真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第八十五話

 九鬼の極東本部のビルがある大扇島へ向かうためには、海中トンネルを通る必要がある。歩行者用のトンネルの入口は何処か寂しい雰囲気で佇んでおり、地下鉄の入口のような建物に海底へと続く階段が存在している。

 慶一は、昼間なのに蛍光灯が良く照らしている階段を降りた。

 開口部の染み出た雨水が階段を濡らしているので、滑らないようにゆっくりと階段を下る。少し階段を降りたところにある自動ドアを過ぎても、また暫くは階段を降りて行かなければならない。

 ひんやりとした空気が漂い始めると、雨水が流れる音の代わりに、壁越しに車が通る音と自分の足音が響いた。定期的に「自転車は降りて押して通りましょう」という旨のアナウンスが流れ、知らず知らずのうちに頭の中で反芻してしまう。遠くに響く自分の足音と相まって、一人なのに誰かと歩いているような憂懼が静かに襲ってくる。

 幽霊が出ると噂されるに相応の不気味さを醸し出していた。出口が見えず、それも同じ風景が延々と続くため、道程が遠く感じる。

 10分ほど歩くと、ようやく上り階段が見えてきた。それを見ただけで、無機質なトンネルの圧迫感から開放された気がする。

 息の詰まるようなトンネルを歩いてきたせいか、外の蒸し暑さが近づいてきたせいか、ひんやりとした空気でも体はうっすらと汗ばんでいた。

 駆け足気味で階段を上り外に出ると、変わらずの雨が地面叩きつけられていた。

 振り返ると、雨で霞んだ景色の向こうの対岸に公園が見える。あそこから歩いてきたんだと思うと、何故か30分以上歩いたよう気がした。

 ビルに向かってしばらく歩くと、見回りをしている九鬼のメイドや執事が目立ってくる。見知らぬ顔に軽く会釈をすると、立ち止まって頭を下げられた。向こうは職業柄慶一のことを覚えているのかもしれないが、知らなくても挨拶はされる。

 今日に限らず大扇島を歩いていると九鬼の従者に声をかけられることが多い。知人他人というのは関係なく、防犯の目的があるのだろう。

 ビルの玄関に着き担当の者に要件を伝えると、直ぐに李がやってきた。慶一は先導されながら内部を歩く。

「もう何回来たか分からないですけど、海中トンネルの空気は慣れないですね……」

「しっかり監視されてるので安心してください」

「その監視カメラが、また不安を煽るんですよ」

 悪いことをしているわけではないが、あちこちにある監視カメラを見かけると変に緊張してしてしまう。とてもじゃないが長いことあの場にいたいとは思わない。そのせいか、禁止されているにもかかわらず、自転車に乗ったまま通り抜ける人が結構いる。

「なにかあっても九鬼が近いので大丈夫ですよ。だから、不案内でも不安ないです」

「まぁ、そうですよね。仲見世通りも川神院が近いおかげで治安が良いですし」

「そうではなくてですね。いや、そうなんですけど。今のは不案内と不安ないをかけたわけでして」

「不安といえば、去年みたいにトンネルが冠水しないか心配ですね」

「そうですね。まだ2、3日は雨が続くそうですし。早く晴れにしてくレイン……フ、フフフ。こう雲が多いと、雷をくらうど。ぷっ」

 李は自分のダジャレにで一人で笑い続け、くだらないダジャレを連発する。ウケていないことに気付いていないのか、自分で本当に面白くて笑っているのか、表情からは読み取れない。

「どうせ当たらないからって高を括くってると以外に近くに落ちてびっくりますよね」

「そうですね。雷といえばサン――」

「いや、もうダジャレはいいです。なんかダジャレって伝染るんですよね。李さんと会った日は、帰ってからも自然とダジャレが口に出て困るんですよ」

「なるほど。良いことを聞きました。ステイシーあたりはそろそろ伝染してもおかしくないですね」

「ライバルが増えますよ」

「互いに切磋琢磨して腕を磨く。いいことじゃありませんか」

「ライバルが欲しいなら、街中でおやじを探すといっぱい見つかりますって」

 調理場に着くと、ダンボールが積まれているのが見える。中身は慶一が頼んだ食材で、生ものはしっかりと冷蔵庫で保管されていた。

「支払いはどうしますか?」

「いつもニコニコ現金払いで」

「はい、こちら領収書です」

「やっぱり、結構高くつくな……」

 慶一は現金を渡して、李から受け取った領収書を財布にしまうと、ダンボールからなるべく真っ直ぐになっているナスときゅうりを探して取り出す。

「今日はお菓子作りではないのですね」

「今回は作りたいものよりも、試したいもの優先ってことで。まずは山形のだしですかね」

 言いながら慶一はミョウガとオクラも取り出す。他にも山芋や葱など生で食べられる野菜があるが、せっかくなので夏野菜で揃えることにした。

「まずってことは他にも作るのですか?」

「鶏レバーの煮込みとおからの煮物、唐揚げの南蛮漬け。他にもあと2種類くらい作って置きたいですね」

「ずいぶん作るのですね。川神院を空ける予定があるのですか?」

「川神院の間食用に冷蔵庫に入れておこうと思いましてね。鍛錬に効果が出たら学長に金出して貰う予定です」

 間食というよりも、補食といったほうが正しいかもしれない。トレーニング後は、貯えられていたエネルギーが減り、筋肉も披露している。小腹を満たすためだけに適当なものを食べるよりは、タンパク質をしっかりと摂ることが、体作りと疲労回復のポイントとなる。

