真剣で私に恋しなさい!N   作:挽きたて

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第八十九話

「落ちたら私は死ぬの」

 スカートを翻し、夕方の横断歩道を跳ねるように、白い部分を選んで渡りながら彼女は言った。

 横断歩道の真ん中辺りで立ち止まり、「なんてね」と言いながら振り返る。影を落としたような笑顔は、夕陽に照らされて明るくなった。

 目尻に浮かぶ涙の跡に気付き、男が触れようとすると、彼女はくるりと身を翻して、再び白線だけを踏んでいく。

 そこから、一つ。二つ。三つ……。最後の四つ目の白線を両足で踏むと、地面が崩落したように、足元から体制を崩した。

 男は慌てて駆け寄り、彼女が頭を打つ前に背中から抱きとめた。肩を揺すると項垂れた頭は、最後の力を振り絞って男の顔を見上げた。それも直ぐに、力なく男の肩に寄りかかった。

「もう少し……だったのにな」

 そう残念そうに小さく呟いた彼女の顔は、満足気に笑みを浮かべている。

「あと一歩だぞ」

 男も精一杯の笑みを浮べたが、彼女と同じようには笑えていないだろう。刺激された涙腺は、無理に口角を上げようとする度に頬をヒクつかせた。

「そうだね。でも……這ってまで進む気にはなれないかな。今日はせっかくオシャレして来たんだし……」

 そう言って誇らしげに見せた彼女の服には、飛沫のような血の跡が残っている。男が指で触れると、白い布に赤い滲みが広がっていった。まだ新しい血だということが伺えた。

「結局汚れちゃったね」

 そう言った彼女の声は、今まで聞いた中で一番落胆した声だった。

「洗えば直ぐ取れるさ。さぁ、帰ろう」

「そうだね。でも、その前にキスしてほしいな」

「家についたらいっぱいしてやるよ」

 男が彼女の膝下に手を入れて持ち上げようとするが、重かった。力が入っていない人間の身体の重さに声が震える。

「フフ、楽しみだな。……でも、今してほしいの」

 男が黙って唇を合わせる。いつもと変わらないのは柔らかさだけだった。冷たい唇からは、色気のない鉄の味がする。

 唇を離す時には、滲む世界で彼女の顔もまともに見られない。自分の唇を指でなぞると、彼女の血が付いていた。

 なにか彼女に声をかけているが、嗚咽混じりで自分でも何を言ったか分からない。

 彼女の服を男の涙と、新たに流れる血が汚していった。

 男は、純白の彼女の服を汚すしか出来ない、明日をも知れない命の自分を責めた。

 ――世界で一番神々しいベーゼ。次週、『決断の日』。

 

 

 ――ポリバケツも食べない料理が出来てしまったらどうする? でも、大丈夫。そんなと時こそ卍印のマヨネーズ!

 テレビからは、先程までの重苦しい雰囲気とは違い、のんきな音楽が流れるCMを映し出していた。

「なんだ、また死んだのか」

 慶一がぽつりと漏らし、そのまま黙りこくる。そのつまらなさそうな様子を見た大和は、気を使ってか少し長く言葉を続けるが、大和も慶一と同じように難しい問題集を見たような顔をしている。

「いや、最終的には死ぬだろうけど……。まぁ、この二人は最後まで死なないんじゃないか? 一応主人公とヒロインだし」

「いっそ死んでくれた方が、物語が大きく動いて楽しんじゃないかと思うオレは、心が荒んでるんだろうか」

「このドラマは登場人物が死んでなんぼの話しだしね。いまさら主人公達が死んでも盛り上がりに欠けそうだな」

 慶一と大和が見ていたのは、月9ドラマ「世界で一番神々しいベーゼ」。

 第一話の「重い病」から今回の第七話「流点」までの間に、登場人物が何人死んだのだろう。登場人物の殆どが不治の病などで死ぬという重い内容は、見る人を敬遠させてしまい、前作の「リアル恋愛大戦争」に比べて視聴率が悪いらしい。

「これを毎週見るっていうのは結構な苦行だな……」

「面白いところもいっぱいあるんだけどね。オレも話題作りのために見てるのが大きいかな」

 そう言って大和は、リモコンの停止ボタンを押した。

「雨でジメジメした時に見るより幾分ましか……。時間を無駄にしたというのは否めないけど」

「勝手に部屋に押しかけて言うことじゃないだろ。まぁ、気持ちはわかるけどねぇ。姉さんなんか、飽きて寝てるし」

 百代は慶一の太腿に頭を乗せて、静かに寝息を繰り返している。慶一が、百代の目の辺りに手のひらをかざして影を作ったり、手を離して明かりを浴びせるが反応はない。

「朝の鍛錬した後に、ゆっくり風呂入ったしな。眠くもなるだろ。それにしても、これ新しい女の趣味か?」

 慶一は手を伸ばして、積まれた本から一冊取るとページを捲った。「日本古武道~砲術編~」とのタイトルらしく、種子島の鉄砲伝来の歴史から今日に至るまで色々なことが書かれている。

