『ジャン=ジャック・ルソー』
「で、お前は何をしに来やがった」
「そう剣呑にならず、ね?」
南雲と対談した結果、予想外の成果が得られた。これで後はBクラスが首を縦に振るのを待つだけである。逆に、彼らが首を振らなかったとしても問題はない。南雲の政策が実現すれば、下位クラスで燻っている優秀な層を焚きつけてこちらに移動させる、或いは移動を餌につり出すことが出来るかもしれない。そうなれば戦略の幅は広がる。他クラスがどうなろうとあまり興味はないし、必要なのは退学者があまり出ないこと。そうなれば私の調査目的である、この学校に入学させる生徒の基準などが調べられる。あくまでも大事なのは、自分のクラスの生徒たちだ。
そしてその一環として、坂柳からの提案を受け入れて私はCクラス、つまりは龍園の元を訪れている。彼に対し、問題を売りつけるために。
「先ごろの体育祭では協力し合った仲では無いですか」
「確かにな。だがあれは一時的なモノだ。それに、お前に情報を漏らした桔梗はあっさりと捨てられてお冠だったぞ。俺としては桔梗なんてどうでも良いがな」
「そうですか。まぁ私もさして興味が無いのですがね。あの性格を抑えられるなら、もう少し考える余地もあるのですが……あれは早晩ボロを出すので、利用できる間に利用しておき、変に縋られる前に切り離した方が良いと考えたまでの事です」
「ククク、桔梗も信じる相手を間違えたな」
「間違えたのは、自分の愛し方でしょう。それより今は櫛田さんのことは良いのです。今日はあなたと交渉しに来たのですから」
「交渉? 何を交渉しようってんだ」
「こちらを売りに参りました」
私は目の前の机に、茶封筒を差し出す。その中には印刷したテストの問題用紙・解答用紙・模範解答が入っている。ウチのクラスがBクラスに出題する用に作成したモノとは別に用意したものだ。難易度はあまり変わらないが、内容は大幅に変えている。龍園は封筒の中から商品を取り出す。少しの間、紙をめくる音だけが空間に響いていた。
「お前のクラスが出す問題……いや違うな。俺たちに売るように、別に作った問題だな」
「えぇ、その通りです。五科目十教科分1000点満点分、揃って一括でのご販売になりますが、それでもよろしいならばお売りいたします」
「お前……何を考えてやがる。俺たちがAクラスを攻撃しないように予防策ってか?」
「いえ、そういうわけでは。予防策も何も、あなたのクラスだろうとどのクラスだろうと、私のクラスを攻撃したところでさしたるダメージにならないのは目に見えていますから」
「随分傲慢な物言いだな、おい」
「この程度でダメージを受けるような教え方はしていません。それに、わざわざ予防策のためだけに足を運んだりしませんよ。加えて言えば、あなたはAクラスを攻撃しない、いえ出来ない。なにせあなたはここまであまりめぼしい成果を得ていないのですからね。ここで一つ、Dクラスを叩く。その上で成果を得て地盤を確立させてしまいたいはず。そんなあなたにお役立ちグッズとしてこちらを販売しようと思ったのです」
龍園は成果を欲している。恐怖政治にもある程度の限界はある。クラス全員に造反されてしまえば、さしもの龍園もどうしようもないだろう。無人島や船上試験であまり良い成果を収めることが出来ていない上に、体育祭での作戦も失敗に終わった。龍園は今のところ、口だけ王を名乗っているが利益をもたらせない存在になっている。それを国民は受け入れないだろう。だから、私の手を取る確率は上昇する。Dクラスに勝つ、確実な手段を得るために。
なぜDクラスかと言えば簡単だ。ここまで龍園がDクラスに仕掛けた攻撃はことごとく失敗している。須藤の件、無人島、体育祭。その原因を特定したいと考えているだろうし、単純に体育祭のお礼参りも考えている事だろう。Cクラスの学力が高くないことを、龍園は理解している。だからこそ、平均値の勝負である今回の試験で一番勝ちやすいDクラスを選ぶのが妥当、というかそれ以外にほぼ選択肢が存在しないレベルである。
