真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第八話

 目の前に丼が運ばれてくる。嬉しいことに蓋尽きだ。さらに、味噌汁と茄子、大根、きゅうりの三種類のおしんこが小皿に盛り付けられている。見た目にも鮮やかな色が食欲を誘う。

 一通り見渡した後に、付着した水滴が垂れないようにゆっくりと丼の蓋を開く。

 半熟よりも固めの卵はしっかりと衣に絡み付いている。

 直ぐに蓋を開けると、見事な半熟状態で食べることが出来るだろう。しかし、オレはこの固めの卵が好きなのだ。ただし、あまり蓋をしたまま蒸らしすぎるとサクサクっとした衣が台無しになってしまう。そうなると、油が卵に広がってしまい途端に油臭くなってしまう。しっかりと自分の好みを見極めることが大事だ。

 右端から一切れ箸でつまみ口へと運ぶ。

 豚カツのシャリっとした衣の感触を楽しみ噛み切ると、肉汁が出汁を閉じ込めた卵に広がっていく。微かに残る鯖の味が白出汁を使っていることを主張していた。

 当然肉のうま味に抗うことは出来ず、自然な動作で白飯を求める。

 出汁色を映したような透明な玉ねぎが卵の海に漂っている。その下に敷き詰められている白飯は、出汁をしっかりと吸収して重そうにしている。持ち上げると、どっしりとした米は箸からこぼれ落ちることなく、ジャポニカ米特有の粘り気を出しながら湯気を放っている。

 出汁、玉ねぎ、ご飯それぞれの甘さが自己主張しているが、それに濃厚な卵が加わることによって均一に味を伸ばしていた。

 口いっぱいにほうばり過ぎたせいで、喉に白飯が少しつまり気味だが、慌てず味噌汁で流し込む。小揚げとワカメ、それに絹ごし豆腐。シンプルだが、メインであるカツ丼の邪魔をしない優しい味だ。揚げを箸で摘むと両端から汁が垂れだしてくる。元が薄味な味噌汁だけに、揚げの香ばしさが際立つ。

 ここで、おしんこを一つずつ食べる。茄子ときゅうりの浅漬けに、べったら漬け。どれも美味い。……が、三種類もあると、いくら漬物でも少しくどく感じる。茄子だけでも今食べ終えてしまおう。

 さて、十分と味は楽しんだ。ここからは腹を満たす番だ。

 丼の上からカツ丼を見たとしよう。上層部の豚カツ一切れから最下層の白飯までを1ブロックとして、それを食べ終えたらおしんこに手を伸ばす。そしてまたカツ丼へと交互に攻めていく。

 食べている最中に喉の詰まりを感じたら、先ほどと同じく味噌汁で流し込んでいく。

 カツを半分に噛み切り、口の中で一噛みする間に箸はご飯へと自然に伸びている。二噛み目はご飯と一緒に味わう。口中調味という言葉を知る前から実践している人は多いだろう。

 醤油が良い感じに染み込んだご飯は、噛む度に鼻腔まで味を広げ抜けていく。

 全て平らげた後、今まで一度も口をつけなかった水を飲み干す。

 ガラスにぶつかる氷の音が店内にカランと響いた。

「美味かった」

 感嘆の息を漏らすように呟く。

「だろ? ソースカツ丼もいけるんだぜ。蓋が閉まらないくらいたっぷり乗っかってるしな」

 蓋の代わりにしてるのかと思うくらい山盛りに積んであったカツ。それをすっかり平らげたキャップは満足そうにお腹をさすっている。

「おろしカツ定食の方がさっぱりしてて良さそうだけどな」

「丼ツアーなんだから、丼もの以外を頼んだらダメに決まってるだろ!」

「親子丼に海鮮丼に豚丼に、この店を入れてもう四件目だぞ。フォアグラになりそうだ」

 代金を払いスタンプを押してもらった。外に出ると、途端にこみ上げてくる異物感。胃の辺りを手で押さえたいが、押さえた瞬間に中のものが逆流しそうなので胸の辺りを押さえる。

