真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第六十六話

 真っ白な七寸皿は宛らキャンパスのようで、その上に料理を並べることで一枚の絵が出来る。

 一番上には三角に握ったおにぎりを三個。三角形の頂点を少し出して、着物姿になるように海苔を巻く。

 具はまず昆布。出汁を取った後の昆布を甘じょっぱく佃煮にしたものに、白胡麻を混ぜ合わせたものを詰める。ふんわりとしたご飯の中心から、醤油と出汁の匂いをほのかに染み付かせて広がり、一口噛めば海苔と昆布の磯の匂いが複雑に絡み合い、甘いタレが染み出したご飯の粒が舌の上でほどける食感が心地よい。

 次は梅。種を取り、少し皮に切れ目を入れておく。そうすることで、噛み切れずに一口で具だけ全部食べてしまうことを避けるためだ。ずっしりと果肉を味わうため、身をほぐすようなことはしない。そんなことをしなくても、やわらかい果肉は口に含むと蕩けてしまうからだ。梅の爽やかな酸味と微かな塩分は、ご飯そのものの甘さを引き立てる。

 最後は鮭。まず海苔を焦がさないように軽く炙る。目安としては黒い海苔が緑がかってくるくらいだ。これは海苔をパリパリにしたいという訳ではなく、焼くことによって海苔の風味を強くするためだ。焼き鮭をおにぎりの具にする場合どうしても、ご飯に焦げた脂の匂いが染み付いてしまう。出来たてを食べるなら然程気にならないが、時間が経つとどうしても気になってしまうので、それを中和するためだ。それでも鮭に焦げ目を付ける理由は、単調になりがちな食感を変えたいというのがある。焦げ目をつけて旨みを閉じ込めると、噛んだ時にパリっとして旨みがジュワ~ッと広がっていく。

 三種類のおにぎりの右下には、ウインナーを四本。油を引かず弱火でゆっくりとソテーしていくと、皮がぷっくりと張っていき、焼き目と一緒に中から脂が染み出して艶が出てくる。塩と粗挽き胡椒でシンプルだがしっかりと味をつける。

 一番下には甘い玉子焼き。砂糖をしっかりと入れて焦げ目を出来やすくし、水をいれてふんわりとさせる。出汁の中に甘さを感じるのではなく、甘さの中に出汁が香るのが理想だ。半熟でもないが焼き上げるわけでもない。中身はひだが出来るが、舌触りはとろとろ。これが甘い卵焼きを楽しむのに一番適している。表面は真っ黄色に混じり、青海波のような茶色の焦げ目。切り口からは何層にも重なったクロワッサンのような断層から、垂れるか垂れないかくらいの半熟の卵が湧き出している。

 皿の左側はさっぱりしたものがいいだろう。竹輪にきゅうりを入れて、門松のように斜めに切っていく。マヨネーズだとこってりとしてしまうので、薄口醤油と酢、それにすり白胡麻で軽く味をつける。

 皿の上から時計回りに、白と黒のおにぎり、茶色のウインナー、黄色の卵焼き、白と緑の竹輪のきゅうり詰め。

 彩りは赤が足りない。トマトという手もあるが、どうせなら少し凝らせてナポリタンにする。具は玉ねぎのスライスだけ。味付けもシンプルにケチャップとコンソメとオリーブオイルに、ひとつまみの砂糖。バターで軽く炒める。出来上がった昔ながらのナポリタンを皿の真ん中に並べる。

 最後に忘れてはいけないは、おにぎりには漬物だ。それも音が出る硬さのものがいい。僅かに空いているおにぎりの横スペースに、瑠璃色に光る茄子の漬物。それと、おにぎりには黄色い沢庵がよく映える。