「Dクラスはこのレベルの問題では苦戦することでしょう。少なくとも、あなた方が作るよりは信頼性が高いと思いますよ。Aクラスの人員を使ってデモ版を解いてもらい、その上で改良した結果作成したモノですから。品質は保証します」
「適当にそれっぽい問題を並べたいい加減なモノじゃねぇって事だな」
「そういう事です」
「いくらだ」
「そうですね、一教科当たり……10万ポイントで如何です?」
「高いな。十教科で100万、割に合わないだろ。今回の試験で勝ったとして、動くcpは最大で100。ppにすれば1万だ。クラス全員から徴収しても40万の儲けしかないのに、100万なんて払えるかよ」
「そうですか。では、これをDクラスに持っていくだけですね」
「待て、Dクラスが100万なんて払えるわけないだろ」
龍園はいぶかしげな顔を見せる。確かにその通りだ。Dクラスにそんな大金が用意できるとは思えない。ちなみに、龍園は高いとは言っているが払えないとは言っていない。毎月2~4万ほどのppが入っているCクラスでこれまで徴収することが出来たポイント数は、一ヶ月1万としても40万×6~7か月分。約300万弱のポイントが貯めこまれているはずだ。なので、恐らく払えはする。
ここでDクラスに売りつけるメリットは、無論Cクラスに比べれば少ないとは言え金銭的なモノもある。だがそれ以上に、Cクラス攻撃案でも言われていたパブリックエネミーたる龍園を排除するための計画を実行することが出来る。彼が駒と称するクラスメイトを削り続ければ、彼の作戦はどんどんと厳しくなり、同時にクラス内での地位も下がっていくだろう。そうなれば、Aクラスにとっては十分にメリットのある事態だ。
「あなた達Cクラスが壊滅状態になれば、我々にとっては随分楽ですからね。Dクラスに売りつけるということには金銭的なモノ以外の価値も存在しているのです」
「チッ、そうくるか」
「どうですか? そうなると都合が悪いのは……どちらか明白だと思いますが」
「……50万までなら妥協する。それ以上なら好きにしろ。Dの奴らにはした金で売りつければいい」
「なるほど」
彼は恐らくDクラスの中にスパイとして櫛田を抱えているのだろう。だからこそ、強気の発言を取れる。仮に堀北が問題を買い取っても、提出前に答えを見てしまえば、それを龍園に横流しすることが出来る。それが上手く行けば、龍園は買わずとも勝利できるというわけだ。
それに加え、彼の損益分岐点が50万だったのだろう。50万を払い攻撃に成功したなら少なくとも負けはしなかったことになる。それならば、龍園の面子的には意味がある。そしてその額なら、1ヶ月あれば大体取り戻せる。
そしてここで大事なのは、龍園は50万を払っても良いと考えるくらいにはAクラスの生徒の能力を評価しているという事が分かったことだ。デモ版を解いてもらい修正した問題である、という説明はしっかりしている。その上で50万払っても良いと考えたという事は、品質保証のために使われたAクラスの生徒の能力を評価しているという事に他ならない。これも一つの収穫だ。他からどう見られているのかを考えるのは必要な事である。
「しかし龍園君。本当にその手は使えますか? 冷静に考えてください。櫛田さんはその正体が露見しています。少なくとも、堀北さんには。そんな存在を堀北さんは信じますか? 問題文や解答を見せるでしょうか」
「……分かった。だが50万までしか出せないのは事実だ。こっちも誰かのせいで懐が苦しくてな」
「仕方ありませんね。50万で手を打ちましょう。私の知的労働に対する報酬としては些か少ないですが、まぁそれでもここでは妥協することにします。それでは龍園君、契約の方を……」
