『サンボマスター』
訴状を職員室に提出した翌々日の日曜日。休日ではあるけれど生徒会が審議をしても構わないということで、私たちは学校に赴いている。南雲は茶番であることは理解してくれた。学校側がこういう時にどういう対応をするのかを見たいという意思があるようだ。同時に私たちの作戦が何であるのかも、何となく理解しているように思える。それでもどこまでやれるのかを興味深く思っているようで、今回は淡々と審議を進める旨の確約を貰っている。
こちら側の出廷者は私と真澄さん。前者が原告で、後者は証人というか事実を述べる役だ。私の弁護士でもあるかもしれない。向こう側の出廷者はまず一之瀬。彼女はクラスの代表兼生徒会役員だが、今回はクラスの代表として自クラスの弁護のために出廷している。そして犯人役だが、一番成績の悪い生徒を指名したところ、柴田が出てきた。まぁ彼の成績はBクラス内ではお世辞にも良いとは言えないので妥当だろう。運動能力はかなり高いので、そういうポテンシャルはあるのだが。
また、これは一之瀬では無く神崎からの情報ではあるが、彼は一之瀬を信じる心がかなり強いらしい。相手を信頼していると言えば聞こえはいいが、それはBクラスにおいては妄信に繋がりやすい。その気が強いため、今回の人員選定に関して、神崎も柴田を推していた。彼は良くも悪くも発言力が大きいため、こちらに放り込んで意識改革をさせたいのだろう。それはこちらも望むところなので、快く引き受けた。
柴田本人には一之瀬から説明がされている。台本通りに進めればいいということで、向こうも一応納得はしてくれたようだ。見た目的にはクラスを裏切る格好になるので、そこに躊躇は感じていたようだが、それも最終的には一緒になるのだから問題ないという説得で折れてくれたようである。個人的にはそれ以外の感情、特に一之瀬個人への感情が多分に含まれていそうではあるが……まぁそれは見なかったことにしよう。ともあれ、彼がBクラス側の出廷者である。
時間の少し前に生徒会室を訪れたが、まだBクラスの面々は来ていない。限界まで台本をしっかり読んでおいてくれと言ったので、そうしているのだろう。ここで変なボロを出すわけにはいかない。南雲には何も言われずとも、先生に気付かれたくないのだ。ウチの担任はともかく、0ポイントのDクラスになった挙句、最終的に所属生徒が0になってしまう星之宮先生はこの作戦の妨害をする可能性もある。
なので、この作戦については教えない。学年中に明らかになったのなら話は別だが、そうでないなら黙っておくつもりだ。ついでに言えば、今回は形だけBクラスが不利になっている。人間は追い詰められた時に本性が出る。誠に申し訳ないが、ここで本性を曝け出してもらい、一之瀬からの信頼を落とし、仮にクラスで何か言ったとしても一之瀬が同調しないようにする。そういう目的も存在していた。
「真澄さん、大丈夫?」
「全然問題ない」
「それは何より。日曜日なのに申し訳ないね」
「別に。これが無くてもどっちにしろやることはあるわけだし、ちょうどいい息抜きになる」
「確かに、それもそうか」
「今日のご飯は?」
「夜はアジフライ」
「美味しそう」
正直、我々はこの裁判に対しあまりやる気がない。実際に闘争するわけではないので無理もない話だ。なので、裁判前にも拘わらず会話はかなりのんびりとしている。
「大葉食べれる?」
「大丈夫」
「梅は?」
「同じく。なんで?」
「アジと一緒にフライすると美味しいから」
「……お腹空いてきた」
「早いな。まだ三時前だぞ」
時計は二時五十五分を示している。丁度南雲が入って来た。
「今日はよろしくお願いします」
「あぁ、まぁ適当にな」
「えぇ、こちらはこちらで手筈通りに進めますので、乗っかってくだされば。すみませんね、休日でしたのに」
「いや、一応これも生徒会の業務だからな。それに特別試験の準備もある。どのみち学校へは来ていた」
「とは言え、お手間を取らせました。なるべく早く終わらせますので」
「それは助かる」
南雲もやる気ない顔をしている。先生がまだ来ていないから、適当でいいと思っているのだろう。原告も被告も裁判官も全員合意の上の裁判だ。知らぬは先生ばかりなり、という具合である。
「俺は何も知らなかった。それで構わないな?」
「はい。問題ありません」
「どうせお前も適当に責任回避の算段は整えてるんだろう?」
「えぇまぁ。これは坂柳さんが計画しました。坂柳さんがBクラスに持ち掛け、仕組んだ話です。私は何も計画に関与しておらず、何も知らないまま訴えました。たまたまそれが両クラスの利益になる行動であっただけで、加えてたまたま坂柳さんの作戦と私の行動が同調しただけのことです」
