真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第七十三話

 風鈴市最終日のせいで、朝から川神院は混雑していた。それは午後になっても変わることなく、青に赤みが差したような空の下で、ガクトはせっせとお好み焼きを焼いていた。

 鉄板に薄く油を引いてしばらく待つ。

 手をかざすと、熱が空間を伝わって手のひらへと届いた。鉄板に生地のモトをお玉で一杯垂らすと楕円に広がり、お玉の裏で丸に近づけてるように軽くのばしていく。

 乳白色の生地が色付く前に、キャベツの千切りを山盛りに乗せる。桜えびの薄い赤に、紅しょうがの濃い赤で色を添える。

 生地の端に少し鉄ヘラを差し込む。抵抗なく入るのを確認すると生地の隣に豚肉を引き、両手に鉄ヘラを持って豚肉の上へとひっくり返す。

 豚肉の脂が焼ける煙とキャベツの水分が蒸発する湯気が上がった。その向こうに人影が見える。

「お好み焼き二枚ください」

「毎度あり。筋肉焼きは冷めても美味しいですよ」

「そうなんだ。筋肉焼きって面白い名前だね」

 彼女はガクトの言葉を聞いてクスクスと笑った。

 最初に好きになったのは声だった。鈴を転がすような綺麗な声は、薄く引いた赤い口紅に目を向けるには充分だった。

 ぽってりとした唇。長いまつげ。整えられた眉。目の前の煙が薄くなるにつれ、彼女のパーツが鮮明に現れてくる。

「お姉さん一人じゃ食べきれないっすよ」

「ふふふ、そんなに大食いに見えるかな?」

 彼女は目を細めて笑う。

 誰もが彼女にほのかな恋心を抱いてしまうような可愛らしい笑顔だった。そんな表情に見惚れる暇なく、ガクトは言葉の意味を理解した。

「一枚でもボリューム結構ありますからね」

 ガクトの言葉を聞くと、人差し指を頬に当てて考えた様子を見せる。

 よく表情が変わる人だ。ガクトはそんなことを思っていた。

「うーん……。食べ過ぎかな?」

「いいえ! オレ様、よく食べる女の人好きですから!」

「調子良いこといって。誰にでも言ってるんでしょ?」

「お姉さんのことは本気っす! デートでもしませんか!」

 困ったような、照れたような笑顔を浮かべる彼女をガクトは真っ直ぐ見つめる。

「もうっ……。焦げちゃうよ」

 お好み焼きを指で指すと、彼女は膨れ顔で言った。

「おっと、焦がしたら怒られちまう」

「そうそう、せっかくだから美味しいの食べさせてよね」

 パックに詰めたお好み焼きを二つ。ビニール袋に入れて彼女に渡す。代わりに受け取ったのは五百円玉を二枚。新品のように光る硬化は、それだけで特別に思われているのではないかと錯覚したが、お好み焼きを受け取り遠くの男に小走りで駆け寄って行くのを見てガクトは「やっぱり」と心の中でため息を付いた。

 ガクトが二人に向ける視線を遮るように、葵が屋台の前に立つ。

「いらっしゃい、島津くん」

「そりゃ、こっちのセリフだ優男」

「おや? まぁ、いいでしょう。せっかくだから一つ買っていきましょうか」

 葵は人差し指を立てて注文をした。

「三つじゃねぇのか? いつも三人一緒だろ」

「仲良しですからね、今日も一緒ですよ。二人は境内の奥で休憩してます。それに三つも買っても食べきれないですから」

「けっ、しっかり食べないと優男のままだぜ」

「えぇ、肝に銘じでおきます。それでは」

 葵はガクトからお好み焼きを受け取ると、笑みを浮かべて歩いて行った。

 

 

 気付けば夕焼けが最後の灯火のように明るく輝いていた。

 ガクトは風鈴市の最終日を惜しむようにその夕焼けを見つめていた。夕陽は川神山の緑を影で浸し、一足先に夜を作っている。寂しいのか温かいのかわからない、どっち付かずの心を持ったまま、無意味に喪失という言葉の意味を考えてみたりする。