「待て」
「何でしょう」
「その問題と解答をDクラスの奴らに漏洩しないっていう契約も付けろ。他学年とか他クラスを通じても禁止だ。あらゆる手段を使っての漏洩をしないという契約にしろ。お前だけじゃなく、Aクラスの全員がな」
流石と言うべきか、そこはしっかり見抜いて来るようだ。確かに彼が指摘したことは正しい。ここで問題と解答を売りつけて、速攻でそれをDクラスに売りつければ、坂柳が言うように二つのクラスからポイントを引きずり出して来ることが出来る。それはBクラス併合にも役立つし、戦略物資であるポイントを使わせて彼らの戦略を妨害することも可能だ。とは言え、龍園も馬鹿ではない。それくらいのことはすぐに気付くだろう。というよりむしろ、それは想定内である。
「構いませんよ。それで50万、きっかり頂けるのでしたら」
「……やけに素直に認めるじゃねぇか」
「あなたがその部分に気付かなければ速攻で漏らしに行くつもりでしたが、気付かれてしまっては変に隠しても無意味ですので」
「食えない男だ」
「誉め言葉として受け取っておきましょう」
私は小さく笑いながら、契約書の金額欄を書き込んで、彼に差し出す。
「けっ、俺が漏らさないように言うのも想定内かよ」
「言わなければ別のもう一枚をお渡しする予定でした。私としてはその方が望ましいのですがね」
「ついでにもう一つだ。念には念を入れてな。Dクラスに対してその利益になる行動一切を封じさせてもらうぜ」
「分かりました、いいでしょう」
私は契約書に「Aクラスの生徒は、直接Dクラスの利益になる一切の行動を行わない」と記す。
「これで構いませんね? しかし、凄まじい念の入れようですね」
「お前にはこれくらいでちょうどいいんだよ」
そう毒づきながら、彼はペンを動かし自らの名前を書いた。
「そう何でもかんでも上手く行くと思うなよ。鈴音やDクラスの連中が終われば次は一之瀬だ。そしたらお前も食ってやる」
「そうですか。あなたも、そういう未来が実現すると良いですね」
苦々しい顔をしながら龍園は契約書にサインをした。これで50万ppと引き換えに、作成した問題・解答は龍園の所有物となる。また、Aクラスの生徒はDクラスの生徒に対してこれらの問題や解答をあらゆる手段を用いても漏洩してはならない旨の契約も結ばれた。
龍園としては大金と引き換えに戦略上使える有益な物資を手に入れたと思っている事だろう。しかし私は基本方針を撤回するつもりは毛頭ない。基本方針とはつまり、坂柳の提案した両クラスから搾り取る形での金策である。そのための考えは既に存在していた。
彼は詰めが甘い。Dクラスを倒すことに躍起になっている。どうやら、Dクラスは彼の精神に随分と影響を与えているようだ。そのせいで、大事な部分にも気付けないのだから。ほんの二文字。だがその大事な二文字に彼はさしたる疑問を抱かなかったようだ。それを詰めの甘さと呼ばずして何と呼べばよいのか。
Aクラスの生徒は
諸葛孔明が南雲雅と対談した数日後、Bクラスでは話し合いが行われていた。その内容は言うまでもないであろう。先日伝えられた、Aクラスよりの突拍子もない提案についてである。
「今日、わざわざ勉強会を中止してまで集まってもらったのは他でもない。Aクラスへの対応についてだ」
どこか重苦しい声で神崎は話し始める。彼としては、Aクラスから出された提案は実現可能性において厳しいものを感じている。しかしながら、他に何か良い方法があるのかと聞かれた際、何も出てこないのもまた事実だった。彼とてAクラスにはなりたい。それはクラスの目標としてもそうだし、自分自身の望みとしてもそうだ。
