「どうしたの? 姉さん。慶一が心配?」
大和は波打つ海面を静かに眺める百代に話し掛けた。
「ん? あぁ……九鬼だし心配はいらないだろ」
「だよねー。きっといつも通り料理でも――」
「――ただ――慶一が九鬼にいるということが気に食わんっ」
百代が声を大きくすると、小舟が揺れた。
「姉さん……。さっきと言ってることが……」
大和は落ち着いてとジェスチャーをすると、百代は大げさに息を吐いて乱暴に座り直した。
「まぁ、気持ちはわかるけどね」
京が言葉をこぼした。それにいち早く反応したのは大和だ。
「気持ち?」
「九鬼には、九鬼英雄のお姉さんがいるんだよ? 私達が慶一の知らない時代のモモ先輩を知っているように、モモ先輩の知らない慶一の時代をしってる人物。なにもないってわかっていても、モヤモヤするんじゃないかな」
「姉さんはヤキモチ焼きだしね。それはあるかも」
「これが葵君のところだったら問題はないんだろうけどね。たとえ榊原さんがいても」
「慶一が葵のところに? ……それは別の意味で慶一のことが心配になるな」
「大丈夫。男同士は浮気に含まれないから。大和は気にしないでいいんだよ。出来れば、知らない人よりも、知ってる人の方が私の妄想も広がってグッドだよ」
「知人とそんな関係になったら、オレはバッドなんだけど」
「CGをコンプするためにはバッドエンドも必要だってモロが言ってたよ。ささ、ここで選択肢です。大和はこの後どうする?1.京と結婚する 2.京と出来ちゃた結婚する」
京は狭い小舟の中で大和に擦り寄った。小舟に当たり海面に戻る水音が、やたらとロマンチックに響いた。
「えっと……。どっちがバッドエンドになるのかな?」
「やだなぁ大和。さっきのは喩え話。こっちの話は、どっちもトゥルーエンドだよ。エピローグでは大和の好きなプレイも完備。もちろんエッチシーン直前のセーブデータから、満足するまでやり直してもオッケーだよ」
京が大和に体重を預けようとすると、小舟が揺れた。
「おい京! こんなちゃっちい小舟の上で発情するなよ」ガクトが船を両手で押さえつけながら言った。
「年中発情してる男に言われた。……ショック」
「いつでも童貞を捨てるチャンスがある友達がすぐ目の前にいるオレの方がショックだっつーの」
「捨てる神あれば拾う神あり。実は両方女神様で、正体は私でしたってのはあり?」
「なし」
上目遣いの京に、大和はすっぱりと答えた。
「女の武器に屈しない大和坊ってばすげー」
松風が囃し立てるように言う。
「慣れてるからね」
「でも、クラっときちゃう時もあったんだろ?」
「馬だけに鞍ですね。松風」
「そこに気付くとは、まゆっちは流石だぜ」
「熱い自画自賛だなぁ」
「ヘイヘイ! 大和坊。自画自賛ってのは自分で自分を褒める時に使うんだぜぇ。オラとまゆっちは、ニ心違体だぜ」
「そうですねー」
大和の棒読みなど気にせずに、松風は話を戻して、また囃し立て始める。
「で、京さんにクラっときちゃう時もあるんだろ? 言っちゃえよー」
「そうだ言っちゃえよー」
京が松風と同じ調子で声を被せる。
「黙秘権を行使する」
「大和が、沈黙はイエスを意味するって言葉を知らないわけがないよね」
「いくらポジティブに捉えようが、お友達で」
「それじゃあ、ネガティブに……。付き合うのは待つから、子種をちょうだい!」
「……京はワン子と一緒に英語の勉強したほうがいいな。ポジティブを履き違えているようだ」
「はい、直江先生」京が手を挙げる。「教科書に載っていない、子供の作り方を実践形式で知りたいんですけど……」
「はいそこ、プレイに持っていこうとしない」
大和が京に軽くチョップをすると、突然百代が空を見上げた。目を凝らした後、ニヤッと口角を上げた。
「どうしたの? 姉さん。やめて、みんな見てるよ」
大和はおかしくなった人をなだめるように百代に声を掛けたが、大和の言葉すぐにかき消された。
「フハハ! 我、降臨である!」
揚羽が遥か上空から、大和達が乗っている小舟目掛けて落ちてきた。着地音はなく、あたかも最初からそこにいたかのように、揚羽は静かに小舟の先端に着地した。
「揚羽さん――」
「言葉はよい。慶一を返して欲しくば――わかっておるな?」
