昼を告げるチャイムが鳴り、静寂を保っていた廊下は喧騒に満たされた。
「ほらよ」
そう言って慶一が弁当箱の入った唐草模様の包みを渡した相手はモロだ。
しかしモロは「ありがとう」と、手を伸ばしたまま包みを受け取ることなく、複雑な顔をしていた。
「なんだよ。いらないのか?」
「なんか複雑だなと思って……。手作り弁当が男からっていうのが、なんか惨めだなぁって」
「別にモロのために作ったわけじゃねぇよ。材料が余ったからだ」
慶一はぶっきら棒に言い放つと、顔をそらしながらモロに弁当を押し付けて椅子に座った。
「なにそれ……」
「オプションだ。こういうの好きなんだろ? 借りた小説のヒロインがこんなんだったぞ」
「ますます惨めだよ!」
「欲しいゲームがあるから、食費を浮かせたいって言ったのはモロだろ。こっちも残り物が整理できてちょうどいいんだ」
「それは助かるけど……。もっと普通に渡してほしかったよ。なんか大切なイベントをギャグパートで飛ばされた気分だよ」
モロも椅子に座り、机で弁当の包みを広げる。
蓋を開けた光景は、モロの想像とは違っていた。茶色で埋まっていると思っていた弁当は、実にカラフルに彩られていた。
「本当に残り物で良かったのに……」
モロがすまなさそうな顔で言った。
「残り物だぞ。出汁を取った後の昆布と枝豆の混ぜご飯のおにぎりだろ。根菜の皮とコンニャクのきんぴら。ゴーヤの種とかぼちゃの種が入ったオムレツ。捨てる前の油で揚げた唐揚げ。葉菜類の切れ端で作ったサラダだ」
「残り物というより、三角コーナーから拾ってきたような食材な気が……」
「なに言ってんだ。栄養もあるし美味いんだぞ。特にオムレツなんか絶品だ。ゴーヤのワタがふわふわして。まぁ、一子の分はちゃんと新鮮な食材で作ってるけどな」
「慶一らしいね」
二人はいただきますと挨拶をして弁当を食べ始める。
半分ほど食べたところで、モロがふいに「そういえば、最近お昼に学食に行ってないけどいいの?」と箸を止めた。
「ん? ……あぁ、禊は済んだからな。今はたまに放課後にバイトしに行くだけだ」
「禊? それって――」
「勘のいいガキは嫌いだよ」
「同い年だよ! で、本当のとこはどうなの?」
「本当だよ。放課後好き勝手できる場所が増えた。しばらく重い屋台を引っ張ることもない」
「好き勝手もいいけど。前みたいに派手なことをすると、暴動が起きて学長に怒られちゃうかもよ」
モロに言われて、慶一は学食でトロを出したことを思い出した。
流石にやりすぎだと学長に注意され、慶一も流石に思い直し、今は別のことを実行していた。
そして、その実行は結果をすぐに連れてやってきた。
今も一人、花や蜜に誘われる蝶や蜂のように、赤ちょうちんに誘われる酔っぱらいのように、レディースデイに誘われる女の子のように、カモがネギを背負って、頭に鍋をかぶり、丁寧に小皿とポン酢と柚子胡椒まで持参して慶一の元までやってきていた。
「どうだ、慶一! 集めてきた……上食券十枚だ!」
ヨンパチから握りしめられて、クシャクシャにヨレてしまった食券の束を受け取ると、慶一は数えだした。
「――九、十。確かに十枚受け取った。しかし、物好きだな。普通に上食券使ったほうが、特だぞ。おかげでこっちは儲かるけどよ」
「いいんだよ。特S食券に」
「そんなのあったっけ?」
モロが聞き慣れた単語と、聞き慣れない単語が組み合わさった言葉に、不思議そうに首を傾げた。
「あるぞ。ちょっと待ってろ……」と、慶一はポケットから財布を取り出すと、明らかに自作である文字で『特S』と書かれた食券を取り出した。