だからこそ、Aクラスの提案は魅力的だった。もし仮に実現できたのであれば、Aクラスに行くことが出来る。それも自分たちのクラスでの孤軍奮闘ではなく、Aクラスとの協力によって。三人寄れば文殊の知恵ではないが、自分達でウンウン頭を捻っているよりは余程良い案が出てくる可能性がある。それに、龍園などの面倒な相手も頭数を揃えたうえで協力して対処できる。そうなれば、かなり有利になるのは事実だった。なにせ、元々40人で戦うことを前提としたゲームの中で、80人で戦えるのだから。
「どうしたんだよ、神崎。そんな重苦しい顔してさ。Aクラスへの対応ってあれだろ、これからも勉強会をするってことだろ?」
柴田の意見に、大多数の生徒は同意を示す。彼等にとってそれ以外の対応が存在しているとは思えなかった。単にAクラスとペーパーシャッフルで戦うだけならば、それも正解であったが、殊ここに至っては事情が異なっている。神崎は苦々しい顔になった。それは、単にペーパーシャッフル試験だけを見ている自クラスと、その先を見据えているAクラスの差を認識したからである。
「それで、本当に勝てるのか? まず俺からそう問いたい。その上で、俺の話を聞いてくれ。先日俺と一之瀬はAクラスの諸葛と会談した。そこで諸葛からある提案を受けている。単刀直入に言えば、Aクラスとの同盟、いやそれよりもさらに先に進んだ合併提案だ」
「簡単に言えばAクラスがBクラスを吸収して、合体して一つのクラスになるために、力を合わせないかっていう事だね。具体的には、私たち全員がAクラスに移籍する形になるかな」
一之瀬が嚙み砕いた説明を行う。しかし場の空気は困惑が満ちているだけだった。
「それ……どういう……」
「いや、おかしいだろ常識的に考えて」
「そうだよ、そんなの出来っこなくない?」
「Aクラス、何考えてるの……?」
口々にAクラスの正気を疑う声が満ちる。確かに、神崎も一之瀬もAクラスの正気を疑う感情は存在していた。しかし、それ以外により良い道があるとは思えないのも事実。南雲雅を頼るという選択肢も確かに存在していた。しかし、南雲が諸葛やAクラスに勝てるかどうかは未知数であり、しかも自分たちが三年生になった際にはもういない。そんな存在に頼っていては、いざという時に判断できないまま敗北してしまう。だからこそ、受け入れることにした。己の無力を噛みしめながら。
「俺たちも最初、皆と同じような反応をした。何なら今でも、100%信じ切っているわけじゃない。だがAクラスは本気だ。俺たちが受け入れれば、本気で俺たち全員をAクラスに移籍させるための準備を開始する気でいる」
空間は再びざわめき始める。波紋はさざ波のように波及していた。普段口数が多い生徒も、そうでは無い生徒も、関係なしに今は戸惑いの中にいる。己の今まで抱いてきた常識との戦いを行っているのだ。
「Aクラスはこの行動をする理由を大きく二つ説明していた。一つは一之瀬を引き入れるため。一之瀬個人を勧誘したいが、一之瀬はそれには応じない。だからこそ俺たち全員を引き入れてしまえば一之瀬も自動的にやって来るという寸法だ。そして二つ目は俺たちが一番Aクラスを打倒できる可能性のある敵だと、諸葛が認識しているということだ。一番の敵を吸収してしまえば、後は幾分も楽になる。この二つが大きいだろう。無論他にもポイントの関係で合併しやすい、モラルなどの遵守性なんかもあるだろうが、大きいのは今言った二つだな」
「私は、このクラスメイトと一緒にAクラスになりたい。でも、もしそれがこの提案で成し遂げられるなら、受け入れても良いと思ってる。大事なのは私たち全員がAクラスになることであって、それが仮に併合って言う形だったとしても成し遂げられていることに変わりはないからね」
「でもよ、単純に考えて凄い数のポイントが必要になるんだろ、ホントに出来るのか?」
「それに、諸葛君を信用できるの? ポイントだけ吸い取られて、必要なくなったら裏切られるってこともあるんじゃない?」