揚羽の含みのある笑みに、百代は好戦的な笑みで返す。
「当然。揚羽さんに勝って、慶一も返してもらいますよ。ふらっといなくなるのは昔だけで充分ですので」
「当てられるわ。もしこの戦いで生き残ることができたら、我も婿探しでもするかな? フハハ! ――さて、我と百代が戦うには、ここはちと狭いな。――付いて来るがよい」
揚羽は小舟から飛び上がった。船は揺れることなく静かに海面に浮いている。
「揚羽さんの相手は私だ。手を出すなよ」
「……誰も出せませんて」
大和の呆れ混じりの言葉を背中に受けて、百代は小舟から飛び上がった。揚羽の時と違い、小舟が大きく揺れた。
香り松茸、味しめじ。と言うが、これは店に売られているブナシメジのことではなくて、ホンシメジのことだ。
弾力のあるプリっとした食感のホンシメジは噛む度に旨味が溢れてくる。
松茸の独特の強い香りももちろんいいものだ。木枯らしの鼻にツンっとくる風を感じる中、七輪で焼いた松茸の香りが混ざるとなんとも言えない贅沢感に襲われる。
キノコと言えば、焼くか煮る。当然松茸は焼くに限るが、ホンシメジを煮て食べるのも捨てがたい。味だけではなく、ホンシメジは煮上がりの形の良さも申し分ない。同じく秋が旬のイワシと煮てもよし、細長い四方竹と煮てもよし。味と見た目で存分に秋を楽しめる。
九鬼の客室で慶一は、カタログとにらめっこをしながらウンウン唸っていた。
「悩むよなぁ……。なぁ、どっちがいいと思う?」
「さぁな」
「やっぱりホンシメジの方が安いんだけどよ。そう言っても、ブナシメジと比べりゃ物凄い高級品なんだけどな。あと、今年の松茸は香りがいいらしいぞ」
「へぇ」
「オレが暇しないようにって用意してくれてんだろうけど、こりゃ罠だよな。こんなもん読んでたら一子に食わせたくなるに決まってる」
「あのよ……。オレは自分の部屋に帰るぞ」
ずっと生返事をしていた与一がソファーから立ち上がる。うんざりとした表情がありありと見えていた。
「待て待て待て。与一に帰られるとオレが暇なんだよ」
「仲が良いんだから、姉御と居ればいいだろ」
「あのなぁ、時間を見てみろよ」
慶一は顎をしゃくって時計を指した。短針と長針は直角を作っており、チクタク秒針の音を響かせている。
「まだ九時だろ」
与一は苛立たしげに前髪を掻き上げた。
「“もう”九時だ。こんな時間に弁慶と二人で居てみろ。あらぬ誤解が生まれたら、オレは絶対勝てない相手に肉弾戦を挑まなきゃいけなくなる。義経もまた然りだな。となると、与一。オマエしかオレの相手はいないだろ」
慶一はご当地食材のカタログのページを捲る。秋の旬特集のページは、松の葉や笹の葉に食材が並べられていて、どれも三割増しで美味しそうに見えた。
「くだらねぇ感情に流されやがって。愛だの恋だの呼ばれているものに思考はない。何も考えないってのは――それは罪だぜ」
「アイナメも鯉も美味い魚だ。魚ってのはレシピが無駄にある分、なにを作るか迷うもんだ。月々に旬があるから、毎日考え詰めだっつーの」
「そのとおりだ。思考は研ぎ澄ませ。生き残るにはそれが大事になる」
「わかっちゃいるんだけどな。どうも自分が使いやすい形に研いじまうんだよな。刺身包丁なんて二等辺三角の定規みたいな形になっちゃってよ。正しく言えば不等辺三角形なんだけどよ。まっ、どうでもいいか」
慶一はまたカタログのページを捲った。茶色と緑が混ざり合って苔色した、剥き掛けのイガから顔を出す茶色の栗が印象的なページだ。
「不等辺三角形か……。安定と非対称のバランスだな。オマエは気を付けろよ。安定した人生から足を踏み外すなんて一瞬だぞ。オレのようにはなるな……」
「バランスね……。食欲の秋って言うくらいだし、ついつい食べ過ぎるんだよな。食べるのはいいとして、栄養バランスが崩れがちになるんだよ。知ってるか? 秋鮭と紅鮭って結構栄養に違いがあんだよ。ビタミンなんか倍くらい違うんだよなぁ」
「秋と紅。秋は危険だ……。紅葉を見ると感傷が襲ってくる。オレにはそんなものに浸ってる暇なんてないって言うのにな……」
「さつまいもに、かぶに、秋ナス。秋野菜の煮浸しは定番だな。青唐辛子の煮浸しってのもまた乙なもんだ」