それに『前口』というハンコを押すと、一度モロに見せてからヨンパチに渡した。
ヨンパチは「それじゃあ、早速明日の放課後に頼むぜ」と、浮足立って廊下へと出て行った。
「まったく……まっったく意味がわかんないんだけど……」
モロは見慣れぬ食券と、喜び顔のヨンパチを見て訝しげに眉をひそめた。既に疑うというより、詐欺師を見つめる目つきだ。
「モロも依頼とかなんかで貰った上食券持ってるだろ?」
慶一は弁当の続きを食べながら言った。
「あるね。もったいなくて、めったに使わないけど」
「そう、それだ!」
慶一は箸の先でモロの顔を指した。
「……また、なんか悪巧みしてるの?」
「またとか言うなよ。損害以上に、学食には貢献してるっつーの。勉強できない奴のノートより真っ黒だ。つまり赤字はなし。黒字ばっかりってことだ。……もうちょっと上手い例えあるか?」
「僕に聞かないでよ」
「上食券ってそこそこ配られてる割には、あんまり使われてねぇんだよ。試しに何枚か使ってみるけど、もったいなくて残りは財布にしまったままだ。つまり、モロ型庶民派がいっぱいいるわけだ。わかるか?」
「わかるけど……それを通称にするなら、©マークを付けさせてもらうよ」
「がめつい奴め……」
目を細める慶一に、モロは同じように目を細めて返した。
「そっくりそのまま同じ言葉を返すよ」
「良い食材を使って、あなただけ学食をランクアップでやつだ。仕入れは九鬼から。昼にメールしたら放課後には届くんだから、文明の利器ってのはすげぇよな」
「そんな高級食材が届く文明の利器。僕は持ってないけどね」
「でも、アニメ情報とかゲーム情報を教えてくれる仲間はいるだろ。オレには絶対来ない情報だ」
「それ褒めてるようで褒めてないでしょ……。それは後でじっくり聞かせてもらうとして、さっきのはなんなのさ」
モロはヨンパチが出したように、財布から上食券を出しながら言った。気を使って声は周りに聞こえないように小さくしていたが、慶一は待ってました言うばかりに声を大きくした。
「学食の裏メニューだよ。上食券十枚で、あなたの志向のメニューをお届けってやつ」慶一は一度わざとらしい大きな咳払いをすると「ただ好きな物食べられるから、贅沢、それにダイエットまでご自由に!!」とさらに大き気な声を出した。
「商魂たくましいね……」と呆れるモロに、慶一は「なんのことだ」と肩をすくめた。
「いいよ……今更僕に隠し事は……。それでヨンパチは何を頼んだのさ」
「そうだなぁ……」と慶一は、ヨンパチが言っていた注文を思い出す。「パンツェロッティに、きのこシチューのパイづつみ。とろけるマンゴープリン。あと牛乳」
「ツッコミたいメニューばかりだけど、最後の牛乳が一番違和感があるね……。さすがヨンパチというか……」
「井上の場合は若鶏の胸肉のコンフィに若芽ひじきのナムル。半熟卵。青い果実の盛り合わせ。あと牛乳」
「男が頼むと、牛乳が一番下心を感じるよ」
「羽黒も頼んでたぞ」
「嫌な予感しかしないけど……メニューは?」
「三種のソーセージに、ナスとズッキーニのホワイトソースグラタン。殻付きクルミのロースト。あと牛乳」
「牛乳でしめるのやめようよ!」
「わかったよ……」と慶一は観念したようにため息をついた。「口止め料に、モロ好みの料理を奢ればいいんだろ?」
「う……」と生き飲み込んだモロだが、「ちょっと期待しちゃうな」と心を踊らせたが、次の慶一のすぐに表情を曇らせた。
「味噌汁にするなら、しいたけ、なめこどれがいい?」
「なにって……きのこ汁でしょ? 好きなの入れればいいんじゃない?」
