<秘密だらけの教導者 side 神室真澄>
優しい人間。知的な人間。人格者。諸葛孔明を指して人はそう言う。Aクラスにおいて、アイツを悪く言う人間はいないだろう。それは坂柳や葛城といった派閥のトップもそれに従う構成員も同じ。両陣営が引き込むべく戦争を続けている。
このクラスの指導権を得るための戦いである両陣営の冷戦は、一方で諸葛孔明を得るための戦いであると言っても過言ではない。今後のクラス対抗戦を勝ち抜くのにあの男無しは厳しいとは誰もが持っている共通見解だ。坂柳は自分のフィジカル面の弱さから、葛城は搦手に弱い自覚から。それぞれが陣営に引き込もうとしている。
その勧誘の手は私の方にも及ぶことがしばしば。本人を落とせないなら搦手からとでも思ったのだろう。葛城派はそこまででもないが、坂柳の部下の男子の何人かはよく勧誘してくる。特に橋本辺りがうるさい。すげなく断っているのにも拘わらず声をかけられる神経には呆れつつも驚かない訳でもないけれど。それを把握はしているだろうに断れともどうしろとも指示されることはついぞ無かった。その理由はいまいちわからない。
とは言え、そんな誘いに乗れる訳もない。その理由は目の前で平然とした顔をしている。この男に弱みを握られ、家族の命もどうなるか分からない。そんな事実が私をどうあっても裏切るという方向に持って行かせない。だが最近は思っている。果たして裏切りを考える必要はあるのだろうか、と。脅されたのは最初だけ。今は微塵もそれに触れる事は無い。嫌味でもあまり触れてこなくなった。実際に私はあれ以降万引きはしてないし、真っ当に人生を過ごしている。それでも罪を犯したのは消えることの無い事実。それに苛まれるほどやわではないけれど、弱みを握っている人間はそれを相手に仄めかしたりしたくならないものなのだろうか。
加えて、今は十分に良い暮らしをしている。私は少なくとも必要とされているし、気にもかけられている。クラス内でも独特な地位を築けている。何一つ悲しむべきことなどないこの状況で、果たして彼を裏切るのは得策なのだろうか。それは否であると、結論を出した時点で考える。これってストックホルム症候群の一種なのではないかと。同時にそれがどうした?という思いも湧き上がる。別に良いじゃないか。そうであったとして、なんの不利益があるのだろうか。
「私の顔に、何か? マスカラ落ちてる?」
そう考えながら顔を見据えていると小首をかしげながら彼は問う。人目のあるところでは一人称は余所行きだ。時刻は午後三時。私たちはテスト終わりに連れ出した喫茶店にいた。
「別に、何でも」
「ああそう。何か付いているのかと思った」
疑問がありそうな表情を浮かべていた顔に不自然さはない。けれど、秘密を知っていればその表情はかなりの計算と意識によって造られていると分かる。彼の表情は不思議そうな顔をするべきだと思って出来た顔なのだ。とてもそうとは見えないが、言葉を信じるなら彼は今紅茶に反射するであろう顔もきっと好きではないのだろう。見ないようにしているというのは、注意して観察すれば何となく分かった。
別に気持ち悪いとも思わなかったし蔑む感情も出なかった。ただ勿体ないと思った。自分の顔を見たくないのは不便だろう。
イケメンランキング第3位。1位でもおかしくはないが、少し変わった見た目がトップを取るのを妨害したのだろう。高めの身長にシュッとした中性的な目鼻立ち。夜色の目に青みがかった黒髪。そして目を引く腰くらいまでの長さと後頭部に刺さっている長い簪が2本。瑠璃色と紫色の装飾が付いている。桜貝色の唇に、少し青いシャドウの入った目。ナチュラルながらしっかりと綺麗に見えるようにメイクされてる。中国の若い宦官みたいな雰囲気を感じる出で立ちはかなり目立ちながらもしっかりと板についていた。
多くの女性はこの顔で迫られて悪い気はしないだろう。事実、この前喫茶店での会談の時、一之瀬帆波はかなり赤くなっていた。好印象を持たれやすい顔であるのは疑いようのない事だ。それこそ、クラス内での地位も必然と高まる。ビジュアルはカリスマの要素の一つとして非常に重要だ。目立つ格好である事やイケメンや美人であることは色んな場面で優位に働く。
そんなビジュアルに加え頭の良さも一級品と来れば狙う人間も多いだろうとは簡単に予測がつく。既にCクラスが今後起こすであろう行動に関しての推測も出来ていた。私が聞いてもとても説得力があるように思えた。
「ねぇ、アンタにとって仲間って何?」
