『ウォルト・ディズニー』
投票が集計される。世の中にあるシステムとは中々便利だ。一々手動で集計しなくても、自動的に集計してグラフを作ってくれる。アメリカの技術者たちに感謝を捧げながら、私の手元に表示される集計結果を眺めた。すぐに送って来る生徒もいるし、そうでは無くそれなりに長考している生徒もいる。
今回のディスカッションで出た意見はどれも良いモノだったと思っている。これは素直な感想だ。私にどうしたい、というような意思はあまりない。強いて言えば、このクラスの全員を卒業させることが目的であるが、そのための手段に拘りはなかった。だからこそ、こうして皆がどういう意見に賛同するのか、或いは思いつくのかは興味があったし、自分にはない考えや知見が得られるかもしれないという期待もあった。そしてその期待や願いは見事に叶ったことになる。
ウサギグループはBクラスを攻撃するべき理由そのものだけではなく、その先の未来を見据えた戦略を出してきた。これは一番完成度が高いと思う。現在直面している試験という名の課題だけではなく、長期的な視点を持っているという事になるからだ。Bクラスそのものを併合してしまい、一之瀬たちを取り込んでしまう。元々それなりに優秀さがあり、極まった問題児のいないBクラスとなら、平穏な学生生活を望める。そしてどんどんとAクラスにポイントを集めることで、生徒移動のスパンを短くできる。面白い戦略だった。
蛇グループはCクラスを攻撃する理由として龍園をパブリックエネミーとして排除する方針を出してきた。これもまた興味深いだろう。Cクラスに対する、ウチのクラスの認識が伺えた。この前の体育祭では共闘した部分もあったが、それ故にこそ龍園の危険性を身をもって実感したというべきだろう。あれが敵になったら面倒だ。故にこそ、大義名分のある間に排除する。これもまた正しい選択だと思う。退学してしまうのは私の元来の目的から考えれば困りものだが、生徒たちの選択ならばやむを得ないだろう。失脚して大人しくしているとも思えない。
ハリネズミグループは兎角戦い易さを重視した戦略をとっている。確かにDクラスは殴りやすい相手だ。生徒たちは知らないが、彼らはこちらを攻撃できない。一方的に殴れるという点では圧倒的に優位だし、そもそものスペックの差がある。平均点で勝負することになる以上、下位層が足を引っ張るDクラスは相当に不利だろう。彼らがどういう戦い方を求めるにしても、そこは必ずネックになって来る。こういう戦う相手を他の三クラスから選ぶ必要があり、なおかつ勉学という土俵で戦えるなら、こちらは相当な優位。ここを狩場として選ぶのも妥当な選択と言える。
結論、どれを選んでも良い作戦だと思うし、実行してみせる自信はあった。私も皆がどれに投票するのかは全く分からない。私個人としては、一番未来に繋がる可能性がありそうなウサギグループ、つまりはBクラス併合案に未来を託してみたいと思う。一之瀬は過去に疵のある人間とは言え、ここでの振る舞いは一貫して真面目で誠実な人だ。南雲が協力関係構築を求めているらしいが、今のところ揺らいでいるもののまだ頷いてはいないらしい。
この試験でBクラスが敗北した場合、南雲と手を組む可能性もある。まだ試験が始まっていない今が勝負だ。上手く勝負をしつつ、かつ併合案を同時に提案する交渉をしないといけない。とは言え、出来ないとは思わない。交渉の糸口は発表を聞いている間に既に考えた。
しかし、交渉とは馬と騎手であり、我々は常に騎手たるべしとは。ビスマルクの名言を引用してきたので、最終弁論はかなりカッコよく決まっていたように見えた。彼女の成長をまた一つ見れたことも、今回のディスカッションの収穫と言えるかもしれない。手元の集計は40人分の投票を確認する。これで全て出そろった。
「お待たせしました。全ての票の集計が完了しました。これは結果として皆さんの発表に採用するしないの差を設けることになりますが、選ばれなかったからと言って気落ちする必要はありません。どの発表も大変すばらしく、建設的なモノであったと私は確信しています。では、ご覧ください。これが今回のディスカッションの投票結果です」
全員の手元に集計結果が送付されただろう。今回の結果としては、
ウサギグループ……得票数18
蛇グループ……得票数10
ハリネズミグループ……得票数12