 そこで慶一は、何種類か作り置きしたものを冷蔵庫に入れておけば、自分に足りない栄養素を取りやすいだろうと考えた。

「実績を上げてから交渉するとは、なかなかやりますね」

「夏休みが終わっても作る時間があるかという問題もあるんですけどね」

 斜めに包丁を当てて鉛筆を削るようにナスのヘタを取り、縦に棒状に切っていく。それを更に、さいの目切りより小さいあられ切りにして、塩水が入ったボウルに入れていく。夏の茄子はみずみずしく食感が柔らかいので、実のしっかり詰まった秋の茄子とは違う美味さがある。

 きゅうりもナスと同様に切って、塩水に入れる。こうすることによってアク抜きも出来るし、仕上がりの色落ちを防ぐことが出来るからだ。

 塩水につけていた野菜を水切りしている間に、塩もみをして茹でたオクラを輪切りにする。ミョウガと大葉は邪魔にならないように細くみじん切りにして、すりおろした生姜と合わせておく。

 大鍋に水気を切った野菜と薬味を入れて、昆布と鰹の合わせ出汁を入れて粘り気が出るまでよく混ぜる。

 慶一は一口分を皿に移して李に渡すと、自分のも皿に盛り味見をした。

 噛むと薄皮が弾けるような歯触りのナスと、青々としてさっぱりとした味のきゅうりが、辛苦いミョウガと大葉の香りに良く合っている。

 食べ終えた李が口を開く。

「これは……。美味しい浅漬けですね」

「ですよねー。まぁ、まだ途中ですし」

 これはこれで美味しいのだが、今回は“山形のだし”を作っているので、更に醤油を少し入れて、市販品のように濃くなり過ぎないように塩で味を整えていく。

 これだけでも充分美味いが、玉ねぎや青唐辛子などを入れて鼻に抜ける辛さを足しても良かったかもしれない。

 冷蔵庫で寝かせるために大鍋に入った山形のだしを、しっかり消毒した角型のフードコンテナに詰めていく。

 900mlのフードコンテナ8個ほど積み上げたところで、慶一の手が止まった。

「どうしました?」

「川神院の冷蔵庫じゃ、場所が足りないと思いまして」

 残りも詰めると、合計でフードコンテナが10個になる。量は計算して作っていたので問題はないのだが、保存する場所を計算に入れていなかった。一品を一週間分作る予定だったので、他のを作るにしても同じくらいの量になる。

「それは仕方ないです。欲張らずに二品くらいで我慢するしかないですね」

「作り始めて楽しかったのに、一気にやる気が……」

「まるで今日の天気ですね。人生楽ありゃ雲あるさ。コレはですね、“苦も”を“雲に”見立てるという詩的な表現も含まれています」

 ダジャレを聞かされる側は、素知らぬ顔をしたり眉をひそめたりと、その時の気分によって露骨に態度に出る。懲りずに出てくる李のダジャレは、陰鬱な雨の日の影を(ほが)らかに照らすようで、慶一の顔に自然と笑みが浮かんだ。ダジャレに効果があるとすれば、こういうことなのかもしれない。

「面白かったですか?」

「和んだって笑いです。ダジャレは面白くなかったですよ」

「おふっ。戦犯はどこでしょうか?」

「ダジャレ自体が戦犯の気もしますけど。……間髪入れずに説明したところじゃないですかね」

 野菜が多いものは作ったので、もう一品は黒酢を効かせた鶏レバーの煮込みにすることにした。

 作り終えた鶏レバーの黒酢煮は、大きめのバットに広げて網に乗せる。冷めないうちに蓋をしてしまうと蓋の裏に水滴が出来て、それがオカズの痛む原因になってしまう。

 慶一は粗熱を取っている間に、残りの食材を見ながら考えていた。

「余った材料はどうしますか? 九鬼で保存しておくことも出来ますし、川神院に送ることも可能ですよ」

「川神院も今しまっておくところがないし、九鬼にもそんなに来ないですし……。恩の押し売りでもしときます」

 

 

