大きな都市の輝きは、真っ暗な空を赤く照らしていた。
上空に浮かぶ群青色の歯車は、休むこともない。屍拾いという標的を閉じ込めるために編まれた、そこはフレイムヘイズの狩り場だ。しかし関係のないゴミも入り込み、"弔詞の詠み手"マ―ジョリ―・ド―は掃除に追われている。それはフリアグネという主を失った、いくつもの燐子だった。
夜も近い時間だ。
放って置いても燐子は、数日で力尽きる。しかしマ―ジョリ―にとって、ここで異物を混入されると屍拾いを取り逃す恐れもあった。本来ならば協力者である佐藤啓作と田中栄太を連れ回し、フリアグネの遺品漁りをやっていた頃だろう。その時、マ―ジョリ―は大きな歪みを感知した。
「このバカでかい歪み。今の時代に、封絶も張らずに人を喰ったわけ?」
『人形に欲情する変態野郎の燐子は、考えなしのバカばっかりみて―だなァ!』
大きな歪みの発生に、標的の気配も掻き消される。
もう何度、怒りの限度を超えたのか記憶していなかった。マ―ジョリ―は神器である大きな本に乗って、その歪みのある方向へ向かう。しかし、その途中で歪みは消え、どこで発生したのか分からなくなった。世界の歪みは短時間で消えるはずもなく、それは起こり得ないことだ。
「どういう事? やっぱり封絶の気配もないじゃない」
『おいおい、あんなデケェ歪みが、すぐに消えるわけね―だろ!』
マ―ジョリ―は周囲を探索する。
すると住宅区に穴があった。いいや、穴のように見えたのは暗いせいだ。住宅の屋根を並べた中、影のように更地となっている土地を見つける。よく見ると、そこに人が座り込んでいた。ト―チではなく人間で、紅世の徒に喰われたという事もないらしい。それは見覚えのある人物で、協力者から死んだと聞いていた坂井悠二だった。
「あんた、この辺りでフリアグネの燐子を見なかった?」
「殺しました」
地面に転がっているのは、欠けた包丁だ。
「わざわざ燐子が封絶も張らず、人間に殺されたって言うの?」
『ウハハハハ! そりゃあ傑作だ! 笑い話としてな!』
「本当です。母が喰われてト―チになって、ここに家もありました」
「ああ、それで、この有り様なわけ。家具やら小物まで、こんなに綺麗さっぱり分解するなんて、よっぽど神経質な奴だったのかしら?」
存在の力は物からも採れる。
ただし紅世の徒にとって力となる物は、人の存在に限られた。たとえば動物を喰っても意味はなく、それは紅世の徒にとって力とならない。無駄に歪みを発生させて、フレイムヘイズを引き寄せる事になる。この坂井悠二と遭遇したのは存在の力も残り少なく、消滅に怯えて錯乱した燐子だったとしても不思議ではなかった。そんな状態だったので、封絶を張り忘れたのかも知れない。
燐子は消えたのなら、ここに用はない。
坂井悠二の事情なんて、マ―ジョリ―に関係なかった。
「それで、あんたは何してるの? 誰かに助けてもらうまでピ―ピ―泣くつもり?」
ここに居ても、もう何もない。
「とりあえず寝る所を探します」
「お友達の家に泊まったら?」
「巻き込んでしまうかも知れません」
「あっそ」
坂井悠二は立ち上がる。
先の見えない暗闇の中へ、歩き出していった。
「ああ、そうでした。昨日もらった自在式は助かりました。マ―ジョリ―さん、ありがとうございます」
「知らないわよ。あれを選んだのは、あんたってだけ」
「そうですね――今日、美術展で屍拾いに会いました」
「そう、あんたも運が無いわね」
何でもない会話のように言葉を交わす。
