常夜の星黎殿は、天蓋に幻想の星を掲げる。
その外から訪れた徒の宴会に、ティリエル一行は参加していた。今は自在法も使えないため、護衛として駆掠の礫カシャを雇っている。その報酬は、カシャの持つ宝具に自在式を刻むことだ。そして廃人のようになってしまったソラトに、棺桶のような箱を背負った平井ゆかりも付き添っていた。
「保険屋は、どうだったかしら?」
「ああ、あんたの言う通りだったよ! 俺に契約する意思は無いってよ! 人間のくせに、ふざけやがって!」
「ええ、まったく。あんな人間に居座られているなんて、参謀のベルペオル様も苦労されておられるのでしょう」
紅世の徒は怒り、保険屋の悪口を言い立てる。
すると、そこへ他の徒から口を挟まれた。
「おいおい、あんただって人間を連れてるじゃねーか! ぎゃはは!」
「あら、人間の管理くらい、私にだって出来ますわ。人間、見せておやりなさい」
そう言って、平井ゆかりを指し示す。
すると平井ゆかりは、胸に手を当て応えた。
「はい。麗しき我等の主、愛染の兄妹さま」
平井ゆかりは背負った箱を開く。
すると、そこに入っていたのは白黒のメイド服を着た坂井悠二だ。長い袖に腕は覆われ、長いスカートに脚も隠されている。さすがにロングヘアのウィッグは入手できず、白のヘアバンドで短い黒髪を飾っていた。ちゃんと化粧も施され、美しいと言うよりも可愛らしい。目を閉じて動かず、それは人形のように見えた。
「零時迷子の人間ですわ。私の自在法で支配し、戦闘用に改造してありますの」
「零時迷子? それは宝具なのか?」
「ええ、時に干渉する紅世の秘宝ですわ」
「へ―! そいつはすげ―な!」
しかし、宝具と聞けば欲の出る者もいる。
それは愛染の兄妹や護衛のカシャよりも、保有する力の大きい者だ。
「おい、おまえ―! その宝具は、あたいが使ってやる―! よこせ―!」
「あらあら、酔っていらっしゃるのかしら。カシャ、よろしくて?」
「ふっ、誰に聞いている。この俺、駆掠の礫カシャ様の敵ではない!」
「なんだと―!? 雑魚のくせに―!」
紅世の徒は、ゴムのように腕を伸ばす。
その腕は大きく膨らんで、カシャへ叩き付けられた。
「ふん、この程度か!」
しかし、カシャは棒立ちだ。
振り下ろされた巨腕は、自在法の結界に阻まれていた。
「なに―!? いつの間に自在式を―!?」
それは一瞬で、自在式を編んだとしか思えない。
その反応すら感知できない、神速の自在法だった。
「しばらく、大人しく転がっていろ!」
またしても神速の自在法だ。
アイボリーの歯車に囲まれ、紅世の徒は動きを封じられた。
「こんなもの―! 解けない、どうして―!?」
「力の過多が、戦いの全てと思わないことだな」
「おまえー! ころしてやるー!」
「へえ、そうか。それは残念だ」
動けない紅世の徒、その頭をカシャは握る。
五指に付けられた指輪は、冷たい感触を与えた。
「その間抜けな頭を、吹っ飛ばしてやろうか!」
「おー! やってみろー!」
爆発と共に頭を吹っ飛ばす。
死体は炎となって、跡形も残らず消えた。それを見下ろして、ティリエルはクスクスと笑う。弱体化したと言う話は数日前のもので、すでに過去となっていた。このような争いは、宴へ参加する度に繰り返されている。もはや愛染の兄妹を弱者と思う、紅世の徒はいなかった。
「愛染の兄妹と言えば、フレイムヘイズを連れ込んだって話じゃなかったか?」
「そうなの? 私はフレイムヘイズを捕らえて、仮装舞踏会へ引き渡したって聞いたわ?」
保険屋に対する排斥は大きくなる。
それは元から紅世の徒に内在していたものだ。それを突かれて表面化したに過ぎない。むしろ外来の徒ではなく、内部の構成員にこそ、その感情は強く現れた。本来ならば星黎殿に人は居らず、紅世の徒のみで仮装舞踏会は構成される。仮装舞踏会の参謀ベルペオルの決定と言っても、保険屋という異物に対する感情は治まらなかった。
「◼◼◼◼◼」
「はい、ソラト様?」
それは独り言のようだった。