「その言い方は誤解されるからやめてくれ」

「海賊にでもなる気か?」

「色んなジャンルの本を読んでると、話の種として役立つんだよ」

 大和も手頃な本を手に取り開いた。生花と書かれた表紙を慶一に見せながら、ページをパラパラと捲っていく。

「巻いた種は、花を咲かせる。綺麗に咲いた花から、イニミニマニモと選んで実を結ぶってわけか」

「人聞きの悪いこと言うな! 大体なんで英語圏の数え歌なんだよ」

「そろそろ、大和のネットワークも国際化が進んでると思って」

「将来的に、そうなれば嬉しいけどね。今はまだ日本国内で充分だよ」

「そう聞くと、日本が鎖国してたのは昔の話なんだな」

 砲術が書かれた本は、慶一にとっては興味を引かれる内容ではなく、パタンと音を立てて閉じてその場に置くと、手慰みに寝ている百代の頭を撫でた。

 大和は読んでいる本からは目を逸らさずに、慶一と話を続ける。

「クリスがいるのに、何をいまさらなことを言ってんだよ」

「クリスは日本人より、日本の歴史に詳しかったりするからな」

「かなり偏った知識だけどね」

「日本の歴史ねぇ……。そういや、オレも歴史の表面しか知らないな」

「いいんじゃないか? 平和ボケしてる今の日本で、わざわざ過去の歴史の闇を抱える必要はない」

 大和の視線は本に向いているので表情は読み取れないが、どんな顔しているのかは容易に想像できた。

「オレ、子供の頃に大和と会ってたら絶対友達になれなかっただろうな……」

「今のナシ! なんか気分が変な方に昂っちゃっただけだから! 忘れてくれ!」

 慶一が腕を組み、悪戯に悩む素振りを見せると、既に充分焦っているように見えた大和の顔が、さらに焦った顔をした。

「忘れてほしかったらキスをするんだ」

「……。途中で会話に割り込まれると、オレが言ったみたいだからやめてくれねぇかな」

 慶一は音もなく現れた京に目を向けるが、既にそこにはいなく、大和にくっつくように座っていた。

 京は少し顔を上に傾けて唇を突き出している。

「口封じ、私の口に、キスをする」

「京さん、封じる口は、慶一だ」

 少し不貞腐れたような表情を見せたが京だが、頬を染めて大和にしなだれかかると、胸のあたりに人差し指で「の」の字を書きながら言った。

「黒歴史、忘れさせるは、恋の味」

「黒歴史、忘れられない、苦い味」

「お二人さん、なぜ五七五で、話すのか」

 つられて慶一も五七五で話に加わる。

「念の為、ニッチなジャンル、極めます」

「行き過ぎは、個性じゃなくて、変人だ」

「じゃあやめる。……つもりがなんか、癖になる」

「そのキャラを通しても、好かれるのは大和じゃなくて綾小路先生だな」

 慶一がそう言うと、京は露骨に嫌な顔をした。大和以外の男の話を出すなと、顔いっぱいに浮いている。

「私と絡めてもいい男の名前は「直江」か「大和」の二つだけ」

「どっちの選択肢を選んでも、ルートは一緒だな。とんだみやこそふとだ」

 いつの間にかメールを打っていた大和は、静かに携帯を置くと再び本を手に取るが、目の前に差し出された京の手によって邪魔をされる。

「さて問題です。これはなんでしょう」

 京が水をすくうように手を合わせて何かを大和に見せている。一見大事そうになにかを持っているかのような手つきだったが、その手は空だった。

「なんだ、クイズか? 空の手で空手」

「ブー、残念でした。答えは愛。参加賞に京の愛をあげます」

「もし当たった場合は?」

「京のLOVEです。結婚しましょ、あなた」

 左右の手をハート型に合わせると大和の胸にぴたりとくっつけた。

「どっちも変わらないじゃないか! お友達が一番」

「そろそろ一回くらいは頷いてくれてもいいのに」

 再びメールの返事を打つ大和の背中に自分の背中を付けながら京が言う。

「その一回で運命が決まっちゃうからな。それにしても今日はよく絡んでくるなー」

「大和が楽しそうにメールしてるから、ちょっとジェラシーをぶつけてみたり……」

「オレがメールしてるなんていつものことだろ」

「大和の表情から見て、相手は川神には住んでいない女とみた! でも、奥ゆかしい女ですから、嫉妬はこのくらいにしとくよ」

 そう言って京は、大和の背中にピタリと自分の背中を合わせて座り直し、持ってきた小説を開く。

 大和のメール内容に口出しする気はなさそうだったが、顔も名前も知らぬ電波の向こう側の相手へ、大和は自分のものと主張しているようだった。

 その様子を見て思ったことを、慶一はそのまま言葉にした。

「現在進行形で嫉妬してるって感じだけど。押してダメなら引いてみろって知らないのか?」

「言葉は知ってる。でも、成功例は知らない」

「押してダメでも押してみろの失敗例もいっぱい知ってるけどな。ガクトとか、ガクトとか。あとはガクトとか」

「あの男と一緒にされるのはちょっと心外」

「それもそうか。誰かれ構わずと、一途じゃ違うもんな」

「そゆこと」

 京が短く答えたのを聞いて、慶一も読めそうな本を探して静かに読み始めた。

 

