空気を入れ替えるために、朝は調理場の窓を空ける。花の香りが風に乗って網戸越しから届くのが、実に夏らしい。
慶一はいつも通り川神院の朝御飯を作り終えると、新たに調理を始めた。
別に炊いたご飯を二つに分けてボウルに入れて、一つは塩焼きにした鮭をほぐして醤油と酒をなじませたものに、千切りにした大葉を加えて混ぜる。おにぎりは臭いが移りやすいので、こうすると鮭臭さが大葉の爽やかな匂いに包まれて気にならなくなり、臭いを気にせず鮭の脂のうま味を味わうことが出来る。
もう一つはシンプルに塩で握る。まだアツアツのご飯のうちに、天然塩を手になじませて三角の形を作る。シンプルで味の想像がしやすいからこそヨダレがでる。単純に塩むすび単体が美味いということもあるが、天然塩で甘さが引き立つご飯は、どのおかずにも合う。日本人独特の味の表現に「ご飯に合う」というものがあるが、これほど単純でわかりやすい表現もないだろう。
次は、日本酒とすりおろした生姜に漬けてあった鶏もも肉を醤油に浸し、表面に照りが出るまで揉むように混ぜる。鶏肉のうま味がなく、ただの醤油味の唐揚げになってしまわないように、漬け込むのは酒と香味野菜だけ。
揉み込んだもも肉に衣をつけて油の中に入れると、大きなあぶくが出来て、それが弾ける度に生姜の臭いを漂わせる。泡が小さくなり、衣がきつね色になったら油から上げて、予熱で中まで火を通す。
唐揚げを冷ましてる間に、今度はしっかりと漬け込んだ煮物をもう一度温めて汁気を切って置いておく。玉子焼きはお馴染みとして、場所埋めのためにポテトサラダのハム巻きを作る。
塩茹でしたアスパラにベーコンを巻いて、巻き終わりを下にしてフライパンに並べていく。弱火にしてじっくりと焼いていくと、ベーコンから出た油が身の下に溜まり弾けだす。裏返すと焦げ目の上で沸騰したように油が泡を出して踊っていた。茶色の焦げ目とアスパラを美味しそうに光らせる。
ベーコンの香ばしい匂いが残る中、茹でていたほうれん草を取り出して、水気を絞り醤油をかけて醤油絞りにしたものを海苔で巻いて一口サイズに切る。
巻くものが多いが、箸で摘めるのが大事だから仕方がない。今日は久しぶりの弁当作りだった。
巻きついでに、豚もも肉をゴボウやキノコなど足りない野菜を巻いて、先ほどのアスパラのように焼いていく。それに砂糖、醤油、みりんを混ぜ合わせた甘辛たれを絡ませて、素揚げしたカボチャを添える。
レタスと塩茹でしたブロッコリーは仕切りにも彩りにも丁度良い。
三段の重箱を用意して、一段目にはおにぎり。二段目には主菜。三段目には副菜を詰める。それとは別に。キウイ、パイナップル、オレンジ、リンゴをタッパーの中に詰めて風呂敷で包む。それとドリンクボトルに袋に入れた海苔、タオルを二枚手に持って、慶一は川神院を出た。
日当たりの良い河川沿いは、小さな水溜りを残してアスファルトを乾かしていた。水溜りに映った空を見て、慶一は思わず空を見上げた。机の上に広がる消しゴムのカスを取り除いたような、すっきりとした青空が顔をのぞかせている。遠くの山にはまだ黒い雲がかかっており、天気予報通り午後には雨が降り出しそうだった。
慶一が河川敷に向かって手を振ると、駆けて来るポニーテールと走って来るポニーテール。駆けて来る方が早く階段を上がってきた。
「おはよー慶一。良い天気ね」
「おはよう一子。束の間の晴天だけどな。午後には雨が降って、その雨のまま2、3日後には台風だとさ」
「また直ぐにこの太陽ともお別れなのね」
太陽を見上げて手で額の汗を拭く一子に、慶一はタオルとドリンクボトルを渡す。
「ほれ、色々入った飲み物」
「なんか嫌な言い方ねぇ」
「水に塩とレモン汁とハチミツ、今日は夏らしくココナッツも入ってるぞ」
