自在法は本質の顕現だ。
だから紅世の徒によって本質は異なり、その自在法も異なる。他の徒と同じ自在法を使うことは出来ない。ならば誰でも使える封絶は何かと言うと、自在式を使っている。自在式という歯車を用いる事で自動化し、より大きな歯車を回し、あるいは定められた効果を発現する。
自在法と自在式。
紅世の徒にとって、先に自在法を使えるのは当然だ。しかし人にとって自在法を使うのは難しく、先に自在式を修めることも多い。それは本質に支配された紅世の徒と違って、人は自由だからだ。自由である分、その余分な感情に左右され、自在法の発動を阻害してしまう。
「自在法は、一途な想い。あるいは欲望の現れですわ」
「そうなんだ」
「平井ゆかり、あなたにとって大切な行為は何かしら?」
それは自在法を使うためだ。
教授される方法は自在式ではなく、徒に近い本質の顕現だった。それは人にとっては自在式よりも難しいだろう。しかし愛染他ティリエルは、平井ゆかりの愛を信じる。愛のために身を投げ出せるのならば自在法を使えないはずはない。それは平井ゆかりの愛を試す行為でもあった。
「大切な物とかじゃなくて、大切な行為なの?」
「ええ、大切な物は結局の所、その身の外にあるでしょう? あなたにとって大切な物は、その心の影として外側に現された物でしかないの」
それは人を愛することだろう。
もっとも平井ゆかりにとって、その意味は人と違ってしまったけれど。
「ゆうちゃんを好きな気持ちかな?」
「その人間は他人でしかないわ。たとえば私ならば愛染他、それは必ずしもお兄様のことを指している訳ではないの」
「あたしにとっては、誰かの一部になること?」
「それは、どんな形で?」
「えーと?」
平井ゆかりは、ムムムと頭を悩ませる。
「お兄様のために私は、自己を失っても構いませんわ。でも、あなたは、そうではないでしょう?」
「うーん、そうだね。あたしは誰かの一部に成りたいんじゃなくて、誰かの一部として残りたいのかも」
それは強欲な在り方だ。
ティリエルを奉仕とすれば、平井ゆかりは寄生と言える。
「存在の力を感じて、それを強く願いなさい」
「うん」
ティリエルに存在の力を流し込まれる。
その得体の知れない流れを、平井ゆかりは感じ取った。
「その人間に触れて、強く願いなさい」
「うん」
人形のような坂井悠二の手を握る。
坂井悠二と1つに成れるように、平井ゆかりは願った。
「まだダメのようね。なにを不安に思っているのかしら?」
「この気持ちを受け入れてくれるのか、不安かも」
「でしたら、こう考えなさい。これは、この人間を救うために行っているのよ」
「ゆうちゃんを助けるため?」
「そう、支配の檻から人間を救い出すため。それならば、この人間も悪くは思わないでしょう?」
「うん、そうだね。それなら、きっと、あたしを受け入れてくれる」
これは救命行為だ。
人形のような坂井悠二を、平井ゆかりは背後から抱きしめる。正面から抱きしめるのは恥ずかしかった。目前に坂井悠二の首筋はあって、平井ゆかりはクラクラする。心臓は跳ねて痛み、手足にピリピリと刺激も走った。平井ゆかりは呼吸を荒くして、その首筋に口を付ける。やわらかい肌に歯を立てて、舌で舐めた。
「わぁ!」
とても気持ちいい。
抑え切れない衝動に流されてしまう。坂井悠二と1つになりたくて、平井ゆかりは夢中になる。もしも坂井悠二に意識はあると知っていたら、こんな事はできないだろう。意識のない坂井悠二を、平井ゆかりは自由にできる。ここに平井ゆかりを止めるものは何もなかった。
「まだ足りませんわ。もっと、おやりなさい」
「もっと!?」
難しい注文だ。
これ以上、いったい何をやれと言うのか!?