「契約書作っても、無人島で学校のシステムを利用した作戦立てるような人なら穴ぐらいすぐに用意できそうだしね……」
「それに、そんな提案受け入れなくっても俺達なら勝てる可能性があるだろ。少なくともCとかDよりはずっとさ。合併なんて、上から目線の提案受ける必要あるのか?」
疑問、反論、様々な意見が飛び出す。
「ポイントについては考えがあるみたい。でも話を聞いた段階ではまだ受けてないから、方法は教えられないって言ってたよ。これはおかしな話じゃないよね、金策方法なんて味方以外には教えられないし。信用できるのかについては……信用していいと思う。少なくとも、ここまでの試験でAクラスは、諸葛君は卑怯な手も使ってないし裏切るようなこともしてない。利害が一致してるなら裏切るメリットもないしね」
一之瀬の言葉に、場の空気は賛成論に傾き始めた。鶴の一声ではないけれど、まさにそれに近い何かと言える。Bクラスは一致団結したクラスだ。これまで大体の問題は何とか乗り越えてきた。それには一之瀬という精神的な柱が大きな役割を果たしていたのは言うまでもない。柱はその発言力を肥大化させ、やがてクラスの空気や考えを左右する存在になっていく。
Bクラス内において、一之瀬の発言力は相当に大きい。不安や不信があっても、一之瀬が言うなら多分大丈夫だろう、というような感情は確かにその萌芽を見せていた。それに気付く人が少ない状態の中で。気付いている一人である神崎は、その状況を快くは思っていなかった。確かに合併案を受け入れる方向になるのは望ましい。とは言え、その方法に問題があるのだ。
「先ほど俺が言ったことを、皆覚えているか。本当に、このままで勝てるのかということだ。俺達なら勝てる可能性があると言ったな渡辺。どうしてそう思える? この提案の骨子を作ったのは諸葛ではないのに?」
「え、でも諸葛から話をもちかけられたって」
「確かに代表者として話を持ってきたのは諸葛だ。それは間違いない。だがこのアイデアは葛城や神室を中心に、幾人かの生徒で話し合われた末に出されたモノだったと聞いている。俺たちにこのアイデアが出せるか? 或いは他に、Aクラスに上がるための建設的なアイデアを出せるか? 一致団結して努力していく以外に。どうしてそれ以外かと言えば、Aクラスも当然の如くそれを行っているからだ。相手が行っている事と同じことをしても、伸び幅が同じならAクラスの方が有利だ」
「じゃあ、神崎君は勝てないって考えてるってこと?」
「そうなる。言葉を選ばずに言えばな」
「一之瀬さんは……」
「一之瀬は関係ない。取り敢えずまずは俺の話を聞いてくれ」
ここで一之瀬が勝てないと言えば、それなら仕方ないかと思ってしまう可能性がある。それでは勝てない。神崎は思い知らされていた。一部の特別な存在、それこそ諸葛や龍園のようなリーダー格では無くても、自分達が思いつきもしなかったアイデアを出して来る。今回はBクラス併合という一応平和な内容だ。しかしもし仮にこれがもっと攻撃的なアイデアであったとしたら。何人もボロボロと退学者を出すような案を提案されてしまったとしたら。
諸葛との対談後、彼はそう考えた。何も思いつかなかった自分たちに不甲斐なさを感じると共に、同時にBクラスの弱点も露わになり始めた。今までベールで覆い隠されたように見えなかったモノ、見ないようにしていたモノが、布を剝ぎ取られたが如く露出していく。そして今、その弱点を直視させられたうえで神崎は全体の前に立っていた。なるべく一之瀬には話さないようにとお願いしながら。
「俺たちには何を考えてもこんなアイデアは出てこなかった。今回はこの案だったからまだよかったが、Aクラスはこういう案をポンポンと出せる可能性が高い。そうだった場合、攻撃的な作戦を立案され、それを諸葛のような柔軟性と計画力と行動力のある存在が実行する。そうなってしまえば俺たちに何が出来る? 無人島ではあしらわれ、船上試験でも掌の上。勉強会を開いているが、俺たちの伸び率はAクラスに劣っている。分裂していたクラスは、諸葛がまとめてしまった」