とても人の声と思えない雑音で、その小さな声を聞き取ったのは平井ゆかりしかいない。聞き取ったものの、なんと言っているのか分からなかった。その視線の先に見えるのは、ティリエルの背中だ。平井ゆかりの手を握りながら、ソラトは遠い目をしている。心は無いように、ボーとしていた
宴会は終わり、ティリエル一行も宿へ戻る。
その間もティリエルは、ソラトの側に寄ってはいなかった。ソラトを平井ゆかりへ預けたまま、カシャと共に前を歩いている。いつから、こうだったのか。それは宴会を回って忙しかったからだ。少しずつティリエルとソラトの距離は空いて、今となっては見て分かるほど広がっていた。
「ねえ、ティリエルちゃん。あたし、家族ごっこしたい!」
「急に何ですの? おかしな事を言い出さないでくださいな」
「ソラトくんとティリエルちゃんは手を繋いで! あたしとカシャ様は、その両側に立つから!」
「なんだと? 俺もか!?」
平井ゆかりに手を引っ張られる。
迷惑そうなティリエルとカシャを横に並べた。
「◼◼◼◼◼」
「ええ、お兄様。お兄様のことを忘れたりなど、けして」
互いに身を寄せ合っていた。
そのはずなのに何時から離れてしまったのか。保険屋に本質を封じられて、ソラトは変わってしまった。まるで中身を抜かれたように無気力となっている。本来ならばコロコロと愛らしく表情を変え、何にも囚われず欲望のままに生きているはずだった。それを変えてしまった保険屋を、けしてティリエルは許さない。
「あたし、思ったんだけど。保険屋さんに書き換えられたのって、ティリエルちゃんもじゃない?」
「ええ、自在法を使えなくなりましわ。今さら聞くまでもない事でしょう。それが何か気になりまして?」
「うーん、あれってさ。ティリエルちゃんも自在法じゃなくて、本質を封じられたんじゃない?」
「本質を封じられたから自在法も使えなくなったと言うのかしら? でも私に比べて、お兄様の状態は深刻ですわ」
そこへ横から口を挟んだのはカシャだ。
隣のティリエルと手は繋がず、歩調も合っていなかった。
「分かったぞ。ソラトは本質に意思を任せていたから、その本質を奪われたら、こうなった。それに対してティリエルは本質を意思で制御していた。だから本質を奪われても、自在法を使えない程度で済んだのだろう?」
カシャは自信満々だ。
イライラしたティリエルは、その足を引っかけて転ばせた。
「おい、何をする!」
「あら、ごめんあそばせ。足が滑ったわ」
カシャは脱落し、後方を歩く。
ティリエルと平井ゆかりは、ソラトを中心に手を繋いでいた。
「ソラトくん、寂しそうだった。きっとティリエルちゃんと一緒に居たいんだよ」
「それは当然ですわ。今までだって一時も、お兄様から離れた事はありませんもの」
「うん、そうだね。でもソラトくんは、手を繋ぐだけじゃ足りないんだよ」
身を寄せ合って、互いを支える。
それは今まで出来ていたはずだった。
「今までは本質のおかげで、意識しなくても出来ていた。でも、その本質を封じられたから、意識しないと出来なくなったんじゃないかな?」
「知らず知らず、私も変わっていたと?」
「あたしの知ってる限りでも、もっとイチャイチャしてたと思うよ?」
隣に並ぶソラトを見つめる。
幸せだった頃を思い出して、甘い息を吐き出した。好きに喰らい、好きに奪い、欲しい物を得て、欲しい物を与えた。あれほど幸福だった事は無いだろう。今は見えない鎖に縛られて、自由に在ることもできない。それは保険屋のせいか、それとも自縛しているだけなのか。
「――お兄様」
ソラトを引き止めた。
横に並ぶソラトを見つめ、やわらかい両頬に手を当てる。まるで自我のないように希薄で透明で、純真で潔白だった。そこへ黒い染みを落とすように、ティリエルは口を付ける。周囲の事も気にせず、欲望のままに襲いかかった。口を塞がれたソラトは、苦しそうに息を漏らす。
「◼◼、◼◼」
「ごほうび、くださいな」
ソラトの中へ、舌を入れる。
脅えて引っ込んだ舌を、ティリエルは先端で撫でた。それはピクピクと震えて、ヌルヌルした液体を分泌する。ソラトは中を掻き回され、その刺激で小さな体を震わせた。その顔をティリエルは両手で押さえ、ねじ込むように激しく舌を入れる。満足したティリエルが口を離すと、ソラトは苦しそうに荒い呼吸を繰り返した。