 ピッと皿の上にラップをすると、調理場の光りに照らされてシワが目立った。

 慶一はなるべく静かに電気のスイッチを押すが、思ったよりも弾けるように強く響いている。

 調理場を出ると、真っ暗な廊下を足音を消して歩く。時折木がしなる音が足元から鳴り、闇に消えていった。皆が寝静まる朝方では衣擦れさえもうるさく聞こえる。

 いつもより長い時間をかけて、ようやく玄関へと辿り着いた。

 玄関を抜けて大本堂へと向かう。年代物の石畳の上を歩くと、かつかつとした足音が高く鳴る。

 賽銭箱の上に皿を置くと、百円玉を一枚と十円玉を二枚、五円玉を一枚投げ入れる。乾いた木にぶつかる音低い音と、硬貨同士がぶつかる高い音が混じった。

 賽銭箱の上に置いていた皿を再び手に取り、来た道を途中まで戻り、大山門をくぐり抜けて川神院の外へ出る。

 薄暗い道を歩いていると、ようやく自分の呼吸の音が聞こえてきた。人目を忍ぶように行動をすると、自然と息も押し殺してしまっていたらしい。

 島津寮まで辿り着くと玄関のブロックの上に皿を置き、キャップの部屋の方角へ向かって手を合わせた。

 長い寄り道を終えて、ようやくお目当ての場所へと向かうことが出来る。

 夏の朝は早い。多馬川の川沿いにある堤の一角に辿り着く頃には、夜が白けだしていた。

 慶一はテントの前にしゃがみ、喋りかける。

「ごめんなさいね。ウチでは飼えないんですよ」

 皿のラップを外すと、蒸れた海苔の匂いと鼻孔をくすぐるような甘い卵焼きの匂いが空気に溶けた。

「朝早くからコソコソと家を出たから、逢い引きかと思って後をつけてみたら、野良犬か野良猫か?」

 慶一の後ろから伸びた手は卵焼きを一つ摘んで口へと運んだ。顔の横を通り過ぎた腕からは、嗅ぎ慣れた匂いがした。

「起こさないように出てきたのに、なんで今日に限って早起きなんだよ百代は」

「私が慶一の気配に気づかないわけ無いだろ。今日の卵焼きはいつもより甘いな。もう一つっと」

 百代が再び手を伸ばすと、喉を震わせた悲痛な声が聞こえてきた。

「あっ……ああっ……」

「なんだ!? って、橘さん!?」

「へぇー、橘って言うですね。とりあえず食べてくださいよ」

 慶一は皿を天衣の元へ近づける。

「なんで、慶一が橘さんにご飯を作ってるんだよ」

「話せば長いんだけど、どこから聞きたい? 不良中年トリオの世話をする前からか、世話をした後からか」

「おっさんの話なんて聞きたいわけないだろ」

「あれはあれで、ある意味おもしろかったんだけどな。まぁ、昨日のことだ――」

 

 

 中年トリオの世話も終わり、一子に電話をしながら歩いていると、前方不注意だったのか何かを踏んづけてしまった。最初はタイヤなどの不法投棄されたゴミの類だろうと思っていたのだが、げぇ、とカエルを踏み潰した鈍い嘔吐のような声が聞えると、慶一は慌てて足を離した。

 その正体が、その時は名前も知らなかった天衣だった。

「すいません!? 大丈夫ですか!」

「……大丈夫じゃない」

「えっと、救急車を呼びますね」

 一子と通話中の携帯を一度切り、しどろもどろになりながら119を押していると「おなかが減った……」という声が、お腹の虫の音と一緒に聞こえてきた。

「えっと……。空腹ですか?」

「ああ」

「もう少し早く見つけたら鍋があったんですけどね」

 天衣が倒れていた場所は、先程の中年トリオが酒盛りをしていた場所からそう遠く離れていなかった。

「……知ってる。混ぜてもらおうと声をかけようとしたら、野球ボールが頭に飛んできて気絶してしまった。いつもなら避けられるのに空腹で反応が鈍くなってしまったらしい」

「なんていうか、ツイてないですね」

「いつもこうなんだ私は。不運体質のせいで上手くいった試しがない」

 かすれ声の乾いた笑いを浮かべ俯くと、伸びた前髪が青ざめた顔に付く漫画の縦線のような影を作った。

「……なんか買ってきましょうか?」

「すまない。施しは受けたくないが、流石に限界……だ…」

 今にも死にそうな戦場の兵士のように倒れこむと、ぴくりとも動かなくなる。慶一は慌てて近くのコンビニに走り、なにか食べ物を買おうとするが、時間的におにぎりくらいしか置いてなかった。

