濁った紫炎は空中を舞っている。
封絶によって世界から隔絶された空間の中、直立する獣と少年メイドは交戦していた。大きな獣によって振り下ろされる太い電柱を、少年はスカ―トを揺らしながら避ける。そうして獣の内側へ潜り込み、拳と共に触手を放った。すると獸は粘液と化して攻撃を避け、そのまま少年の体を打つ。
しかし、それは触手に防がれた。
衣服から伸びた無数の触手に触れ、粘液は喰われてしまう。前と同じ攻撃は通じず、粘液は身を引いた。そこを触手に追撃され、また身の一部を奪われていく。粘液は獣の姿へ戻り、少年メイドから距離を空けた。零時迷子によって万全の状態となった少年メイド対し、直立する獸は身を削られて残った力は少ない。
「手が足りないか」
シュドナイは新たに4本の腕を生やす。
走りながら近くの電柱を圧し折り、その手に電柱を持った。後を追ってくる少年と触手に身を削られるものの、それよりも武器の確保を優先する。ついでに傷んだ電柱も交換し、合わせて6本の電柱を持った。すでにシュドナイの体は薄くなり、透き通りつつある。存在の力を削られ、もはや長くは持たなかった。
「こんな所で眠りに就いたらババアに何と言われるか。分かったものではないな!」
6本の電柱をバラバラに振り回す。
その間を擦り抜け、少年は迫りつつあった。一撃でも当たれば、人体は引き千切られる。それなのに、その一撃を当てることは出来ない。少年に接近にシュドナイは身を引き、わずかにでも逃れようと試みる。しかし少年は電柱を擦り抜け、シュドナイの目前に迫っていた。
「ハァ!」
濁った紫色の炎を、口から放出する。
それに少年は身を焼かれ、それでも炎を突破してきた。少年の身を包んでいた触手も焼けて、焦げ落ちていく。しかし炎に変えて力を放出したシュドナイは、もはや形を保てなくなった。その身を小さな虫に変え、炎に紛れて少年の目へ飛び込む。眼球を穿って、その奥に突っ込んだ。そのまま脳に到達すると、無茶苦茶に破壊して回る。
そして少年の動きは止まった。
触手も力を失い、地面に垂れ落ちる。
シュドナイは少年メイドを食らった。
存在の力に変換すると、その死体は消え去る。これで確実に死んだに違いない。その器に内包されていた膨大な力によって、シュドナイは肉体を再構成した。それによりティリエルの掛けた自在法も強引に引き千切る。仕事を果たした事に安心すると、周辺の修復を行ってから封絶を解いた。今頃、愛染の兄妹は生き返った人間を捕獲している事だろう。
「やれやれ、終わったか」
もしも清めの炎を使われていたら危なかった。
清めの炎は、毒や汚れを浄化する自在法だ。フレイムヘイズであれば使えないはずもない。そうであれば体内へ侵入したシュドナイも、異物として焼かれていた事だろう。フレイムヘイズではなく、やはり人間だったに違いない。あとは愛染の兄妹に任せて、シュドナイはオルゴ―ルの回収に向かった。
また何度目かの幻痛に悩まされる。
目覚めると人の姿へ戻り、そして床に転がっていた。そこはボロボロになった平井ゆかりの家だ。すでに都市を覆っていた巨大な結界は、オルゴ―ルを持ち運んだシュドナイによって解除されている。そのオルゴ―ルは特定の自在式を自動演奏する宝具で、それに建物の修復は含まれていなかった。
「ようやく捕まえましたわ」
愛染の兄妹であるティリエルは言う。
縛られている訳でもないのに、メロンと坂井悠二の体は動かなかった。
「私の自在法を、あなた方に打ち込みましたの。よほどの自在師でも無ければ解除できませんわ」
それは戦闘用ミステスに使われるものだ。
たとえばフリアグネのように、独立した意思を持つ燐子を造るのは難しい。多くの燐子は単純な命令に従うだけの使い捨てだ。しかし元から意思のあるミステスを使えば、その工程を省ける。もっとも燐子と違ってミステスは、その主に従順ではなかった。だから、それは宝具を宿したミステスを、道具として制御するための自在法だ。
「では、知っている事を全て教えていただけるかしら?」
その命令に逆らうことは許されない。
メロンと坂井悠二は命じられたまま全てを話してしまう。詳しく聞かれたのは兄ソラトの欲する、贄殿遮那を没収された時の状況だ。保険屋に封絶を使った結果、贄殿遮那とアラスト―ルを奪われた。その保険屋は現在、仮装舞踏会へ出張している。それなのに兄ソラトの嗅覚は、メロンを示していた。