となっている。過半数である21票にはわずかに届かなかったものの、ウサギグループの案が採用されることとなった。CクラスとDクラスの動向を気にする必要が無いと考えればこれが一番こちらとしては楽だろう。なにせ、龍園はDクラスにご執心だし、Dクラスは目の上のたん瘤を排除することを願うだろうから。
「今回の結果、ウサギグループの案を採用することとしました。我々はBクラスに対し攻撃を実行します。恐らく、下位クラスの動向から推察するに我々同士の一騎打ちとなるでしょう。その上同時並行的に、合併案の下準備を行ってまいります。自身の望んでいた未来にはなっていないかもしれませんが、これもまた民主主義です。私は今回の投票により決せられた未来に向かっていくよう努めていきますが、異論がある方は是非言論を戦わせましょう。いつでも私はお待ちしております。それはともかくまずは皆さん、大変お疲れ様でした。本日はゆっくりお休みください。それと、見事勝利した皆さんには……こちらを差し上げましょう」
私は十三枚分のチケットをひらひらさせる。
「校内にあるアイス屋の無料券です。株主優待で送られてきましたが、使うアテもないので。丁度良い機会ですから、進呈しましょう。三個まで無料です」
「「「え~!」」」
喜んでいるウサギグループの面々。特に真澄さんが凄く機嫌が良さそうな顔をしている。同時に不満顔の残り二グループの面々。とは言え、彼らにもちゃんとそれなりのモノは用意している。
「その他の26人の皆さんには、割引券ですが進呈しましょう。お会計が半額になります。もしかして私が優勝グループにしか賞品を用意してないと思ってましたか? そんなに吝嗇ではありませんよ」
不満顔だった面子がスッと目を逸らす。そんなにケチな事はしない。士気を挙げるのも指揮官の仕事だ。それに、これは別にポイントで買ったモノではないので私の懐は痛まない。それでいてキチンと賞品に優劣はあるので、優勝したことへのご褒美くらいにはなるだろう。
「私の発案でお付き合いいただいたのですから、そのお礼くらいはキチンと用意しますとも。ともあれ、後でお渡ししますので、代表者の方は取りに来てください。また、明日から皆さんには授業と共に、私が作成した問題を解いてもらいます。皆さんがどの程度出来るのかでBクラスにぶつける際のカスタマイズをしたいので、よろしくお願いします。では以上、解散とします。お疲れさまでした!」
「「「お疲れさまでした!」」」
これにてディスカッションは解散となる。腕を伸ばして終わったことを安堵する者もいれば、これから早速賞品を使おうとする者もいる。何となく今回のグループで移動する流れが出来ているのは良い事だ。昔の派閥の垣根を超えて、交流できている証拠だろう。これからもたまにはこういう取り組みをしてみようと思った。今度は違うメンツと組めば、また面白い案が出てくるかもしれないからだ。
しかし、私は遊んでいる場合ではない。問題のチェックをしないといけないのもそうであるが……何より今回Bクラス併合案が通った以上それに向けて動き出さないといけないのだ。失敗するにしろ成功するにしろ、まずは一度一之瀬と接触しないといけない。同時に彼らがこちらを狙ってくるように誘導して、一騎打ちになれば理想的だ。その方が相手との実力差を示せる。そこからこちらへ引きずり込んでいくための誘導プロセスはもうある程度思案していた。
「葛城君、少々」
「分かった」
勝利を喜ぶウサギグループから葛城を借りて、教室の隅で話す。
「今回のディスカッション、お疲れさまでした。きっと随分と活躍されたことだろうと思います」
「いや、俺は今回そこまで大きな役目を果たしていない。無論意見は出したが、皆が頑張ってくれたし、何より神室がよく動いてくれた。Bクラス併合案も俺と彼女の共同制作のような部分がある。諸々考えている時の流れで出来たモノだったことに加えて、昨日急に出来上がったモノだったが、ここまで仕上げられたのは彼女の協力あってのことだと思う」
「そうでしたか。真澄さんが成長してくれたことは私も嬉しいですね」
「なら直接そう言ってやると良いだろう」
「この後、そうさせて頂きます。ですがその前に。一之瀬さんと接触したいのです。そちらは生徒会活動で一緒になることが多い。日時は任せますので、セッティングしてくださいませんか。私から言うよりはやりやすいでしょうし」