「お兄様のために何をするべきなのか、やっと分かりました」
保険屋に対する私怨に拘っていた。
ソラトの安全を考えれば、すぐに立ち去るべきだった。これまでのティリエルは間違っていた。保険屋から本質を取り戻すことや、あるいは報復など、ソラトは望んでいない。それを望んでいたのは、ティリエルであってソラトではない。今のソラトは、ただティリエルと一緒に居たいだけだった。
「お兄様と私は次の停留地で、この星黎殿から降りましょう。あなたは、どうします?」
「俺か? ここから降りた後まで、おまえらに付いて行く気はないぞ」
「でしたら最後の指輪を、その前に仕上げてあげましょう」
ティリエルは小さな手を差し出す。
しかし少々の間を挟んだ後、カシャは目を逸らした。
「いや、10輪目はいい」
「最後の指輪に刻む自在式は"解放"ですわ。9輪目の"支配"と合わせて使うものですのよ?」
ティリエルとカシャ。
思い浮かべるのは、自在法に囚われた坂井悠二だ。
「最後の指輪は――10輪目は先約があってな」
「あら、そうですの? 中に入っているのは、ずいぶんと古い型の自在式ですのね?」
急な話に平井ゆかりは驚く。
そんな事を言い出した理由も分からなかった。
「ねえ、ティリエルちゃん。どうしてか、聞いても良いかな?」
「ここにいる理由が無くなりましたもの。あなた達も付いて来なさい」
「うん、それは良いんだけど、メロンちゃんも連れて行ける?」
「メロン? ああ、あのフレイムヘイズもどきの事かしら?」
「まさか置いて行ったりしちゃう?」
「そうしたい所ですけれど、仕方ありませんわね。引き取りに行きましょう」
「ありがとう、ティリエルちゃん!」
「ただし大人しくするように説得できなかったら、その時は諦めてくださいな」
メロンは仮装舞踏会に囚われている。
それはフレイムヘイズとなる恐れのあるメロンを隔離するためで、参謀のベルペオルも預かると言っていた。そもそも、それはティリエルの自在法を保険屋によって封じられ、メロンを制御できなくなったからだ。治安維持の点から、仮装舞踏会の対処に不審な点はなかった。もっとも保険屋の悪評を言い回ったことで、小言を言われる可能性はあるだろう。
第25話 あなたは変わってしまった
逆理の裁者ベルペオルは報告を受けていた。
愛染の兄妹の悪あがきは、予想の範囲内だ。客は減るとしても、一時的に過ぎない。個人の活動など気に留めるほどの事でもない。仮装舞踏会にとって大した事ではなく、むしろ愛染の兄妹の責任を問うために使えるだろう。しかし、それまでの予定を切り捨てるように、急に星黎殿を出立するのは意外だった。
原因は人間だ。
零時迷子の人間は自在法で縛られ、置物と化している。だから兄の世話係として連れ回している人間だった。とは言え、おかしな話でもない。これを前々から計画していた物ならば兎も角、移り気な紅世の徒らしい突発的なものだ。どうせ出立するとなれば、フレイムヘイズもどきを引き取りに来るだろう。
「待たせたね。出番だよ、将軍」
「やれやれ、何のために俺を引き止めていたのかと思えば、このためか」
「神鉄如意も持って行くのだぞ?」
「大命の遂行とあれば無論のことだ。だが、わざわざ俺の出張るような事か?」
「おや、なにか不満でもあるのかい?」
「俺では、わざわざ殺さぬように手を抜かねばならん。蠱溺の盃ピルソインの方が適切だろう」
蠱溺の盃ピルソインの自在法は、対象を行動不能にできる。
さらに自在師として優れた技量も有していた。
「あれは保険屋の担当よ。それに我らの将軍を瀕死に追い込んだ、愛染の兄妹と人間を軽視するなど、とても出来まい」
「ちっ」
「恥じる必要はないとも。おかげで、こうして対処も出来るのだからな」
愛染の兄妹の護衛を、シュドナイは行っていた。
その時、不意討ちで零時迷子に体の大部分を喰われてしまっている。
「零時迷子の人間は、すでに起きているやも知れぬ。あるいは愛染の兄妹も、奥の手を隠し持っているやも知れぬ――けして油断してくれるなよ、将軍」