わざわざ転生神を登場させる必要もないし、修行時間を書く必要もない。初心者にも書きやすいから、異世界から帰還物はいいぞ!
川を中心に左右へ分かれた都市がある。
地平線から差し込む夕日によって、都市は赤く染まっていた。都市の影は暗く、光の赤さと合わさって不吉な印象を覚える。まるで世界の終わりを思わせる光景だ。しかし、それは1日毎に繰り返される日常でしかなかった。
今日は何人が死んだのだろう?
火葬された死体の数は、山のように積み上がっている。老いて死んだ者もいるだろう。病で死んだ者もいるだろう。あるいは事故や殺人で死んだ者も数えられる。人の多くは火葬され、死者として積み上げられた。しかし、この世には死者として数えられず、その死を隠された者もいる。
平井ゆかりも、その1人となる予定だ。
この高校に入学して間もない人物は、まもなく死を迎えようとしていた。堤防の階段に座り、虚ろな表情で遠くを眺めている。その様子から、やがて訪れる死を待っているように見えるだろう。あるいは目前の川へ飛び込み、自殺する気なのかも知れない。しかし、それは違った。
平井ゆかりに、もう心は残っていない。
本人に死ぬ気はなくとも、もう死ぬしかなかった。そういう運命となっていた。平井ゆかりという存在は火葬される訳でもなく、ここで燃え尽きて死ぬ。なぜならば、すでに平井ゆかりは死んでいるからだ。ここにあるのは平井ゆかりの残骸で、あるいは単なる物でしかなかった。
もはや平井ゆかりという人物は生きていない。
見えていないように無視され、誰からも気付かれる事はない。そんな自身を悲しむ心もなく、痛みも感じていなかった。立ち上がる事もできず、もはや指も動かせない。夕日が沈むほどに風は冷たくなり、その体も冷えていった。それでも最後まで平井ゆかりの心に残っている物が1つある。
それはメガネだ。
とても大切な物だったように思える。それなのに思い出せない。そのメガネを掛けていたのは、いったい誰だったのか。どうしても顔を思い出せず、その事ばかりを考えていた。きっと世界で1番大切なことに違いない。消えていく今の自分よりも大切なことに違いなかった。
――い◼はや◼
――い◼は◼◼
なまえ。
なまえは――。
少しずつ遠くなっていく。
壊れた機械のように繰り返しても、その努力が報われる事はなかった。時間と共に失われ、なにも分からなくなっていく。その最後に残るものは痛みだろう。針で刺されたように小さな痛みが、その心に残っていた。それなのに心から出せないまま、ここで平井ゆかりと共に、その痛みを抱えて死ぬしかない。
――◼◼◼◼◼
――◼◼◼◼
――◼◼◼
――◼◼
――◼
――
―
「――平井さん」
坂井悠二は、その名を呼んだ。
あまりにも平井ゆかりは手遅れで、何の反応もなかった。平井ゆかりの待ち人は来ず、その代わりに現れたのは、その友人だ。それは平井ゆかりの死を知った数少ない人物だった。その死を知っていながら、どうする事もできなかった。その目に映る平井ゆかりの灯火は、今にも消えそうになっている。
「よかった、居てくれて――ああ、池は途中まで一緒だったけど用事があるからって。平井さんのこと、池も心配してたよ」
池速人は心配していなかった。
坂井悠二と違って、池速人は見えていない。この世ならざる灯火は見えておらず、その他の人と同じように彼女を認識できなくなっていた。やがて平井ゆかりの死と共に、その存在は記憶ごと忘れ去られる。死体も残らず、名前も残らず、最初から存在しなかった事になるだろう。
「それ、僕のところ切っちゃえば池とツ―ショットになるよ」
平井ゆかりの手にあったのは写真だった。
いつから持っていたのか平井ゆかりは覚えておらず、それでも地面に落とすことなく両手で持っていた。写真に写っているのは平井ゆかりと池速人、そして坂井悠二だ。それは少し前にゲ―ムセンタ―で撮った写真だった。消えつつある平井ゆかりの恋を叶えるために、坂井悠二の行った事だった。