「突然アバウトな質問をしてきてどうしたんだ? 哲学にハマるお年頃か?」
「そんなんじゃないけど。アンタってAクラスのクラスメイトの事どう思ってるのかとか、ちょっと気になって」
「仲間、ねぇ……。この学校における仲間、もしくはそれに近い存在なら……」
彼は人差し指をゆっくり上に持ち上げ、私を指し示す。ピンと張られた白磁のような白い指が私の鼻の頭へ伸びていた。
「キミだね」
「私以外は?」
「う~ん、いないんじゃないか?」
「は? え? Aクラスのクラスメイトは?」
「彼ら?彼らはただの観察対象だ。ある種の道具と言い換えてもいいかもしれない。もしくは実験動物か。私にとって別に彼ら1人1人の人格などどうでも良い。必要であるからその趣味嗜好や人間性を覚えて尊重するように努力しているだけで、他の誰かでも一向に構わない。そんな相手の事を仲間とは呼ばないだろう?」
「坂柳とかですら?」
「彼女か……まぁ身体的な弱さのある人間がそれを補おうとして勉学に走ったタイプだろう? 弱さを言い訳にしなかったのは褒めるべきだが、それ以外は特に。優秀だが、人格面では恐らく私よりも問題児だ。身体的な弱さがあの嗜虐性を加速させているのだろうな。簡単に言えばコンプレックスの裏返しだ。どうだ、そう聞くと凡庸な、もっと言えばメンタル面で奥底に弱さがあると思えないか?」
「だからそんなに怖くないってわけ?」
「脅威であるのは事実だろう。少なくともこの学校内においては。とは言え脅威を正しく認識すれば過度に恐れる必要はない。それに、世間に出れば彼女の脅威は半減する。私の生きていた世界では無力ですらある」
容赦なくこき下ろしていく語りを私は冷静に聞いている。彼のこういう二面性はよく見ている。優しくも、人格者でもない。冷酷非道だ。それでいてどういう訳か人間味がある。そこがムカつくところでもあるけれど、それに救われてもいた。機械に仕え続けるなどまっぴらごめんだ。
意外と根底では負けず嫌いで、皮肉が多く、イケメンを嫌いながら自身がそれであり、面倒なことは実は好きではない。実はねばつく食材がそんなに好きではなく、数学もそんなに好きではない。世間の常識を知っていても体験したことが無く意外と好奇心はある。クラスの中のように聖人君子ではない面も私はよく知っていた。この学校で私だけが、それを知っていた。
「私は仲間なんだ」
「少なくとも私はそう思って過ごしてきたけれどね? 最初はどうあれ、私は真澄さんを信頼しているよ。ちゃんと、本心から」
そう言うと彼はニコリと笑った。
「仲間だと思っているからこそ、色々任せるし手助けもする。当然何かあれば守りもする。私のために働いてもらう代わりにキミの欲求を満たせるようにもする。当然だろう? そしてもう一つ見返りと言っては何だが、将来この学校をAクラスで卒業できなくても神室真澄という人材を多くの人間が欲するような学力が身に付くように教えもする」
「そう言って、役に立たないなら容赦なく切り捨てるんじゃないの?」
「役に立たないの定義にもよるな。どうあれ、部下なら使いこなして見せなくては、と思っている。真澄さんが死なない、もしくは植物状態にならない限りは使いこなしてみせるよ。そうなったらそうなったで墓参りとかお見舞いはするから安心してくれ」
何をもって安心すればいいのかはさっぱり分からなかった。
「じゃあもし私の退学とアンタの利益が天秤にかけられたらどうするわけ?」
聞きながら答えは分かっていた。きっと今までは口で色々言っているけれど、最後はどうなるのか。彼はきっと1人じゃない。裏に何人もの繋がりがあって、それは今でも生きている。この外部から閉ざされた学校にあっても彼だけは特別だ。私は一番関わりが薄くて、何も知らない。だからどんなに美辞麗句を並べても最後は……。
分かっていても聞きたかった。安心したかった。
「そうだな……そんな風にならないようにするのが大前提だが、もしそうなってしまったのなら私の利益は後で回収できるから優先すべきことではない」
「アンタ自身の退学なら?」
「私は外でも食べていけるから、真澄さんを優先する。当然だろう? 守るとはそう言う事だし、私は部下を見捨てて自分だけ生き残る気はない。これまでもそうしてきたし、これからもそうする」
真剣な口調と顔でそう言ってくる。望んでいた答え。それが本当かどうかなど分かりはしない。ただ、嘘を言っているようにはどうしても思えなかった。思いたくないだけだったのかもしれない。