 そう物思いにふけるのも束の間、思い出したように祭りの喧騒が耳に入り現実に戻る。

 ガクトの心模様とは裏腹にその日の売上は上々で、周りの屋台よりも早く片付けをしている途中だった。

 夕陽を背負うように背を向けてしゃがみ、取り外した屋台ののれんをダンボールに閉まっていく。

 ふと視線を感じたので振り返ると、うつむいた女性が立っていた。

「今日はおわ――」

 ガクトは全て言い終える前に彼女の手に気づいた。飾り気のない無地の白のビニール袋からは、ソースとかつお節がパックの蓋に貼り付いたお好み焼きが見えている。

 ガクトの声に反応したのか、糸の切れた人形のように垂れ下がっていだけの腕がゆっくりと上がり、胸元で小さくビニール袋を揺らした。

「食べる予定なくなっちゃた……」

 昼間の笑顔が印象に残る中、顔を上げた彼女の表情はいっそう寂しげに見えた。

「は、はは。忙しい彼氏さんなんですね」

「ううん……。ふられちゃった」

 憂いを帯びた笑顔をガクトに向けると、そっと視線を逸らした。

「お姉さんみたいに美人をフルなんて、ろくな男じゃないっすよ」

「……ありがとう。ね、このあと時間ある?」

「ありますあります! あっいや、オレ様片付けが……」

「それじゃ、手伝ってあげる」

 そう言った彼女はダンボールを持ち上げて「何処に運ぶの?」とガクトに聞く。

「それは重いから、オレ様が運ぶんで任せて下さい」

 ガクトは腕に力こぶを作ると笑顔を向けた。それにつられたのか彼女も笑顔を見せた。

「力持ちなんだね」

「それだけが取り柄みたいなもんですから」

「素敵なことだと思うよ。男らしくて」

「そ、そうっすか?」

 思わぬ好感触に照れ笑いを浮べたガクトは、調子に乗って二つ三つとダンボールを重ねていった。

「それじゃあ、私は周りの掃除をしてるね」

 もしかしたらこれは夢で戻ったら彼女はいないのではないだろうかと考えたが、彼女は居た。

「た、ただいまぁー。なんちゃって」

「ふふふ、おかえりなさい。この屋台はどうするの?」

「屋台の解体は祭りの終わった次の日ですから」

「そっ、じゃ行こうか?」

 彼女はガクトの腕を抱きかかえると、親不孝通りまで歩いて行った。

 親不孝通りの入り口まで辿り着くと足を止める。

「行きたい所があるの……。いいかな?」

「こ、ここっすか!?」

 ガクトは彼女が見ていた建物を見る。日が落ちたせいかライトアップされ、入り口を妖しく照らしている。呂律が回らない返事を返すと、手を引かれるように歩き出す。

 入口を通り少し進むと、パネルにいくつも部屋が映しだされていた。所々暗くなり、虫食いのように途切れている。

 人差し指で空中をなぞり「ここでいい?」という彼女の言葉に答えを返そうとするが、喉がひっついたように声が出なく、頭を一度下げるだけで返事を返した。

 部屋に入ると、アクリルの長細いキーホルダーが付いた鍵をベット横のサイドチェストの上に置いた。「先にシャワー浴びるね」という言葉に、ガクトはまたも頭を振るだけの返事しかできなかった。

 ベットに座り一人になると、少し落ち着いたのか周りの景色がよく映った。

 しっかりメイクされたベットに枕が二つ並び、両側には暖色系のスタンドライトが置かれている。すぐ近くの風呂場からはシャワーを浴びる水音が聞こえてきた。

 ムードのあるインテリアの一つ一つが、一つの行為へと結びつけようとしているようで鼓動を高める。

「君もシャワー浴びたら?」

 備え付けのバスローブを羽織った彼女が、ベットに座っているガクトの隣に腰掛けた。

 彼女の体重で思いの外沈むマットレスの反動で、飛び起きるように立ち上がったガクトは、そのままの勢いで浴室へと向かった。

 ガクトがシャワーから上がると、彼女は手持ち無沙汰に見ていたテレビを消してガクトの正面まで歩いてきた。

「頭まで洗ったんだ」

 彼女はガクトの髪を、頭を撫でるように触る。

「な、なんかおかしかったすか?」

「ううん。かわいいー」

 そう言って頭から首筋へと手を移動させた。

 ガクトも震える手を恐る恐る彼女の首筋へと添える。

 

 