「本当に色々入ってたわ。それより、何持ってるの?」
一子は食べ物の匂いがしている風呂敷を見て言った。この場合の疑問は中身の詳細よりも、食べていいのかを聞きたいのだろう。
「今日は組手ないんだろ? 久々の天気だし朝は外で食べようと思って――」
「どーん! お迎えご苦労にゃん」
いきなり慶一の腕に抱きついてきた百代に驚き、弁当が入った袋を手から離してしまったが、地面に落ちる前に一子が袋の結び目を捕まえる。
「とったどー!」
そう高々叫んだ声は河川敷によく響いた。
「ナイスだ一子! 危うく朝飯抜きになるところだったな」
「おぉ、それは朝御飯か。太陽の下で食べるのもいいな」
「もうちょっと反省の色が見えてもいいもんだと思うんだけど」
慶一は、身体が冷えないように百代の肩にタオルをかけながら顔をのぞき込むが、百代はドリンクボトルに口をつけて誤魔化していた。
「おっ? 今日はトロピカル風だな」
「ココナッツが入ってるだけだけど、なかなか美味いだろ?」
「そうだな……」
百代は再びドリンクボトルに口をつけて頬をふくらませると、そのまま慶一の唇に自分の唇を押し付けた。
いつもの様に唾液の交換をするような舌を絡ませるキスではなく、舌先同士を引っ掛け合うようなキスは実にもどかしい。流し込まれる生温かい液体をこぼさないように口をすぼめると、舌先を合わせて液体を伝わせる。口を離すことが出来ないので、自然と鼻から漏れる吐息が荒くなっていった。
慶一は薄目の端に揺れる黒のポニーテールが気になり、右手を百代の髪にさしこんで髪留めを外す。束ねられた髪が開放されると、甘い匂いがふんわりと漂った。汗で少し湿った髪を手櫛のように梳かしながら頭を撫でると、百代は反応して唇を押し付けてきた。
百代の口の中の液体が少なくなるにつれて、舌は慶一の口内の奥へと入り込んでくる。
味がしなくなるまで舌を貪ってから口を離すと、蒸れた口内からココナッツの匂いが外気に触れて際立った。
「うーん……。塩が足りなかったかな……」
慶一は百代の頬についた汗を親指の腹で拭って確かめると、残りの汗もタオルで拭いた。
「今日は久々の晴れで張り切ったからなぁ……。塩分補給しないと」
百代は慶一の首筋に舌を這わせるが、直ぐに一子の声が聞こえてきた。
「二人ともご飯よー! ばっちり木陰をゲットしたわ!」
一子は河川敷で敷物を広げて食べる準備を完了させていた。それを見て、慶一と百代も階段を下りて河川敷へと向かう。
「そうだ、これ」
慶一は百代に髪留めを渡した。
「そういえばなんで外したんだ?」
「一子を思い出すからな。盛り上がってくると、それだけ罪悪感も湧いてくるんだよ」
「今更言うこともないと思うけど、難儀な性格してるなぁ……」
「百代のポニーテール自体は好きなんだけどな。そう考えると惜しい……」
特にうなじが見えなくなるのは残念だ。といっても一子がポニーテールではなく髪をおろして、普段の百代に一子の影がチラつくのも困る。
「ポニーがどうしたの?」
「慶一がポニーには欲情しないんだとさ」
「なによそれ! 失礼ね! ポニーテールだってお風呂には入るわよ!」
「……そうだな。風呂にも入るし飯も食う。さっさと食うか」
慶一は敷物の上に腰を下ろすと、重箱の蓋を開けた。
「なんだか運動会のお弁当みたい」
「重箱に詰めるとそう見えるよな。ほれ、しっかり除菌」
慶一はウェットティッシュで手を拭くように一子に促すと、箸と取り皿をそれぞれに渡す。
袋から海苔を取り出しておにぎりに巻いて百代に渡した。
「後から海苔を巻くのいいな。海苔がパリパリしてるだけでも美味しい気がする」
「具によっては、海苔がシナシナしてる方が美味しかったりするんだけどな。熱いうちに海苔を巻いたほうが香りも強いし。一子は? 海苔巻くか?」