「没収ではなく封印のようなものかしら。そこの元フレイムヘイズに贄殿遮那は封じられ、その鍵は保険屋という人間が持っているのね」
「ねぇ、ティリエル。にぇとののしゃな、ほしぃ!」
「ええ、お兄様。星黎殿へ向かいましょう。そこに宝箱を開けるための鍵がありますわ」
「星黎殿か。ならば俺も百年ぶりに寄るとしよう」
そう言いながらシュドナイは、玄関から入ってくる。
その片腕に抱えているのは壊れた木箱だった。
「そいつらは、どうする? 連れて行くのか?」
「あら、あなたは人間に興味が在るのかしら?」
質問に答えず、探るようにティリエルは言った。
仮装舞踏会が零時迷子を求めている事を、ティリエルは知らない。
「零時迷子である事は分かっている。それを土産に持って帰れば、星黎殿に務めている連中は喜ぶだろう。わざわざ外界へ、存在の力を集めに向かう手間を省けるからな」
「それでは貴方の期待に添った物ではないわね。この零時迷子に掛けられた戒禁を解くとなると、お土産としては手間が掛かってしまうもの」
「そこは参謀殿に丸投げするさ。それに戒禁は解かず、人間のままでも存在の源として使えるだろう?」
「それは困るわ。その参謀殿の怒りは、私達にまで及んでしまうかも知れないでしょう? それに自在法による制御も万能ではありませんもの。引き渡した後に問題を起こしては申し訳ないですわ」
「そうか。まあ、無理に欲しい物ではないさ」
シュドナイは興味の無いように話を切り上げた。
誤魔化すついでに、メロンの話題を出す
「それならば、そっちの女も連れて行くのか?」
「お兄様の嗅覚は、この女を指しています。ならば連れて行くしかないでしょう?」
なにしろフレイムヘイズに変身する女だ。
いつ爆発するか分からない爆弾としか思えない。
「おまえ達、付いて来なさい」
メロンと坂井悠二の体は、意思と関係なく動いた。
ボロボロになった平井ゆかりの家を出て、マンションの廊下へ出る。真夜中と言っても、あまりにも静かだった。それはティリエルの結界によって、その周辺は隠されているからだ。その内部は人に認識できない空間となる。たとえフレイムヘイズであっても近付くまで分からなかった。
平井ゆかりは夜道を走っていた。
都市を覆っていた巨大な封絶は解除され、その代わりとして平井ゆかりの自宅に自在法の流れは留まっていた。その山吹色は、まだ戦闘の終わっていない事を示している。そこに坂井悠二とメロンも居るはずだ。もしかすると2人は、敵に囚われているのかも知れなかった。そう思うと、待っていられない。
「はぁ、はぁ」
マンションに到着する。
平井ゆかりは疲れ切って、壁に寄りかかった。壁のボタンを押して、エレベ―タ―を呼び寄せる。途中まで追って来ていたはずの田中栄太と佐藤啓作を、完全に振り切っていた。これはメロンと行っていた鍛練の結果と、そして肉体を超えた精神の成せる技だろう。同じようにメロンの鍛練を受けていた田中栄太と佐藤啓作は、全力であったものの必死に及ばなかった。
その時、展開された空色の歯車に囲まれる。
それはメロンの自作した、封絶を防御する自在式だ。当然の事ながら、封絶の自在法と接触しなければ意味はない。発動したという事は、封絶に接触したという事だった。それは平井ゆかりの視界に、小さな歪みとなって現れる。平井ゆかりの目前で視界は開け、そこに坂井悠二の姿はあった。
「ゆうちゃん?」
ドレスの少女と、ジャケットの少年だ。
その後ろに坂井悠二とメロン、ス―ツとサングラスの怪しい男性もいた。
「ねえ、ゆうちゃん?」
坂井悠二は返事もできない。
それは平井ゆかりの言葉を無視しているように見えた。
「あら? また人間ですの?」
フレイムヘイズか、それとも紅世の徒か。
平井ゆかりは判別できなかった。
「あの、あなた達はフレイムヘイズなんですか?」
「フレイムヘイズと紅世の徒も区別できませんの?」
どういう状況なのか、平井ゆかりは分からない。
ただし坂井悠二の様子は見るからに変だった。
「すみません。ゆうちゃんは、どうしたんですか?」
「これも連れて行くのか?」
「ただの人間のようですし、必要ありませんわ」