カボチャとインゲン。春ほど香りは良くないが、秋のゴボウもコクが合って美味い。どれも煮浸しにピッタリだ。
慶一はパラパラ飛ばし読みをして、野菜のページを探した。海外の食材まで掲載されているので、野菜と一括りにしても探すのは一苦労だった。
「どういう思考回路をしてたら会話が繋がるんだ?」
しばらく立ち聞きしていたのか、ドアを開けるなり弁慶が言った。
「川神水があれば会話が成立するやつに言われたくねぇよ」
慶一はカタログから視線を逸らさずに話しかける。横目に映った影は三つ。弁慶の他にも誰かいるようだった。
「リ! ベェーンジ! リ! ベ! ン! ジ!」
慶一が顔を上げると、一言一言大声で区切って喋っているアイエスの姿が見えた。
「なんだよリベンジって、オレの裸でも撮るつもりか?」
「うがぁー! そんな汚物を記憶しておく容量は、私にはありません!」
「最近問題になってるから気を付けろよ。ウイルスで流出しました。なんて言い訳は通用しないからな」
「ヒューマンの裸なんて、キロバイトも興味ないです。それともその貧弱な体に、自信があったりするんですか? 哀れですねぇ」
アイエスが挑発するようにケタケタ笑う。
「お? 花火か?」
慶一は窓の外を見た。なにか爆発音のようなものが聞こえた気がしたのだが、窓を見た時には強い風の音だけが響いていた。
「コラァ! 無視ですか!」
アイエスが歯を剥き出しにして怒鳴った。犬が唸るかのように、少し距離を開けて慶一を睨んでいる。
「わかったわかった。オレの負けだ。やーらーれーたー」
「そんなどこぞの魔法使いみたいな、棒読みの敗北セリフはいらないです!」
「魔眼か……。オレには封じてくれる人がいない」
与一は鼻を鳴らしてニヒルに笑うと、窓に映る半透明の自分を遠い目で眺め出した。
「ほら、慶一が変なこと言うから、馬鹿が中二病背負ってやって来ちゃったじゃないですか」
「馬鹿は一人いれば充分だっていうのにな」
慶一はアイエスを見ながら言うが、アイエスは勝ち誇ったような顔で慶一を見ていた。
「おんやぁ? 馬鹿がアイデンティティを失いかけて焦ってますよ」
「やっぱり花火か?」
慶一は再び窓の外に顔を向けた。
「ゴラァ! 無視は反則です!」
「ほら、やっぱり音してるだろ?」
「そうだね。音はしてるね」
弁慶が窓も見ずに興味なさげに言う。代わりに川神水を一口流し込んで恍惚の表情を浮かべた。
「なんだ、弁慶は花火嫌いなのか?」
「花火は好きだよ。眺めながら、川神水をこうキューっとね」
外で何が行われているか知っている弁慶は、外で響いている音が花火ではないことを当然知っている。百代と戦うのは時期尚早とクラウディオに判断された弁慶は、戦う代わりに慶一が外に出ないように見張りの役目を受けていた。
慶一が腕ずくで外に出ようとも簡単に止められるので、楽な役目だった。
弁慶は特に慶一を気にするこなく川神水を飲む。
「光ってねぇもんな。花火でもないし、雷でもなさそうだ。工場の爆発とかじゃないだろうな」
「それだったら、消防車とかのサイレンが聞こえるはずだねぇ」
「それもそうか。――嫌な風だな。また台風を運んでくるじゃないだろうな」
「晩夏と孟秋は台風が多いからね。ないとも言えないんじゃない」
「また、野菜が高騰するな……。キャベツ八割高とか、白菜三倍とか信じられるか?」
慶一はカタログに視線を戻した。この値段で買えるのはいつまでだろうと思いながら。
「さぁ? 私は食べる専門だからね。おつまみは安い食材でいいよ。美味しければ」
「作るか! とか言いながら、学校が始まったらツマミも一緒に作っちゃうんだろうな……」
「そうそう。慶一のいいところは人を甘やかすことなんだから。そこはブレちゃダメだよ」
「おい! そこのヒューマン! 私を無視したままですかー! ルックアットミー! ルック! アット! ミー!」
「だから、ナイフを下ろしてってか? ブルックス」
「私はブルックスじゃなくて、アイエスです! そしてオマエは冤罪じゃなくて有罪です! ギルティ!」
(一番無視されてるのは義経なのだが……。そもそも前口君は義経がここにいることに気付いているのだろうか……)
揚羽VS百代!
……戦闘描写はないですよ