「アンタ……だから坂柳に計画させたの?」
「その通り」
「でもそれだと坂柳がマズいんじゃ……」
「いやそれは問題ない。学校側が問題視するとすれば、この裁判が仕組まれたものであったという点だろう。坂柳の計画に関してはむしろ咎めない可能性が高い。なにせ、実行するかどうかは
全部偶然です、で押し通せる範囲内に設定してある。非常に苦しい言い訳であるが、誰もゲロらない限りこの裁判が茶番であると証明することは出来ない。あったことを証明するより、無かったことを証明する方が難しいのだ。そして、その難しい任務をするのは我々ではない。学校側が調査したければすればいいと思う。何も出てこない徒労のような調査をするなら、好きにすればいい。その末に何も出なくても、我々は一切のマイナスが無いのだから。
「けど、我々が偶然ではないと思うから偶然じゃないです、認めない! とか言い出したら?」
「そうなると今回の判決自体が無効になる。すると私は破壊された器物に対する弁償を受け取れない。これは学校、ひいては国家公務員による損害を被ったと言えるでしょ?」
「まぁ、そうなるわね」
「そうしたら国家賠償請求でも出せばいい。そこら辺はこっちの得意技だ。適当にごねれば多分すぐ折れる。なにせここは文科省の管轄だ。法務省やら内閣府とごにょごにょするのは面倒だろうから、内々で処理できるならしたいだろうし」
「でもそれも面倒ね」
「それはそう。だからここでさっさと終わらせて、学校に調査を要求しそうな星之宮先生には黙っていていただけるように工夫するのさ」
それから数分後、三時五分に先生二名を伴ってBクラスの二人がやって来る。台本を覚えられたかどうか良い感じに緊張しているので、それが先生方にはこの裁判を前にして緊張しているように見えるだろう。
「人員が揃ったな。それでは審議を始める。本来は他の役員に任せるんだが、今日は生憎と手が空いてないそうだ。なので、進行は俺が務める。それで……出された訴状によれば、AクラスとBクラスの今後についての会談をAクラス神室の部屋で行っていたところ、Bクラスの柴田は部屋にあった花瓶を割ったと。ここまでで状況等に間違いは?」
「ありません」
「こちらも、ありません」
一応アリバイのため、一之瀬と柴田を真澄さんの部屋に入れている。そうすることでちゃんとこの時間はここにいましたよ、という証明になるのだ。これを怠ると茶番であることが露見してしまう可能性がある。その辺は抜かりない。
「でだ。その花瓶は元々諸葛の所有物であり、一時的に貸していただけである。故に所有権を持っている諸葛は花瓶の弁償を求めてBクラスに対して訴状を提出した。諸葛、そうだな?」
「はい、その通りです」
「Bクラス側の二人、これに対して何か意見は」
「「ありません」」
「では、事実関係は認めるという事だな」
「「はい」」
事実関係はさっさと認めてしまう。ここで下手に抗弁すると面倒くさいので、審議のスムーズ化のために台本ではそうなっていた。
「えー、その花瓶は元々中国景徳鎮で焼かれたものであり……室町時代に伝来し、そのまま諸葛の実家にあったと。俺はよく分からんが取り敢えず鑑定書によれば一千万以上の価値がある。なので、その賠償金は同額かそれ以上になる、ということだそうだ。美術品の価値は俺にはよく分からないが、この鑑定書自体の真偽はちゃんと調べてある。これは間違いないようだ。なので、このまま進めば柴田には最低一千万の支払いを命じることになる。確認しておくが故意に割ったわけではないんだな? 故意ならば器物破損になるが」
「わ、わざとじゃないです! たまたま偶然ぶつかっただけで……本当に申し訳なく思ってます」
「そうか。それならば構わない。それで、支払い能力に関してだが、持っているポイントを全て供出しても賠償額には到底足りないな。今回の審議においては諸葛も柴田も双方状況に関して納得している。その辺りについて食い違いなどはなく、事実関係で抗争する余地はない。よって、支払い方法が争点となる」
面倒くさそうではあったが、審議中はしっかり進めてくれている。南雲も一応生徒会役員としての仕事で来ているのだ。茶番であろうと仕事はしっかりするというスタンスなのだろう。部屋の内装は大分派手というか豪華な感じになってはいるが、基本的に南雲も堀北前会長を尊敬していたようだし、仕事に関しては手を抜かないという事だと解釈する。
「諸葛、現状柴田個人には支払い能力がない。無論ポイントは全額供出してもらうが、それで足りない分の補填はどうする?」
