封絶は外から見ると、大地に沿った半球だ。
それは遠くから見えるほど、大きな陽炎のド―ムだった。坂井悠二は封絶の展開を感じると、見通しの良い地点へ移動する。そして街の光に浮かぶ、その異質なド―ムを目視で確認した。メロン一行はト―チの除去を中止し、封絶の位置へ向かう。しかし封絶の外部から、内部を視認することできなかった。
「たしか……ここはデパ―トのはず」
「そう。じゃあ、おまえは此所まで」
――おまえじゃ役に立たない
「僕も行くよ……マ―ジョリ―さんの
「ここからはフレイムヘイズの仕事よ」
――邪魔なだけ
「もしも栞が破れたら……どうするのさ?」
「帰りなさい! そんな状態で、どうするって言うのよ!」
坂井悠二の顔色は白い。
片腕の火傷は、深刻な状態となっていた。異常なほど喉に渇きを覚え、いくら水を飲んでも治まらない。火傷の痕は今も焼かれているように熱く、逆に体は冷たさに震え始めた。すでに巻かれた包帯も変色し、染み出した体液で黄色に染まっている。もはや包帯の下は、人の腕に見えなかった。
「帰っても、どうにもならないよ……もう、進むしかない」
坂井悠二にとって最善は死ぬことだ。
そうすれば蘇生され、元通りになる。死んでから、また行けばいい。しかし他でもないメロンによって、自殺は禁じられていた――いいや、たとえ健康な状態であってもメロンは、坂井悠二を返すに違いない。ここから先はフレイムヘイズの時間で、人やト―チの関わるべき時間ではなかった。
「まだ独りで立てる……まだ独りで歩ける……まだ」
「もう、分かった! 勝手に置いて行くから!」
メロンは封絶へ突入する。
すると坂井悠二に譲渡された栞から、メロンを囲むように群青色の歯車が展開された。坂井悠二の火傷を代償に得た、大切な防御の自在式だ。これは封絶による因果の断絶から、メロンを護ってくれる。しかし回転する自在式は目立つため、隠密行動は難しいだろう。
フレイムヘイズとしての感覚が戻ってくる。
メロンは存在の力を感じる。薄白い炎の舞う封絶、群青色の回転する自在式。そんな、この世に在らざる事象をメロンは認識した。それでも髪や目は黒いまま、"炎髪灼眼"に戻ることはない。肉体は人のままで、この栞を失えば停まってしまう。それでもフレイムヘイズである事を望まれ、フレイムヘイズとして在ると誓った。
それはメロンが、フレイムヘイズだからではない
フレイムヘイズで在りたいと、そう願ったから
「行ってくるよ――アラスト―ル。あなたのフレイムヘイズを見ててね」
そして平井ゆかりは残留だ。
封絶は認識できるけれど、そこへ入れば停まってしまう。封絶へ突入する坂井悠二を見送るしかなかった。最後に坂井悠二の手を握り、その温かさを覚えておきたい。しかし坂井悠二の手は冷たく、生命を感じられなかった。余計に不安を覚えてしまう。きっと坂井悠二は、ここで死ぬのだろう。
「待ってる」
「ゆかりちゃんは……先に帰っていいよ」
「待ってる!」
「でも……寒くない?」
「ずっと側に居るって言ったもん」
「そうだね……連れて行けなくて……ごめん」
平井ゆかりは、きっと独りだけ生き残ってしまう。
たしかに死んでも蘇生されるけれど、そういう問題ではない。死ぬときも、ずっと一緒に居たかった。付いて行けないからと言って、ここに置いて行かれるのは苦しかった。平井ゆかりは坂井悠二と、一心同体で在りたい。坂井悠二を包み込むような、そんな存在で在りたかった。
――行かないで
――行かないで
――行かないで
――行かないで
――行かないで
それでも――、
「行ってらっしゃい、ゆうちゃん」
「ゆかりちゃん……行ってくるよ」
坂井悠二を笑顔で送り出す。
その姿は断絶された空間の向こうへ消えて、こちら側の平井ゆかりから見えなくなった。見上げるほどに大きな封絶は、世界に開いた穴のように思える。坂井悠二と平井ゆかりを隔てる、深い深い谷だ。平井ゆかりの笑顔は消えて、表情は死んでしまう。そのまま冷たい夜風に吹かれながら、虚ろな目を向けて立ち尽くしていた。
第9話 この世で何よりも愛しい貴方
屋上の遊園地は、薄白い火の粉に包まれている、
メロンは停止したエスカレ―タ―を登り、デパ―トの屋上へ辿り着いた。その屋内部分に身を隠し、火の粉に照らされる屋上の様子を探る。すると見通しの良い所に、2人の人間を見つけた。封絶によって固まる事もなく、冷たい床に座っている。しかしフリアグネの姿はなかった。
――あれは人間? どうして、こんな所に?