「分かった。何か条件などはあるか?」
「特には。一之瀬さんの他に誰か別の方が参加するのでも構いませんし、クラス全体の前で話せと言うのなら応じます。いずれにしても、一度しっかりと話をしないといけませんからね。彼女に話の内容を問われた場合は……今後の両クラス間の関係性について、非常に重要な話がある、と告げてください」
「承知した。ただちに行う」
「ありがとうございます」
敢えて葛城というワンクッションを挟むのは、Bクラス担当の外交役を彼にしようと思っているからだ。同じ生徒会役員をしているという共通項は使いやすい。私が大っぴらに接触するよりは、情報も出回らないだろう。なにせ、共に行動していても生徒会活動という枠で定義できるのだから。一之瀬がBクラスを率いるのを辞めるとも思えないため、彼を対Bクラスの窓口とするのが理想と考えた。
外交を閉ざしているCクラスは何かあれば私が出るしかないだろう。他の者では危険すぎる。問題はDクラスだ。誰を外交役にするか。本来は坂柳を使いたいところだが、綾小路の一件があるので危険すぎる。他にDクラスの面子と交流があるのは橋本だが、彼も彼で信用できない。
いるとすれば、例のストーカー事件以来それなりに交流のある佐倉―真澄さんルート。ここを使えばいいだろう。佐倉は現状目立った生徒ではないが、真澄さんとの交流関係があればDクラス内でも早々悪い立場にはならないと思う。友達が退学するなどの憂き目にあうことは、真澄さんも望んでいないだろうからこれで良いと思う。
ともあれまずはBクラスだ。一之瀬は必ず話し合いには応じる。彼女はそういう人物だとこれまでの経験で理解している。内容も聞かずに外交を閉ざすようなことはしないだろう。Bクラス併合、本当にやるとするならばかなりの難事業だろう。私一人では限界があるかもしれない。なにせ、真澄さんを筆頭に生徒たちの実力向上にも努めないといけないのだから。場合によっては葛城や坂柳の知恵や力を借りることもあるかもしれない。今からそれに向けて坂柳を懐柔する必要があるだろう。
負けはしたものの、それなりに健闘できたので今回はこれで溜飲を下げることにしたという表情をしている坂柳を見て、その算段を考えた。
一方のBクラスは、Aクラスがディスカッションをしているなどとは夢にも思わず、試験の準備をしていた。ペアの法則自体は主だった面子で話し合い突破している。Aクラスだけでなく、堀北や龍園も見抜けるその法則性に、一之瀬たちが気付けないという事も無かった。しかしここで問題になって来るのはどこのクラスを攻撃するのかという事であった。直接対峙する関係にあるのはAとCの二クラス。いずれかを攻撃するのが妥当な戦術である。では、いずれを選ぶべきなのか。そこが問題だった。
同時に、彼らは自分たちを攻撃してくるのは恐らくAクラスであろうと算段を立てている。それはAクラスが直接対峙する相手が自分達しかいないから、という理由によるものだった。経緯はどうあれ、結果としてそういう未来に繋がりつつあるため、この予想は正解だったと言えるだろう。
「いい加減、そろそろ決めないとダメ、かな」
「そうだな。AクラスかCクラスか。そのいずれかを攻撃するのは確定で良いだろう」
「龍園君は多分Dクラスを狙うよね。そういう感じの話をこの前もしてたし」
「どこまで信じられるかは不明だが、体育祭での動きを見る限りDクラスを敵視しているのは間違いないだろうな。龍園も足元を固めてから上に行きたいはずだ。後ろから追いかけてくる存在は、出来る限り排除したいんだろう」
一之瀬と神崎は龍園の動きをある程度推測している。龍園の立場からしても上下両方が敵に挟まれている現状、どちらか一方を無力化しておきたいのは明らかな事実だ。そう考えれば、Dクラスを優先的に攻撃しようと考えるのは当然の判断である。龍園翔という男の考えを、学年が何となく理解しつつあった。彼は戦術レベルでは非常に奇抜かつ狡猾な作戦を取るが、戦略レベルでは意外と王道だった。そもそも、そうでなければ八億ポイント作戦など考えない。
「ポイントを詰めるか、それとも安全策を取るか……。学力的な部分を見れば、Cクラスと対峙した方が明らかに有利だ。最悪Aクラスに攻撃されて敗北した場合でも、Cクラスへの攻撃に成功すれば±0で抑えることが出来る」