 とりあえず、おにぎりとソーセージを買ってさっきの場所に戻り、包装紙を開けて天衣に手渡す。

「おぉ……! 傷んでいないご飯なんていつ以来だろうか!」

 天衣が口を開けると、羽音が響き視界を白く埋める。口を閉じた時にはおにぎりではなく、羽が口元に咥えられていた。

「ぺっぺっ! なんだ!?」

「あー、あれはカモメですね」

 慶一は手の平を水平におでこにあてて、飛翔していったものを見ながら続ける。

「カラスよりデカいし凶暴だし、最近被害が多いんですよ」

「でも、美味い」

「え?」

 慶一はてっきりカモメを食べるのかと思って天衣を見たが、天衣は指についた海苔を舐めとって幸せそうな顔をしていた。

「これで、一日に必要な栄養が取れたな」

「いやー……。流石にそれは蟻でも足りないんじゃ……。もう一回買ってきますか?」

「いやいい。さっきも言ったが、不運体質のせいで最終的に上手くいったことがない。また買ってきてもらっても同じ結果になるだろう」

 天衣が上を見上げるので慶一も同じく空を見ると、カモメの大群が空を旋回していた。

 天衣はそのまま、のそりと元気がなさそうにテントへと戻っていたのだが、その後姿を見た慶一はなんともいたたまれない気持ちになり、今に至る。

 

 

「それでお参りしたり、キャップの運気を分けてもらおうと島津寮にまで寄り道していたのか」

「神頼みとキャップの豪運を合わせれば、食えると思ってな」

「よくまぁ、名前も知らない相手に料理を作る気になったな」

「一応、心の中ではタマって呼んでたんだけど。多馬川に住んでるし」

「完璧、野良猫に餌をあげる感覚だな」

 慶一と百代が長話をしている間、天衣が差し入れに手を付けることはなかった。それに気づいた慶一が天衣に声をかける。

「あれ? 食べないんですか?」

「また、手を付けた瞬間になにか起こるんじゃないかと思ってな……」

「まぁ、せっかく作ったんだし物は試しってことで、食べてみてくださいよ」

「そ、そうか」

 天衣が恐る恐るおにぎりを一つ手に取り口に運ぶ。何事もなく咀嚼を終えると、パァーッと顔が綻んだ。

「ははは、良かったですね橘さん。もし、鳥類が飛んできても私が撃ち落とすので安心して食べてくださいよ」

「すまない。あぁ、ご飯がこんなに美味しいとは!」

「ん? この気は」

 最初に変化に気づいたのは百代だった。辺りを窺うようにキョロキョロ視線を動かす。

「フハハハハ! 母なる大地に着地!」

 揚羽が空から大地へと降り立つと、息を潜めていたカモメが縦横無尽に羽ばたきだした。

「しまった! 揚羽さんに気を取られて、カモメの対処が間に合わない!」

 百代が気弾を放って追い返そうとするが、膨大な数に対処することは出来ず、隙を突いたカモメが天衣の手元から次々と食べ物を奪っていった。

「あぁ! あぁ……あぁっ」

 天衣の声にならない声を聴きながら、慶一は繰り広げられる空中戦を眺めていた。

「百代の気弾を避けるとは、カモメはすげえな」

「揚羽さんの気で動転して乱暴に飛んでるからな。我を忘れて無茶苦茶に飛び回るカモメを、制御した気で威嚇するのは難しいぞ」

 それでも何度か気弾を飛ばすと、辺りからはカモメの姿はなくなっていた。

「は、ははは。おにぎり一個は食べることが出来て良かったですね」

「そうですよ橘さん。昨日は指についた海苔だけだったんですから。凄いことですよ。あはは」

「そうだな。昨日は一つも食べることが出来なかったから、それに比べれば満漢全席だな」

 慶一と百代の引きつった笑顔とは違い、天衣は満更でもなさそうな笑顔を浮かべていた。

「なんだなんだ? 我にも事情を説明せい」

 ことの成り行きを説明すると、揚羽は天衣に体を向き直し頭を下げた。

「それはすまなかったな。良く知った気が二つも重なったので、何かあるのではないかと来てみただけなんだが。橘がこんな状況になっているとは……。九鬼で監視をつけたほうが良いかもしれんな」

