広間へ広がった黒い影はシュドナイだ。
それらは単体へ戻り、人型を成す。零時迷子の人間は、無数に生えた槍の塊によって押さえ込まれていた。ベルペオルの封絶は解除され、ソラトによって突破された壁も修復される。その坂井悠二を除いたティリエル一行は、巨大な異形によって捕獲されていた。謁見室の外側を見張っていた驀地祲リベザルだ。
「たとえ外に逃げても、ここは星黎殿の中枢だ。我ら仮装舞踏会の同胞に追われ、帰り道も分からず果てる。おまえ達の狙うべき相手は、ここまで案内した徒だ。つまり私の横にいる、こいつだったのさ」
ベルペオルは、そう告げる。
しかし、その王を知る者ならば、やはり戦わずに逃げる事を選択するだろう。
「おい、こいつは、どうする?」
シュドナイは槍で固めたマユを指す。
零時迷子の人間は動きを封じられていた。
「下手にタルタロスで干渉すると、アレを呼び出してしまうからね。担当の者を呼ぶとしよう」
アレと言うのは暴君だ。
この星黎殿の深部に隠された板金鎧を指す。
『参謀閣下、急ぎ報告すべき事態が発生いたしました』
そこに聞こえたのは、まるで機械のように平坦な声だ。
極小の歯車で形成された、鉄色の自在式を浮かべていた。
「聞こう」
『屍拾いが保険屋に接触しております』
その瞬間、様々な可能性をベルペオルは未来に見る。
そして、すでに手遅れである事を知った。
「ああ、それは――さて、どうして裏切ったのか。聞かせてくれるのかね?」
「まさか神算鬼謀と恐れられる逆理の裁者が、分からぬという訳でもあるまい」
そこに保険屋と屍拾いは立っていた。
報告から、まだ数秒も経っていない。
「将軍、おまえは保険屋を知らぬだろうから言っておくが、短気は起こしてくれるなよ。いとも容易く、あれは世界の理すら書き換える」
「ほう、それほどか。この星黎殿へ留まっている間に、噂くらいは聞いているさ」
保険屋と屍拾いは並び立つ。
次に口を開いたのは保険屋だった。
「悪いが、坂井悠二の話に乗ることにした。短い間だったが、世話になったな」
「人間、いや、坂井悠二か。どういう話だったのか、教えてくれるのだろう?」
「要約すれば、紅世の徒を相手にしても顧客の数は限られるという話だ。坂井悠二は、この死亡保険を世界に広げるべきと考えている」
「その仲介を行ったのは屍拾いか。零時迷子とアレの繋がりを利用したのだろう。しかし屍拾い、やはり解せぬな。おまえの目的を考えれば、坂井悠二の話に乗る理由はない」
それを屍拾いは否定する。
「いいや、あるとも。私の目的は、すでに終わっている」
「彼の者の蘇生は、本人に断られたのだろう? たしか宗教上の理由だったか。であれば失われた物を取り戻すために、我等の話に乗るべきだった」
屍拾いラミーの目的は、失われた物を復元することだ。
それは彼と呼ばれる人間の描いた、ラミーの絵だった。
「ああ、そこからか。それは、もう終わった事だ。もう良いのだよ」
「これまで積み重ねた全てを投げ捨てて、諦めたと言うのか?」
「そうとも言うな。坂井悠二に力を貸したのは別件で、彼の示してくれた行動に応えるためだ」
「ああ、なるほど。保険屋の居た都市に、屍拾いも寄っていたのか。それは見逃していたな」
「ふむ、彼ならば知っていたと思うが? 聞かなかったのかね?」
「坂井悠二の名を聞いた途端、行方を眩ましたものでな」
その間に保険屋は、坂井悠二を解放していた。
槍の塊に手を突っ込み、坂井悠二を引き出す。その神鉄如意と云われる槍は、シュドナイの意思に依らなければ折れも曲がりもしない。それなのにベキベキと不吉な音を立てて、坂井悠二は引き抜かれていった。槍を折られたシュドナイは、ちゃんと元に戻るのか心配する。
