁ」

 タオルを渡す前に百代の額に右手を当てる。しっとり汗ばみ、少し熱を帯びているが。それは体を動かした熱であって、自分の額に当てた左手に感じたのと然程変わらないようだった。

「うーむ……」

「よくわかんないけど、慶一の手はひんやりして気持ちいいなぁ」

 洗い物終わりの慶一の冷たくなっていた手を掴むと、百代は頬に擦りつけて涼をとっている。

 百代にタオルをかけるが頬に手をつけたまま動く気配がないので、拭いてやることにする。首元の汗を拭いていると、鉄心もこちらにやってきた。

「今日の昼ご飯はなんじゃ?」

「昼ごはんはさっき食べたでしょう」

「そうだったかのう……。ってワシはボケとらんわ!」

 鉄心にもタオルを渡すと、さっきまで作っていたメニューを思い出しながら慶一は言う。

「今日は山菜の炊き込みご飯に、山菜と肉団子との煮物、ウドの皮のきんぴら、ウドの味噌和え、山人参の葉のお浸し、赤ミズの味噌汁ですよ」

「なんとも山菜尽くしじゃな」

「そろそろ持ってきた乾燥野菜もなくなってきましたからね。節約です」

「んっ、明日の朝には山を降りるから、もう気にせんでよいぞ」

「また、随分急に決めましたね」

 昨日、今日の朝とそんなことは一言も鉄心の口から出ていなかった。

「それだけ収穫があったということじゃよ」

 鉄心の言葉を聞いた慶一は百代を見た。すんなり戦いを止めたことも驚いたが、その後になんの文句も言わなかったことの方が驚いた。

 以前ならば、鉄心や燕など強者との戦いを邪魔されると烈火の如く怒っていた。少なくとも、今のように直ぐ目を細めるようのことはなかった。

 慶一の視線気付いた百代が目を開ける。

「なんだ? じっと見過ぎだ」

「いや……。お疲れさん」

 慶一が頬につけていた手を頭にずらし撫でていると、背中に百代が飛び乗ってきた。

「疲れた私は慶一に運んでもらうぞー」

「ほっほっほっ、ワシも慶一に運んでもらうことにするかのう」

「嫌ですよ」

「考える間もないとは……」

 昼食も終わり一休みを取ると、鉄心と百代は再び組手をする為にさっきの場所に戻っていた。

 百代が準備運動をしている間、鉄心は戦いの軌跡を眺めている。

(年甲斐もなく歩きまわってしまったわい)

 百代が立っていた場所は周辺だけ荒れ、鉄心がいた場所には移動した荒れの形跡が多く見られた。

 勝ち負けがつかない組手だとしても、百代によって鉄心が無駄な動きを強いられたことになる。

 この跡は、百代が攻撃一辺倒ではなかったことを示していた。

「朝は調子良かったからな。よーし、いくぞじじい!」

 百代は掛け声を出すと、対峙する間もなく鉄心に突っ込んでいく。

「甘いわい!」

 百代の攻撃をいなした鉄心は素早く間合いへと滑り込み反撃へと転じた。

(ご飯を食べたらいつものモモに戻ってしまったのう……。まだ安定とは言い難いが、まぁ片鱗が見れただけども良しとするか)

 

 

 山の夜は深く暗く、光がないと動くことが出来ない。足元を照らしてくれたランプを岩肌の出っ張りに掛ける。湯気のせいで滲んだ明かりは僅かに温もりを感じさせる。

 あふれだす温泉の湯が空気に混じるゴボゴボという音が高く響いていた。

 ジャブジャブとお湯を掻き分けて縁まで歩いて行き、湯口の側で体を沈めると、少しの間秘湯の風雅に浸る。

 慶一の太腿に尻を乗せた百代が、お湯を二の腕から肩へと擦り付けるように手を動かしていた。

 さらさらとした温泉で身を合わせるだけ。時折唇を合わせるが性交の類はない。湯の溶けるような丁度いい温度が心地よく、身を任せるように肌を合わせるだけで二人は満足していた。

