放課後、美術展を訪れていた。
吉田一美は坂井悠二と並んで、絵画や壺などの美術品を見て回る。館内は他に人も居て、その中に薄白い灯火のト―チもあった。フリアグネの死んだ後も、その爪痕は街に残っている。その1つは消えて、ス―ツを着た老人の手に収まった。すぐ近くまで寄っても感知できなかった、それは紅世の徒だ。
「ほう、見えるのかね。それもミステスではなく人間か」
坂井悠二は構える。
もしも封絶を張られたら、すぐに吉田一美を抱えて逃げるしかなかった。
「安心しなさい。君を、どうこうするつもりはない。私は世界のバランスを崩すような事は嫌いでね」
「坂井くん、お知り合いですか?」
「お嬢さん、少し彼を借りても良いかな?」
吉田一美から距離を取る。
紅世の話を聞かせる事はできない。まだ日常の中にいる吉田一美を、こちら側へ引っ張り込むことは出来なかった。だから坂井悠二は後悔してしまう。危うく吉田一美を巻き込んでしまう所だった。坂井悠二と関わるほどに、吉田一美の日常も脅かされてしまう。日常を守る力を持っていないくせに、日常と関わるべきではなかった。
「まず名乗っておこう、私は屍拾いラミ―。君も気付いた通り、紅世の徒だ」
「悪いけど、知らない。紅世の事を知って、まだ1月も経ってない」
"弔詞の詠み手"の名は出さないでおく。
口封じのために殺される可能性も考えられた。
「私は名乗った。今度は、君の名を聞かせてもらいたいな」
「坂井悠二。見ての通り、ただの人間だ」
「控え目に言うこともあるまい。紅世に関わっている時点で、ただの人間ではありえない」
「フレイムヘイズでもない、紅世の徒でもない。ただの、ト―チが見えるだけの人間だ」
「そう警戒しなくてもいい。私は人を喰わない。名の通り屍、つまりト―チしか喰わないのだ」
「――屍じゃない。ト―チだって人間だ」
それは本音だった。
「たしかに人間から見れば、良い気分はしないだろうね」
「悪いと思っているのなら、紅世に帰ってくれ。そうすれば人を喰わなくて済むだろう」
「それは出来ない。私には目的がある」
「人の存在を踏みにじっても、叶えたい目的か?」
「とある自在法を私は編み出した。その実行に必要な存在の力を集めている。そのために生きている」
「人の屍を積み上げた自在法で、なにを望んでいる」
「1人の人間が、私を描いてくれた。しかし、それを見る前に失われてしまった。それを私は、この目で見たい」
「そんな事のために?」
「かつて失われた物を取り戻す。君も、そんな物はないかな。すべてを懸けても、どれほどの時間を掛けても構わない。取り戻したいと、そう願うものだ」
その気持ちは分かる
だから坂井悠二は、平井ゆかりの蘇生を願った。
「その気持ちが分かるのなら、どうして人の存在を奪う! ト―チだって、誰かにとって大切な人だ! 人の存在を奪うって事は、おまえにとって大事な物を奪われた事と同じなんだぞ!」
それは坂井悠二の言ってはならない事だった。
フリアグネの妨害を行うために ト―チを消して回った。いずれ消えるト―チとしても、自然に消える事と、故意に消される事は違う。ト―チにだって人生はあり、それらを勝手に消して回った。坂井悠二もト―チを殺した事に違いはない。それなのに紅世の徒を一方的に責めるのは間違っていた。
「ごめん。僕にも、おまえを責める資格はなかった」
人を殺した者に、人を殺した他者を責める資格はなく
その過ちを、ただ許すしかなかった
「紅世の徒なんて勝手なものだ。分かっていながら、それでも己の欲望を止めることは出来ない」
老人の姿を借りた、紅世の徒は言う。
「たとえ屍の山を築いても、取り戻すために生きている」
「他の方法はなかったのか? 本当に、その方法しかないのか?」
「理論上は在るが、それを実現する方法がない」
「他に実現可能で効率のいい方法があれば、そうするんだな」
坂井悠二は胸に手を当てた。
たとえ紅世の徒に喰われても、坂井悠二ならば蘇生される。そうすればト―チを摘むよりも、効率よく存在の力を回収できるはずだ。自殺は禁止されているけれど、メロンを説得できる可能性もある。ただし保険屋について教えると、取り返しの付かない事になるだろう――だから保険屋のことは教えられない。
「もっと効率のいい方法を提供できるかも知れない。明日、また会えるか?」