「月並みなセリフだが、私を信じてくれ」
「あっそ。ならまぁ、これからもよろしく。一応信じてあげるから」
「随分と上からな返答だな。だがそれで良い。へこへこしている真澄さんはすんごい違和感を感じるからな。改めてともに頑張って行こうじゃないか」
楽しそうな声で返事が返された。私だけがこうして秘密を知っている。私だけが誰も知らない裏を知っている。私だけが2人きりの中で直接勉強を教えられている。私だけが…………。明らかに彼の中でその他のクラスメイトなどと十把一絡げにされず特別な扱いを受けているのは分かっていた。そして今それを改めて認識させられる。
その立場を失いたくないと思うくらいには絆されている現実から目を背けた。そうしないと、なにか心のダムが決壊してしまうような気がしたから。
<天才の条件 side 坂柳有栖>
三顧の礼。それは有名な逸話。故事成語のひとつで目上の人が格下の者の許に三度も出向いてお願いをすることを指す。中国で劉備玄徳が諸葛亮孔明を迎える際に三度訪ねたとする故事が由来になっている。それをまさか自分がやる事になるなど、想定もしていなかった。
孔明は劉備に仕える事を内心で決めていた。しかし、来ないかと誘われて「はい喜んで!」となっては凡百の名士と変わらない。であれば差別化が必要だ。既に天下に名の知れていた劉玄徳に特別視されるには、自分を麾下に加えるのに労力を払わせる必要があった。勿論、危険な策だ。来ないならばそれで良いと思って勧誘をやめる可能性もある。そうなったらそうなったでその程度の人間と見切りをつける算段だった。私は三顧の礼をそう捉えた。
だからこそ私に劉備と同じことをせよと催促してくる彼のやり方は正しいと思えた。そしてそれをやるだけの価値を彼はもっている。
普通の男であるはずがない。Aクラスで雌雄を決するべき相手がいるのだとしたら彼だろう。葛城派では相手にならない。だが彼はそれを望まない。いや、意図してそうしないと言うべきなのだろうか。テストの点数はあくまで学校が定めた指標に過ぎないけれど、それでも1つの指標になるそれで私と同じ点数。迅速な行動力と回転の速い頭。運動能力も十分ある事は骨格からうかがえる。歩幅が一定であることや反射神経の速さからそれ相応の実力があるのも分かる。だが、それはあくまでも一側面に過ぎないし、私が真に警戒しているところではない。
真に警戒しているのはその教導力。簡単に言えば教える能力だった。私は天才だ。上に立てる者は少ないと思っている。運動能力はこの不自由な身体のせいで皆無だけれど、頭脳面では右に出るものなどいないだろうと。ただ、それは自己完結するものでしかないという事を始めて認識させられた。
私の記憶力、思考力はもしかしたら彼を上回っているかもしれない。けれど、私はそれを彼以上に上手に教えることは出来ない。人には生まれ持った才能があると思っている私からすれば、それは彼が持っている才能なのだとは理解できるけれど、衝撃ではあった。知識は自己完結だ。自分が知っている。それだけ。教えるべき相手も、環境も無かった。では、もしそういう機会があったとして、練習を積んでいたら?それでも私は勝てないような気がしてならなかった。それを認めるのはひどく不快だった。
私は自分1人で天才になる事は出来る。彼は自分自身も才能があり、それを使って人を強化できる。結果、彼は私が10だと仮定した場合8~9くらいの能力の人間を量産できる。それは厄介極まりない能力だ。一体どのような人生を送ればあんな風になるのか。皆目見当もつかないとはこのことだった。だからこそ面白いのかもしれない。この退屈しかないと思っていた空間で、面白さを見出すのには十分な相手だった。もしかしたら相手も同じことを思っているのか、それとも……。
「諸葛君、少し良いですか?」
「何でしょうか」
彼は無表情で読んでいた本から顔を上げる。文字を覚える能力があると最初に会った時に言っていた。それは彼の教える能力からしたらおまけみたいなものかもしれないが、普通の人からすれば随分便利なのだろう。いつもいつも読んでいる本が違うのは、覚えてしまったから何回も同じものを読まないからかもしれない。
「あなたは天才とはなんだと思いますか?」
私は生まれついたものだと思っている。だけれど世界には天才は人工的に作れると信じている組織もあった。彼はなんと答えるのだろうか。私やガラス越しの彼とはまた違った形の天才は。