「そうだね。でもそれだとAクラスは……ポイントを更に重ねる。Aクラスは今1489ポイントで、私たちは643。これは少しでも詰めないと、三年生までの間にどんどん引き離されちゃうね。対戦相手次第では私たちが積み上げることも可能だけど、仮にそういう風にできたとしても向こうも積み上げてたら、差は埋まらないから……今回はAクラスを攻撃するべきだと思う」
「その点に関しては俺も異論はない。Dクラスには申し訳ないが、龍園が下を向いている今はチャンスだ。Aクラスとの差を詰める、絶好の。これを逃す機は無いだろう。それに、俺たちは学年の中で一番Aクラスに近い学力を持っている。戦い方次第では、十分相手が出来ると思っている。一層勉強を加速しないといけないな。クラスには負担を強いるが……やむを得ないだろう」
一之瀬の脳内には南雲の顔がチラついている。二年生の力を借りることが出来れば、大きく試験に役立つだろう。現状一之瀬など一部の成績優秀者が担っている教師役を二年生の優秀な生徒たちに代わってもらえば負担が軽減される。また、ペーパーシャッフル経験者の二年生に問題作成を手伝ってもらえればかなり楽だ。見返りはいらないと言っている彼の言葉と、随分前の契約が彼女の内心の天秤にかけられていた。
迷いを抱きながら、神崎との話し合いを終えた一之瀬は新会長となった南雲の率いる生徒会に向かう。生徒会室のドアを開けば、まだ葛城しか来ていなかった。
「一之瀬か。丁度良かった」
「私に何か用だった?」
「あぁ。単刀直入に言えば、諸葛がお前と話がしたいそうだ」
「話……?」
「そうだ。今後の両クラス間の関係性について、非常に重要な話だ。俺も内容は知っているが、諸葛から聞いた方が早いだろう。日時はお前の空いている時間を優先するそうだ。それに、何人連れて行っても構わないと言っている。細かい条件は特に無いのでとにかくお前と話をする。それが諸葛の目的だ」
「……そっか。分かったよ、後で空いている時間を送るね」
「助かる。これで良い報告が出来そうだ」
一之瀬は内心でかなり動揺していた。つい先ほど攻撃しようと決めた相手から、いきなりの呼び出しである。しかも内容は分からない。クラスの今後について非常に重要な話し合いと言われても、中身に想像があまり出来なかった。一緒に下位二クラスを攻撃しようという同盟を持ちかけてくる可能性、或いはもっと限定的に龍園をどうにかするための同盟の可能性。その辺りをパッと思いつくが、それでも真実は分からない。これも作戦かな、と彼女は自分を落ち着かせた。不安と困惑を抱えながら話し合いの場に行けば、相手に呑まれてしまうかもしれない。一之瀬にとって、諸葛孔明はそれを狙ってくるだろう存在だった。
動揺しながらも、何か葛城から情報を得られないかと一之瀬は話を続けることにした。幸いにして、聞きたい話題もある。Aクラスが坂柳と葛城の派閥に分裂していたのは有名な話だ。今は諸葛孔明に禅譲されたという事実と共に。禅譲したからと言って、それに唯々諾々と従うかと言えばまた別の話。にも拘らず、葛城はまるでお使いのようなことをしている。それを許容しているのか、分裂の芽はないのか。それもまた、一之瀬の知りたい事だった。
「葛城君は、もうAクラスのリーダーは諦めちゃったの?」
「諦めた、というのが適切かは分からないが、状況的にはそう言えるだろうな。無人島、船上試験、体育祭、そして今回の試験。いやそれ以前にSシステムについての頃からか。時間を経るにつれて、諸葛に対する俺の認識は変わっていった。元々優秀な生徒だとは思っていたが、その枠で括るのも最早間違いなように思えてくる。何せ諸葛は『先生』だからな。そしてその名に恥じぬ存在だと、そう思っている。俺が陣頭に立つよりも、ずっとクラスメイトにとっては良い結果をもたらしてくれるだろう。それならば、俺が敢えてリーダーをする必要もないと考えた。大事なのは、クラスがAクラスであり続けることだ。そのために、諸葛は最もふさわしい存在だろう」
葛城の発言によりなし崩し的に派閥の解散を余儀なくされた坂柳はともかく、葛城は熟慮の末に自分から座を譲ったのだ。諦めた、という表現が正しいのかは不明だが、いずれにしてもかつてのように自分が陣頭指揮を執ることを目指していないのは確かだった。
「それに加えて言えば、諸葛はあの坂柳を何とか良い方向に導こうとしているらしい」
「坂柳さんを……?」
