真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第八十一話

 いつもより人気の少ない川神院。気合を入れる声も少なく、静かな時間が流れていた。そんな中、慶一の部屋で叫び声が木霊する。

「ぎゃーーーっ!」

「うるさいぞ、一子」

「だってだって、いきなりマスクを被った男が出てくるんだもん」

「神出鬼没じゃないとホラー映画にならんだろう」

 布団を被るように座布団を頭に乗せた一子は、身を縮こませながら震えている。

「大体なんで昼からホラー映画見てるのよ。怖すぎるわぁ」

「明日返却日なのを忘れてたんだよ。つーか、昼に見るホラー映画ほどマヌケなものもないと思うんだけどな」

「だって、チェーンソーを持ってる男に昼も夜も関係ないじゃない」

「日本刀持って怖い顔して歩いてる女の子が身近にいるだろ」

 慶一は座布団の隙間に手を伸ばして、涙目になっている一子の頭を撫でる。

「流石にまゆっちと殺人鬼を一緒にするのはかわいそうよ」

「確かにな。それに、この殺人鬼はチェーンソーを使うイメージが勝手に付いただけで、映画の中ではもっと身近なものを使って人を殺すしな」

「余計怖いじゃないのよ!」

「本当に怖いなら自分の部屋に戻った方がいいんじゃないか?」

「ここまで見たら続きが気になるのよぉ……。それに、今自分の部屋に戻ったら、確実に奴が来るわ!」

 そう言った一子は、画面の中に映っているアイスホッケーのマスクを付けた男を指さした。

「もし出てきても、真っ先に殺されるのはオレだ」

「オレが守ってやるって言わないのが慶一らしいわね」

「まぁ、安心しろって」

「安心できなわよ。今日はじいちゃんも、お姉さまも、ルー師範代もいないのに」

 川神院の実力者は鉄心を筆頭に山へと出かけていた。当然その中には百代も含まれており、少々大掛かりな修行をするらしい。残された修行僧もチラホラと川神院で鍛錬をしていたが、いつの間にかその声も聞こえなくなっている。早めの昼食を食べに行ったか、休憩がてらに遊びに行ったかは分からないが、川神院には慶一と一子しかいなさそうだった。

「一子がいれば大丈夫だろ」

「そ、そうかしら?」

 慶一の言葉で、すっと一子の目尻に溜まっていた涙が引く。

「そこらの男じゃ相手にならないくらい強いし」

「まぁね、まぁねー!」

「現に画面の中の殺人鬼も消したしな」

 慶一がテレビ画面に目を移すと、既にエンドクレジットが流れていた。

「あわわ、ごめんなさい」

「まぁ、昔に見たことあるからいいけど」

「せっかくなら見たことないのを借りればいいのに」

「面白い映画は何回見ても面白いからな」

 純粋にストーリを追うのが楽しかったり、登場人物の気持ちを理解した上でもう一度見ると、別の感想が湧いてきたりするものだ。他にも、線路伝いに少年4人が歩いて行く古い映画に、日本でも人気の海外ドラマの主役が出ていたなど新しい発見もある。