「え? なに?」
平井ゆかりは微かに喋る。
それは本人も意識していない言葉だった。無意識のもので喋ったという自覚もなく、何と言ったのか平井ゆかりも分からない。言葉の意味すら次の瞬間に零れ落ち、永遠に分からなくなっていく。その言葉を聞き取れたのは世界で唯一、平井ゆかりを見守る坂井悠二だけだった。
「――この景色が好きだから」
それは、とても美しい景色だったのだろう。
しかし平井ゆかりの日常は崩壊した。
血に染まったような夕日の下で、赤く赤く世界は地獄のように彩られている。今にも崩れ落ちそうな世界の中で、平井ゆかりの下へ影は忍び寄っていた。何一つ美しいものはなく、何一つ輝いていない。そこから逃げ出す力はなく、この地獄の中で死んで行くしかなかった。
「そっか。だから、ここに来たんだ」
坂井悠二の日常は崩壊した。
平井ゆかりと同じように、いずれ坂井悠二も消え果てる。平井ゆかりと坂井悠二の共有する世界は、同じ色で彩られていた。すべてから忘れ去られ、ひとりぼっちで死んでいく運命にある。しかし坂井悠二は、それが許せなかった。その運命を変えたいと願っていた。この地獄を引っくり返したかった。
「明日は池を連れて、ここに来よう。ここで池と――」
薄白い炎が燃え上がる。
この世のものではない炎が、平井ゆかりを包み込んだ。音もなく熱もなく、平井ゆかりは炎上する。その冷たい炎は平井ゆかりを溶かし、この世から消し去っていく。飛び散った薄白い炎は空へ散り、形を失って世界へ還って行く。瞬く間に広がった炎を止める方法はなかった。
「待って、平井さん! まだ! まだ行っちゃダメだ! だって、まだ何も――!」
伸ばした手は命を掴めない。
平井ゆかりは燃え尽きて、あとに残ったものは写真だけ。その写真にすら平井ゆかりは残っていなかった。不自然に写真の端へ寄った坂井悠二と池速人、その間に在るべきものは何もない。そこに平井ゆかりは存在したはずだった。こうして平井ゆかりの存在は世界から失われ、この世の何処にも残っていない。
「これが、ト―チ?」
やがて果てる燃えカスだ。
平井ゆかりと坂井悠二はト―チになってしまった。この世ならざる怪物に食われ、その食われた残りカスだった。そうなれば、こうして全てから忘れ去られ、死体も残らず消えるしかない。坂井悠二にとって、それは認められない結末だ。それでも何の力もないから坂井悠二は、湧き上がる怒りを手に、握り締めるしかなかった。
第1話 平井ゆかりの素晴らしき情景
そこへ偶然のように通りかかった人物があった。
いいや、本当のことを言うと偶然ではなく少し前からいた。若い男女が取り込み中だったので足を止め、堤防の影に隠れて聞き耳を立てていたからだ。しかし、なぜか片方は跡形もなく消え、思っていた状況と違ってしまった。見なかった事にして通り過ぎるにしても、どういう状況なのか気になって仕方がない様子だ。
「こんにちは。そこの少年、何事か聞いても良いだろうか?」
「えっ、こんにちは。あの、あなたは――?」
それは40歳ほどの怪しい男性だった。
坂井悠二にとっては、親よりも歳上に見える年齢だ。体を隠すように上から下まで、茶色のロングコ―トで身を包んでいる。感情の乏しい顔に笑顔はなく、坂井悠二は少々の恐怖を覚える。しかし、その感情の乏しい顔は、平井ゆかりと似ているように思えた。まるで世界から置いてきぼりにされたような、そんな表情だった。
「通りすがりだ。たまたま少女が消えていく様子が見えた」
「平井さんの事を覚えているんですか!?」
「それはそうだろう――もしや普通は覚えていられないのか?」
「もしかして、あなたもフレイムヘイズなんですか?」
「フレイムヘイズ? いいや、それは知らないな」
「じゃあ、あなたは、いったい?」
「そうだな――異世界帰りの世界鑑定士だ」