じわじわと染み出す汗が、体操服を薄くさせて身体に張り付いている。カメラに収め続けらている上気した頬は、羞恥に染まったわけではなく熱気によるもので、健康的な表情を浮かべていた。
「夏バンザイ! 湿気バンザイだぜ!」
忙しそうにカメラのシャッター音を響かせるヨンパチは、体育館の上にある観覧席からズーム機能を利用して女子学生を写真に収めていた。
その隣で慶一は、部活に励む知り合いの男子生徒に手を降りながらヨンパチに話し掛ける。
「オレはこの夏で一番無駄な時間を過ごしてるな」
「オレの横に立ってるだけで報酬が出るんだ。いい仕事だろ?」
「モロから大事な用があるからって呼び出されただけなんだけどな」
慶一はヨンパチ越しにモロの顔を見ながら言った。
「うぅ……ごめん。ヨンパチの勢いに負けて」
「オレ一人なら女子のガードも固いが、慶一とモロがいることによって男子生徒の応援してると錯覚させる事が出来るってわけだ」
「露骨なカメラアングルでバレると思うんだけどな」
「オレはプロのカメラマンを目指してるんだぜ」
カメラは下を向き男子生徒を捉えている。ヨンパチの顔も同じ方を向いているが、視線だけは遠くにいる女子生徒を捉えていた。
女子生徒が体操服の裾を上げて汗を拭こうとした瞬間。カメラは一度だけ角度を上げた。
「オレの目はエロを逃さない。レンズに写すには一瞬で充分なのさ」
「立派な盗撮だけどな……。まぁ、一子を写さなければいいか」
慶一は、バスケ部員に混ざって汗を流す一子に手を振る。それに気付いた一子も笑顔を浮かべて手を振り返してきた。
「それは、僕からも言ってるから変な写真は撮らないから大丈夫だよ。ていうか、なんでワン子を連れてきたのさ」
「だってこんな用事だとは思わなかったし、雨でつまらなそうにしてたからな、軽い気持ちで誘ったんだよ。台風来たら出歩くのも大変だし。それより、モロの方はどうだ? 紅天女の役は貰えそうなのか?」
「そんな舞台しないよ! ボケるのはいいけど、せめて男役でボケてよね」
「まぁまぁ。おっ、一子がシュート決めたな」
「露骨に話題を変えたよ……。でも、ワン子は流石だね。バスケ部の誰よりも走り回ってるよ」
靴のゴム底がキュッキュと鳴り、掛け声、ボールが床に叩きつけられ弾む音、ジャージや体操服が擦れる音。体育館の特有の音が広がっていた。
「こうやって見ると一子が一番輝いてるな」
「慶一のフィルターにかかれば、ワン子はいつでも輝いてるでしょ」
一子は低いドリブルでコートを素早く駆け、人と人との間をすり抜けていく。
「でも、今三人抜いたぞ。なかなか出来ることじゃないだろ。末は博士か大臣か……」
「それバスケ関係ないじゃん! 確かに凄いけど、今の慶一のテンションだと同意したくないな」
「なぁ、モロ。バスケの応援って鳴り物禁止だっけ?」
「それは分からないけど、ただの紅白戦でそんな応援しちゃ邪魔でしかないと思うよ。でもやっぱり、女子バスケよりも、男子バスケの方が迫力あるね」
モロは、慶一が手に持っているペットボトルを取り上げると、落ち着かせるように男子バスケの方を指さした。
背も高くガタイも良い男たちが走り回るのを見ると、広いコートが小さく見える。居るはずのない男の姿を探した慶一は、途中で意味のないことに気づいた。
「そういえばガクトはバスケ部じゃないんだったな」
「だね。なんか僕も思わず探しちゃったよ」
「依頼の時だけじゃなく、バスケとかスポーツ系の部活入ればモテるかもしれないのに、もったいな」
「バスケ部入ってもモテない運命だと思うけどな……」
「そういや、ガクトは誘ってないんだな」
慶一は、カメラに収めたデータを画面に映して確認しているヨンパチに話し掛ける。
「オレとガクトが一緒に居たら警戒されちまうだろ。泣いて馬謖を斬るって言葉もあるしな」
「そんな使い方されたら、泣くのは馬謖の方だろ。そもそもそんな写真撮ってどうすんだよ」
「3年A組のヨヨ先輩とかは、男子生徒に人気だぜ」
「次々男を代えるって噂されてる留学生の先輩か」
「あとは、一年C組の中条たまきちゃんとかも最近人気出てきたな」
「つーか、人気ってなんだよ」
慶一がそう言うと、ヨンパチは口元を手で隠しながら言った。