「難しい問いですね。一朝一夕で答えを出すのは難しいですし、価値観によっても変わるでしょう。学問上の天才、と言う認識で宜しいですか?」
「構いません」
「そうですか。それでも難しいことに変わりはありません。ですがもし1つこの場で即答できることがあるとするのであれば私もあなたも天才では無いという事でしょうか」
ピキっと私の仮面がひび割れる音がした。怒りと苛立ちの方面で。
「……どうしてそう思うのでしょうか?」
「だってあなたも私も無から有を産み出せないじゃないですか。1から10までを知っていても、0から1を産み出せない。だから私は天才ではないと思います。天才とは0から1を創造できる人間でしょうから。勿論、巨人の肩に乗りながらではありますが……例えば私も、恐らくあなたも相対性理論は知っている。その元となった考え方も。ですが、相対性理論を知らない状態だったとして、元となった考え方を知っていたからと言って我々にそれを導けたでしょうか」
「……やってみない事には分からないと思います」
「じゃあ一緒にミレニアム懸賞問題解きます? 元になった理論や必要な知識だけなら私たちは持っているでしょうから」
「……」
「そう言う事なんですよ。私たちは、と言うか坂柳さんは学問において私よりも多くの事を知っているかもしれません。けれど、知っているだけです。そこから何かを産めない以上、あなたも私も学問上において天才とは言えないでしょう。他の観点でどうかは知りませんけど。ご納得いただけました?」
「ええ、ええ。大変有意義なお話でした」
「それは良かった」
そう言うと彼は本に視線を戻そうとし、神室さんが登校してきた事に気付くと顔に感情を浮かべて席を立った。若干ウザがられながらも絡んでいる。それを見ながら、私はかなり心がかき乱されているのを認識していた。あんなイラっとしたのは久しぶりだ。けれど、言いくるめられた気がする。天才でないと言われたのなど初めてだった。
良いだろう。あなたが私には0から1を産み出せないというのなら産み出してみせようじゃないか。そうすれば、彼も私を認めるだろう。図らずも彼が出した三顧の礼の条件である結果を出すに該当する。どういう風にすればそうなるのかはまだ思いついていないが、何としてでも参った、あなたは天才だと言わせてみせる。学校に感じていた退屈さなどマッハの速度でどこかへ放り投げた瞬間だった。
<龍と蛇 side 綾小路清隆>
意外な光景だった。あの堀北が何1つ言い返せないでいる。図書館で起こった須藤と堀北の口論は意外な形で幕を閉じていた。Aクラスの中でもトップに立つ実力者。諸葛孔明。蜀漢の天才軍師と同じ名前とはいささか驚いたが、俺の名字の綾小路ともどっこいどっこいかもしれない。
櫛田から情報は得ていたが実物を見るとまた違った印象を抱く。同時に警戒心も抱く。この男が俺の父親からの妨害工作である可能性はゼロではないからだ。注意深く観察するが、櫛田から俺の名前を告げられても全く気にする様子は無く、一瞥しただけだった。興味を持たれていない……或いはそれすらも演技かもしれない。だが、もしこの男がホワイトルーム関係者ならまったく俺個人、もっと言えばDクラスにすら接触してこなかったのには違和感を感じる。特に櫛田は他クラスにチャンネルが広い。その櫛田とも関わりが薄いというのは俺を退学させたいなら違和感を感じる作戦だ。
警戒を解いてもいいかもしれない。クラス間抗争ではAクラスを目指す堀北とは対立することは確定だが、俺はそれに興味はない。平和な生活を送れればそれで十分だ。
堀北は口が悪い。それでいて優秀なのでタチが悪いが、この学校において堀北よりも少なくとも優秀とされているのが諸葛なのは事実だ。それがクラス分けに表れていることをDクラスは思い知っている。向上心が無いと罵倒された諸葛は夏目漱石の『こころ』を引用して皮肉っている。どうやら知力は堀北と同様、或いはそれ以上のようだ。煽るだけ煽って帰るのかと思えば、意外な行動に出た。
それは堀北の教え方の否定。だが言っていることは間違っていない。しかし、Dクラスの赤点候補者に正しい、もっと言えば効率的な勉強法を教える事は利敵行為になりかねない。歯牙にもかけないからこそこういう行動がとれるのか。それとも善意か。煽りの延長線上でヒートアップしてつい口走った可能性もある。この男の本心が読み取れない。