まとめて状態異常を解除し、坂井悠二を元の状態に戻す。
すると触手で形成されたメイド服は消え、生まれたままの坂井悠二となってしまった。
「保険屋さん、来てくれたんですね」
「ああ、私の仕事に口を出したのだから、手も出してもらう」
「ゆうちゃん!」
平井ゆかりは心のままに飛び出した。ティリエルとソラトも、それを追う。
カシャは背後に立つ巨大な異形の様子を探った後、ゆっくりと歩き出した。
「保険屋さん! ゆうちゃんを助けてくれて、ありがとね!」
「君も御崎市へ帰るのならば、ついでに連れて行こう」
坂井悠二と平井ゆかり。
あとはメロンだ。
「メロンも連れて行けますか?」
「ここに居ない人間のことを言われてもな」
保険屋は面倒そうだ。
どこか遠くを見るように、その先にいるメロンを見た。
「元の状態に戻してあげよう。あとは彼女次第だ」
「分かりました。おねがいします」
「それでは3秒後に御崎市へ転移する」
「すいません。ちょっと待って!」
それを止めたのは平井ゆかりだった。
ティリエルたちに近寄って、その手を繋ぐ。
「ティリエルちゃんたちも、一緒に行こう!」
「ああ、そうだったな。ついでに君達も元に戻してあげよう」
その瞬間、急にソラトは立ち上がった。
ティリエルと繋いでいた手も放してしまう。
「にぇとののしゃな!」
「ああ――お兄様」
ティリエルの心から自然と湧き上がってくる。
愛しいソラトに対する想いで心は一杯になった。
「ユカリ、ここで御別れです」
「え? どうしたの?」
「在るべき物が、在るべき所へ戻った。これは、それだけの話ですわ」
奪われていた本質は戻ってきた。
これまでのティリエルを塗り潰して、あるべき形へ戻される。それは自然現象のようなもので、不変の神性と言える。一定の形を持ち、変質を許さない。他者を必要とせず、一個として在る。そう在ることを定められた、法則の体現だ。紅世の徒である限り、歯車のように心を囚われる。
「私の初めての人間、私の初めての他人。あなたに自在法の極意を伝授しましょう」
――きっと、これは有り得ない夢のような日々だったのだろう
「それは愛すること。愛は与えるもの。体も命も、己の全てを捧げて、誰かを愛するために生きるのです」
それこそティリエルと平井ゆかりにとって、最強の自在法だ。
ティリエルは立ち上がって、ソラトに寄り添う。
「お兄様、あと少しだけ、お待ちくださいな」
「ぅん、我慢する」
欲望に突き動かされる体を押し留める。
小さな体はプルプルと震えていた。
「ティリエルちゃん、ソラトくん」
どうしてなのか分からない。
それでも2人が無理をしているのは分かった。
「うん、分かった。またね!」
「徒の挨拶も知りませんの? こう言うのですわ」
ティリエルはスカートを摘まんで、脚を曲げる。
そうしてスカートをフワリと舞わせた。
「因果の交叉路で、また会いましょう」
その言葉を平井ゆかりは繰り返す。
ティリエルを真似て、スカートを摘まんだ。
「因果の交叉路で、また会おうね!」
そうして平井ゆかりと坂井悠二は消えた。
残されたティリエルたちは、ベルペオルたちに取り囲まれている。
「あら、あなたも残ったのね。もう指輪の用も済んだのでしょう?」
「護衛を頼んだのは、そっちだろう。どうせ俺は死んでも蘇生される身だ」
ティリエルとソラトは、そうではなかった。
ここで死ねば、それで終わりだ。
「では死ぬ気で足止めを、おねがいしますわ。お兄様と私は、探し物を取りに向かいます」
「ふっ、倒してしまっても構わんのだろう?」
指輪の力を使い果たしたカシャは言う。
すると、ラミーは糸玉のような塊を出した。
「これは私が死ぬと爆発するのでね。使い道を考えていたのだよ」