 どちらかと言えば、湯上がりに肩から抱きしめると香る温泉の匂いの方が沸々と性欲を刺激してくる。

「これでこの温泉も入り納めか」

 慶一はお湯を救うと、百代の前で静かにこぼした。

 百代はそれを受け取るように下で手皿を作っていた。

「帰ってからも島津寮に行けば、一応温泉に入れるぞ」

「寮で湯を借りるとキャップが一緒に入ってくるからな。とてものんびり入ることは出来ない」

「あはは、キャップは泳ぐタイプだもんな」

「そうそう、潜水勝負をしかけてきたりもするな。あとは水鉄砲も」

 慶一は手を組んでぴったりとくっつけると、手の中に入れたお湯を親指と親指の間から飛ばした。

「私の場合は水圧がなぁ」 

 百代も同じようにお湯を飛ばすと、遠くの岩肌に亀裂が入った。

「これは子供とほのぼの遊ぶようなものであって、ダイヤモンドを切るウォーターカッターじゃないはずだけど……」

「覗きの撃退には役立つぞ」

「オレは覗きじゃないです」

 慶一が上げた両手からは、ポタポタと雫が垂れていた。外気に晒されるた腕は湯気を放ち、風が通り抜ける度に涼しく心地良い。

 もう一度湯に付けると、血液が腕を巡るのを感じた。

「慶一は覗くどころか、じっくり隅々まで見てるからな。もっとキツイ仕打ちじゃないと」

 性的というよりも子供の遊びのような軽い口吻なのに、百代はわざとらしく粘膜を擦るような音を立てて唇を離した。

「……確かにこれは生殺しだ」

 その言葉を聞いた百代は、満足そうに体を前に倒したり戻したりして揺れる。一本に束ねられ頭の上で留められた黒髪は、艶を作り光の輪が出来ていた。遠くのランプの明かりに、濡れた髪が照らされただけでいつもの百代とは違って見える。

 後れ毛が首の後で乱れ張り付き、うなじの深い窪みを強調していた。

 思わず妖々な色香を発しているうなじを、張り付いた後れ毛を剥がすように親指で触れていた。

 昔から女のうなじは男を惑わせる。それを証拠に花街の女性は襟を抜いて、うなじを広く見せている。

「あんまり優しく触られると、くすぐったいぞ」

「普段は髪で隠れてるから、つい触りたくなるんだよな。そういうのってないか?」

「隠れてるってわけじゃないけど、ゴツゴツした手とかは好きだな」

 慶一の手の平をまさぐる粗雑なようで繊細な手の動き。くすぐったさの混じった心地よい温もりが慶一の手の平を包む。

「自分に合った包丁見つけるまでは、包丁ダコで手が凄いことになってたしな。そういや、扱いに慣れたってこともあるだろうけど、最近は出来なくなった気がする」

 指の付け根の下の膨らんだところ、人差し指の外側のラインもそうだ。マメが出来るというほど膨らんでいないが、指でなぞるとゴワゴワとした硬い皮膚が擦れる。

「切り傷とかも結構あるな」

 百代は慶一の指を一本一本、興味深そうに触ったり凝視しながら確かめている。

「最初は猫の手って意味がわからんかったからな。ネコ娘の手って気付くまでは、切り傷だらけだったぞ」

「ネコ娘の手かぁ……。こうかにゃん?」

 百代は軽く握った手を招き猫のように傾けて、おいでおいでと手招きするように動かす。

「そうそう、そんな感じでふわっと。要は手のひら側に関節が動かせればいいだけなんだけどな。なんにせよ、料理の練習に精神鍛錬がなくってよかったよかった」

「その割には今回の山籠り中楽しそうだぞ」

「実際楽しかったぞ。野外料理は不便だけど新鮮だったから。でも、そろそろファミリーに会いたくなってきたな」

「んー、ガクト辺りはナンパ連敗記録伸ばしてるんだろうなぁ」

 慶一と百代が付き合ってからと言うもの、ガクトは今年の夏こそはと口うるさく宣言していた。女関係で張り切ると必ずと言っていいほど空回りするので、今回も連敗街道をひた走っているのだろう。

「ガクトには百代と温泉に入ってたなんて、とても言えないな……」

「私は言うぞ。オーバーキル大好きィ!」

「……鬼がおる」

 

 

 

 

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