「気持ちはわかるけどね。でも、ホラー映画は苦手なのよ」

「そんなに怖いのダメだったか?」

「怖いってのももちろんあるけど、ホラー映画ってほら……。あの……あれよ……シーンが多いじゃない」

 頬を赤く染めた一子は、言い難そうに言葉を濁す。慶一と目線も合わせないその姿を見ると、何が言いたいかは直ぐに理解できた。

「あー、洋画自体に多いけど、ホラー映画って露骨だもんな。お子様にはキツイか」

「お子様……。それは私への挑戦と受け取っていいのね!」

 一子は立ち上がると、慶一にビシッと人差し指付きだした姿勢で、かかって来いと言わんばかりに不敵な笑顔を浮かべる。

「ブラックコーヒーの一気飲みでケリを付けるか」

「それは、慶一が有利すぎない?」

「大和曰く、相手の心を動揺させて自分を有利に持って行くことが大事だそうだ」

「語るに落ちたわね! 自ら作戦をバラすなんて笑止! 私は引っかからないわ!」

 慶一は机の上に置いてあった缶コーヒを二つ手に取ると、そのうちの一つを一子に渡した。

「勝負は勝負。でも、逃げたかったら逃げてもよし。ちなみに一子は微糖でいいぞ」

「ふふふ……勝負と言ったわね! 私は勝負事は逃げない! ハンデを付けたことを後悔させやるわ!」

「どっちが合図をかける?」

「こっちは既にハンデを貰った身、合図は慶一に任せるわ!」

 慶一のよーいという合図で、二人はプルタブを開ける。そしてドンの合図で缶を口元に持っていった。

 一子は腰に手を当てるとゴクゴクと喉を鳴らす。しかし、コーヒーが喉を通る音は、その2回聞こえただけで止まる。

 慶一はそんな一子を横目に見ながら缶コーヒを飲み干した。

「はい、終わり」

 中身が入ってないことを確認するために、缶を持った手を耳元に持っていき揺らして確かめる。水が跳ねる音が聞えることもなく、飲み終えたのを改めて確認していると、一子からゴクゴクと残りのコーヒーを飲み干す音が聞こえた。

「……に、苦いわぁ……。騙したわね慶一!」

「そんなことしないぞ。ちゃんとここに微糖って書いてあるだろう」

「うぅ……。本当だわ。いくらなんでも“微”過ぎるわよぉ……」

「無理だったら残していいのに」

 慶一は一子の手で震える缶を取ると、代わりにお茶のペットボトルを渡した。 

「口に入れたものを出すなんて私には出来ない。それにしても、飲んでる時は苦いのに、後味甘くて口の中が気持ち悪い……」

「まぁ、オレも微糖を飲むくらいならカフェオレ飲むけどな」

「やっぱり騙された気がしないでもない……。さぁ! 次はこっちの得意分野で勝負よ!」

 お茶で口の中にこびり付いたコーヒーの味を喉奥へと流し込んだ一子は、先程と同じように人差し指を慶一に向けた。

「とりあえず昼ご飯にしようや。オレ達二人だけみたいだし、一子が好きなもん作るぞ」

「一時休戦ね! えーっと……何にしようかしら。唐揚げもいいし、トンカツもいいわね。でも、魚も捨てがたいわ……」

「まぁ、考えて考えて勝負のことは忘れろ」

「ん? なにか言った?」

「一子は何事も一生懸命だなって」

 慶一は、首を傾げる一子の頭を撫でながら調理場へと向かった。

 

 

「うーっす。ゲンさん来たぞ」

「来たわよー」

 昼食も食べ終え、川神院でまったりとしていたところ、慶一の携帯にゲンさんから島津寮に来いとメールが届いたので、一子と二人で島津寮に来ていた。

「もう一人の川神院組はどうした?」

「ながしそうめんに行ってる」

「あん? 流し素麺のイベントなんてあったのか?」

「川神院を甘く見ちゃいけないわタッちゃん。流し僧MENよ!」

 一子の得意顔に反して、ゲンさんは顔をしかめるばかりで、理解をしてないないのは目に見えていた。

「ますますわからねぇ」

「滝の上から次々流れてくる修行僧を倒していく修行だとさ。つーか、島津寮にはゲンさんしかいないのな」

「オレも誰かいると思ってたんだが、珍しく誰もいねぇ。冷めちまったら勿体無いから、お前らを呼んだってわけだ」

 そう言ってゲンさんが包み紙を開くと、まだ温かく焼きたての匂いがする焼き鳥が並べられていた。

「わざわざ寮のメンバーに差し入れに買ってくるとは、相変わらず優しいねぇ」

「勘違いするなよ。開業レセプションの手伝いの仕事が入ってな、その土産に貰っただけだ」

「へぇー。焼き鳥屋?」

「あぁ。でも、豚串を売りにするみたいだぜ」

 基本のもも串に、つくねや鶏皮、ぼんじり、せせりなんてのもあるが、その種類を全部合わせても、豚串の方が本数が多かった。焼き目の付いた肉から、上質な脂が光るように顔を出しているのを見るだけで、鶏よりも豚に力を入れてるのがわかる。