「誰に迷惑をかけるてるわけでもないのに、監視される言われはないはずだが」

 天衣が不服といった表情で揚羽を見た。

「そう悪くとるな。仮にも元四天王なのだぞ。その不幸体質で迷惑をかけることになったら、大事になりそうなのを理解せよ」

「仮で、元で、勇名は地に落ち……。百代は恋人が出来て幸せそうで、揚羽は世界を飛び回り楽しそうで、なんで私だけ……」

 やさぐれた天衣が愚痴をこぼしながら滅入っていた、

「よし、朝餉の詫びもかねて。九鬼での食事に招待しようではないか」

「大丈夫なんですか? 揚羽さん」

「今日は父上が帰って来ているので、なにかあっても大丈夫だろう。フハハハ!」

 揚羽が心配ないと笑い飛ばしたとおり、何事も無く朝食は進んだ。

 今は揚羽の厚意により薦められた大浴場で、朝風呂と洒落こんでいた。

「豪勢な朝飯の後に朝風呂とは贅沢だ。洗い物をしなくていいし、これで二度寝がつけば最高だな」

 慶一は百代を腕に抱きしめると、軽く体重を預けながら適度な泉温で身体を温めている。

「楽しみ方が完全に主婦な奴だな。それより、久しぶりだな」

 今度は百代が慶一に体重をかけるように後ろに倒れる。

 浴場の隅に置かれた石が丁度枕代わりになった。

「久しぶりって程でもないだろ。山籠もりから、えっと……五日くらいか?」

「でも、お風呂も寝るのも、こっちの方が慣れっちゃったみたいだ」

 百代が慶一の肩に頭を乗せると、目をつぶって顎を上げる。

 慶一は片腕で百代を抱きながら、頭を下げる。何度か唇を当てるだけの口吻をしていると、百代がやみくもに顔を動かして慶一の唇を求めてくるようになり、漏れる呼吸は喘ぎに変わっていった。

 一度唇を離し見つめ合う。もう一度唇をつけようと顔を近づけると、突然慶一の視界が暗くなる。聞こえてきたのは揚羽の声。

「フハハハ! 我、優雅に入浴だ」

 響き渡る高笑いのわりには、静かに湯に身体を沈める音が聞こえた。

「揚羽さんの裸体を拝めるのとは! 流石九鬼だ! サービス満点じゃないか! でもこれは、単に邪魔をされたような……」

「最初は気を利かせて、二人きりにしようと思ったんだがな、湯を汚されたらたまらんと思うてな」

「そうは言っても、慶一もいるんですよ?」

 百代は素早くタオルで目隠しをさせた慶一の頭をツンツンと人差し指で小突いている。

「百代にとっては恋仲でも、我にとっても慶一は友なのだ。裸の付き合いくらいで目くじら立てることもあるまい」

「百代はヤキモチ妬きなんで、遠慮してくれると助かるんですけどね」

「なんでオマエはそんなに冷静なんだよ」

「だって、慌てるもん見る前に目隠しされたし、オレのモノが見られてるわけでもないしな」

 慶一の目にはしっかりとタオルが巻かれており、頭の後ろの結び目は力強く、濡れたタオルで余計にキツく締まり、慶一の力では解けなかった。

 目蓋越しに 眼球が圧迫されてるせいで、瞼の裏でアメーバーみたいのが消えたり増えたりしていた。

「なぁに、橘もいるのだ。あまり気にするな百代」

「余計気にしますって! 橘さんも気にしてくださいよ」

「その男は何も見えてないんだろ? なら問題はない。あ~……久しぶりのドラム缶以外の風呂だー」

 天衣は目一杯に足を伸ばし、顎の先まで湯船に沈めて体中で湯に浸かっていた。

「フハハハハ! ドラム缶風呂も趣があってなかなか良さそうだな。四人で入るには、ちと狭いがな」

「だーかーらー。私は慶一が他の女と風呂に入るのは嫌なんですって。慶一もちゃんと断れよ」

「ちょっと待ってろ。今目蓋の裏のアメーバーが分裂して、時の引鉄のタイムゲートみたいになってるから。過去に行って断ってくるよ」

「しょうがない……。ちょっと緩めてやるから動くなよ」

 立ち上がる水音が聞えると、慶一の顎のあたりに百代の濡れた胸が押し付けられる。耳の後ろでタオルが擦れる音が聞こえてきた。

「どうだ?」

「まだ痛いって」

「もうちょっとか……。これなら大丈夫だろ?」

 今度ははっきりと緩くなるのを感じた。痺れた足を触るような感覚がないような、気持ちいいよな不思議な感覚が目蓋を襲う。視界がぼやけているということだけは、目をつぶっていてもわかった。