 夕方になっても雨は止まず、送ってくれるという九鬼の厚意に甘えておけば良かったと後悔しながら歩いていると、爛々と目を光らせる井上の姿を見かけた。

「おさわりまんこっちです」

「YESロリータ、NOタッチ! 私はマナーを守ります!!」

「井上が一人とは珍しいな」

「雨が強くなってきたからな、子供が事故らないように定期見回り中だ」

「子供を狙ってる男にしか見えないぞ」

「我、ロリにあらず」

「そうだよ。オマエの場合は最後にコンが付くんだよ」

「狐耳の幼女か。非現実的だが、それも悪くない」

「頭と同じで不毛な奴だな」

「でもよ、最近オレ思うんだよ」

 低い低い声でそう言って一度口を閉じると、今まで聞いたことのないような真面目なトーンで続きを話し出す。

「初恋って大体小学生かその前くらいだろ。だから、そのくらいの年齢の子に惹かれるのは人間の性だと思うんだ」

「まぁ、ネットじゃ井上と同趣味の奴が多いって話は聞くよな。情報元が情報元だけに鵜呑みにはしないけど」

「ロリコニアという王国が出来るくらいの人数はいるからな。それに、こういう話が出ると男が槍玉に上がるけどさ、女だって若作りが好きだろ? 結局は男も女も皆ロリに惹かれてるんだよ」

「いやー……。若作りとロリを結びつけるには強引すぎると思うけどな」

「ロリに生まれてロリに返る。輪廻転生というのはそういうことだと思うんだよ」

 井上は真っ直ぐに慶一を見ているが、視線の先は遥か彼方を見つめているような瞳だった。

「とりあえずオマエが間違った悟りを開いたってことをは分かったよ」

 慶一の言葉を聞いて井上は口から息を漏らすように笑った。蔑むような笑いではなく、なにか余裕を持ったような自信に満ちた笑いだった。

「悟り。その言葉もまたロリへと繋がるのだよ。委員長を見てオレそう思ったね」

「仏教者もびっくりだよ」

 久しぶりの学校は、ロリコンをも浮かれさせていた。

 

 

 その日の夜。九鬼では弁慶が川神水を飲もうとしていた。

「今宵の川神水のツマミは決まりぃ~」

 弁慶が義経に絡みつくように抱きついた。

「弁慶、まだ飲んでないに酔ってるのか」

「我が可愛い主の匂いで、酔いも回る回る」

 義経をくすぐって笑わせている姿を見て、与一がため息を吐く。

「それはただのオヤジだろ。姉御は気楽に生きれて羨ましいぜ……」

「与一。無駄口叩く暇あるなら、ツマミ作れ」

「命令かよ! 止まってくれオレの体!」

 条件反射で部屋から出て行こうする与一を、義経が立ち上がり止めた。

「義経が持ってくるから与一はここにいてくれ。今日は久々の学校で二人とも疲れただろ」

「いいんだよ義経。与一に行かせれば」

「たまには義経を頼ってくれ。弁慶のツマミをしっかりと持ってくるぞ」

 そう言うと、義経は部屋から出て行った。

「健気だねぇ、私達の主は」

「つーか、姉御から逃げたかっただけなんじゃないのか?」

 投げられるような殴られるような音を背中に聞きながら、義経がドアを締めると李が通り掛かった。

「おや、義経。ちょうどいいタイミングでてきました」

「李さん。すまない少し用事があるんだ」

「これ慶一から御三方への差し入れだそうです」

 李は、一個、二個、三個と積み上げ、合計五個のタッパーを義経渡す。

「わわっ、こんなに」

「一週間分はあるそうなので、食べ終えたら冷蔵庫で保管するようにと言っていました。では」

 義経が振り返りドアを開けると、与一が締められているところだった。

「おや、お早いお帰りで」

「出て直ぐに李さんに渡されたんだ。前口君から私達に差し入れだそうだ」

 その言葉を聞いた弁慶は与一をほっぽり出して、義経の手元からフードコンテナを持ち上げた。

「なんと!? あさりとキャベツの酒蒸しに、アボカドと長芋の山葵醤油和え。グレープフルーツの砂糖漬けまであるとは……。選び放題じゃないか。風鈴市からねだってたかい甲斐があったなぁ」

「弁慶……。あまり迷惑をかけちゃダメだぞ」

 上機嫌に浮かれる弁慶を見ながら義経は言った。

「慶一は本当に嫌だったらこんなの作らないよ」

「そうなのか?」

「さぁ? でも、そういうことにしておいた方が主も困んないでしょ」

「弁慶!」

「冗談冗談。怒った主も可愛いなぁ」

 弁慶は、先ほどのように義経にギュッと抱きつく。

「もう……。一週間分くらいあるから、食べる分だけ取ったら冷蔵庫で保存して欲しいとのことだぞ。弁慶」

「おぉ!」

「弁慶宛ての手紙もついているぞ」

 手紙を開くと「金壱萬円也」と書かれていた。

「おぉ……」

 弁慶はクシャッとそのまま手の中で手紙を丸めた。

 声色が変わった弁慶に気付いた与一が、不思議そうな顔をしていた。

「なにが書いてあったんだ? 姉御」

「んー、なんでもない。ほら。与一、あーん」

「なんだよ姉御、気持ちわりぃぞ」

「そぉい!」

 弁慶は与一の口の中に丸めた手紙を押し込んだ。

「黒ヤギさんたら読まずに食べたっと」

 

 

 

 

 

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