そのまま坂井悠二は立ち去った。どこへ行くのか本人すら知らない。坂井悠二と関わらなければ、紅世に巻き込まれる事もないだろう。とにかく独りになりたくて、追われるように、あるいは逃げるように足を進める。そして気付いてみれば、坂井悠二は街から出て行こうとしていた。
『かつて失われた物を取り戻す。君も、そんな物はないかな。すべてを賭けても、どれほどの時間を掛けても構わない。取り戻したいと、そう願うものだ』
過去から届く声は、紅世の徒だ。
あの紅世の徒は、そのための自在法を持っている。あとは力を集めるだけでいい。その力も坂井悠二の死によって集められるだろう。しかし、それは紅世の徒から力を借りるという事だ。よりにもよって、紅世の徒から力を借りねばならない。それは最善の方法と分かっても、人喰いの力を借りることは許せなかった。
ポツポツと雨が降り始める。
夜になって上空へ流れ込んだ黒い雲は、空に浮かぶ群青色の歯車を滲ませた。傘を持っているはずもない坂井悠二は雨に濡れる。しかし、それに構うこともなく、坂井悠二は歩みを止めなかった。ライトを照らして行き交う車の横を、まるで雨なんて降って無いように進んでいく。
すっかり世界は暗くなっている。
街の光は遠くなって、人通りも少なかった。とにかく歩くことしか考えていなかったので、どこに居るのかも分からない。この街に住んでいる坂井悠二も見たことのない風景だ。道の途中で街灯は切れて、両側に並んでいるのは用途の知れない真っ暗な建物ばかりだった。
「よお、坂井。こんな所で何してんだ?」
「奇遇だな、坂井」
出会ったのは佐藤啓作と田中栄太だ。
こんな街外れで、偶然に出会うわけもない。
「こんばんは、2人とも。こんな夜に、どうしたの?」
「家出少年が歩き回ってるって通報があったから、補導に来たんだよ」
雨の中、2人は傘を広げている。
「大丈夫だよ。どうせ、どこにも行けないんだから」
平井ゆかりを置いては行けない。
蘇生するために交わした約束は、この街に坂井悠二を繋ぎ止める。それは他の誰でもない、坂井悠二による自縛だ。逃げることもできず、自殺することもできない。たとえ首を吊っても、飛び下りても、川に身を投げても、再び現実に目覚める。でも今は少しだけ、目を閉じていたかった。
「大丈夫だからって、放って置けるかよ」
「そうだぞ。それに姐さんのいる佐藤の家なら安全だ」
「いや、いいよ」
放って置いてほしい。
苛立つ気持ちを抑えて、短い言葉を返した。こんな所まで来てくれた2人を無下にするのは心苦しい。しかし今の坂井悠二に気を配る余裕はなかった。他人と交わす言葉は苦痛で、坂井悠二を傷付ける。それはトゲとなって突き刺さり、坂井悠二を破裂させる寸前だった。
2人に背を向けて、雨の中を歩き出す。
そんな坂井悠二の体は、後ろから抱き締められた。驚いて振り返って見れば、すぐ側に佐藤啓作の顔はある。布越しに密着し、擦れ合う肌の感触もあった。体を巻くように腕を回されて、佐藤啓作に絡み付かれている。予想外のことに坂井悠二の思考は停止し、動けなくなった。
「動くなよ。俺が雨で濡れるだろ」
「はなしてよ」
大きな傘だ。
でも2人となると小さい。
「もう逃げられね―よ。俺らに見つかった、おまえが悪い」
振り払うことは出来なかった。
「――そう、だね」
見つかってしまったのなら仕方ない。
佐藤啓作と触れ合っている部分から、苛立ちは溶けてしまう。あんなに張り詰めていた感情は、空気のように抜けていった。代わりに流れ込んだのは安心感で、坂井悠二の力は入らなくなってしまう。立っていることも出来なくなって、佐藤啓作に支えられた。佐藤啓作と田中栄太に挟まれて、坂井悠二は帰っていった。