平井ゆかりは問いかける。
それを無視して、少女たちは通りすぎた。その後に付いていく坂井悠二もメロンも、平井ゆかりを見ていない。それは平井ゆかりにとって恐ろしい事だった。そんな坂井悠二を繋ぎ止めようとして、その手を掴む。足に力を込めて、全身を使って、強引に引き止めた。そんな様子を見て、ティリエルは溜め息を吐く。
「意思を縛り過ぎると言うのも考えものね」
ティリエルは指先に、自在式を浮かべる。
すると坂井悠二は片手を振り上げ、平井ゆかりの顔を殴った。平井ゆかりは床に倒れ、体を震わせる。痛くて、苦しくて、平井ゆかりは動けなかった。その間に無慈悲な足音は遠くなっていく。ジンジンと痛くて、顔の感覚も無くなってしまう。叫び出したい気持ちで、胸は一杯になった。
「待って……ください!」
連れていく者達に呼びかける。
「待って……置いて行かないで!」
連れて行かれる者達を呼び止める。
「あたしも……連れて行って!」
グラグラと視界は揺れ、言葉も切れてしまう。
曖昧となった平井ゆかりの意識は、それでも無意識に追いかけた。立ち上がって転んだ事を平井ゆかりは自覚していない。断ち切られては、たまに繋がる記憶の中、遠くなる人影を追い続ける。やがて何も見えなくなって、そこで平井ゆかりの意識は失われた。そうしてマンションの片隅で動かなくなる。
――その体を拾い上げる者があった。
「必要ないのではなかったのか?」
「地獄まで付いて行こうとする
その名はティリエル、紅世における真名は愛染他。
兄であるソラトのために身を捧げる紅世の徒だ。
第21話 たとえ死んでも逃がさない
天空を移動する城、星黎殿。
そこは紅世の徒の一党である、仮装舞踏会の本拠地として使われている。人を組み込むことなく、徒のみで運用されている組織だ。しかし今は、その本拠地に人の姿もあった。茶色のロングコ―トに身を包んだ保険屋だ。ここで保険屋は、紅世の徒を相手に営業を行っていた。
「次の客を呼んでほしい、少年」
「ちょっと待ちなよ。その前に参謀閣下から御質問だ」
保険屋の助手を行っているのは、幼い少年だ。
白くて長いブカブカのローブを着込み、フ―ドを頭に被っている。
「本人の承諾を得た上で、同じ地点で蘇生を繰り返す方法を知りたい――との事だよ」
「ああ、それは出来ない。これは状態異常の解消と同じだ。死の原因となる事由を解消することも死亡保険に含まれている」
「大口の契約先なんだから、ちょっとは優遇しても良いだろ?」
「そういうプランは取り扱っていない。それに保険契約は団体ではなく、個人と結ぶものだ」
「参謀殿を無下に扱うなんて命知らずなんだから」
「それは私の仕事ではない。おそらく紅世の徒を材料に、存在の力を生成する装置を組みたいのだろう」
「そこは徒の協力って言いなよ」
この1月で1000件を超える保険契約を結んでいた。
初期は人間であるためトラブルの原因となり、契約に失敗することも多かった。しかし今は複数の徒に、事前の説明を行わせている。これにより保険屋は契約締結のみを行う事となり、接触を最低限に減らして効率的に契約を行っていた。参謀であるベルペオルから、これらの分担管理を任じられた紅世の徒こそ、少年に見える蠱溺の盃ピルソインだ。この外見に反して非常時となれば、徒を無傷で制圧する実力もある。
「保険料は月1000円、そろそろ支払いの始まる頃か。1000名で月100万円と考えて、資金洗浄に50%と税金で50%――手取りは25万くらいになるな」
「それは空計算だと思うけどな―。契約を守る紅世の徒なんて、そんなに居ないさ」
背の高い椅子に座り、足をブラブラと揺らし、ピルソインは言う。
「問題ない。その時は強制的に支払ってもらう」
紅世の徒は数も多い。
仮装舞踏会によるサポ―トも充実していた。しかし紅世の徒は、自由かつ気ままだ。契約の件数は多くても、契約の継続率は高くないと考えられる。さらに徒の間で通貨は流通しておらず、人の通貨を奪ってくるしかなかった。銀行口座を持っている徒も居るか分からない。出所不明の通貨を市場へ戻すために、保険屋は多くの手数料を払う必要もあった。
間違い探しコーナー 提供:kuzuchiさん
こんな所で眠りに着いたら→こんな所で眠りに就いたら