「塩むすびもあるし、今日は海苔なしで攻めるわ!」
「ここに置いておくから、使いたくなったら使えよ」
一子は左手におにぎりを持ったまま、どんどんオカズを平らげていく。ゆっくり食べろと言いたかったが、一子の美味しそうに食べる顔を見ると、それもどうでもよくなった。
弁当を食べ終わり、木陰に吹く冷たい風にまどろんでいると、急に一子が立ち上がった。
「さぁ、腹ごなしの運動よ!」
一子はフリスビーを慶一に投げて渡す。
「これは運動というよりも、遊びだな」
「これでも結構鍛えられるのよね。投げて投げて」
慶一がフリスビーを投げると、鳥が羽ばたくように青空に飛んでいった。一瞬、太陽の光を隠すと、そこから角度を変えて落ちてくる。それを一子も鳥が飛び立つように高くジャンプして掴んだ。
「いやいや、これ使い方違うだろ。あちらさんと同じような使い方になってるぞ」
慶一が見た方向では、フリスビーを咥えた子犬が、尻尾を振って飼い主の元へ走っていた。
「ふふん。私の方が上手に取れるわよ。もっと遠くに投げてみなさいよ」
「いや、一子がそれでいいならいんだけど……。よし、いくぞ」
さっきより力強く投げたフリスビーは、目に見えて回転数が違う。が、それもなんなく取ると、一子は慶一のもとにフリスビーを持ってきて、得意げな顔を慶一に見せてからフリスビーを渡す。
「余裕ね! さぁ、どんどん取るわよ! 小型犬なんかには負けないわ!」
「普段の志が嘘みたいにちゃっちい対戦相手だな……。今度はもっと強く投げるぞ」
「がってんしょうちのすけよ! わんわんっ!」
何度もフリスビーを投げていると、太陽の熱のせいだけではない汗が流れてきた。
「結構疲れるもんだな」
かいた汗を手で拭きながら、慶一は座り込む。
「私は足腰、慶一は前腕屈筋群が鍛えられて」
「どの部分だ?」
「ここね」
一子は、慶一の手首から前腕の太い部分を擦るように触った。
「オレ、ここが筋肉痛になったら料理できないんだけど……」
「それは困るわよ。マッサージする?」
「うーん。丁度良いし、島津寮で朝風呂に入るかな」
慶一がごろんと横になり流れる雲を見ながら答えると、お腹の上に百代が乗っかてくる。
「おっ、それいいな。私もそうしよう」
「腹に乗る必要あるか?」
「着替え用の服を剥ぎ取ろうと思ってな」
「でも、それはいい考えよ。疲れを取るには温泉が一番! 私は川神院に帰るから、後で着替えを届けてあげるわ」
返事を聞かず走りだす一子の背中を見送ると、慶一と百代は島津寮へと向かった。
木目の壁に囲まれた浴場は、真っ白な湯気が漂っている。温泉の素のような匂いではないが、湯気は温泉らしい匂いを立ち昇らせていた。
「なんか思ってた流れと違うな」
「ん~、そうか?」
スポンジに石鹸を泡立てて、その泡を百代の身体に飾っていく。
百代は肩から胸元へと垂れ落ちる泡の塊を手のひらに乗せて、息を吹きかけて飛ばして遊んでいた。
床に落ちた泡の塊はプチプチと弾けて溶けて排水口へと流れていく。
「なんとなく一緒に風呂は入るのは予想してたけど、身体を洗うことになるとは思わなかったぞ」
「美少女の柔肌を洗ってるんだから文句言うなよ。それより、泡が足りないぞー」
「はいはい。つーか、この石鹸百代と同じ匂いがするな」
「川神院でも使ってるのと同じだしな。気に入ってるから、こっちにも置いてるんだよ」
「金のない百代にしては珍しいことしてんだな」
「島津寮でお風呂を借りること多いからか、いつの間にかそうなった」
気持ちよさそうに目を細めた百代は、なすがままに慶一に身体を洗われていた。
擦るというよりは撫でるようにスポンジを這わせる。肩から背中へ、背中から横腹へ、腋を通り腕へと、肌を泡へと埋めていった。