「こういう場合、この学校では連帯責任だったはずです。個人の評価や行いがクラスに直結する。そうですよね?」
「その通りだな」
「では、Bクラスに支払いを求めます。一人は皆のために、皆は一人のために。その理念に従って、Bクラスの全員に支払って頂きましょう」
「妥当な判断だ。だが、Bクラスの生徒が持っているポイントを全て足しても支払額には届かない。どうする?」
「仕方ありません。Bクラスの方々から回収して足りない分は、彼のご両親にお支払いいただきましょう」
「だ、そうだが?」
「ま、待ってくれ。確かに俺が悪かった。この通り! だから親には……親には迷惑かけたくないんだ、頼む! 兄貴が大学にいるんだ、その費用が払えなくなっちまう。弟の学費も……だから、それだけは勘弁してくれ、いや勘弁してください!」
「困りましたねぇ。……仕方ありません。あなたの親への賠償請求は諦めましょう。未来あるご兄弟を困窮させるのは、私の望むところではない。では、自主退学してください。そうすればcpにマイナスが入ります。それで代わりとしましょう」
「ちょ、ちょっと待って!」
本当に仕組まれておらず壊したとしても、まぁ両親に請求したりはしない。支払い能力があって、支払っても困窮しないような家庭ならともかく、兄弟姉妹がいたり、家庭環境的に支払った場合破綻してしまうような場合は普通に心が痛む。こんな学校に来てしまった時点で不幸なのに、そのせいで家族まで巻き込むのは些か寝覚めが悪い。
ともあれ、待ったを挟めるような状況では無いのだが、ここで星之宮先生が待ったをかけてくる。
「何ですか、先生」
「物壊して退学なんて聞いたこと無いよ、流石にやりすぎでしょう」
「私だってその辺の百円ショップで売っているような花瓶なら何も言いませんよ。しかし、物が物ですから」
「で、でも柴田君も反省してるし、故意じゃなかったなら……」
「では先生のご実家に巨大なクレーン車で突っ込んで全壊させても、それが故意じゃない上に反省しているなら許して頂けますか? それと同じ話をしているのですが」
「……」
「先生が本当に生徒の事を考えているのなら、反省しているとかそういう事を訴えるのではなくもっと厳しく教育的指導をしっかりと行ったうえで、真摯にお願いするべきなのでは? 先生は被害者である私に減刑を要求するばかりで、担任としてお願いしたり頭を下げたりもしない。それで許してもらおうなんて、随分と生徒を下に見ておられるようですね?」
今回はこっちが100%正しくて、向こうに100%過失があるように設定している。なので、星之宮先生の発言は言い訳がましい発言に聞こえるはずだ。何せ、当の柴田本人が認めているのだから、その反省した態度に水を差すのは教育的指導とは言えない。
「そもそも、どうしてそんな高いものを持ってるのよ」
「持ってたら悪いですか?」
「だっておかしいでしょう、あなたの実家は既に親がいないのに、どうやって……」
「話を聞いておられなかったようですね、これは私の父方の実家に代々伝来したものです。田舎の山奥で神職を務めていた家柄でして。貿易で大陸と繋がっていた港町にも影響力のあったようですね。親がいないと貧乏だと決めつけた上に、私の家庭環境を勝手に周囲にバラさないでください。この審議が終わったら個人情報に関する訴えを出しましょうか?」
元々親が死んで、今後の進退に極まったので3年間生活できるここへ来たという設定ではある。零落した地方の旧家という要素はこれと矛盾しないだろう。そういう設定でやってるとは言え、それをペラペラと流布するのはどうかと思う。普通に個人情報だ。それも、あまり明かしてはいけないタイプの。自覚的なら問題だし、無自覚ならよりたちが悪い。
「……」
「私もね、別に彼やBクラスの皆さんを虐めたいわけでは無いんですよ。ただ被害者として正しく弁償を求めている。Bクラスの皆さんを苦しめたいわけではありませんが、私も賠償して頂かないと困る。恨むならこの制度を恨んで頂きたいですね。この審議は後のトラブルを防止するため第三者の立ち合いを入れるという目的で行っています。柴田君は自身の過失を認め、真摯に謝罪し、その上で交渉を行おうとしている。自身の退学に関しては受け入れるつもりのようでしたし。その潔い態度、そして家族には迷惑をかけたくないという想い。それを汲んで、私はご家族への請求はしないことにしました。指導するべき生徒の方が、よっぽど真摯に自分の過ちと向き合っていますよ」
「その辺にしておけ。さて、諸葛の要求は妥当だろう。払えない以上仕方がないと思うが……Bクラスとして何か意見は?」