「さぁ、お次は天丼だな!」

「いや、もう無理」

「なんでだよー。美味そうに食ってたし、まだまだいけるだろ!」

「自分を誤魔化すために、馬鹿みたいに自称B級グルメ家っぽくして食ってたけどな、三件目からとっくに限界だっつーの」

「だらしないぞー! 逃げ出すよりも前に進もうじゃねぇか! 勇往邁進だぜ!」

「知足安分ってのも大事だぞ。キャップだって食べるペース随分と遅くなってたし、無理せず帰ろうぜ」

「オレは自分の限界に挑戦するぜ! 慶一が行かないってなら一人でもやり通す!」

 文字通り風のように走り去ってしまった。見るだけで横っ腹が痛くなる。

 腹ごなしに川原を散歩しながら帰ることにする。一歩踏み出すたびに胃の中のものが重く動いているような気がして足取りは重くなる。

 しばらく歩いていると、見知った顔を見つけたので話しかけた。

「なにやってんだ男三人で」

「慶一も食べる? 中のシールは抜いちゃったけど」

 モロがグッキリマンチョコを差し出した。ピーナッツ入りの甘ったるいチョコにパサパサのウエハース。子供の頃によく食べていただけあって、すぐに味が想像できる。

 その懐かしい味は今の慶一の状態にキツく、胃液を逆流させようとしていた。

「……ウップ」

 喉が一度大きく動くと、熱い物がこみ上げてくる。それを喉の下で止めようとすると、血の気が引いたように顔が青くなっていく。

「わわっ! 吐くなら向こうでー!」

 

 