その糸玉は膨大な存在の力を束ねたものだ。
ラミーの正気を、ベルペオルは疑った。
「まさか死ぬ気か?」
「今さら気付いたのかね?」
ラミーは保険契約を結んでいない。
たとえ誰かに蘇生を願われても、彼と同じように断るだろう。
「主よ――死こそ生命の幸いよ」
その言葉こそ、起爆のトリガーだった。
糸玉は溶けるように形を失って、海が流れ出るように広がっていく。
「主よ――死こそ生命の幸いよ」
彼に言われた、最後の言葉を繰り返す。
蘇生を受けなかった彼は、彼の信じる神に祈っていた。そうして彼は、ラミーの前から消え去った。それはラミーにとって、彼に起こった真実の死だ。かつてラミーの知らぬ間に彼の死んだ事は知っていても、ラミーの前で彼が死んだ事はなかった。彼の死から数百年の月日を経て、やっとラミーは彼の死を受け入れる。すべては彼の死んだ時に終わっていた事だった。
第27話 我が下へ来たれ、偉大なる死よ
少女は服を剥かれ、閉じ込められていた。
縦方向へ回転する平石に手足を固定され、歯車によって定期的にグルグルと回されている。手足を固定した上で、自動的に血流を確保するための器具だ。そう言えば聞こえは良いものの、明らかに拷問器具だった。とは言え最初は服もあったし、手足も拘束されていなかった。しかし何度も試みた脱走の結果、設備はグレードアップしている。
「そろそろ脱出しないと、太るわ」
少女を殺す気はないらしい。
しかし人間の食事を分かっていないのか、最初に喜んで食べたメロンパンばかり買ってくる。ついつい食べ過ぎて、少女の栄養になってしまっていた。あれこれとメロンパンの品質に文句を言った少女も悪かったのだろう。今の少女はフレイムヘイズではなく人間だ。だから体重に変化も起こってしまう。
カラカラ
それは金属の転がる音だ。
なにかと思って下を見れば、割れた指輪だった。それは指輪と呼ぶには無骨すぎる、少女の指に着けられていた鎖の輪だ。ベルペオルによって施され、少女と他者の繋がりを断っていた。フレイムヘイズとなる事を防ぐためのもので、契約していた紅世の王の再召喚を防いでいたものだ。
『む?』
そこへ懐かしい声が聞こえる。
少女は首に冷たい感触を覚えた。
『これは、いったい?』
「アラストール!」
少女は喜びの声を上げる。
その胸で神器たるペンダントは輝いていた。
さらに石畳の床へ、大太刀も突き立つ。
身の丈ほどもある、それは贄殿遮那という銘の宝具だった。
「見ての通り、敵に捕まってるの。ここは仮装舞踏会の本拠地、星黎殿よ」
『なるほど、そやつらの謀略であったか。我が封じられて、どれほどの時が経った?』
保険屋ではなく、仮装舞踏会の謀略と思っているらしい。
これまでの事情を説明する所で、どこかの爆発音と共にガタガタと揺れた。
「ともかく詳しい話は脱出してからよ!」
『うむ』
固定されている手足へ力を込める。
カイムと契約していた時のように、自在法を使おうと試みた。
「ぐっ!」
『何事だ!?』
なぜか失敗し、全身を紅蓮の炎に包まれる。
それは空色の衣のように少女を包み込んだ。
「――!!」
手足を固定していた金属を焼き切る。
天壌の劫火アラストールのフレイムヘイズとなった少女は、火に耐性を持つ。それでも異常な動作を起こした炎に対して、無傷でいる事はできなかった。呼吸を止めていた事で肺は焼けずに済んだものの、火傷で泡立った肌はベロリと剥がれ落ちる。少女は痛みに耐えて、それを引き千切った。
『なんという無茶を! 死ぬ気か!』
それでもフレイムヘイズならば、まだ死なない。
『……大丈夫』
長い言葉は出せず、短く答えた。
死んでも蘇生される。
蘇生される。
――本当に?