「おっと、それは言えねぇ。ここからの話は、慶一がモモ先輩にフラれてからだ。報酬を弾むから、詳しく聞かないと約束してくれ」
「あぁ、前に言ってた魍魎の宴とかってやつか。オレからは聞かんよ。ろくでもなさそうだし」
「そう。心に傷を抱えて、精神的に魍魎になった人だけが参加資格のあるものだからね。これは僕からも詳しくは言えないよ。ただ、慶一が参加しないようには祈ってるよ」
「……本当に祈ってくれ」
階段を下りたところで、三人は体育館の入り口まで来ていた。
「さぁ、次は運動部以外の写真だぜ」
「まだ、撮るのか」
「当たり前だろ。運動部は体育館以外でも活動してるし、文化部、補習に来てるSクラス。まだまだ撮りどころがいっぱいあるぜ!」
そう言うとヨンパチは、体育館入口に設置されているゴミ箱から空き缶を拾い上げた。
「おいそれって――」
「慶一。詳しく聞かない約束だよ」
モロの瞳には、いつもはない力強さが宿っていた。
「……。とりあえず、オレはもう付き合わなくていいんだよな」
「あぁ、後は歩きながら撮るからな。一箇所に留まって撮る時のアリバイが欲しかっただけだから、もういいぜ」
「よかったよ。これ以上一緒に居たら本当に闇に飲まれそうだし……」
心底ほっとしたように、慶一は口から息を吐いた。
「慶一はどうするの? 帰る?」
「一子がまだバスケやってるからな。満足するまで待って一緒に帰るよ。モロは?」
「僕はヨンパチについていくよ。今のヨンパチには誰かついてた方が良さそうだし」
「優しいねぇ。いつか身を滅ぼす優しさだ」
「褒めるなら、普通に褒めてよ!」
モロとヨンパチと別れた慶一は学食で腹を満たしていた。
白飯に卵と鶏肉と玉ねぎのシンプルな親子丼。
卵にコーティングされて白く照りが出来たような鶏肉に、割り下をたっぷり吸った玉ねぎは美味しそうに色付いている。
その上に別に頼んだ温泉卵をのせる。真っ白な白身に淡い桃色の黄身は、和菓子を見ているようだ。
白身の薄い膜が張った黄身にレンゲを入れると、オレンジ色の黄身が親子丼の上へ広がる。鶏肉に邪魔された黄身は、半熟どころか飲めそうなくらいにトロトロにたまりだした。
レンゲで下の米ごと持ち上げると、椀の赤い内側を卵が汚していくが、それがまた食欲を誘う。
温泉卵の濃厚な黄身が、すき焼きのタレを使ったんじゃないかと思うくらい濃い目の割り下を調和する。煮た鶏皮のぷりぷりの歯ごたえを耳の奥で感じ、柔らかく弾力のある肉質を歯で感じると、染み出すように鶏のうま味が卵に広がった。咀嚼を繰り返すと、固まった卵と割り下の味が濃厚な黄身の味を凌駕する。味が変わる口の中で、変わらない玉ねぎのシャクっとした歯触りが心地良い。
「あっ、なんか美味しそうな食べ方してる」
トレイにうどんを乗せた弁慶が、慶一の前の椅子に腰を下ろす。
「美味いよ。学食の親子丼は卵固めだから、こうやって食べると“くぅぅ~”って感じ」
「くぅぅ~か……。今度私もやってみよう。私は学食のうどんに、トッピングはチクワの磯辺揚げ。下半分は汁でデロデロにして上半分はサクサクで食べるのが好きなんだよね」
「そっちも美味そうな食べ方だな。弁慶がここにいるってことは、補習終わったんだろ? 残りの二人はどうしたんだ?」
「主はクラスメートに勉強教えてるよ。与一はいつも通り付き添ってる」
「なんだかんだで、与一は義経と一緒にいるんだな。お嬢さんは、ほっておいて一人で飯かい?」
弁慶はうどんをすすると、ふふんと笑う。
「そんな心配しなくてもすぐ来るよ。……ほら、来た」
弁慶が指でさした方を見ると、トレイを持った義経と与一がこちらに向かって歩いてきていた。
「やぁ、前口君」
「おう、お疲れさん義経。与一もお疲れさん」
「……あぁ」
義経は弁慶の隣へ、与一は慶一の隣へと座る。
「与一は迷いなくオレの隣に座ったけど、オレのこと好きなのか?」
「気持ちワリィこと言うなよ。ただ、この席のほうが窓がよく見える。それだけだ」
そう言って与一は曇天の空を睨んだ。
「違うよ。与一は私達の隣に座るのが恥ずかしいだけだよ。カッコつけちゃってまぁ」
「カッコつけるわりには、可愛らしいもん食べるんだな」
慶一は、与一の皿に置いてあるというよりは、のっかったという方が正しいくらい大きなエビフライを見て言った。
「好きなんだよ。文句あるか?」