「あぁ。具体的にどういうプランを持っているのかは分からない。だがあの坂柳すらも、諸葛にかかれば一人の生徒、という事なのだろう。俺では坂柳を抑えるしか出来なかっただろうが、そうでは無い道を模索しているのだと思う。あくまでも想像だが、諸葛は坂柳をもより良い未来を掴めるように前に進ませるつもりなのだろうな」
「それは……凄く立派な理想だとは思うけど……」
「ただの夢想に終わるか、それとも現実になるのか。俺にもそれは分からないし、誰も分かりはしないだろう。だが、その理想に賭けても良いと思わせるだけの力はあると考えている。だからこそ俺はリーダーの座を渡した。それが最善だと信じてな。お前だってそうじゃないのか、一之瀬。お前よりももっと優秀で、もっと良い未来を掴みとれるリーダーがもし仮にいるのなら、お前だってその地位を譲っていたと思うが」
その葛城の言葉は、あり得なかった世界線の話だ。仮定でしかない話に頷いても意味は無いだろう。だとしても、一之瀬は否定することも出来なかった。もし仮に、諸葛孔明がBクラスにいてくれたのならきっと葛城の言う通りにしたのではないかと、そう思う自分の声を否定しきれなかったから。
目の前にはつやがあり、明るい赤みがかった
「このようなお忙しい時期にも拘らず、応じて頂いて助かりました。どうぞ、狭い場所ですがゆっくりとおかけください」
「ここ、私の部屋なんだけど」
「……と、言っているが?」
「細かいことは気にせずに」
座りながら文句を言っている真澄さんをガン無視して、椅子に座って緊張した面持ちの二人に紅茶を注ぐ。茶葉はキーマン、或いは祁門とも言う種類だ。原産地は中国の安徽省祁門県である。カップの縁に金色の輪があることから、上質のモノであることが分かる人には分かるだろう。ちゃんと客人を招く用として一流の品を取り揃えておいた。これからの交渉相手なのだから、これくらいの対応は問題ないだろう。場合によっては、長く付き合うことになる面子なのだから。
私の部屋は諸々あって入れるわけにいかないので、今回は真澄さんの部屋を利用している。
「他の場所でも良かったのですけれど、この時期にAクラスとBクラスの首脳陣が会談をしている、というのもそれなりにセンセーショナルな話題ですので。他クラスに余計な考えを抱かせないためにも、このような場所になってしまいました。私の部屋は少々散らかっているものでして。わざわざ御足労いただき、ありがとうございます。お口に合うかは分かりませんが、どうぞ遠慮なく」
「あ、ありがとね」
「……白に青い絵付け。マイセンか」
「おや、神崎君はお目が高い。こちらは私の私物です。それなりに良いモノをお持ちしたと自負していますよ」
「アンティークな品としてはかなりの価値があるだろう。お前は、何者だ?」
「私はただの生徒に過ぎません。Aクラスに所属している、一介の高校生ですとも。これは私の趣味ですよ」
そういう事を聞いているのではない、と言いたげな神崎をスルーする。彼はそれなりに目が肥えているらしい。どこか育ちの良い家の出なのだろう。その証拠に、ティーカップのソーサーを持ち上げてないし、カップを片手で持っている。そこら辺は育ちが出る部分だ。一之瀬の品が無いとは言わないが、性格はともかく家庭環境においては神崎に軍配が上がるらしい。とは言え、そんな事はおくびにも出さず黙っておく。
「お二人とも、チーズケーキは大丈夫ですか? もしお嫌いで無ければ、是非」
困惑しているようだが拒まれはしなかったので、冷蔵庫に切った状態で冷やして置いたベイクドチーズケーキを取り出した。キーマンにはこれが合っていると個人的には思っている。ホールで作っていた物を四人で分けるのだから四分の一は貰えると思っていたのか、真澄さんは八分の一のサイズで出てきたことにやや不満顔をしている。配膳し終えてから、一之瀬と神崎の様子を観察しながら真澄さんの隣にして一之瀬の対面である席に座った。
「折角の放課後に顔を突き合わせているのですから、これくらいはしませんとね。放課後ティータイムってやつです。バンドはしませんけど」
「「?」」
「……何でもありません」
全くもって通じなかった。あれももう随分前の作品になってしまったという事なのだろうか。