 

 三人が本を手に取ってから、無言の時間が流れている。この三人でいる時は、無言の時間を共有することも珍しくなく、何か言わなくてはいけないのではという焦燥感も不安感ない。むしろ心地よさがある。

 時計の秒針の音とページを捲る音が、本の世界へと誘っていく。

「暗い」

 慶一が読む本の下から声が聞こえた。

「今まで寝てた奴が何言ってんだ」

「だって目が覚めたら、皆下向いて本を読んでるんだぞ」

「そりゃそうだ。本を掲げて上を向いて読んだら、首も腕も疲れるだろ」

「寝起きに、その軽口はウザいぞー」

 百代が小さくあくびをして腕を伸ばすと、慶一が読んでいる本に当たる。最初は偶然。それから、抗議をするように何度もわざと当てていた。

「今いいとこなんだから、邪魔すんなよ」

「犯人は最初に主人公に話しかけてきた男だ」

「残念、これ推理小説じゃないんだな。瞼の裏の少女に恋する男の話だ」

「なんだ、ガクトの日記か」

 慶一は無言で本を閉じると、深く息を吐く。

 短髪がオールバックに。優しいタレ目が切れ上がった目尻に。華奢な体は筋肉質に。主人公の男の顔が、ガクトの顔でしか想像できなくなってしまった。

 しかし、百代の言うとおり、瞼の裏にいる架空の彼女を思う姿は、ガクトと一致してしまう。いや、お姉さんではなく、少女なのだからどちらかと言えば井上だろうか。そんなことを考えていると、慶一の瞼には左にガクト。右に井上と。余計な者が焼き付いてしまった。

 慶一は、思わずもう一度ため息をつく。

「なんだかな……。一気に読む気がなくなっちまった」

「ふふん、一人脱落。京は何読んでるんだ?」

 百代は、本を閉じた慶一を見て満足気に笑うと、京に視線を移した。

「私はミステリー小説。モモ先輩も読む? 私の貸すよ」

「京の本は伏線に斜線引いてチェックついてるからなぁ」

「それは私の癖だからしょうがないね」

「前に京にミステリーの本を借りた時に、危うく私は手を出してしまうところだった」

 寝転がったまま百代が手を上げると、慶一の目の前で固められた拳が揺れる。

「ていうか、しっかり手を出したじゃん。私は、処刑という名の性感マッサージをされた覚えがある」

「京も“あンッ”って色っぽい声だしてからいいだろ」

「私の嬌声はそんなもんじゃないよ。ねー大和」

「なんでオレに聞く」

 お決まりの大和と京のやりとりを聞きながら、慶一は上げられたままの百代の拳を手のひらで包み、握ったまま腕を倒した。

「起きたばっかりなんだから、もうちょいダラダラしてろって」

「話してるうちに、だんだん目が冴えてきたから暇なんだー」

「こういう時に騒ぎ立てる男がいるだろ。どこ行ったか知ってるか?」

 慶一は、大和にキャップの行き先を聞くが、行き先までは分からないようだ。

「キャップは朝から晴れだと分かるなり、寮を飛び出していったよ」

「午後から雨が振るのに?」

「むしろ午後から雨が降るからだと思う」

「一子と同じ考えか」

 長い時間じゃなくても、気晴らしになるくらい太陽が出てくれてよかったと慶一は思った。

「ナイスなことを思いついたぞ。私の願いを何でも叶えるって遊びはどうだ?」

「別にいいよ。途中から、得意の嘘八百で煙に巻くから」

 うだうだと部屋で話し込んでいると、鍛錬も終わり、島津寮で風呂にも入り終えた一子が大和の部屋の扉を開けた。

「一匹、二匹、三匹の本の虫と、愛しのお姉さまを発見! ねぇねぇ、外へ遊びに行きましょうよ」

「そうだな……。また河川敷にでも行くか?」

「出たよ、慶一のワン子へのえこひいき」

「時代はエコだからな。なんか、省エネ家電って響きだけ必殺技っぽいな」

「ただ語尾に雷が付いてるだけだろ……」

 

 

 

 

 




世界で一番神々しいベーゼ……。
実際はどういう話なんだろう。
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