「良かったじゃねぇか。なにが不満なんだよ」

 ひどく神妙な面持ちで喋るガクトの話に、慶一は途中で口を挟んだ。

「おねえさん、喉仏があった……」

「……そっか。焼き肉でも食いに行くか? 奢るぞ」

「優しくなるなよ!」

 ガクトは涙目で声を張り上げる。

「別に何もなかったんだろ? だったらいいじゃねぇか」

「満更でもなかったオレ様自身が怖い……」

「つーか、そんなことでわざわざ夜に呼び出すなよ」

 慶一はアクビ一つ挟むと、面倒臭そうにソファーに背中を預けた。

「そんな薄い反応かよ! 誰かに喋らないと自分を保てそうになかったんだっつーの」

「壺売りつけられなかっただけでも良かったと思えば」

「あぁ……。モテたいとは常日頃言ってるが、男で叶えることないだろ神様ぁ……」

 ガクトの嘆きは溜め息と一緒に外に吐き出された。そのせいでロウソクの火が頼りなさげにゆらゆらと揺れだした。

「外見から男丸出しの奴に言い寄られるより、いいんじゃねぇのか?」

「見た目が綺麗なお姉さんだっただけに、ショックもでかいんだよ」

「たまにモテたらと思ったらこれか」

「オレ様の女運はどこにいっちまったんだぁ!」

 ガクトは悪いやつではない。むしろ“人が好い”部類に入る。筋肉自慢があったり、性的なモノが溢れ見えてるが、面倒見の良さ、優しさも伝わってるはずだ。星の巡り悪いというのか、女性が一旦絡むとロクなことがない。

「見た目が女なら、女にモテたと考えればいいじゃねぇか」

「性的興奮が持続できなかったら女じゃねぇよ!」

「一理あるな」

「一理どころか、それが全てだっつーの」

 ガクトがテーブルを叩くと、ガラスのキャンドルホルダーの中のロウソクが一度大きく揺れ、ふっと煙を残して消えてしまった。

「倒れたら危ないだろ。大体こういう相談役は大和の役目じゃないのか?」

 慶一はキャンドルホルダーを持ち上げて少し傾けると、短くなったロウソクにライターで火を灯した。

「どうせ慶一はモモ先輩とイチャイチャしてたんだろ? ついでに邪魔してやろうと思ってな」

「人を妬むくらいの余裕はあるんだな」

「一人ホテルから駈け出して秘密基地に付いた時は、彼女持ちの男全員死ねと願っちまったぜ」 

「ヨンパチみたいなこと言うなよ。まぁガクトの気持ちを考えたら仕方ないと思うぞ。でも、これはないだろ」

 積まれたDVDのケースは見事に肌色ばかりが強調されていた。

「癒されるにはこれしかなかったんだ……」

「こういうの買う余裕はあるんだったら、真っ直ぐ家に帰れって」

「親不孝通りすぐ近くにセルビデオショップがあるのが悪いんだ。でもよ、頭真っ白になってたせいで、かなりいい加減に買っちまったんだよな」

「バイト代残ってるのか?」

 ビニールには“中古特価”や“新品半額”と書かれたシールが貼ってあるが、積まれた高さからして万札二枚は軽く飛んでいきそうだった。

「それは大丈夫だぜ。もとからこっちにも使う予定だったしな」

「たまには参考書でも買ったらどうだ?」

「おいおい、参考書なんてどうやって使うんだよ」

「勉強するんだよ」

「参考書とエログッズ。男だったらどっちが役に立つかわかるだろ?」

 ガクトは疑問形で言ったが、顔には当たり前のことを聞くなと書いてあった。

「別のもん立たせてどうすんだよ」

 慶一が深く吸った息は、長い溜息で吐き出された。

「一度抜いた女は飽きるんだよ」

「もったいねぇ。レンタルで済ませときゃいいのに」

「金のない時はそれも有りだな。でもよ、買うってのも大事だぜ? 飽きたら中古に出すだろ。金のない学生がそれを買っていく。世の中うまく回ってるもんだ」

「嫌な輪廻だな」

 

 

 

 

 




思ったより長くなった風鈴市の話をどう終わらそうかなと考えていた結果、使い勝手の良いガクトの話になってしまった。

ちなみに朝に投稿する予定が、2017年に予約設定するという間違いを……。
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