真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第八十四話

 桂馬は途中に駒がいても飛び越えて先に進める。相手の陣地の3段以内に入れば成駒となり、金と同じく6方向に進めるようになるが他の駒を飛び越えることができなくなる。

 慶一はルールブックを片手に将棋の駒を一つ動かす。

「桂馬ってのは面倒くさい動きだな」

「トリッキーな動きっていうんだよ。オジサンは好きだけどな桂馬」

 そう言うと宇佐美は慶一が動かしたばかりの桂馬を遠くから角で取った。手の中で取ったばかりの駒を遊ばせる度に、カチャカチャという音が鳴る。

「なんでオレが宇佐美先生と、ルールも知らない将棋をしてるんだか」

 慶一は桂馬を取れたのを気にも留めなかった。使い道が分からないものを取られたところで、ただ駒が一つ減ったくらいしにか思わなかったからだ。とりあえず思案を巡らせ悩んでみるものの、正解は分からず適当に駒を動かす。

「別にオジサンが呼んだわけじゃないからね。前口が勝手に茶道室に来たのを忘れないように」

「教室から逃げられればどこでも良かったんですけどねー。なんか皆浮かれてるから居づらくて」

「オジサンも決闘の立ち会いが面倒くさくてここに逃げ込んだんだけどな。久々に顔を合わせたら決闘とは、川神学園は元気な学生が多いもんだ。まっ、オマエさんも間違いなく浮かれてる人間の一人だと思うがね」

 宇佐美は駒台の上に無造作に桂馬を置くと、人差し指を慶一向けた。

「その通りなんだけど、根掘り葉掘り聞かれるのはどうもね……」

「オジサンが小島先生を口説き落とした日には、武勇伝語りまくっちゃうけどね」

 自分の言葉で色々と想像したらしく、宇佐美はニヤけた笑みを浮かべて顎鬚を撫でる。

「その顔どこかで見たことあるな……。あぁ、ガクトが新作AVの抜きどころの話をする時の顔だ」

「島津と一緒にすんじゃねぇよ。オジサンのは純愛だよ。じゅ・ん・あ・い。お堅い女をとろかせるのは、昔から純愛って決まってるもんだ。酒と優しい愛の言葉は、心と股を開く潤滑油ってな」