わざわざ封絶の影響を受けないように施している。
黒い学生服で、坂井悠二と同じ年頃だろう。どうも協力している感じではなく、フリアグネに囚われている様子だ。学生を動けるようにした上で封絶を張り、フリアグネに何の得があるのか。防御の自在法はメロンの周囲を旋回し、目立つので近寄ることはできなかった。そこへ遅れて坂井悠二も到着する。
「あれは……佐藤と田中?」
「何者?」
「友達だよ……でも高校になってからは……ちょっと疎遠になってたかな」
「私達に対する人質とも考えられない。おそらく私達と別件ね」
ただの人間に対して、人質を用意する意味はない
「もしかして……マ―ジョリ―さん? でも……そんな偶然ある?」
「フレイムヘイズの協力者ね。それなら考えられる」
そこへフリアグネは姿を現した。
そして人質の2人に対して、なにか喋っている。そこまでの距離は遠く、その声を聞き取ることは叶わなかった。この距離を詰めるとなると、やはりメロンを囲む自在式は目立ってしまう。しかし、身を隠せそうな障害物は多い。それはコ―ヒ―カップやメリ―ゴ―ランドや観覧車など、それら遊園地の遊具だ。
「僕が行くよ……なんとか……注意を引き付けてみる」
だか――
それは嫌だった。
しかしメロンの拒絶は喉で詰まってしまう。フレイムヘイズとして考えれば、それを断る理由はない。でもメロンとしては嫌だった。その理由は分からない――なんて、そうして分からない振りをして逃げた。今のメロンは、フレイムヘイズとして正しい行いをする。紅世の徒を討滅するために、坂井悠二の身を捧げても構わない。
――それに少しだけ逆らった
「死なないで。最後まで諦めないで、最後まで戦うこと」
「もちろん……神様にだって誓うよ」
「神様なんて知らないから、アラスト―ルに誓いなさいよ」
「うん……アラスト―ルに誓って」
メロンは移動し、坂井悠二も動き出す。
屋上へ出ると身を隠しながら、人質の2人へ近付いた。
「お客さんのようだね」
フリアグネの声と共に、人形の群れが現れる。
すると坂井悠二は隠れるのを止めて、その姿を晒した。
「坂井!?」
「おや、知り合いだったのかい? いや、それもそうか」
フリアグネは納得する。
フリアグネにとって坂井悠二は、マ―ジョリ―の協力者だ。マ―ジョリ―の側にいた2人と知り合いで、なにも不思議ではない。坂井悠二というミステスが囮である事は明らかで、さっきからコソコソと這い回っている方が本命だろう。その無駄な足掻きを見ると、フリアグネは笑って吹き出しそうだった。
「佐藤……田中……無事で良かった」
ものすごい火傷を負って、今にも死にそうな坂井悠二は言った。
「いや、おまえが大丈夫じゃないだろ!?」
「いったい何があったんだ、坂井!?」
「ごめん……佐藤、田中……マ―ジョリ―さんは来ない……もう一体の相手で忙しい」
「マ―ジョリ―さんの事を知ってるのか!?」
「姐さんの言ってたラミ―って徒のことか!」
屍拾いラミ―。
その名はフリアグネも知っている。そして古くからの徒であるフリアグネは、その正体が最高の自在師と知っていた。同じ紅世の徒であると言っても、協力は叶わないだろう。フリアグネの都喰らいに加担するのならば、すでにラミ―は自力で起こしているはずだ。むしろラミ―に世を乱す意思はなく、都喰らいを妨害される恐れすらあった。
「そうだ、坂井! そいつはフレイムヘイズを一撃で破壊できる銃を持ってる!」
「ああ、やばい! なんとかして姐さんに伝えるんだ!」
「うん、そうだね……ちゃんと伝えるよ」
「その自信は幾度と殺しても、私達の前に現れる事と関係しているようだ」
「さすがに……分かるか……狩人フリアグネ」
「それが戒禁の施された君の宝具かな?」
「そう……失われた存在すら呼び戻す……紅世の秘宝」
「――!!」
「これこそ……余の宝具・転生の
「――ふっ!」
ついに耐え切れず、フリアグネは失笑した。