「こりゃ、高い肉使ってるな。赤字になりそうだ」

「実際高級店だしな。親不孝通りの店だし精算は取れるんだろうよ」

「あっちは風俗店多いし、高級焼き肉店とかも儲かってるもんな」

「そういうこった」

 慶一とゲンさんが話していると、我慢できずに一子が豚串に手を伸ばした。

「世間話なんてしてる暇ないわ! いただきまーす! あっ……慶一、食べていい?」

「いいぞ。好きに食べな」

 心配そうに聞いてきた一子に慶一が答えるのを見たゲンさんは、不思議そうに慶一に尋ねた。

「一子は食事制限でも始めたのか?」

「いや、オレが川神院であんまり豚バラ使わないから気にしてんだろ」

「あぁ、スポーツ栄養学とかそういうのか」

「普段というか、こういう時に気にしなくていいように、川神院ではあんまり使わないようにしてんだけどな……。はい、ここで問題です。筋肉を作るのに大切なモノはなんでしょうか?」

 慶一の問いに一子が元気よく手を上げて答える。

「はーい! タンパク質! 私は毎日欠かさずプロテイン飲んでるわ!」

「正解。タンパク質は体内に入るとアミノ酸に分解されますが、分解するためには何が必要でしょうか?」

「えっと……」

「ビタミンB6だったっけか。川神院では、前口がそういうのも気を付けて作ってんだろ?」

 答えられない一子の代わりにゲンさんが答えた。

 最後の付け加えられた一言を聞いて、一子はやってしまったと言わんばかりに苦笑いを浮べた。

「そうそう。ビタミンB群が足りないと、飲んだプロテインが無駄になることもあるってわけだな。そもそも、タンパク質というのは数十万の種類があって、20種類のアミノ酸の様々な組み合わせから作られているわけだが、その20種類のアミノ酸のうち9種類は体内で作り出すことは出来ないので、食物から取り込まなくてはいけなくなる。所謂、必須アミノ酸というやつだな。アミノ酸というのは必ずしも食材から摂らなくてはいけないわけではなく、場合によってはサプリメントの方が効果的な場合もある。さっきも言った通り、食材からアミノ酸を摂るためには体の中でタンパク質を分解する必要があり、体内に吸収するには時間が掛かってしまう。そのため運動中のスタミナアップや、運動後の疲労回復の場合には、アミノ酸のサプリメントを直接摂った方がタンパク質を分解する必要がないから、直ぐに効果が現れるわけだ。それじゃ、なぜ普段の食事でタンパク質が大事になるのかというと、消化吸収されたアミノ酸が余分になると、エネルギー源として利用しようとするわけだ。作り出されるものには、グルコース……、ブドウ糖と言った方がわかりやすいか。まぁ、それが――」

「ちょっと待て! 話が脱線してきてるぞ。一子が大変なことになってる」

 一子は食べる手を止めて、呆然としていた。興味のない話だと睡眠に入るが、鍛錬に関わる話だったので耳を傾けた結果、理解できずにオーバーヒートしてしまったらしい。

「うう……。わけわかめで、アミノ酸が嫌いになりそうよ……」

「ほら、茶だ。これでも飲んで頭をスッキリさせろ」

「ありがとうタッちゃん」

「オメェもだ前口。茶ぁ飲んで一回リセットしろ」

 目の前の湯のみから、よくある田舎の風景が思い浮かぶような芳ばしい番茶の匂いがする。それを嗅ぐと慶一の心も少し和らいだ。

「わりぃわりぃ。話を戻すと、タンパク質を多く含む食材とはなんでしょうかってことだな」

「肉ね! 間違えようがないわ!」

 復活した一子が、再度元気よく答える。

「またまた正解。偉いぞ一子。バラ肉、霜降り肉は確かに美味しいけど、こういった肉はタンパク質の量が少ない割に脂質が多くなるわけだ。脂質もエネルギー源として大事だけど、摂り過ぎると体脂肪として蓄えられちゃうから気をつけてるって話」