「……諸葛君の言葉はもっともだと思います。壊してしまったモノの弁償は、絶対にしないといけない。それが故意でなくても、変わらないとは理解しています。でも、私たちはクラスメイトを失いたくない。もっと他に何かありませんか? 私たちに出来る事ならば何でもやります。どうかこの通り、お願いします!」
一之瀬は涙ながらに頭を下げる。そこまでやれとは言っていないのだが、女は女優という言葉もあるけれど、彼女も結構演技が上手い。やっている間に感情移入してしまったのかもしれないが、どっちにしてもこの演技は良いアシストだ。これにより私が情で動く動機が出来る。
「困りましたね……。アレも嫌だ、コレも嫌だでは、困ってしまいます。私としても、同期をこんな形で追い出してしまうのは心が痛みます。とは言え、大事にしていたものですので何もなしで諦めるというのも出来かねるのです」
「発言、良い?」
「真澄さん? 私は構いませんが……会長、よろしいですか?」
「許可する」
「ありがとうございます。それでだけど、足りない分はcpで補ってもらったら?」
「と、言うと?」
「柴田が退学しても、cpがマイナスになるだけで向こうに損害になって遠回りな利益はあるかもしれないけど、直接的には何も無いじゃん」
「確かに、それはそうですが」
「だったら、今後Bクラスに入るcpと、今持っているcpを全部Aクラスに移譲する。それで賠償金の代わりとする。って言うのはどう?」
「なるほど……」
ここで真澄さんが提案することによって、何も知らない第三者が善意で出したアイデアに見えるだろう。私が全部出していたら、私によって仕組まれたのではないかと勘繰られる可能性もある。一之瀬の行動に困り顔をした私の演技は、どうやら先生方を騙せているようである。真澄さんも仕方ない、という具合の演技をしているので、まずもって見抜けないだろう。我々で劇団でも立ち上げるか。それでも存外何とかなりそうでもある。
「一之瀬さん。これをすると、あなた達に勝利の目は無くなります。それでも良ければ、この契約で同意しましょう。その場合、pp供出は9割で良いものとします。なお、これは私が退学しようがどうなろうが継続します。ただし、これを契約すれば、誰も退学する必要はありません。今後一切この件に関して追加の支払いなどを要求しないことも約束します。仮に移譲したcpでは卒業までに払いきれずとも、残金は無かったことにしましょう。卒業後に改めて請求する、という事もしません。どうでしょうか?」
「い、一之瀬さん。ちゃんと考えてね、これは大きな問題だよ。確かにクラスメイトを守るって言うのはすごく大事な事。でもここでこれを受け入れたら、凄まじい損害になる。まだ一年生の半ばなのに、もう挽回は出来ないんだよ。次は無くなるの、永久に。不必要な存在を切り捨てる選択は、選ばないといけない事だってある。一番大事なのは自分でしょう? 本質的には自分さえ助かればいいと思ってる。それが人間だよ。友達なんて言っても、いなくって数ヶ月すれば傷も癒える。死んじゃうわけじゃないしね。でもAクラスになれなかったらその傷は一生引きずるんだよ」
先生の必死の言葉に、一之瀬はビックリしているようだった。さっきまではクラスの生徒を守ろうとしていたのに、cp移譲の話になった途端に切り捨てる選択を選んだ。それは正しいとは思う。仮にこれが本当の審議で、一之瀬がそういう選択をしても私はそれを是とするだろう。一人を退学させて、お咎めなしに出来るならするでも良いはずだ。でもそれを教師が言うのは違うだろう。誰かを切り捨てる事を是とする選択なんて、教師が絶対に生徒に進めてはいけないもののはずだ。
真嶋先生は瞑目したまま動かない。柴田もいきなり切り捨てられそうになって唖然としている。真澄さんは呆れた顔でお茶を飲んでいた。南雲は心底どうでも良さそうな顔をしている。私は一口お茶を飲んで、口を開いた。
「それはそういう人生しか送れなかったあなたの問題ではありませんか? 仮にここで一之瀬さんがもう勝ちを得られない選択をしたとして、それを引きずって生きていくかどうかは一之瀬さんやBクラスの皆さんにしか分かりません。あの時勝利は出来なかったけれど、それでも誰かを切り捨てなかった自分を誇りに生きていく事だって出来るはずです。そういう人生を選べなかった自分の悲しみを、誰かに押し付けているだけではありませんか? あなたを見ていると、失礼ですが子供を人形にする母親を想起させられますね。自分が勝利できなかった悔しさを、生徒を使って晴らそうとしている。それはただの代償行為にしか見えない。生徒が成長のために教師を利用する、その過程の中で教師も成長する。それが正しい姿のはずです」