急に不安を覚えた。
誰かの手を探して、代わりに大太刀を手に取る。とても持ち上がらない重さの大太刀を、少女は存在の力を使って持ち上げた。奪われた力は戻ってきた。それなのに、どうしてなのか。こんなに不安を覚える理由を少女は思い付かない。これまでだって何回も死んだ経験はある。次だって変わらず、生き返れるはずだった。
少女の隣に誰もいない。
手を繋いでくれる誰かはいない。
「……ユージ……ユカリ」
『どうした?』
「……大丈夫」
今はアラストールがいる。
だから"炎髪灼眼の討ち手"として、ちゃんと出来る。
扉を斬り裂き、脱出した。
見張りの燐子を蹴り倒し、少女は通路を進む。どこかで起こった崩壊は連鎖しているようで、建物の揺れは治まらなかった。ともかく目標は坂井悠二と平井ゆかりだ。どこに居るのかも分からないのならば、この空に浮かぶ土地ごと破壊すればいい。そのために必要なのは魔神へ捧げる供物だった。
徒は混乱しているらしく、右へ左へ駆け回っている。
少女は大太刀を構え、敵を待ち構えた。
「にぇとののしゃな!」
「見つけましたわ!」
それは見覚えのある、愛染の兄妹だった。
少女の持つ大太刀を目印に先行するソラトを、遅れながらティリエルは追いかけている。なぜか愛染の兄妹はボロボロで、すでに傷付いていた。この兄妹が居るのならば、近くに坂井悠二と平井ゆかりも居るだろう。できれば話を聞き出したい所だったけれど、全身に火傷を負っている少女に余裕はなかった。
「にぇとののしゃな! ほしぃ!」
「……いいわよ」
少女は、ささやく。
ソラトの大剣に、その片手を斬り飛ばされた。しっかりと握っていた大太刀ごと、その手は飛んでいく。通路の壁に当たると跳ね返って、床に転がった。ソラトは大剣を投げ捨てると、その他に目も向けず大太刀へ駆け寄る。火傷で真っ赤に膨れた手を引き千切り、目をキラキラと輝かせて贄殿遮那を高く掲げた。
「あ……ぁ、お……に……い……さ……ま」
ティリエルは首を絞められる。
悪鬼のように全身を赤く腫らしたフレイムヘイズによって、壁に押し付けられていた。それなのにティリエルは、悪鬼のことなど見えないように、その向こうへ手を伸ばす。しかし、あまりにも短くて、その手はソラトへ届かなかった。すぐ側にいるティリエルの事も気付かず、贄殿遮那を手にしたソラトは無邪気にニコニコと喜んでいる。
――そんな幸せそうな兄を見て、ティリエルも幸せだった。
紅蓮の炎が生まれる。
それは衣となって少女を包み、焦がすように昇り立った。
「荒振る身の掃い世と定め奉る、紅蓮の紘に在る罪事の蔭」
紅蓮の巫女は祝詞を述べる。
その輝きに照らされて、ティリエルとソラトの影は黒く染まった。
「其が身の罪と言う罪、刈り断ちて身が気吹き血潮と成せ」
祝詞の下、死に縛られたティリエルとソラトは動けない。
そこは紅く彩られた祭壇で、照らし出された死の影を捧げる場だ。
あと一言あれば、儀式は完成する。
その時、紅蓮に包まれた巫女の全ては、炎に呑まれて消えるだろう。
『これからは自殺禁止! 分かったわね!』
『うう、痛い』
『メロンちゃん痛いよ―』
そんな言葉を思い出す。
祝詞の続きを言えず、少女は体を震わせる。
恐怖に怯えて呼吸は止まり、あと一言なのに言えなかった。
「……ごめん」
アラストールへ謝る。
そんな少女の体に、大太刀は突き立てられる。
まるで罰を与えるように、ソラトは少女を貫いた。
「……炎髪灼眼……失格だ」
その時、少女は気付いてしまった。
かつての自分から、変わり果ててしまった事を自覚した。
『よい――善いのだ』
もはや少女は祝詞を唱えない。
アラストールは、そんな少女を許した。
神
威
召
喚
かくして魔神は、祝詞の続きを述べる。
少女の死を承知の上で、儀式を続行した。哀れな少女は紅蓮の炎に焼かれ、何も言えない黒い塊と化していく。ティリエルとソラトから伸びた黒い影も、侵食されて紅く染まった。おぞましい紅い帳に覆われた儀式場で、死を
星黎殿の中枢から、それは起き上がる。
想像を絶する熱量は、直視した者の目を焼いた。並び立つ尖塔は次々と自然発火し、炎に包まれ崩れ落ちる。魔神の吐息は旋風となって、星黎殿を駆け巡った。地下へ逃げ込んだ者は、恐怖に震えて走り続ける。後ろから迫る炎に追い付かれ、その身は溶けるように蒸発してしまった。
『 ―― 天 破 壌 砕 ―― 』
紅蓮を天地へ突き立てる。
星空の天蓋は打ち砕かれ、浮遊する大地も割り砕かれた。誰も逃れ得る者はなく、誰も生き得る者はいない。一切の容赦なく、断罪の刃は振り下ろされた。星黎殿の深部に隠されていた板金鎧も例外ではなく、紅き天罰によって粉砕される。それは天地を貫く、巨大な紅蓮の柱となって現れた。
――畏れよ、畏れよ
――神の怒りを畏れよ
その威名と共に魔神の暴挙は、雷鳴のごとく響き渡る。
万を超える同胞を、一夜の内に葬り去った災厄の同胞殺し。
――あれこそは天罰狂いの魔神、天壌の劫火アラストールである