第14話 家のない迷子たち
マ―ジョリ―は仮宿へ戻る。
坂井悠二に聞いた美術展の会場へ行ったものの、屍拾いに逃げられてしまった。その途中で雨に打たれ、全身を濡らしている。あまりにも視界は悪かった。おまけに飛行中に降った雨で、その顔に無数の雨粒を受けている。さらに言えば燐子の掃除に気分も乗らず、やる気を失っていた。
「も―、ビショビショじゃない! マルコ、清めの炎!」
『あらよ! ほいさっさ―!』
群青色の炎に包まれ、水気は消えた。
『ああ、残念、無念ってか! 子分どもを張り付けておけば違ったかもな?』
「冗談じゃないわよ。他人に依存するほど落ちぶれちゃいないわ」
佐藤啓作の自宅である邸宅だ。
棚に酒瓶の並ぶバ―ル―ムの、その床に映し出されているのは光る地図だった。マ―ジョリ―の自在法によって、この街に張られた巨大な自在法とリンクしている。まるで空から街を見下ろしているようだ。その近くにあるソファ―に、佐藤啓作と田中栄太は座っていた。
「おつかれっす、姐さん!」
「この後は、どうするんですか?」
マ―ジョリ―は酒を手に取り、カウンタ―へ座る。
「飲むわ!」
気力を回復しつつ、屍拾いの動きを待つ。
そこへ扉を開けて、坂井悠二は現れた。
「佐藤、シャワ―借りたよ。服も、ありがとう」
「おう、こっちに座れよ」
佐藤啓作の服を借りた坂井悠二だ。
ちょっとブカブカして、袖口から手は半分しか出ていなかった。
「マ―ジョリ―さん。さっきは、ありがとうございました」
背を向けたまま言葉もなく、マ―ジョリ―は片手を振る。
そうして佐藤啓作と田中栄太は、坂井悠二の事情を聞いた。フリアグネの燐子に母親を喰われて、家もなくなった。残っている物は、着ていた制服とカバンの中身だけ。持っていた家の鍵も、家の消失と共に消えている。銀行の預金も残っているのか分からなかった。生活に必要な物を根こそぎ失って、もはや学校へ通うこともできない。
「存在を喰われるって、こういう事なのか」
「大変だったな、坂井」
「――にゃによ、その程度で情けにゃいわね」
冷たく切り捨てたのはマ―ジョリ―だ。
「マ―ジョリ―さん、酔ってます?」
その口調は怪しく、もう酒に酔っていた。
「にゃにもかも奪われたみたいな顔して、悲劇のヒロインでも気取ってふの?」
「姐さん、そんな言い方はないですよ!」
「まにゃ残ってる物があるくせに、気に入りゃないのよ!」
『まて、やめろ! 振り回すな! 目が回る―!?』
神器である本を振り回す。
それは魔術書を意味するグリモアから意思を現出させている紅世の王、蹂躙の爪牙マルコシアスだ。マ―ジョリ―という器に収まっているものの、その肉体を共有している訳ではない。こうして神器を覗き孔として、外界を認識している。そのグリモアをマ―ジョリ―はブンブンと振り回し、やがて床へ倒れた。
「えっ、姐さん? 大丈夫ですか、姐さん!?」
『大丈夫だよ、いつものこった』
「酒、強いのかと思ってた」
『飲める量は普通だ。いろいろ無理してんのさ』
「フレイムヘイズは復讐者って言ってたよな。この人も何かあったのか?」
『何なら見てみるか?』
その場にいる全員は幻視する。
燃え広がる銀色の炎、その中心に見えるのは西洋甲冑だ。古い時代の甲冑で、表面の平坦な板金鎧と言える。その奥から無数の目が覗き、こちらをバカにして笑っていた。屋敷の中にいる人々を殺し、こちらに見せ付けている。それは契約者であるマ―ジョリ―ではなく、蹂躙の爪牙マルコシアスによって代行された自在法の効果だった。