「その人間の一部として在りたいのでしょう?」
「うん、でも、これ以上って言われても」
「あなたの体液を飲ませてしまえば良いでしょう」
「ティリエルちゃん、天才!?」
「ちゃん付けは止めなさい」
血液は型の不一致もあるので危ない。
それならば唾液しかなく、口付けを行う必要もあった。そうしてしまったら平井ゆかりは一線を越えてしまう。さすがに親友という言い分は、もう通用しないだろう。しかし、これは救命行為だ。魔法の眠りに囚われた坂井悠二を起こすための非常手段と言えた。平井ゆかりは心を決める。
その時、不思議なことが起こった。
一線を越えると決めた時、すでに心は飛び出している。その心を縛るものは何もなく自由だった。平井ゆかりの心は肉体を擦り抜けて、坂井悠二の内側へ侵入する。すると坂井悠二へ繋がったような感覚を覚えた。それを無視して平井ゆかりは、坂井悠二の顔へ口を近付ける。
『ゆかりちゃん?』
「きゃあ!?」
坂井悠二の口は動いていない。
それなのに声だけ聞こえる。
『坂井悠二だよ。その様子だと聞こえてるみたいだね』
「ゆうちゃん! 起きたんだね!」
『ごめん、顔は痛くない?』
「うん、もう痛くないよ」
これまで坂井悠二の意識はないと、平井ゆかりは思っていた。
坂井悠二は言うべきか、ちょっと迷う。
『じつを言うと、体は動かなかったけど、意識はあったんだ』
「え?」
そんな話は聞いていなかった。
意識はないからと言って、やらかした事を思い出す。
「えー!?」
「静かになさい。お兄様がビックリするでしょう」
ソラトはポカーンとしている。
平井ゆかりの真似をして、口を大きく開けていた。
「ごめん、ティリエルちゃん。ゆうちゃん、意識はあったって?」
「それは何か重要なことなのかしら?」
当然のことのように言われる。
もちろんティリエルは知っていた。
「起きてると知ってたら変な事しなかったよぉ」
「それなら教えなくて正解だったようね」
ティリエルは冷たく言う。
おかげで平井ゆかりは自在法を修得できた。
「まあ、そうだけど――これが、あたしの自在法? でも、これって電話かな?」
「機能から考えるよりも、その本質から考えた方が早いですわ。あなたの一部は今、その人間の中にあるのではなくて?」
「あー、なるほどねー。うん、わかった。なんか感覚的に分かる」
『ゆかりちゃんが中に居るって、僕も分かるよ』
坂井悠二の言葉で、手から汗を噴き出した。
なにを言われるのか分かったものではない。
「ごめん! ゆうちゃん! その、出来心で!」
『いいよ。ゆかりちゃんの好きにしていいから』
「え? マジ?」
『池を好きで良いし、僕を好きになってもいい。ゆかりちゃんは誰でも好きになって良いから』
それは平井ゆかりの在り方を肯定するものだ。
たとえ人から外れた愛であっても、間違っていないと言ってくれる。
「こんな、あたしでも、良いのかな?」
『うん。きっと、みんなも受け入れてくれる』
「いや、みんな、じゃなくて、ゆうちゃんが良いかなって?」
『じゃあ、親友は辞める?』
「でも、あたし、こんな愛し方だから。だから、ゆうちゃんの恋人は空けて置きたいの」
『愛人ってことかな?』
「言い方ひどい!?」
『僕が、誰かと結婚しても良いの?』
「あたしの好きって、そういう物じゃないから。人としての恋愛は他の人に任せるよ」
『僕は人じゃなくても良いよ。人と同じ生き方じゃなくてもいい』
「それはダメだよ。あたしのせいで、ゆうちゃんが結婚できなくなっちゃう」
『うん、分かった。じゃあ恋人の席は、いつまでも空けておくから』
ちょっと嘘を吐いた。
本当は坂井悠二を他人に取られたくない。平井ゆかりだけの物にしたかった。しかし、いつか蘇生の借金を返し終えた時、平井ゆかりの命は平井ゆかりだけの物になってしまう。その時から坂井悠二は関係なくなってしまう。坂井悠二の人生も、坂井悠二だけの物になる。いつか、その時は来てしまう。