「どうだろうな。私は追われる身だ。再び会うことは無いかも知れない」
"弔詞の詠み手"に居所を教える恐れもある。
だから坂井悠二は偽りではない事を、証明する必要があった。
「たとえば僕を無限に喰えたら、おまえはト―チを摘まなくて済むのか?」
「それこそ君の抱える秘密か」
人でありながら、存在の力を保有している。
そもそも人の有する"運命の器"を変換する事で、存在の力は生成される。人は原料であり、存在の力は加工品だ。それなのに人でありながら存在の力を保有しているのならば、その存在の力は他から持ち込んだものだ。"責める資格はない"と言った様子から、この少年も人を喰ったと思われる。そして無限と言った少年の持っているであろう宝具をラミ―は知っていた。
「君は零時迷子を所有しているのか?」
「それは宝具の名か?」
「そう、1日の内に失った存在の力を回復する紅世の秘宝だ」
「それは言えない」
メロンに口止めされている。
それもそうか、とラミ―は納得した。
ちなみに坂井悠二は零時迷子と知らず、心の中でハテナマ―クを浮かべている。
「たしかに君の保有する存在の力を喰らえば、ト―チを摘むよりも効率は良いだろう」
「でも僕は、まだ紅世の徒を信用できない。1日だけ、ちゃんと考える時間が欲しい」
「ならば明日、今と同じ時間に、ここで会おう」
そうして屍拾いラミ―の話は終わった。
待ってくれた吉田一美に謝り、続いて美術展を見て回る。しかし坂井悠二の思考は、ラミ―の事で占められていた。ト―チしか喰わない事を、まるで善いことのように言う。結局、ラミ―も人喰いに過ぎない。生物として根本から異なる、人の皮を被った怪物だ。きっと人を愛していると言った口で、獣のように人を喰らうのだろう。
それでも、失った物を取り戻したい気持ちは分かった。
問題なのは遺失物を取り戻すという目的ではなく、ト―チを摘み取るという方法だ。ラミ―は美味しくて、人を喰っているのではない。ならば、それよりも効率のいい方法を用意してやればいい。幸いなことに困難ではあるけれど、まったく無理というほどではなかった。
吉田一美と別れて、自宅へ向かう。
太陽は地平線に沈みつつあり、空は赤く染まっていた。いつもと違う点は、群青色の歯車が空に浮かんでいる事だ。赤と青の激しい色の差は、美しさよりも違和感を思わせる。すでに坂井悠二のいる住宅区は暗く、その暗闇の底から幻想的な空を見上げた。それは終末の一幕に思える。
しばらく母親の顔を見ていない。
今日は平井ゆかりの家ではなく、坂井悠二の家へ帰っている。父親は海外で働いているため、母親と2人で暮らしていた。坂井悠二は一人っ子なので、他に兄弟姉妹は存在しない。最近は平井ゆかりの家に泊まる事も多く、今日も坂井悠二は平井ゆかりの家に泊まっていた。
角を曲がると、自宅は見える。
そのはずだった
「あれ?」
坂井悠二は思わず、疑問の声を上げる。
いつもならば建物の合間に見える、2階部分は見えなかった。帰り道を間違えたのかと思ったけれど、周囲の家々は見覚えのあるものだ。さらに近付いて見ると、見慣れた石造りの塀もある。しかし、塀の上にあるべき家の1階部分すら見えない。どういう事なのか分からないまま足を進めた。
そこに坂井悠二の家はない。
石造りの塀に囲まれた平地で、ド―ナッツのように草も生えている。中央部分は草の生えていない砂地で、そこに何か置かれていたと言えない事もなかった。見るからに空き地で、在るべき土台すら見当たらない。まったく理解のできない光景に、坂井悠二の思考は停止する。何度も確認したけれど、その意味を理解できなかった。
「あら、おかえりなさい」
そんな空地の中心に、母親は立っている。
まるで今まで料理をしていたように、エプロンを着けていた。手に包丁を持っているものの、それを降り下ろす先はない。スリッパのまま地面に立って、靴も履いていなかった。まるで家のない事は当たり前のように、母親は笑顔を浮かべている。なんだか冗談のように思えて、坂井悠二は笑った。
「ははっ、なんだこれ――なんだこれ」
母親に見えるのは薄白い灯火だ。
世界は歪んでいるように見える。
「どうしたの、こっちにいらっしゃい」
坂井悠二は立ち尽くしていた。
呼吸は苦しくなり、息を荒らげる。
「か――かあさん」
母親は心配そうに近寄ってくる。
