ささやかな日常
6月前半、坂井悠二と平井ゆかりは行方不明になった。
それから吉田一美の下に、平井ゆかりから連絡があったのは6月後半だ。何かの事件に巻き込まれたらしく、坂井悠二も共に帰っていた。それで元通りと、そう言うわけでもない。平井ゆかりと坂井悠二はマンションから追い出され、佐藤啓作の邸宅へ居候していた。マンションの爆発事件を原因とする平井ゆかりの責任問題で、警察署へ行ったり管理会社へ行ったり忙しいようだ。
そして昨日、やっと平井ゆかりは登校できると聞いた。
アルバイトを解雇された坂井悠二も、学業と両立できる仕事を見つけたらしい。とは言え坂井悠二は休学中なので、復学は夏休みを終えて2学期からになる。佐藤啓作の邸宅から、平井ゆかりは登校するようだ。しかし吉田一美は別方向なので、いつものように登校する。独りで黙々と歩くのは、仲間外れにされているように思えた。
「ゆかりちゃん、おはよう」
「おっはよー! ひさしぶりー!」
平井ゆかりは吉田一美に飛び付く。
とても懐かしいように思えて、ギューギューと抱きしめた。
「ちょっと、ゆかりちゃん!?」
「もー、きつい。大変だったよー!」
大変なのは帰ってからだった。
自宅はボロボロで、マンションを追い出され、損害賠償を請求され、警察に聴取され、マンションを爆破した犯人と疑われ、必死に事情を説明したものの、封絶や紅世の徒のせいで話は矛盾して、平井ゆかりに失火の責任を押し付けられそうになっていた所、自在法を通して坂井悠二の助言に救われた形だ。まだ裁判すら始まっていない段階で、それなのに平井ゆかりは限界だった。
たまに胸の辺りも痛む
「うん、がんばったんだね。おつかれさま、ゆかりちゃん」
「あー、いやされるー。ありがとね、一美!」
昼休みになると、お弁当を食べる。
お弁当を坂井悠二のために練習していたものの、吉田一美は機会に恵まれなかった。お弁当を作った当日から、坂井悠二は学校へ来なくなったからだ。その頃の坂井悠二は母親と自宅を失って、通学できる状態ではなかった。そんな事情を何も知らない吉田一美は、また夏休みの終わりまで待つことになるだろう。
しかし、吉田一美は不安に思う。
そうして待つだけで良いのだろうか。もしかすると坂井悠二は、もう学校へ来なくなるかも知れない。平井ゆかりと坂井悠二は事件に巻き込まれていたと言うし、そのまま行方不明になる可能性だってあった。吉田一美の知らない所で、坂井悠二は居なくなってしまうかも知れない。もう坂井悠二に、お弁当を食べてもらう機会はないかも知れない。それは嫌だった。
「ねえ、ゆかりちゃん。坂井くんは――」
「あー!!」
そこへ聞こえたのは大きな声だった。
田中栄太の弁当を見た緒方真竹は、すごく驚いている。
「あ、ごめん。じゃなくて、どういうこと!?」
「なんだよ、オガちゃん。この卵巻き、食べたいのか?」
「違うわよ! それよりも何で、平井さんのお弁当と同じなの!?」
吉田一美は、お弁当を覗く。
たしかに平井ゆかりの、お弁当と並びまで同じだった。
「え? だって、平井ちゃんの手作り――もごご」
「待て、田中ァ!」
慌てて田中栄太の口を塞いだのは、佐藤啓作だ。
しかし、すでに遅かった。
「ゆかりのお弁当!? どどど、どういうこと!?」
「いや、田中だけじゃなくて俺の弁当も同じだから」
「田中だけじゃなくて佐藤も!?」
「ああ、そうだ」
「ハーレム!?」
「なんでだ!?」
緒方真竹の脳に浮かんでいたのは、いけない光景だ。
似たような事を考えた覚えのある吉田一美はティンとくる。
「おい、平井。家のこと言っても良いのか?」
「え? あたし? 気にしなくて、いいよ」
佐藤啓作は尋ねたものの、平井ゆかりは平気そうだった。
まるで他人事のようにパクパクと食べている。
「平井は家が無くなって、俺の家に泊まってるんだよ」
「お世話になってる御礼に、お弁当を作ってるの」
緒方真竹はショックを受ける。