そんな俺の内心を他所に、諸葛は赤点候補者の3バカを諭して帰って行った。少しは思うことがあったようで須藤も池も黙っている。堀北の空気は重いが、それでも何か心境に変化があったような雰囲気は感じた。櫛田が諸葛を追いかけていく。謝罪かお礼をしに行ったのだろう。両方かもしれない。
あれからやり方を変えた堀北のおかげと多少は堪えた3人の努力により、テスト範囲の変更にも対応できた。それでも不安要素はあったが、櫛田が聞いたという諸葛の言葉は俺にとって大きなヒントになった。
「退学を回避する方法は存在している」という言葉の意味を考え、過去問に辿り着く。諸葛は櫛田にお礼の意味を込めてこう言ったそうだ。ならば、それを信じるなら過去問作戦が正解なのだろう。
目立ちたくないので櫛田をカモフラージュに使い、過去問をテストの前日にばらまく。そこそこの値段だったが必要経費だと思って諦めた。退学者が出たらもっとかかるはずだろうから、結局は得だ。
そして迎えたテスト返却の日。俺たちDクラスは、誰1人の赤点もなく、無事に最初の関門を通過し終えたのだった。
あの男はAクラスを裏切りたいのか、それとも別の目的があるのか。もしくは何もないのか。本当に本家本物の諸葛孔明に匹敵するか上回るような天才なのか。それともただの名前負けなのか。まだわからない。だが、いずれ明らかになるだろう。あの男が龍なのか、ただの蛇なのか。
それでもいつか、教育論に関しては一家言あるであろうあの男に聞いてみたいと思う。ホワイトルームの教育の是非について。恐らく、笑いながらこき下ろすのではないか。そうあってくれれば面白いと思った。
<風の街 side 神室真澄>
私は美術部に所属している。所属しているからと言って熱心な部員な訳でもなく、特に何も無い日に顔を出して適当に時間を過ごす空間だ。真面目な部員もいない訳ではないけれど、そんなに多くはない。私の絵心は……どうなのだろうか。共働きの親で、構ってくれる事など幼少期の頃からほとんどなかった。それ故に一人っ子の私は退屈を持て余し、絵を良く描いていた。集中すれば時間はあっという間に経つし、暇つぶしにも寂しさを紛らわすのにも丁度良かった。
いい思い出ばかりでもないのが残念ではあるが。今となっては昔の事。小学生の際にコンクールで賞をもらったことがある。当然親はそれを見に来たこともないし興味もない様子だった。事実、私がそれを報告してもほぼ無反応で終わったと記憶している。そのお題は夏休みの思い出だった。
私の小学生時代の夏休みは家から1歩も出ない日々だった。ずっと絵を描くか、本を読むか、テレビを見るか。例に洩れず両親はいない。クーラーの効いた部屋で1日を終える。友達もいない私の、ありふれた日常だった。しかし困ったことに宿題はある。それが思い出の絵を描くというものだった。困ったことに、旅行も花火もプールも何一つしていない。悩んだ私は嘘っぱちの思い出をでっちあげ、絵を描いた。
そんな嘘八百が金賞を取った時に感じた違和感と言うか苦しさは今でも覚えている。あれは何だったのか、その答えは未だに出ていない。罪悪感何だろうか。考えれば考えるほどそうでは無い気がする。他の子は私より下手でも楽しそうな思い出が描かれていた。私のは技巧があるだけで空虚だった。他の子は授業参観の時の親が絵を見て褒めたりしながら楽しそうにしていた。私にそんなものは無かった。私は、思い出が欲しかった。
あの時の絵はまだ捨てられず持っている。空疎な絵を捨てられずにいられるのは、後悔なのか懺悔なのか。何もわからない。追憶に浸りながら筆を動かした。
「上手いもんだな」
ふいに声をかけられる。振り返れば、私の絵をじっと見つめる彼がいた。
「なに、なんか用?」
「いや、どんな絵を描いてるのか気になって。神室さんに用があって……と言ったら一発で入れた。ちょろいもんだな。ああ、そうそう、美術の先生が言っていたぞ。もっとちゃんとやれば賞だって狙えるのにって。部活にもっと来て欲しいともな」
「別に……そういう目的でやってるわけじゃないし。趣味みたいなものだから」
「そうか。ま、それはキミの自由だからな。私も特に言う事は無い」
そう言うと彼は顔をカンバスに近付ける。後頭部に簪で束ねられた長い髪から漏れたおくれ毛がはらりと私の肩にかかる。柑橘系の匂いがした。
描いていた絵は風景画。クロアチアとギリシャとイタリアの街を参考に描いた。路地の一部を切り取って、空をメインに据えている。絵の下の方に地中海風の家とその屋上、はためく洗濯物、オレンジ色のレンガの屋根瓦。空には大きな入道雲。そんな絵だった。