坂井悠二の体は動かない。
それは坂井悠二の肉体が、まだ自在法の支配下にあることを現していた。ティリエルは自在法を使えなくなったので、それを解除する事もできない。注がれた力の限り、自動で機能を続ける。それに対して、平井ゆかりの自在法は他人に寄生するものだ。だからティリエルの自在法を解くような効果はなかった。
『保険屋さんにメッセージを送ってもらったよ』
「え? どうやったの?」
『それは秘密かな。その人もバレたら大変だから』
「そうなんだ?」
『僕の目標は、この星黎殿から保険屋さんを降ろす事になるね』
「ティリエルちゃんは、そうじゃないと思うよ?」
『保険屋さんに対する嫌がらせという意味でなら、目的を共有できると思う』
「ティリエルちゃんは、ソラトくんの力を取り戻したいんじゃない?」
『この星黎殿で争うのは不利だよ。ここから降ろせば、それを引き剥がせる』
「うーん、ティリエルちゃんに聞いてみるね」
独り言を喋る平井ゆかり。
ティリエルは背伸びして、その背中をペシペシと叩いた。
「この私を無視するとは、ずいぶんと生意気になったものですね。教育が必要かしら?」
「ごめんね。ティリエルさんにも聞こえれば、私が仲介しなくても良いんだけど」
「あなたの自在法を受けるなんて、お断りですわ。なんのために、その人間を実験台にしたと思っていますの?」
「え!? 実験台だったの!?」
「効果の分からない自在法を使うのですから、なにが起きても不思議ではないでしょう?」
「でも、ゆうちゃんを救うためって――救うため――救えてないじゃん!?」
「それで何の話をしていたのかしら?」
坂井悠二の言葉を伝える。
するとティリエルは頭を悩ませた。
その体に登ったソラトは、髪の毛をハムハムしている。
「人間らしい、他人頼りの、情けない作戦ですこと。保険屋の気分次第ではなくて?」
『時間の問題だよ。あの人は、誰かの下で働けるような人じゃないからね』
数々のトラブルを起こしているはずだ。
これからティリエル一行のやる事は、元からあった裂け目を広げるに過ぎない。紅世の徒なんて勝手なもので、人間の存在に不満を持っている徒は居るものだ。それは外来の徒に限らず、仮装舞踏会の中にだって居る。なぜならば紅世の徒にとって、人間は食料に過ぎないからだ。
第24話 星の影で踊る獣たち
星黎殿の中枢にして、秘匿された深部にある。
そこに機械のコードを束ね、樹木のように生えていた。その根本に銀の炉を抱え、その上に板金鎧も吊るされている。その前に立っているのは逆理の裁者ベルペオルと、屍拾いラミーだ。保険屋を訪ねて星黎殿へ寄った所、ついでにコレの解析をする事になってしまった。
「大命詩篇の打ち込みは順調のようだね」
「手の込んだ事をするものだ。零時迷子を奪った方が確実ではないのかね?」
「それでは盟主より賜った大命を喧伝するようなものさ。我等の目的を零時迷子と知れば、やつらは容赦なく葬り去るだろう」
「どうにでもなるだろう。彼らは鳥かごの中だ」
「いやいや、侮れんものさ。よりにもよって保険屋の契約を交わした相手が、零時迷子の人間と天壌の劫火のフレイムヘイズとはなぁ」
保険屋を星黎殿へ留め置く。
それはフレイムヘイズの不死化を防ぐ意味もある。それなのに最も不死化されたくない、零時迷子の人間と天壌の劫火のフレイムヘイズを不死化されてしまった。たとえば零時迷子の人間を殺したら、零時迷子ごと蘇生されてしまう。そして盟主によって生み出された破壊不能であるはずの自在式を、かつての大戦で破壊してみせた天壌の劫火だ。その大命詩篇と呼ばれる自在式で、目前の大樹も構築されている。
「あの保険屋を中心に時代は変わるだろう。単に殺しても死なないという、戦術の変化に収まらない。世界の在り方、そして思想さえも一新してしまう。あれはフレイムヘイズでも、紅世の徒でもない、不死者の第3勢力さ。我等も、それに便乗するとしよう」
さもなくば死あるのみだ。