Aクラスは決して万全なクラスでは無かった。内部分裂を抱え、派閥対立があった時期も存在した。思えば、Bクラスの勝機はここだった。泥沼にはまった二頭の獅子を相争わせ、沈ませる。それが出来れば今頃は勝者になれていたかもしれない。しかしそれはあり得なかった世界の話だった。
「仮にヤツが機能不全でも、葛城や神室、坂柳のような優秀な存在を何人も抱えている。対する俺たちは一之瀬、一之瀬、全部一之瀬だ。仮に諸葛と一之瀬が互角だったとして、その間坂柳や葛城の相手は誰がする? 誰が神室のように深い信頼関係を持って一之瀬を支えられる? あまりにも他責すぎるだろう。俺たちの誰が、今名前を挙げたやつと同格と言えるんだ? テストの順位すら負けているのに! ポイントの件もそうだ。もしこの合併案を受けるなら、俺たちもその実現のために全力を尽くす必要がある。全部諸葛がお膳立てしてくれる流れに従っていればいいわけじゃない。そんなクラスを、諸葛は欲しないだろう。諸葛は未来を重要視すると言った、これから何をするかが大事だとな。そんな思想を持ってる存在に、俺たちはどう映る?」
まくしたてられた言葉は、神崎が露呈させたBクラスの弱点だった。一之瀬帆波は優秀であり、またこの陰湿陰険陰鬱な学校ではまさに光だった。太陽のような存在だった。龍園のような暴力主義者が幅を利かせ、学校は自分たちを守ってくれる存在とは言い難く、気を抜くと退学。そんな閉鎖空間で自分達に優しく明るく接してくれた存在は、想像を超える重力を持っていた。
その重力に惹かれ、思考を止めつつある衛星。それがBクラスだった。そして今が、そこから脱却できる最後のチャンスであるように神崎には思えたのだ。だからこそこうして熱弁を奮っている。休日の、貴重な時間を使って。
「誰も失わずに最後まで。俺たちはそう思っている。だが、本当にそれが言えるのは、力のある存在だけだ。そして今の俺たちにその力はない。これは感情論で考えるべき問題じゃないんだ。みんなよく考えて欲しい。自分たちの意思で、理性で。誰かに言われた意見を参考にするのは良いと思う。だが、それによって左右されたらダメなんだ。幸いなことに、諸葛は全員を卒業させることを目標にしている。その願いは俺たちと同じだ。その全員の中に俺たちの入る事が出来れば、より良い結末を得られる。俺はそう考えた」
「『生徒の幸福を祈り、願い、そのために手を尽くし、決してあきらめない』『理想は難しいけれど、難しいことは諦める理由にはならない』そういう風に諸葛君は言ってた。見ている場所は、同じじゃないかな」
クラスの空気は揺れ動く。図らずも露わになってしまった自分たちの弱味。そして、変革を迫る首脳陣。これまでのクラスでは考えられない状態に、考え込む者や戸惑う者など様々な態度を取る。そして、長い話し合いの末に、何となく場はまとまりつつあった。
「今回、時間を取ったのはこの問題について、皆に考えて欲しかったの。これはクラスの今後を左右する大事な問題だから。もし受けるなら、実現に向けて全力で動かないといけないし、受けないならどこかのクラスが受け入れる可能性を考えて行動しないといけない。どちらにしても動かないといけないなら、前者の方が私たちにとって有利じゃないかな。私は、そう思うよ。だから私はAクラスのアイデアを受け入れたいと思う。全員で揃って、卒業するために。なにか、反対意見のある人はいる?」