「ほら、胃薬と水」

 横になっている慶一に、大和が手渡す。ご丁寧にペットボトルの蓋まで開けてある。どうやら近くの薬局まで買いに行ってくれたらしい。

 とりあえず体を起こし、水を口にふくみ吐き出す。酸っぱくなった口の中が幾分良くなった気がした。

 喉の奥に入らないように注意をして、粉薬を舌の上に落とし水で流し込む。

「いやー、会うなりいきなり吐く奴なんて、オレ様も初めて見たぞ」

「僕だったら一件目でギブアップだけどね」

「最後が揚げ物だったのがいけなかったのか。とりあえず吐いたら随分すっきりしたわ」

 冬を運ぶ秋の冷たい風が、脂汗をかいた体をなぞる様に駆け抜けていった。

 子供の遊ぶ声や部活生徒のランニングの掛け声。秋の虫の鳴き声などが耳に入ってくる。

 今まで気付かなかったくらいに余裕がなかったらしい。

「キャップの分の胃薬も用意しておかないとダメそうだな」

「あはは、慶一よりひどい事になってそうだよね」

「で、グッキリマンチョコなんて懐かしい物どうしたんだ?」

「さっきそれで吐いたのに、この話題を進めるんだ」

「吐き気はおさまったから大丈夫だろ。まぁ、食いはしないけどな」

 気を使われた恥ずかしさなのか、話の流れを止めてしまったバツの悪さからなのかはわからないが、こういう時ほど話題を戻したくなったりする。

「モロがまた集めだしてるんだってよ」

「昔は集めてたけど、まだ売ってたんだな」

「うん。新シリーズとかも出てるし、今は復刻版も出てるよ」

 どこか懐かしい濁った様に光っているシールを取り出す。

「小学生の時に盗難事件があったりで、揉め事の種だったよな」

「大和のところでもそうだったのか、やっぱり揉めるよな」

「僕も盗まれたことあったけど、犯人が見つからないで泣き寝入りしちゃったな」

「まぁ、ギックリマンシールと女子のリコーダーは、盗まれるために存在してるようなものだしな」

「そんな悲しい存在意義じゃないよ!」

「オレ様はギックリマンシールは集めてなかったしな、リコーダー盗難事件の方が覚えてるぜ」

「どこの小学校でも起こる事件は似たり寄ったりなのかねぇ」

「こっちは、京の事件とかでもっと酷かったかもね」

「確かに。オレの学校では、あそこまで酷いイジメはなかったからな。それを止めたんだから、大和は凄いよな」

「あの時は本当に我慢できなかったし、今になっても助けられて良かったと思ってるよ」

「そー言えばあの時からだよね? 大和がニヒルぶるのも辞めたのって」

「わー! わー! モロ余計なことまで言わなくていいって!」

 慌ててモロの口を押さえるが、慶一の耳にはしっかりと届いていた。

「まぁまぁ、そういうのって誰にでもあるから大丈夫だって」

「優しくされると、かえって傷つくから!」

「ってことは、慶一にもあったの?」

「あったねー。オレはどっちかというと大人振ってたかな」

「そりゃまたどうして」

「両親が早死にしてから親戚たらい回しにされてたからな、ふりでもいいから大人になりたかったんだよ。そうそう、葬式の前まではこの辺に住んでたんだよ」

「出会った最初の頃に聞いたけど、改めて聞くと反応にしづらいよね……」

「まぁ、叔父に引き取られてからは楽しく過ごしたしな。今更気にすることはないよ。……ただ、商売を手伝ってると、同年代よりも年上の人と話す機会が多かったからな。じじ臭いって言われるのはそれが原因だろうな」

 聞いていて気持ちのいい話ではないし、最後に付け足し話の流れを変える。それに気付いてくれたのか大和も後ろの言葉に反応する。

「いや、じじ臭いのは女の子に対する態度だと思うぞ。こないだ逆ナンされた時も『ここに駄菓子屋があってさ、三回ハズレ引くと可哀想だからってオマケしてくれるんだぜ』とか、ずっと関係のない思い出話ししてたしな。緊張感なさ過ぎだろ」

「なに!? オレ様そんなの知らねぇぞ!」

「……そういう反応すると思ってたから、慶一もガクトには黙ってたんじゃないかな」

「ちっくしょう! 絶対今年中に彼女つくってやるぞぉ!」

「……ガクトは気が済むまでほっといてあげよう」

「ガクトは、君が好きだと叫べる日はくるのだろうか」

「オレが今叫んだら、もっかい吐くな。つーかアレは、オレをダシに大和を口説こうとしてたから邪魔したんだよ」

「ナイスだぜ慶一!」

 ガクトは一転。気持ちのいい笑顔を慶一に向けた。

 

 

 秋らしく太陽は短くなっていて、五時になる頃には夕焼けと夜の間の不思議な紫色の空をしていた。

「大丈夫? もう立って平気?」

「もうちょっと休んでから帰るわ。吐いたのなんて数年ぶりだしな、こんなに体力消耗するなんて忘れてたよ」

「僕も人のこと言えないけど、慶一ってキャップに流されやすいよね」

 帰り支度をしている4人の影を影が照らす。

「男ばっかで集まって寂しい奴らだな。私が花を添えてやろう」

「姉さんいいとこに。ちょうど呼ぼうと思ってたんだよ」

「なんだ、奢ってくれるのか? それとも決闘の申し込みか、奢ってくれるのか?」

「今二回奢ってって単語が聞こえたような」

「いいから、なんの用なんだよぉ。詰まらない事だったらネットリお仕置きしちゃうぞ」

「いや、今ねえさんに這い登ってる人を運んで貰おうと」

「気配がいつもと違っていたから気付かなかったが、慶一か。なんだって、修行終わりの新人修行僧みたいになってるんだ?」

「キャップと地獄の丼スタンプラリーに参加したんだってさ」

「それで、子猫ようなかわゆい私をタクシー代わりに使う気か?」

「頼むよ猫バス」

「本当に具合悪いんだろうな? いつも通り悪態ついてるぞ」

「まぁまぁ、それこそ猫が甘えてると思って。ちなみに揺らすとまた吐くと思うよ」

「そうそう、無理に振りほどこうとしても吐く自信があるぞ」

「ちっ、この借りは高く付くからな大和! お姉ちゃんの為に金と時間を用意しとけよ」

 慶一をおぶったまま軽く地面を蹴ると、まるで空中を飛ぶように駆け出す。

「モモ……揺らしたら吐くって」

「重心はずれてないから大丈夫だろ。下は見るなよ、流れる景色を見てたら酔うぞ」

「おぉ、街灯の光がまるで線のように……」

「見るなって言っただろうが!」

 

「……僕達も帰ろうか」

「そうだな、キャップが心配だしな」

 

 

「大和ぉ~、苦しいよ~」

「十件も回ったら当たり前だと思うよ、キャップ」

「でも、しっかりスタンプラリーの景品はゲットしてきたぜ」

「で、なんだったの豪華商品は?」

「……市長の顔が入った陶器の丼」

「……しょーもな」

 

 

 

 

 

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