泡を膨らみに置くように弧を描きながら乳房を洗うと、少しだけ百代が高い声を漏らした。
「昔見た映画でさ、海外のだったから泡風呂なんだけど、お嬢様が湯船で執事に体を洗わせてたな」
「それじゃ、今は私が主で執事は慶一でだな」
「でも、その執事は狂っててさ、硫酸風呂にお嬢様を入れて、骨だけになった腕を洗ってるシーンがあったんだよ。湯船から腕を出したら、執事の腕も骨だけになってて……。あれは怖かったな」
「な・ん・で! 今! そんな話をするんだよ!」
百代は自分の身体についた泡をすくって、慶一の顔に投げつけた。
「泡が溶けていくのを見て思い出したんだけど、硫酸って焦げるけど溶けないんだよなって」
「どうでもいいこと想像するなよ!」
「こういうのってふと思い出すとゾクゾクってこないか? 一人で風呂入ってる時に視線を感じたり、頭を洗ってる時に急にもう一本手が増えたらどうしようとか」
そう言って慶一が百代の頭を掴むと、百代は大きく頭を振って慶一の手を振り払った。
「もーうーいーいー! 物理的に殴れなさそうな奴の怖い話はするなよ!」
「奴ってゆうれ――」
「その名前は出すな!」
「名前を聞くのも嫌って、まるでゴキブリみたいな扱いだな」
シャワーを流すと、百代を包んでいた泡が洗い流され、白い裸体が湯気の中に浮かぶ中で、火照ったように濡れ光る薄桜色の乳首が目立っていた。女性特有の緩やかな曲線が、張りの有る二つの大きな膨らみのせいでより強調されている。
「さぁ、次は私が洗ってやるぞ。光栄に思えよ」
百代は立ち上がると、慶一の後ろに回った。
「オレはいいよ。怖がらせたから、思いっきり擦ってきそうだし」
「せいぜいお湯がしみる程度にしといてやるから」
「嫌に決まってるだろ!」
「こら、暴れるなよ」
スポンジから逃れようと動く慶一に、背中から抱きつくような形で百代が押さえた。
押しつぶれた乳首が、石鹸のせいで背中で文字を書くように滑っている。慶一は、百代が動く度に擦れた乳嘴が硬くなるのを感じていた。
「わかったわかった。このままじゃプレイみたいな洗い方になりそうだし、普通に洗ってくれ」
「最初から素直にそう言えよー。で、洗うのは自己主張をしてるソコからでいいのか?」
百代は慶一の肩越しから顔を覗かせ、上を向いた部分を指差して言った。
「……謙虚になるまで、別なところから頼む」
「いやー、良い湯だった」
洗い髪のまま慶一が脱衣所から出てくると、洗い物を済ませて居間から出てきたまゆっちと鉢合わせた。
「おはようございます、慶一さん。一子さんは着替えを置いたら帰って行きましたよ」
「おはよう、まゆっち。てっきり一子も風呂に入っていくと思ってたんだけどな」
「天気がいいから、もう一汗かいてから入るそうです」
「まだ体を動かし足りないのか……。せっかく島津寮に来たし、オレは大和の部屋で寛ぐかな」
そう言うと慶一は、1階にある大和の部屋へと歩いて行った。入れ替わりに脱衣所から出てきた百代は、しっかりと髪が乾いていた。
「おっ、まゆまゆ。朝からいいお尻だな」
百代は指が埋まるくらい、まゆっちのお尻を揉みしだく。
「ひゃん! お、おはようございます、モモ先輩」
「HEYHEY! まゆっちに無用なおさわりは厳禁だぜ。ちなみに、おさわり現金は親不孝通りな」
「あはは、松風も朝から絶好調だな。慶一はどこに行った?」
「たった今、大和さんの部屋へと向かったところです」
「そうか、まゆっちも行かないか?」
「いえいえ! 私は少しやることがあるので、後からゆっくりお邪魔させてもらいます!」
百代が大和の部屋へと歩いて行くのを見送ると、まゆっちは脱衣所へ顔を向けた。
「い、いつから島津寮のお風呂は混浴になったんでしょうか!?」