「純愛と言い張るなら、付き合う前に股を開かせることなんて考えないんじゃ……」

「オジサンの年で肉体関係がない恋愛なんてありえないって」

 手数が進むにつれ、将棋盤は汚く駒が散らばっていく。慣れない将棋で、混ざり合った駒から自分の駒を探すのも一苦労だった。

「ウメ先生は生徒にも人気あるし、そのうち卒業生に掻っ攫われる可能性も捨てきれない気もするけどな」

「男子生徒と女教師なんて、ただ幻想よ。女教師の相手は同僚に決まってんだろ。生徒のことで相談を持ちかければ、デートの誘いもバッチリってわけだ」

 親指と人差指で顎を掴み、どこか余裕あり気な微笑を浮べる宇佐美だが、余った方の手で淋しげに自分の膝を叩いていた。

「そんなにデートしてるとは知らなかった」

「成功率は三割ってとこだな。その三割もルーやゲイルというオマケ付きだ」

 宇佐美がため息を吐くのと同時にガクッと頭を下げると、顎に付いていた手はそのまま額を押さえて項垂れた。

「それはただの食事会になってるような……。つーか、恋がどうたらの話が嫌で茶道室に来たのに、なんで恋の愚痴を聞く羽目になってんだか」

「たまにはオジサンの愚痴も聞けよ。飲み屋のネーチャンに愚痴っても、ありきたりな励ましの言葉しか帰ってこないんだよ」

「オレの愚痴を聞いてもらった覚えがないですけどねー。まぁ、その調子じゃ、ゲンさんの方が先に結婚しちゃうかもよ」

「ありえそうな事言うなよ。ただでさえ雨で気分が晴れないのに、余計に気が滅入るじゃねぇか……」

 雨脚が急に強まると、茶道室の蛍光灯の輝きが増した。いつの間にか空を覆う雲は灰色から真っ黒く厚い雲に変わっており、雨粒が散弾銃のように窓に叩きつけられている。

「前途多難ですね」

「ちくしょう……。天気までオレを馬鹿にしやがる」

 宇佐美は再び深い溜息を漏らした。それでも慶一が将棋盤に駒を指す音が聞えると、顔を上げて続きを指した。

「将棋は良く分からないけど、オレが敗色濃厚ってのは分かるな。どう挽回すればいい?」

「対戦相手に聞くなよ……。つーか、前口よ。敬語とタメ口混ざるの気をつけたほうがいいぞ。他の先生がいない時はタメ口でいいって」

「基本年上には敬語なんですけどね。宇佐美先生の場合は、敬う気持ちと、侮る気持ちと、見下す気持ちが混在してるから、ついつい混ざっちゃうんですよね」

「悪い方に思われてるのが一個多いじゃねぇか……。まぁ、他の奴の前で気をつけてるならいいさ」

 慶一は大駒ばかり動かすので、対局が後半になるにつれ打つ手がなくなり、宇佐美の駒が次々に慶一の陣地に入り込んでいた。

 王に迫ってくる宇佐美の駒を見ると、慶一はつまらなさそうに口を開く。

「つーか、オレと将棋する意味あります?」

「前口に勝って、放課後はそのままの勢いで直江に勝つんだよ」

「初心者のオレに勝ったって勢いが付くとは思えないけど」

「いいんだよ。負け癖が付く前にここらで勝っとかないとな。はい、王手」

「……参りました」

 一局の将棋を指し終えると、慶一はそのまま後ろに倒れて身体を伸ばした。背中にひんやりとした板間の感触が広がる。

「意外だったな、じじ臭いって言われてるし将棋とか得意だと思ってたわ。持ち駒使わなくても余裕勝ちしちゃたぜ」

「オレってテレビゲーム世代だから」

「子供は外で元気に遊ぶもんだと思うけどな」

「今は注意する大人が休日は家でゲームをするような時代だし。それより、まだ朝礼始まんないの?」

 慶一は倒れたままの体勢で、畳がある場所まで転がりながら移動する。

「オジサンの携帯には連絡はきてないな」

「催し物でもあるのかねぇ……」

「いや、学長の用事で遅れてるだけだし、他の先生方も好き勝手やってるよ。もう一局やって、オジサンに自信を付けさせる気はないか?」

「負け組の根は深いねぇ……」

 

 

 角道を開ける。飛車先の歩を伸ばす。というのはよく聞くが、初心者が駒の動かし方を覚えたところでその先が分からない。とりあえず本に書いてあるように王を囲っておく。宇佐美の駒というよりも、手元の本と睨めっこしながら将棋を指していると、靴底がキュッキュと不思議な音を奏でるのが聞こえてくる。近づいてくる足音は止まることなく扉を開けた。

「チーずちくわ」

「よう命酒」

 弁慶の適当な挨拶に適当に返すが、入ってくる様子がない。慶一は横目で弁慶の様子を伺うと、入り口に立ったままキョロキョロと視線を彷徨わせていたが、直ぐに中へと入ってきた。

「クラスで勉強の話やらお家自慢が始まってねぇ。空気が合わなくなってフラッと出てきちゃった」

「Sクラスは浮かれ方も違うんだな」

「ある意味夏休み前と変わんないね」

 慶一が座る場所を開けると、弁慶はそこに腰を下ろした。そして、再び目を彷徨わせる。

「さっきから何を探してんだ?」

「店員さん。お通しが出てきてないよ」

「最近はお通しを嫌がる若者が多いから、サービスに入れないようにしたんだよ。良心的な店だろ」

「何も考えずに直ぐに酒のあてが出てくるのは、結構な利点だと思うけどね」

 コルク栓を抜く音とが聞こえたかと思うと、後を追って川神水を注ぐ音も聞こえてくる。

「毎度毎度飲んでるけど飽きないのか?」

「飽きないねぇ」

 弁慶は杯に注いだ川神水の色合いや濃淡を鑑賞した。そこから味を深く想像する。視覚だけではなく、嗅覚で感じる強い匂い、淡い匂いも想像を豊かにする大事な要素だ。期待は膨らませるだけ膨らまして、舌に触れる味覚を楽しむようにチビっと口に含む。期待通りかそれ以上の味だったらしく、顔を蕩けさせて笑顔を浮べた。