しかし、出されたモノに安心して手を付けられるのは良い世界だと思う。自分の作ったモノ以外はあまり信用できない世界に生きていると、どうしてもこういう場で出されたものに警戒心を抱いてしまう。カップには何も塗っていないだろうか、ケーキには何も入っていないだろうかと。そんな本来抱くべきではない不安を抱かずに済む生活を送って来た二人が、何とも羨ましい。というより、私がおかしいだけなのだろう。隣の相方のように、気にせずバクバク食べれるのが本来のあるべき姿のはずなのだから。
「これは! 中々に美味いな……」
「凄く美味しい! これ、どこで買ったの? ケヤキモールのケーキ屋さんに売ってたっけ」
「あぁ、それは私が作りました」
「自作なの!?」
「はい。そんなに難しいモノでもありませんよ、これは。材料もそこまで必要ではありませんし。少なくとももっと難しい品物に比べれば。今回はこれが紅茶に合うと思っているので選びましたが、別の茶葉ならまた別のお菓子になるでしょう。そのお茶もリラックス効果がありますので、ご賞味ください。それは一煎目ですが、二煎目以降も良さがありますのでお代わりをご所望でしたらどうぞ」
私はどうやら霞でも食べている仙人か何かと思われてる節がある。何ならそれはAクラスからですら。しかし、別にそうしなくても生活は出来るというだけで、私にだって好きな食べ物はあるし、好きなお菓子だってある。
「諸葛君、お菓子とか作るんだ」
「隣の方がよくお食べになるので、その関係で。私一人しかいないなら、別に作らずとも生きては行けるのですけど、リクエストが飛んでくるんですよ。食べる人がいるというのは、存外に張り合いがあるということをここで学びました。人生、何が学びになるのか分からないモノですね。同時に、ヘアクリップを置きっぱなしにしておくと持っていかれるし、化粧水も持っていかれるという嫌な学びも得ましたが」
「……」
「顔を逸らさないでくださいね、あなたのことですよ」
「お前たち……同居してるのか?」
「まさか、そんなわけないでしょう。遅くまで授業をしていると、その関係で諸々あるんです。私の髪も御覧の通りの長さですから、色々乾かしたりするのに時間がかかるんですよ。お化粧落としたりね。一之瀬さんは共感してくださると思いますが」
よく分からんという顔をしている神崎の横で、一之瀬が分かるなぁというような顔をしている。女性陣には共感してもらえる部分だろう。毛先が割れて困るとか、前髪が上手くセットできなくて困るとか、その辺の話は。
「化粧、か……」
「自分を最も良い姿に見せるために、努力は惜しみませんよ。世の中の女性陣がそうであることが多いように、ね。それともあなたが、クラスの女子生徒は全員すっぴんだと思っておられるなら話は別ですが。その場合はもっと別のことについてお話ししないといけないかもしれませんね」
「流石にそんな事は思っていない」
「それは良かった。流石にド派手にはしている生徒はDクラスやCクラスくらいでしょうけれど、女子なら大体はしているモノですよ。いわゆるナチュラルメイクというやつですね。今は良い時代になりました。人はどんな姿にもなる事が出来ます。自分が望み、行動する事さえできれば、自分が求める姿、自分の求める自分になる事が出来る。声の出し方一つ、笑い方一つ、歩き方や目の動かし方一つで、どんな風にだって見せることが出来る。どんな立場にも、存在にもなる事が出来る。それを求め願い行動したのなら。そしてこれは本日一之瀬さんをお呼びした理由とも通ずるのですよ」
本題に入ったことに気付いた一之瀬と神崎は一気に表情を硬くする。その動きにはこわばりが見えた。どういう話を持って来るのか、何を言い出すつもりなのか。それを警戒している表情だ。一之瀬は神崎よりも上手く取り繕えているけれど、私相手では誤魔化せない。私はその二人の様子を観察しながら、薄く微笑んで静かにカップを置いた。隣の席では真澄さんが最後の一口を食べている。緊張感がないが、彼女はこれくらいでちょうどいいのだろう。
彼女たちには、私が得体のしれない存在、或いは美しくもその内実を覗き難い存在として見えている事だろう。それで良いのだ。その神秘性こそ、彼らの思考を惑わせるし、私の手を取る可能性を上昇させる。優しい微笑みを浮かべる。演技は得意だ。相手が最も好感を覚える、いや覚えざるを得ない相貌を作り上げ、私は彼女たちに向かって口を開いた。
「一之瀬さん、神崎君を含めた39名のBクラス所属の皆さんと一緒に、私の生徒になりませんか?」