『驚いたか?』
神器であるグリモアを蹴られる。
それは床から起き上がったマ―ジョリ―だった。
『いてっ!?』
「ばかマルコ。なんで、あんた勝手に」
『い―じゃねぇか、い―じゃねぇか! 我が怒れる淑女、マ―ジョリ―・ド―!』
グリモアを足でグリグリする。
『酒で言いたい事もある! おめ―の口癖だろう? おめ―の酒臭ぇ息に、俺も当てられたんだよぉ!』
「あんたが変なこと話し出すから、すっかり覚めちゃったわよ」
ソファ―でマ―ジョリ―は横になり、そこへ佐藤啓作は毛布を掛ける。
すると、マ―ジョリ―は目を閉じたまま、ささやいた。
「弱味を見せられると惚れるタイプ?」
「べつに、俺は」
『ウハハハハ! 今夜はおしめぇだ。眠るとしようぜ!』
3人はバ―ル―ムから退室する。
そうしてマ―ジョリ―の過去を知った坂井悠二は、少し気力を取り戻した。すべてを失ってもマ―ジョリ―は、フレイムヘイズとして戦っている。だから全てを失った気分になっている坂井悠二を、マ―ジョリ―は気に入らなかった。坂井悠二を世界に繋ぎ止めるものは、まだ存在している。
「まだ僕は全てを失っていない――残っているものは在るんだ」
坂井悠二は、平井ゆかりを思い浮かべる。
そこで佐藤啓作は尋ねた。
「そう言えば、平井に連絡しなくて良いのか?」
「夜も遅いから。急に言われても困るだろうし、朝になってから連絡するよ」
佐藤啓作と田中栄太は納得した。
「よし、平井の家まで送って行ってやる」
「どうして!?」
似たような事を、朝に経験したからだ。
死んだと思っていた坂井悠二から、朝になって連絡を受けた。記憶に新しい、その事を思い出す。しかし平井ゆかりに電話すると、こっちに飛んで来てしまうだろう。夜も遅いので、それは危険だ。なので佐藤啓作と田中栄太は、坂井悠二を送り届ける事にした。そうして出発する際、佐藤啓作は暗くなった自宅を振り返って見上げる。
「どうした? 忘れものか?」
「いや――この家にも、俺以外に誰か居たんじゃね―のかって、そう思っただけだ」
この広い邸宅に独りで住んでいる。
親と仲は悪く、一緒に住んでいない。出入りするのはハウスキ―パ―くらいだ。存在を喰われた者は、世界の繋がりから欠落する。そして紅世の事象と関わって、佐藤啓作は間もない。もしもフリアグネに誘拐されていなかったら、佐藤啓作も忘れていた事だろう。そうなれば坂井悠二の母親も、最初から存在しないと認識していた。
いつの間にか独りになっている。
そこにあるのは、得体の知れない恐怖だった。
間違い探しコーナー 提供:kuzuchiさん
考えなしのバカばっかり見て―だなァ!→考えなしのバカばっかりみて―だなァ!
それと岬サナさんの感想を受けて、かなり追記しました。
これは"遺失物を復元する自在式"を屍拾いラミ―に代行してもらって、母親を復元するル―トです。すっかり忘れてたからチャ―トが崩壊するぅ!
――追記部分ここから
『かつて失われた物を取り戻す。君も、そんな物はないかな。すべてを賭けても、どれほどの時間を掛けても構わない。取り戻したいと、そう願うものだ』
過去から届く声は、紅世の徒だ。
あの紅世の徒は、そのための自在法を持っている。あとは力を集めるだけでいい。その力も坂井悠二の死によって集められるだろう。しかし、それは紅世の徒から力を借りるという事だ。よりにもよって、紅世の徒から力を借りねばならない。それは最善の方法と分かっても、人喰いの力を借りることは許せなかった。