「これ、もう出来上がり?」
「まぁ一応。後は私の名前を入れて終わりだけど」
「そうなのか。絵に関してはそこまで詳しくない。技法と画家と作品の知識はあるんだが、本格的にやったことが無いからなんとも分からないんだ。とは言え、良し悪しは判断できるつもりだけれど……個人的にはかなり好きな部類だね。透き通るような空の透明感とか。建築物が少ししかないのも想像の余地があっていいと思う。洗濯物と言う生活感あふれる小物が物語性を出しているな。素人目だけども」
「そんな詳しく批評されても困るんだけど。ま、絵なんて個人の好み次第だし、どう思うかも好きにすれば良いんじゃない? だからこの学校じゃ技能は授業に無い訳だし」
「そういうもんなのかね」
美術史しか教わらないのは苦痛だった。音楽史も一緒に芸術というくくりでまとめている辺り学校の芸術教科への捉え方が良くわかる。週一でやるのだが、あまり好きではない時間だった。もしこの学校に物申せるのならそこを改善して欲しい。
「これ、完成した後はどうするんだ?」
「さぁ? 特に決めてないけど」
「そうなのか。じゃあ、私にくれない?」
「……は?」
「いや、その絵が欲しいのだが」
「本気で言ってるの?」
「勿論、お金が欲しいなら払うけど」
「いや、別にいらないけど……素人の絵を欲しがるなんて変なの」
絵の下の方に小さく名前を入れて作品を完成させる。
「はい、これでいいでしょ?」
「ありがとう。人からものを貰う機会はあまりなくてね。素直に嬉しいものだ」
そう言うと彼は美術部の顧問に額縁は無いか聞きに行った。結果、使っていない私物があったらしく、それを貰って戻ってくる。
「私の部屋に飾っておくとしよう。タイトルは?」
「……風の街、とか?」
「センスあるな。まさかこういうところに才能があったとは、人はどんなところに長所があるか分からないものだ。これは大切にさせてもらうよ」
部屋に行くたびに私は自分の描いた絵が割と良い感じの額縁に収まって高々と飾られているのを見る羽目になる。恥ずかしさはあるものの、どういう訳か嫌な気持ちにはならなかった。
やはり、彼は怖い人間だ。私の欲しかったものを的確に与える。私は褒めて欲しかったのだ。両親に上手だねと言われたかった。今までの15年間で貰えなかったモノ。それはたった数ヶ月で満たされ始めていた。
「この絵が好きだ」と彼は心底嬉しそうな顔で言った。その顔も造られたものなのだろうか。私には、どうしてもこの時の顔は本心からの笑顔に見えた。それを見てもう少し、部活に顔を出そうと決める。さて、次の題材はどうしようか。また、見て欲しいと思っている自分がいた。
これで1章は終わりです。次回からは原作2巻の内容に入っていきます。
別キャラクターから見た視点の話で読みたいキャラはいますか?内容はこれまでのストーリーをそのキャラから見た話か、主人公×そのキャラの日常回(他クラス生徒の場合はこっち)です。長さは未定なので丸々1話使わないかもしれません。この頃の綾小路君はボッチなので選択肢にありません。悪しからず
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神室真澄
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坂柳有栖
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葛城康平
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橋本正義
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一之瀬帆波
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櫛田桔梗
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椎名ひより
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龍園翔
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橘茜
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その他(感想欄かメッセージ下さい)