そこで誰か手を挙げることはない。神崎の言葉、それに賛同する一之瀬の言葉。それは半信半疑だったBクラスを動かすには十分すぎるモノだった。これにより、BクラスはAクラスの提案を受ける方向で決定する。しかしながら、これは決して神崎の熱弁が届いたわけでは無かった。彼らの考えの根底には、一之瀬がそういうからという想いが相変わらず存在していたし、同調圧力は色濃くクラス内を満たしていた。人はそう簡単には変われない。一朝一夕で染みついたものは消えないのだ。
だが理由はどうあれ提案を受けることになったのは事実。それ故に、一之瀬は連絡を取り、諸葛孔明を呼び出した。そして二十分ほど後、彼は姿を見せる。
「お呼びですか、一之瀬さん」
「ごめんね、休日にわざわざ……カレー?」
「何故?」
「服からそれっぽい匂いがするからかな」
「あぁ、そういう。スパイスはやっぱり服に多少付きますね」
普段より大分カジュアルなシャツに亜麻色のカーディガンを着たスタイルは、Bクラスの生徒からすれば珍しい私服姿だった。普段は真っ直ぐな横髪は軽くウェーブしている。
大体普段外にいるときは制服を着ていることが多いため、完全なオフの姿を見るのは多くの生徒にとって初めてである。しかも、クラス間交流があまりない上に、他クラスのリーダーとは輪をかけて交流しにくいため、Bクラス内で諸葛孔明を良く知っている生徒はいないに等しい。会話したことある生徒の方が少ないくらいだ。
「髪、ロール巻いてるの?」
「ちょっと縦にゆるーく。普段はやりませんけど、今日は休日ですので。それで……私をお呼びになったということ、そしてBクラスの皆さんがこうして顔を揃えているということはつまり?」
「うん。この前の話について、回答しようと思って」
「そうでしたか。思ったよりもお早いお返事ありがとうございます。さて、それでは早速お聞かせください」
「私たちは……Aクラスの提案を受け入れることにした。だから、これからは私たちがAクラスになれるよう、協力していきたいと思ってる。ただ、何でもかんでもいう事を聞くってわけじゃないし、これから細かい部分については交渉を重ねていくことになると思う。一番譲れないのは、誰も失わないで三年生になるっていう事。それを守ってくれるなら、私は諸葛君と手を結ぶ。どうかな?」
一之瀬は堂々とした目で諸葛を見つめる。対する諸葛も、一之瀬を見つめ返した。その目には予想通りの結果になったことへの満足感が存在している。そして提案してくる内容も、想定の範囲内だった。Bクラスの、一之瀬の求めていることが誰も失わない事であるのはとうに理解していた。
「良いでしょう。唯々諾々と従うような植民地を求めているわけではありませんから、あなたの提案は問題ありません。しかしそれは同時に、こちらもあなた方に対して自助共助の努力を要請することになります。構いませんね?」
「問題ないよ」
「私のクラスにはこの後持ち帰りますが、くれぐれもご内密に。決して誰にも口外してはいけません。これから先、この後ずっと」
「うん、分かってる。秘密にしていた方が、色々出来るってことだよね?」
「その通りです。ご理解いただけたようで何より。では、以後よろしくお願いします」
スッと差し出された手を、一之瀬はほんの僅かな迷いと共に握る。自分が率いるので間違いないのか。その迷いは常に存在していた。そして今、その迷いのリストの中に己の選択肢は正しかったのかが追加される。彼女は、過去により自分を許されてはならない存在であると定義していた。その定義は迷いを生む。Bクラスに潜むもう一つの病巣があるとすれば、それは一之瀬帆波という人物の内心に存在する自罰的観念に他ならないだろう。
そしてそれを理解しつつ、諸葛孔明は手を取った。それを生徒の未来をより良くするための方策にするべく、思考を巡らせながら。かくしてAB連合とも呼ぶべき共同体はその産声を上げたのである。
「さて、一之瀬さん。盟友になったばかりで申し訳ないのですが、こちらをDクラスの方々に販売してはいただけませんか?」