田中栄太は分かっていないようだけれど、その気持ちは吉田一美も分かった。例えるならば平井ゆかりのお弁当を、坂井悠二が食べているようなものだ。そこで吉田一美は、重大な事実に気付く。平井ゆかりのお弁当は、ここに在る分だけなのか。どうして同居している坂井悠二は大丈夫と、そう言えるのか。手に自然と力は入り、ミシミシと鳴った。
吉田一美は真顔で、平井ゆかりの横顔を見つめる。
「佐藤は分かったわ。でも田中も貰ってるのは、おかしいでしょ!」
「ほら、佐藤くんと田中くんってセットな所あるでしょ? 片方だけってのは、かわいそうだよ」
「た、たしかに。なるほど――そうね。ごめん、田中」
「いや、俺も受け取ったのは良くなかったのかな?」
「そんな事ないわよ。ゆかりも、ごめんね」
「うん、大丈夫だよ。その内、みんなに話そうと思ってたから」
坂井悠二の居なかった、この2月。
その間、平井ゆかりは坂井悠二と共に過ごしたのだろう。平井ゆかりは家を失ったり、事件に巻き込まれたり、大変な苦難を経験していた。その間、吉田一美は心配していた。何もせず心配しか、していなかった。うらやましいと、そう単純に言える話ではない。悪いとすれば、それは坂井悠二の側に居なかった吉田一美だ。だから吉田一美は、勇気を出すことにした。
「佐藤くん、今日。坂井くんは家にいるのかな?」
「いや、帰ってくるのは夕方6時くらいだな。土日なら居る思うぞ」
「そうなんだ。坂井くんって今は、どこで働いてるの?」
「新しい保険会社で、ナンバー2だ。と言っても社長がワンマンで、他に従業員が居ないだけなんだけどな」
保険屋の対人能力は、絶望的と言える。
ただし、それ以外の事務や掃除など雑務に関しては、不思議な力で片付いてしまう。だから坂井悠二の役割は、客の対応だ。事前に説明を行って、保険屋の契約をスムーズに行うことにあった。この最終確認である保険契約に関しては、保険屋も他に任せる気はないらしい。それでも開店から間もなく、まだ来客は少ないから何とかなっていた。
第28話 ささやかな日常
一方その頃、坂井悠二は死んでいた。
すると佐藤啓作の邸宅ではなく、すぐに保険屋の下で蘇生される。わざわざ死ぬたびに佐藤啓作の邸宅から移動する訳にも行かない。なので仕事中に死んだ場合、事務所で蘇生する事になっていた。客と言っても人ならば兎も角、問題は紅世の徒だ。乱暴な徒に絡まれると死ぬこともある。これだから一般人は雇えなかった。
「保険屋さん」
「ああ、つまみ出しておいた」
いったい、どこに、つまみ出したのか。
少なくとも事務所の前でない事は間違いない。保険屋の言う「つまみ出す」は、跡形も残らず消える事を言う。一応、また来客した事はあるので生きているようだ。その時は、すっかり大人しくなっていた。たとえ客であっても保険屋は容赦せず、乱暴な客は消え去ってしまう。坂井悠二としては助かるものの、会社としては良くないだろう。坂井悠二は「お客様」という言葉を保険屋から聞いた事すらなかった。
「乱暴な御客様を、事前に止める方法って無いんですか?」
「できるぞ。面倒だから、やらないが。後から処理した方が楽だからな」
「ええ?」
「君を無敵にすることも可能だ。できるが、やらない」
「ダメなんですか?」
「君の防御力に関しては、平井ゆかりの自在法で解決するだろう?」
恋話に手を出すのは、無粋というものだ。
保険屋は感情の乏しい顔で、そう思う。
「あれは僕が自力で動けなくなるんですよね」
「平井ゆかりに動かしてもらえば良いだろう?」
「いや、それは、ちょっと困ります」
「平井ゆかりならば喜んで受けるだろう。あとは君の意思によるものだ」
あの触手メイドだ。
メロンの行った方法を流用し、平井ゆかりの自在法で再現している。メロンによる偶然の産物であって、どういう原理なのか坂井悠二は分かっていなかった。それでも戦闘手段として有用だ。ちなみに原理としては坂井悠二の意識を肉体の外側へ押しやると、坂井悠二の中にある零時迷子は剥き出しになる。存在の力を食い千切る、その戒禁で殴り付けている状態だった。
「そう言えば、"仕事じゃない"とは言わないんですね」
保険屋は坂井悠二に背を向ける。
その時、少しだけ保険屋は笑ったようだった。
「これは"仕事"だからな」