「甘いなモロ。オレが昨日作ったキウイのレアチーズケーキよりも甘い考えだ」
「知らないよそんなの……。というか、家でそんなの作るんだね」
「そりゃ、一子に食べたいと言われれば、」
「相変わらずワン子に甘いね……毎回同じようなことしか聞いてないよ」
「いいか? オレが先週作ったモンブランより甘い――」
「だから、それはもういいよ!」
モロは机を強く叩いて不満をあらわにしたが、まわりの注目を集めると顔を赤くして小さく咳払いをした。
そうして、平常心を保とうするが、慶一は至って真面目に聞いた。
「いいかモロ。きのこには二種類あるんだ。皮がかぶっているかいないか」
「僕の股間から目を離さないと帰るよ……」
モロに言われ慶一は顔を上げた。
「大事なことだそ。出汁の出るキノコってのは、なめこやほんしめじ、あとはヒラタケ系のキノコだ。食感のいいキノコってのはハナビラダケとかキクラゲ。食感の良さを考えるとエリンギは入れときたいな。特に茶色のブラウンえのきは、食感だけじゃなく、甘みも溶け出すから最高だな! キノコで固めると、昆布だしは強すぎるから、やっぱり――!」
慶一がテンションを上げて饒舌に語りだすと、モロが慌てて止めた。
「そこまでは聞いてないって!! もう……ほっとくといつまでも語り出すんだから……」
「でも気になるだろ? キノコ味噌汁は掛け算の後引き算をするって名言があるくらい。奥深いんだぞ」
「まったく気にならないよ……。どうせ宣伝なんでしょ……」
「いいところに気付きましたね。奥さん!! キノコというのは食物繊維たっぷり! さらにはアルギニンやビタミンDもたっぷり!! いま流行りの糖質制限ダイエット。ゼロではなく、摂取量を下げることが大事。それに対してまさにキノコはピッタリ! でも家で取るのは面倒くさい! でもでもでも! 明日から学食では、なんと毎日日替わりでキノコ味噌汁が!? なんと無料で!? これを逃す手はないな? なぁモロ?」
慶一が作ったような声で言うと、モロはため息をついた。
「いい加減広告料とるよ……僕も」
「そう言うなよ。これをやるからさ。友達の仲間でも特別だぞ。これ一枚で理想の体重と健康が買えるんだからな。……あとモテ期も」
慶一は特Sと書かれた食券に前口というスタンプを押してモロに渡した。
すると、その瞬間からモロは女の子に囲まれてしまった。
「ねぇ諸岡くぅん」と下心ありありで甘く声をかける千花ちゃんと、「いいからよこせやコラぁ!」と声を荒げる羽黒。
モロが慌てふためく、その間に慶一は教室から抜け出していた。
慶一が逃げ込んだ廊下では「オジサンも飲兵衛セットを一つ……」と宇佐美に肩を掴まれ、思いの外強い力に慶一は逃れるすべがなかった。
「前に……川で作った気がしますけど」
「アレはダメだ。学校で口説くなら、学校で精をつけねぇとな」宇佐美はニヤリと笑みを浮かべると、鍵を慶一に渡した。「材料は揃えてある……。オジサンが苦労して集めた珍しい食材だ。放課後には頼んだぞ」と、耳打ちをして上機嫌に、心を踊らせて歩いていってしまった。
普段なら面倒くさい頼まれごとに面倒くささをあわれにする慶一だが、宇佐美の珍しい食材という言葉に心を踊らせてしまった。
「しょうがない……見るだけ見てみるか……。食材に罪はない」と上機嫌に鍵の部屋へと向かう慶一の後ろでは、「しょうがない……見つけたならついていかなば……」と弁慶が上機嫌に慶一の後ろを、気配を殺してついていった。
それは……当然慶一が知るよしもない……。
いずれまた!