そんな宝具があれば苦労していない。これから始める都喰らいの儀式は、そのために行われる。フリアグネの愛するマリアンヌを、他者の力に依存せずとも存在できるように生まれ変わらせるためだ。そのために莫大な存在の力が必要だった。たとえば都市を丸ごと存在の力へ変えて得られるほどの、それほど膨大な力だ。
「まぁ、せいぜい分身を作る程度で――」
音もなく疾走する。
靴を脱いで裸足のメロンは、ジェットコ―スタ―のレ―ンから跳んだ。細いレ―ンを走り抜け、登ったレ―ンから飛び下りる。まるで自殺するように、恐れを知らないまま飛び込んだ。群青色の輝きに囲まれながら、クルクルと回転する。そのまま下僕の人形に囲まれたフリアグネへ、勢いよく足を降り下ろした。
「――他愛もない」
大した力も持っていない。
たとえ無防備に直撃してた所で、傷も付かない。
「きゃあ!」
――そのはずだった
「マリアンヌ!」
愛するマリアンヌ。
フリアグネの大切に抱いた人形へ、メロンの蹴り下ろしは直撃した。だからと言ってマリアンヌに傷はなく、驚いて悲鳴を上げた程度だ。フリアグネの愛を最も注がれた人形こそマリアンヌであり、そこらにいる紅世の徒など比べ物にならない存在の力を保有している。メロンの決死の一撃すら効くはずもなかった。
「よくも――よくもよくもよくもよくも!!」
しかしフリアグネは心に、傷を負った。
「私の可愛いマリアンヌに! その汚い足で触れたなァァァァァァ!!」
「げふっ」
メロンの体は蹴り飛ばされる。
一切の容赦なく行われた一撃は、メロンの胴体を圧し折った。潰されたような悲鳴を上げ、致命傷を受けたメロンは転がっていく。横になったメロンは口から血を吐き、苦しさに呼吸を荒くしていた。折れた骨が肺に突き刺さり、内臓も破裂して、もはや死を待つしかない。もしもマ―ジョリ―の自在式に守られていなかったら、即死していた事だろう
マリアンヌに当たったのは偶然ではない。
メロンは始めからフリアグネではなく、その胸に抱かれた人形を狙っていた。それは坂井悠二に、そう言われたからだ。まともに戦っても、フリアグネに攻撃は効かないかも知れない。しかし、他の人形と比べても大切にされているマリアンヌは、明らかにフリアグネの弱点だった。
『僕が行くよ……なんとか……注意を引き付けてみる。だから――フリアグネの抱えている人形を狙うんだ』
きっとフリアグネは、とても痛がるだろう
「ただの人間ごときが! マリアンヌを汚すなど、死ねぇぇぇぇぇ!!」
フリアグネの号令は下った。
下僕である人形達が、一斉に薄白い炎弾を放つ。坂井悠二は死力を尽くして、メロンに向かって倒れるように飛び込んだ。その姿を覆い隠し、無数の炎弾は流れ込む。それは輝きの河となって、デパ―トの屋上を破壊した。コンクリ―トは崩れ落ち、鉄骨と共に壊れていく。ジェットコ―スタ―のレ―ンは傾き、金切り声を上げた。それに人質の2人も巻き込まれ、転がり落ちていく。
「急がなければ! 急がなければ!!」
「御主人様、どうか御心を安らかに」
マリアンヌは小さな手で、フリアグネのス―ツを引く。
この人形達による一斉射撃は、フリアグネの得意とする戦法だ。しかし本来ならば、それを使う予定はなかった。そんな事をすれば儀式の手段となるハンドベル型の宝具、ダンスパ―ティ―を真っ先に破壊されてしまう。だから一斉射撃は封じ、ダンスパ―ティ―を使用しても不思議ではない状況へ持ち込むはずだった。
「ああ、私の可愛いマリアンヌ。どんな時も君は優しいね――大丈夫、大丈夫だとも。誰にも邪魔などさせるものか」
フリアグネは焦ってしまった。
なぜ転生の理と言ったのか。なぜマリアンヌを狙ったのか。それはマリアンヌを中心としたフリアグネの目的を知られているように思えた。さらに屍拾いと弔詞の詠み手という、儀式の障害となりそうな問題も判明している。これ以上、無駄に時間を潰せば状況は悪化するに違いない。そうなれば都喰らいの失敗として、フリアグネに返ってくる。
「都喰らいの儀式を始める――今すぐに!」
フリアグネの手で、始まりのベルは鳴った。
間違い探しコーナー 提供:kuzuchiさん
メロンの胴体を圧し負った→メロンの胴体を圧し折った