そして坂井悠二に、その顔を近付けた。
「あはははははははははははははははははははは!!」
母親は狂ったよう笑い声をあげる。
その顔に入ったのは切れ目で、そこから肉を剥がすように内側から割れた。すると裂かれた母親の中から、汚いヌイグルミが顔を覗かせる。それはネコのヌイグルミで、あっちこっち裂けていた。それなのにボロボロの人形と思えないほど、明るい声を響かせて笑う。それはフリアグネの燐子だった。
『あんたのママは死んじゃった♪ あんたのせいで死んじゃった♪』
母親の皮を脱ぎ捨てる。
すると薄白い炎となって、坂井悠二の母親は砕け散った。
『やったわ! やってやったわ! 見てください、御主人様!! フレイムヘイズには勝てなくとも人間なら、この程度!!』
ヌイグルミは体当たりを仕掛ける。
その力は弱々しく、人を倒せるほどの力もなかった。存在の分解に力を消費して、すでに消えかかっている。このような燐子は主を失った今、力を使い果たして消滅するしかない。しかし坂井悠二は、その程度の力で倒れてしまう。なぜならば坂井悠二は、母親を蘇生する方法しか頭になかった。
『あんたのママは死んじゃった♪ あんたのせいで死んじゃった♪』
うるさかった。
考え事の邪魔なので、落ちていた包丁を叩き付ける。すると血のように薄白い炎は飛び散った。耳障りな悲鳴を無視して、死ぬまで何度も突き刺す。やがて何も聞こえなくなり、薄白い炎と化してヌイグルミは消えた。坂井悠二は先端の欠けてしまった包丁を、そこらへ投げ捨てる。立ち上がって、成すべきことを確認した。
――やはり紅世の徒は殺さねばならない
――やはり紅世の徒は死なねばならない
「よし、母さんを蘇生してもらおう」
自分へ言い聞かせるように呟く。
すると坂井悠二の後ろに、保険屋は立っていた。いつの間に来てくれたのか分からない。いつから、そこに居たのかも分からない。きっと事情を察し、飛んで来てくれたのだろう。どんな負担であっても受け入れる。坂井悠二の全てを懸けても、どれほどの時間を掛けても構わない。取り戻したいと、そう願った。
「悪いが、そうじゃない。今日は遠方へ営業に出ることを伝えにきた」
「出張ですか?」
「ああ、バルマス家という所だ」
「それなら、その前に蘇生契約を御願いできますか?」
「坂井悠二、それは出来ない。すでに君は債務を負っている。それ以上、命を負うことはできない」
「そんな! お願いします! 母を蘇生させてください!」
坂井悠二は保険屋に掴みかかる。
そうしなければ保険屋は消えてしまいそうだった。
「私は言ったはずだ――もう、君の両手は一杯だと」
保険屋は、いない。
掴んでいた手の中は、空っぽになっていた。
坂井悠二の中で、いくつもの感情が交差する。
『あんたのママは死んじゃった♪ あんたのせいで死んじゃった♪』
◼い苦し◼死に◼◼帰り◼い救◼て諦め◼使◼ない無力恐◼憎い役立◼ず弱◼助け◼殺し◼嫌◼戻り◼◼◼い苦し◼死◼◼い帰◼たい救◼て諦◼ろ使え◼い無◼恐い憎◼役◼たず弱◼助◼て殺◼て嫌だ戻◼◼い痛◼苦し◼死◼た◼帰り◼◼救◼て諦め◼使◼ない無力◼い憎い役立◼◼弱い助け◼殺し◼嫌◼戻り◼◼
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
第13話 両手いっぱいの幸せ
保険屋は人を待っていた。
転移したので、早く来てしまった事は分かっている。人気のない周囲を見回して、いつもの習慣で時間を潰していた。すると薄白い炎と共に、白いス―ツを着た男性は現れる。大切そうに小さな人形を、その両手で抱いていた。さきほど消えたネコのヌイグルミも、その横で従者として控えている。しかし、それ以外の人形は姿もなかった。
「待たせてしまったか。この地を去る前に、家族へ挨拶をしていたからね」
おかしな事を言う。
彼に家族なんて存在しない。
「――そう、大切な家族にね」
いいや、そうだった。
彼にとって造り出した人形こそ家族と言えるだろう。
「では、案内しよう――徒の集う世界最大の一党、仮装舞踏会へ」
間違い探しコーナー 提供:kuzuchiさん
すべてを賭けても、どれほどの時間を掛けても構わない→すべてを懸けても、どれほどの時間を掛けても構わない
呼吸は苦しくなり、息を荒らげる→呼吸は苦しくなり、息を荒げる