「飲兵衛の飲み方だな。随分味わってるけど、銘柄でも変えたのか?」

「いつもの川神水だよ。こう……、焦らして焦らして口にすると美味しさも数倍」

「一ヶ月くらい川神水を飲むの止めたら、もっと美味しいだろうに」

「一ヶ月も川神水を飲まないなんて、それはもう私じゃないね」

 弁慶は喉を鳴らし川神水を体に染み渡らせると、ヒョイッと歩を持ち上げて裏返して置いた。

 将棋盤を見下ろしていた宇佐美の顔色が変わる。

「げっ、こりゃまたエグイ手を……。つーか、ナチュラルに打ち手を変わってんなよ」

 悩みに悩んで駒を一つ動かすと、宇佐美は恨めしそうに慶一の顔を見た。

「人生、そんなに都合よく勝ちは転がってないってことだな」

「そんなのオジサンが一番分かってるよ。あーあ、王座に付いたのは一局だけかよ」

「三日天下も霞むくらいの負けっぷりだね。そこから挽回出来ないもんなの?」

「出来るさ、きっと。いや、多分。……万に一つの可能性で。まっ、いざとなったら直江を召喚するさ」

 弁慶が杯を宇佐美に差し出して川神水を注ぐと、私の勝ちだと言わんばかりに強引に杯を合わせて音を鳴らす。

「大和なら来ないよ。なんか決闘に呼ばれてたから」

「とほほ、贔屓の生徒にも見放されるとは」

 宇佐美はため息を吐くと、空気を吸うかわりに川神水を飲み干した。

 弁慶も自分の杯に入った川神水を飲み干して「王手」と一言残すと、将棋盤から目を離して慶一を見た。

「で、慶一はまだ朝走ってるの?」

「走らされてるんだよ。一日置きに走ってるから、一日置きに新しい筋肉痛が襲ってくるよ。最近はずっと治りかけのだるい感じが続いてるな」

「いいじゃねぇか、次の日に来るんだから。オジサンの歳になると中二日で筋肉痛が来るよ」

 首を左右に振って軽く骨を鳴らした宇佐美は、スーツに皺が付くことなど気にせずに床に転がった。

「ああならないためにも、夏休み中は続けるか」

「また河川敷で見かけたら、ストレッチくらいは付き合うよ」

「いや、川神先輩にマッサージ受けてるからいいや」

 眠くなってきた目をこすりながら慶一は答えた。

「おぉ、武神をはべらすとはやるねぇ。私のことも慶一のハーレムに加えてみる? 一子ちゃんと同じ扱い希望」

「いいねぇ、黙ってても飯は出てくるし。オジサンも希望。末端でいいからそのハーレムに加えてくれ」

「ハーレムとは名ばかりで、ただの家政婦の仕事だな。コレがかかるよ」

 慶一は親指と人差指の先端を合わせて輪を作り、残りの三本の指を伸ばすと、二人に手のひらを差し出して金をくれとサインを出した。

「でも、実際体は大丈夫なの?」

「ただの運動不足の解消だからな。最初の二、三日以外は普通に生活出来てるよ」

「まぁ、あんだけ体が固かったら怪我もしそうだしね。そういえば、あの時の報酬まだ貰ってないね。いつになったら慶一は気が向いてくれるんだろう」

 その言葉を聞いて、ストレッチを手伝ってもらった時に弁慶がそんなことを言っていたのを慶一は思い出した。

「気が向いたらって言葉は、断るって意味だぞ。つーか、この間桃のコンポート作ったの九鬼にも置いていったハズだけど」

「うん、美味しかったよ。ツマミじゃなかったけどね」

 あくまでツマミにこだわる弁慶は、唇を突き出して不満そう膨れている。

「そんな気が利いたものオジサンは貰ってないけどなぁ」

「はて、精力付くもの作った覚えがあるんだが」

「溜まったものを小島先生で発散できなけりゃ意味ねぇよ。調子に乗ってハシゴしたせいで金は無くなるし……」

 自業自得と言えばそれまでなのだが、妙な哀愁を漂わせている姿を見ると、宇佐美が少し気の毒にも見えてくる。

「そんなにツマミが食いたいなら、放課後まで待つのが一番かな。大和がなんか持ってきてるみたいだし」

「さすが直江だ。軍師と嘯くだけあって気が利くな。どっかの誰かと大違いだ」

「というか、宇佐美先生は別にツマミを欲しがるキャラでもないでしょうよ」

「ツマミ、ツマミと連呼させれると食べたくなるんだよ。おでんとか夏でも食いたくなるからな」

 宇佐美は何度目かも分からないため息を漏らすと、腕に頭を付けて本格的にだらける姿勢に入った。

「確かにいいなぁ……。明日は冷やしおでんでも作るか。冷蔵庫にトマトあったかな」

「なに、オマエんとこのおでんってトマト入ってんの?」

「冷やしの時だけですけどね。温かいおでんの時に入れたら、とけ出してトマトスープになっちゃうし。湯剥きしたトマトに和風出汁が染みこんで美味いですよ」 

 かぼちゃと獅子唐を素揚げにして、塩茹でにしたオクラ。練り物は枝豆のさつま揚げと白チクワ。念の為にトマトは別に煮込んでもいいかもしれない。ゼラチンで固めると煮汁の栄養も取れるし、雨でまた蒸し暑くなりそうだしちょうど良さそうだ。

「たまには変わり種もいいかもな。忠勝に渡しといてくれればいいからよ」

「オレなりに気を利かせると、宇佐美先生はもう少し自炊した方がいいと思うんだけど」

「根に持ちやがって。釣った魚に餌をあげろっていうだろう」

「それ前に弁慶にも言われたな。どうせ釣るなら、魚の方のオジサンを釣りたいよ。アレ刺し身が甘くて美味いんだよ」

 慶一と宇佐美がおでんの話をしてる間ずっと口を閉じていた弁慶が、おもむろに口を開いた。

「今回は悪態もつかず黙って聞いてた私には、慶一に餌付けされる権利があると見た」

「佐渡には、長年かけてダイバーに餌付けされて懐いたコブダイがいるらしいぞ」

「ほうほう、それで?」

「それが弁慶と呼ばれてるんだとさ。今度キャップとそっちの弁慶に餌付けに行くよ」

 

 

 

 

 

 




ちなみにこのコブダイの弁慶は2013年に亡くなって、次のボスはヤマトと呼ばれているらしいです。
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