 慶一は言い終えると、豚串を一つ手に取り口へと運んだ。

 豚バラの甘みのある脂が、焼き目の付いた長ネギの甘みと合わさり、薄い塩味に良く合っている。唇に付いた油を舐めとると、余計な味付けをされていない豚そのもの旨味が感じられた。

 炭火で余計な油を落として焼いた豚串は、歯でカリッとした焼き上がりを感じ、舌の上ではとろけるように豚の旨味が広がる。ただの塩っ辛い豚串だと白飯が欲しくなるが、しっかりと旨味を閉じ込めた肉は、もう一度肉の旨味を舌の上で広げたくなり、白飯よりも肉が欲しくなる。

 ふわっと鼻孔に抜ける炭の香りも食欲を誘う。

「川神は焼き肉でも有名な街だしな。レセプションの帰りも、川神院の修行僧が焼肉店に入ってくのを見たぞ」

「まぁ、昼はいいんだけどな。脂質だってエネルギー源だし。ただ、夕食に暴食すると内臓に負担かかるのが問題なんだよ。夜は内臓も休み状態に入ってるからな」

「夏は胃腸をやられる奴が多いもんな」

「そうそう。一子とか師範代クラスの人は別として、修行僧全員が胃腸が強いわけじゃないからな。挽き肉料理を作るときもレバー混ぜたりして色々やってるよ」

 焼き鳥をほうばっていた一子が、思い出したように会話に混ざってくる。

「そんな川神院にも豚バラ解禁日があるのよ!」

「ほう、なんか凄そうだな」

「そんな仰々しいもんじゃないけどな。回数少ないだけで、豚バラは使うし。ただ、2、3ヶ月に一回大量に豚の角煮を作るだけ」

「口の中でホロホロになって溶けるの。まさしく絶品ってやつよ! 今度タッちゃんにも差し入れで持ってくるわ。いいわよね? 慶一」

 一子が自慢したそうにウズウズとした顔を慶一に向ける。

「もちろんいいぞ。楽しみにしててねタッちゃん」

「テメェまでタッちゃん言うんじゃねぇよ。つーか、別にいらねぇよ」

「ありゃ、拗ねちゃった」

「拗ねてねぇよ!」

「まぁまぁ、島津寮に差し入れるから、みんなと一緒に食ってくれって。なぁ――」

 一子。と続けて言おうとしたが、話題を出した本人はいつの間にか寝息を立てていた。

 見かねたゲンさんが優しく肩を揺らす。

「おい、一子。こんなところで寝たら体が痛くなるぞ」

「お腹いっぱいになったしな。それじゃ、後は頼んだぜゲンさん」

「おい、帰るなら一子もちゃんと連れてけよ」

「起こしたら可愛そうだろ。それに、帰ったらホラー映画見ないといけないし。今度こそ見逃してたまるか。実はまだ見てねぇんだよ」

 慶一は片手を上げると「じゃあ」と言い残して島津寮を出た。

 携帯を見ると、時刻は夕方に近づいている。

 歩く足は早く、ひたすらに足を進めた。

 思うことは一つ。百代が帰ってくる前に見終わらなければ。それだけだった。

 

 

 急がせた足は無駄になり、慶一が部屋のドアを開けると百代が座っているのが見えた。

「おかえりー」

「た、ただいま……。あの、映画見ていいか?」

「面白そうなのだったら私も一緒に見るからいいぞ」

「……ホラー」

 慶一の言葉を聞いた百代は、ゆっくり首を横に振った。

 

 

 

 

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