夕方になって坂井悠二の仕事は終わる。
と言っても、保険屋は独りで営業を続ける気だった。一緒に仕事をするようになって、坂井悠二は気付いたこともある。保険屋は眠る必要もなければ食事をする必要もない。疲れる事もなければ休む必要もない。お手洗いにだって行った所を見たことはなかった。保険屋は他人と関わらずとも単独で存在できる生物であり、そもそも仕事をする必要だって無いはずだ。
坂井悠二は帰り道を歩く。
自宅は無くなって、佐藤啓作の邸宅に居候していた。邸宅のカギは貰っていないけれど、自宅警備員のメロンもいる。そもそもメロンはフレイムヘイズであり、学校へ通う必要もなかった。だからと言ってメロンは何もしていない訳でもなく、一緒に住んでいる皆へ鍛練を行っている。
このまま平和に過ごせればいい。
しかし坂井悠二と平井ゆかりも、佐藤啓作と田中栄太も、そうでない事を知ってしまった。また起こるかも知れない、次の戦いに備えなければならない。佐藤啓作は火徐けの指輪を手に、田中栄太はトリガーハッピーを手に、戦う道を探している。それは佐藤啓作と田中栄太にとって、暴走するマージョリーを殺した償いだった。
『ゆうちゃん、今いいかな?』
『うん、いいよ』
脳内へ聞こえた声に、坂井悠二は自然と応じた。
それは坂井悠二に寄生している、平井ゆかりの自在法によるものだ。
『メロンちゃんから伝言だよ。メロンちゃんの養育係だったフレイムヘイズが、零時迷子の破壊を狙ってるんだって!』
『急な話だなぁ』
つまり殺されると言うことだろう。
それなのに坂井悠二は他人事のような感想を言った。
『死亡保険を擦り抜ける裏技でもあるのかな?』
『大きな荷物を背負ってたし、今日この街に来たみたい。だから保険のことは知らないと思うよ』
『だったら、とりあえず殺されて、ついでに佐藤の家までワープするよ』
『ゆうちゃん、そんなタクシーじゃないんだから!』
かつてメロンと交わした約束は自殺禁止だ。
だから他人に殺される分は良いと考えていた。
『ゆうちゃん、メロンちゃんから伝言だよ。最後まで諦めずに戦うことって』
『まあ、フレイムヘイズなら、多少のことでは死なないから良いのかな?』
坂井悠二と違って保険に加入していない相手だ。
むしろ、うっかり殺してしまう事を坂井悠二は心配していた。
『メロンちゃんも、そっちに向かってるって』
『それならメロンが来るまで耐えればいいね』
「見つけたのであります」
それはフレイムヘイズだった。
どこからか生えた白いリボンによって、坂井悠二は巻かれていく。そこに在るのは殺意だけで、敵である事に違いなかった。白いリボンに刻まれた爆発の自在式は、坂井悠二を肉塊へ変えるだろう。すでにメロンから話を聞いたフレイムヘイズは、首を絞めて殺すなど油断でしかないと知っていた。
坂井悠二を捕らえ寸前に、封絶は張られる。
桜色の炎に空間は焼かれ、この世に在らざる陽炎の内側へ閉ざされた。フレイムヘイズと坂井悠二を除き、周辺の時は凍り付く。零時迷子の人間は感知に優れているものの、フレイムヘイズの存在は近付かなければ分からない。だから、この都市へ新たなフレイムヘイズがやってきた事も、坂井悠二は気付かなかった。
「零時迷子のミステス、破壊するのであります」
『ゆかりちゃん、来て』
『ゆうちゃん、行くよ!』
白いリボンを、そこから生えた触手は喰い破る。
坂井悠二の肉体は、平井ゆかりの自在法を通して支配される。そうして押し出された坂井悠二の意識は、触手によって白黒のメイド服を形成した。少し前まで、この状態で過ごしていた事もある。なので、この状態も慣れたものだ。そうして坂井悠二は、似たような服装のフレイムヘイズに相対した。黒の丈長ワンピースに白のヘッドドレスとエプロン、そして白い仮面を装着している。
『あなたは世を乱す徒を狩るフレイムヘイズでしょう。それなのに、どうして?』
坂井悠二の口は閉じたままだ。
その声は、触手から響くように聞こえる。
「敵と交わす言葉など不要なのであります」
『問答無用』
フレイムヘイズと、その契約している王だ。