「いんや、美味いもんな。揚げたてのに、醤油を垂らすと香ばしくてたまらん」
「エビフライにはソースだろ」
「そんなこと言わずに試してみろって」
慶一に勧められた与一は、渋々エビフライの先に醤油を垂らして口に運ぶ。
「ん……。確かに美味いな」
「だろ? 試してみて良かっただろ、あずきちゃん」
「誰があずきちゃんだ!」
「うんうん、与一も友達がどんどん出来ていくな。良かった、義経は嬉しいぞ」
「お友達お友達」
慶一が握手をするように手を差し出すと、与一に跳ね除けられる。
「こらっ、めっだぞ与一。仲良くしなくては」
「オマエはオレの母親か! ……ちっ」
差し出されたままの慶一の手を、与一は嫌そうな顔をして掴む。
「よしよし。まぁ、こうなるのが分かっててやったんだけどな」
「こんな面倒くさい奴が友達かよ!」
「まぁまぁ与一。慶一の軽口はそのうち癖になるよ」
弁慶は磯辺揚げをサクサクと音を鳴らして、美味しそうに目を細めながら言った。
「そうそう。それにオレ、ツッコミ出来る奴好きだし」
「別にオマエに好かれたかねぇよ」
「義経みたいに、勉強を教えるくらい愛想よく出来ないのかねぇ」
「愛想なんて生まれた時に捨てたよ。それに、こいつのはただの節介焼きなんだよ。結局は敵に塩を送る展開だっていうのに」
「敵に塩を送り続けたら、いずれ高血圧で死ぬもんな。さすが稀代の策士と呼ばれるだけはある」
慶一は「な?」っと言って、義経を見る。
「予期せぬところで褒められたぞ!? 義経はそんなつもりじゃ――」
「主も慶一の軽口にいちいち反応しちゃうんだから。あれは適当にスカすくらいが丁度いいんだよ」
「なるほど。前口君の軽口はスカす。義経はまた一つ勉強したぞ」
「勉強熱心だけど、軽口には反応してくれたほうが嬉しんだけどな」
笑顔で反復する義経だが、性格上まともに反応してしまうだろうと慶一は気付いていた。
「そうだ。忘れねぇうちに礼を言っとくぜ」
「与一に何かした覚えはないぞ。もしどっかで命を助けてたなら、遠慮せずに礼を返してくれ」
「ちげぇよ! ……オマエ本当に軽口叩くのが好きなんだな。姉御のツマミのことだよ。オレの夜の仕事が減ったからその礼だ」
「夜の仕事って、オマエはホストか」
「あながち間違ってない……。姉御の機嫌を取り、姉御に酒を注ぎ、姉御のツマミをつくる。それが、オマエのおかげで最近は安息の夜を送れてるぜ」
与一は先ほどのように睨むわけではなく、ただ窓の向こうを眺めた。
「随分しっかりとした上下関係をお築きのようで」
「誰がボスかはっきりさせておかないとね」
「いや……。ボスは弁慶じゃなくて義経だろ」
時間は少し戻り、慶一と別れたヨンパチとモロは廊下を彷徨っていた。
普段グラウンドを使っている運動部は、廊下を使って基礎トレーニングをしている。
「ランニングっていいよな。疲れてハァハァしてる女子とか最高だろ! はぁはぁ……」
「ヨンパチがハァハァしてどうするのさ!」
しばらく歩いていると、女子生徒ばかりが固まってトレーニングをしている廊下へと辿り着いた。
「さぁ、ここだ……。ズームではなく接写チャンスだぜ。」
ヨンパチはカメラを低く構えた。
「なんか悪いことに手を貸してるみたいだ……。いや、実際そうなんだけどね」
「モロ、深く考えるな……。感じろ。心の股間は正しいと言ってるはずだ」
「心の股間に従った結果、逮捕されてる男の人がいっぱいるわけで……」
ただ廊下を歩くだけの行為は、ヨンパチがいるというだけで無駄な緊張感が生まれた。
「いいか、煩悩を逃がせよ。頭の良さそうな会話でカモフラージュするんだ」
「頭の良い会話ってなにさ」
「そうだなぁ……。
「ぜんぜん煩悩を逃しきれてないじゃない!」
「πとかXとかYとかエロすぎだっつーの!」
「もうそれ、病気だよ!」
「待ってろモロ。ちょっとトイレに行ってくるぜ!」
走ってトイレに向かったヨンパチは、すぐに戻ってきたが足取りはゆっくりだった。
「ふぅ……。待たせたなモロ」
ヨンパチはモロの肩に手を置くと、清々しい笑顔を浮べた。
「ちょっと! ちゃんと手洗ったよね!?」
「細かいことを気にするなよモロ。オレみたいに冷静になれ。な?」
「わーわー! その冷静さで、トイレで何してたか分かるからやめてよ!」