「これはちょっと緩すぎる気もするけど。濡れたタオルの重みで落ちるかもしれんぞ」

「あーもー、これでいい!」

 百代は最後に少しだけ結び目に力を入れると、慶一の膝の上に座り直した。

「こうして座ってれば、万が一タオルが取れても私の頭しか見えないからな」

「オレは不慮の事故が起こらず、理不尽な制裁がなければなんでもいいよ」

 慶一は少しでもタオルがずり落ちないようにと上を向いた。

「一応の問題は解決したし、後は清楚ちゃんが参加してくれたら言うことないなー」

 百代はチラッと揚羽の顔を伺う。

「安心せよ。清楚に限らず他の女人は近づけさせぬよう伝達しておいた」

「なっはっはっ。そりゃ、安心だ」

「オマエの反応は違うだろっ」

 百代は笑う慶一の脇腹をつねった。

「百代の反応こそ違う気がするんだけど……」

「いいや、健康な美少女の反応としてはこれが正しいんだ」

「フハハハハ! 百代に暴走されても困るのでな……それも心配なさそうだが」

 揚羽が百代の姿をゆっくりと眺めた。

「その視線は、心配なさそうだから源氏組を呼ぼうという意味ですね」

「はぁ……。そういうとことは相変わらずだな。変わるところは変わったというのに。百代に我に勝負を挑まれなかったのは初めてではないだろうか。橘にも挑まなかったみたいだしな。鉄心殿の言うとおり少しは落ち着いたと言ったところか」

「橘さんは見ての通りでそんな雰囲気じゃなかったですし、揚羽さんが死合ってくれるというなら歓迎しますよ」

「ふぅむ。山籠りがこんなに効果があるとは、我も試してみる価値があるな」

「百代と違って、揚羽さんは必要ないでしょう」

「我もまだ直ぐカッとなってしまうことがある。老獪な人間たちを相手にするには、もう少し精神を鍛えねばならん」

 そう言った揚羽は少し疲れた顔をしたように見えた。今までと違い大人相手の世界だと、色々と気苦労があるのだろう。「大丈夫ですか?」と慶一は声をかけようと思ったが、揚羽の表情が読み取れるということは、タオルがずれているということだった。

 目を見て話していた揚羽はその事に気づいているだろう。

 慶一は揚羽の顔しか見てないのことに気づくと、自分に少し不安を覚え、思わず百代をキツく抱きしめていた。

「なんだ? いきなり甘えてきて。って、当たってるぞ!」

「良かった……。打ち止めじゃなかった……」

「フハハハハ! 善き哉、善き哉。ちょっとイチャつき過ぎな気もするが、仲が良いことは美徳ぞ」

 豪快に笑う揚羽の横では、溶けるように湯に身体を任せっきりの天衣が幸せを噛み締めていた。

「いよいよ多馬川の泥水を飲むしかないと思っていたら、この待遇。人生はわからないものだ」

 

 

 脱衣所から出ると、ちょうどあずみが通りかかるところだった。

「揚羽様、お風呂でしたか」

「うむ、朝の湯浴みはやはり気持ち良いものだな」

「橘様も」

「はぁー……身体がヌクヌクだー。こんなに幸せで、明日死ぬんじゃないだろうか」

 天衣は今の幸せを噛みしめるのと明日の不幸を恐怖するので、あずみの声は聞こえてないようだ。

「川神百代まで」

「相変わらず英雄の前以外だと態度が違うな。せっかく可愛い服着てるのにもったいない」

 百代は上から下まで舐めるようにあずみの姿を眺めると、天衣の後に付いて行った。

(元がいるとしても、武道四天王の三人が揃い踏みとはな……。)

「はー、しんど……」

 女性三人が着替え終わるまで湯船で待っていた慶一は、最後に脱衣所出た。せっかくの朝風呂に入ったのに、疲れが取れたのか増えたのかは微妙なところだった。

「ま・え・ぐ・ち・様まで。ここまで揃い踏みだと、鉄乙女さんが来るんじゃないかと期待しちゃったじゃないですかー。……私の期待を裏切った罰は重いですよ?」

「そんな勝手に期待されても。つーか、英雄がいないのにその口調ってことは、結構怒ってますね」

「そんなまさかです。大事な川神エロ大使様をぞんざいに扱うわけがありません」

 表面だけは柔らかな笑みを浮かべているが、言葉には刺があった。

 しかし、今の慶一はそんなことは関係ない。

「そうなんですよ。オレってばエロ大使なんですよ。よかったよかった、この年で打ち止めとか洒落にもならないですもんね」

 慶一は満面の笑みであずみの肩を何度も叩くと、先に出た三人が通っていた道を付いて行った。

(なんだアイツ……。稀に見る上機嫌だったぞ。嫌味言われて喜ぶって変態かよ!?)

 

 

 

 

 




前回が男臭かったので、今回はご飯臭く女臭く……。
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