白い面から伸びたリボンは、メイド服から伸びた触手と交差した。するとリボンは喰われ、白い切れ端となって千切れてしまう。白い仮面と同じように、そのリボンは神器によって紡がれたものだ。触手と同じようにフレイムヘイズの器である肉体の延長と言えて、だからこそ零時迷子の戒禁で喰らえた。
『ゆかりちゃん、跳んで!』
『うん!』
その意味を平井ゆかりは正しく理解する。
存在の力を使って、坂井悠二の体を高く飛ばした。その下で千切れたリボンは爆発し、高熱と共に煙を噴き上げる。そこから生じた爆裂は空気を揺らし、坂井悠二の体を震わせた。いくつかの触手は巻き込まれ、その千切れた部分を存在の力によって再形成する。それはフレイムヘイズも同じで、仮面から這い出るリボンは果てしないものだろう。
『ゆうちゃん、よく分かったね』
『千切れたリボンを見たら、力の流れに違和感があったからね』
メイド服の少年は桜色の火の中、空を舞う。
白い仮面を被ったフレイムヘイズは、それを見上げた。
「少しは存在の力を扱えるようであります」
『始末徹底』
触手とリボンの相性は良くない。
このフレイムヘイズの戦闘スタイルは、相手の力を利用することだ。伸ばしたリボンで相手の動きに変化を加え、まるで自滅したように倒してしまう。しかし触手に触れると、そのリボンは喰われてしまった。おまけに感知能力も高いらしく、千切れたリボンの罠も察知されている。
だからと言って、戦えない訳もない。
これまでの戦闘スタイルが通じなければ、それを変えるだけの事だ。フレイムヘイズはリボンを強化し、近くの道路へ突き差す。そのままグルリと回して、アスファルトごと地面を抉り取った。そんな土の塊をリボンで引っ張り、いくつも引き出していく。それらを振り回して、坂井悠二へ叩き付けた。
『戦い方を変えてきた!?』
触手を引き千切られる。
高速で飛来する土の塊を止める力はなかった。リボンを喰い千切っても土の塊は、坂井悠二へ向かって飛んでくる。それはフレイムヘイズによって、そうなるように調整されているからだ。白く細いリボンを使って、お手玉のようにポンポンと投げてくる。そんな意思のない物体に対して、戒禁は発動しなかった。物体による質量攻撃で、坂井悠二は押し潰される。
『ごめん、ゆうちゃん! 体が!』
『痛みはないから大丈夫だよ』
ドンドンと土を積み重ねられる。
目も開けられず呼吸もできない中、体にかかる重さは増えていった。平井ゆかりは肉体を強化するものの、土の塊を跳ね除けることは叶わない。それは石まみれで、砕けたアスファルトも混じっていた。閉ざされて何も見えない闇の中で、押し潰される恐怖はジワジワと迫っている。
『ゆうちゃん!』
『大丈夫だよ。すぐに、そっちで目覚めるから』
ぜんぜん大丈夫ではない。
坂井悠二の潰れる音を、平井ゆかりは聞いていた。耳まで肉体を通して、骨の折れる音は伝わる。そこから遠く離れた佐藤啓作の邸宅で、本体の平井ゆかりは耳を塞いだ。そうして耳を塞いでも、坂井悠二に寄生した自在法から伝わってしまう。それでも平井ゆかりは死ぬまで、その繋がりを断ち切る選択はできなかった。
『うーん、こういう時の対策も考えておくよ』
『――そうだね』
痛覚はないけれど感覚はある。
厚みのない手足の先から、少しずつ失われていった。それは呼吸のできない中、わずかな死ぬまでの時間だ。それなのに時間を引き延ばされているように、その地獄を長く感じる。潰されているのは坂井悠二の肉体なのに、平井ゆかりも潰されているように感じた。土砂に圧されてミンチになって、バラバラに砕け散っていく。
息が、できない
『ゆかりちゃん、大丈夫? どうせ死ぬんだから切ってもいいよ』
『――うん』
平井ゆかりは床に倒れ伏した。
佐藤啓作の邸宅で、そのまま動かなくなる。近くにいた佐藤啓作と田中栄太は、慌てて駆け寄った。しかし、平井ゆかりは、もう死んでいる。坂井悠二の肉体から伝わった感覚は、平井ゆかりにショックを与えた。急激に血圧は上昇し、胸の痛みを引き起こす。それは血流を停止させ、最近の出来事で疲れていた心臓を止めてしまった。