私はそう言ってお茶を飲む。
「哀しい人生ですね。私は自分の人生が幸福だったとも、素晴らしいモノだったとも思っていません。むしろろくでもない人生を歩んだ、地獄に行くべき人間だと思っています。けれど、そんな私ですら、自分よりも大事な存在がいるという気持ちは理解できます。家族、恋人、友人……そういう存在がいる気持ちを知っています。そういう存在に、自分よりも価値を置き、自分よりもその人が幸せであって欲しいと思う気持ちを理解しています。人間の本質は自分だけ助かればいいと思っているなんて、そんな哀しいことは思っていません」
私は不幸で良いからあなただけは幸せになりなさいと言って、若き日の母は息を引き取った。私を守り、その幸せだけを願って、その末に身体を壊して。我が子だけは助けてくれと懇願しながら、私に撃たれた者がいた。自分がどうなっても愛した存在の情報は渡さないと啖呵を切った者がいた。友のためならばと命をなげうった者がいた。
確かに、彼女の言うように自分だけが助かりたいと叫ぶ者の方が多い。それでも、人間の本質はそうであると決めつけるには、そう叫ばなかった者の数は多すぎる。人間の本質なんて、簡単には決められないし、簡単には分からない。けれど一つだけわかることがある。
「自分だけ助かればいいと思っているのは人間では無く、あなたの本質ではありませんか?」
「十年ちょっとしか生きてないくせに、何が分かるのよ!」
「二十数年生きて、そんな哀れな答えにしかたどり着けない人よりは、分かっていることが多いと思いますけれど。私は今の生活で自分の時間はあまり多くありません。自分のことより誰かのために使っている時間の方が、統計的には多いと思います。でもそれで良いと思っています。部屋に帰った時お帰りという声があって、作ったご飯に美味しいと言ってくれるだけで、私には十分ですから」
呆然としたまま、高校時代のまま時間の止まってしまった大人は椅子に座る。横に座っている真澄さんが、私を見ながら口をパクパクさせていた。
「さて、一之瀬さん。話がズレましたね。元々あなたに話しているのでした。あなたはクラスの全権を任されてここにいる。である以上、あなたの決定が全てです。どうしますか、私の提案を受けますか? それとも柴田君には退学して頂きますか。私はどちらでも構いません」
「……クラスポイントは大事だし、勝ちたいという想いもある。でも、私は勝利よりも、誰かを失わなかったという事を誇りにしたいと思う。切り捨てた痛みよりも、守れた喜びの方がきっと大きいと思うから。諸葛君の提案を受けます」
「よろしいのですね? 後で取り消せと言ってもどうにもなりませんよ?」
「大丈夫です」
「分かりました。生徒会長、一之瀬さんが同意しましたので、先ほど真澄さんが出した条件で合意します」
「良いだろう。一応俺からも再度確認だ。Bクラスは賠償金として生徒の持っているポイントの9割を供出する。そして今現在保有しているcpをAクラスに移譲、今後特別試験等あらゆる方法で当該クラスに与えられたcpは全て自動的にAクラスに移譲される。その代わり、諸葛は以上を以て破損された物品の賠償金とし、この件を一切蒸し返さない。これで双方構わないな」
「私は構いません」
「Bクラスも、構いません」
「了解した。では双方の合意がなされた事により、本審議はこれで終幕とする。同条件は本日より速やかに実行される。以上だ」
「「ありがとうございました」」
一之瀬と私が同時に頭を下げて、審議の幕が引かれる。呆然としている星之宮先生を引きずりながら一之瀬と柴田は退室していく。上手く行ったことを確認するように、私の顔を見て一之瀬がアイコンタクトを取って来た。それに小さく頷いて返答とする。かくして、cp移譲作戦は終了した。ついでに大量のppも入って来たので、これで戦略が広がる。
「諸葛……」
「ご学友について仰りたいことがあるのは理解致します。ですが、私は何か間違ったことを言いましたでしょうか? 星之宮先生の行いがもっとしっかりしていれば、私は何も言うことはありませんでした」
「……そうだな」
「先生、おかしいとは思いませんか? 星之宮先生の思考は普通の教師ではありえない。ここがいくらおかしい場所とは言え、あれが何をどう考えても道義的におかしいのは分かってくださるはずです。先生だって、ずっとここにいたわけじゃない」
「諸葛、お前は何を……」
「それは言えません。私は先生を信頼できない。信頼したいですけれど、出来ないんです。何故なら、あの星之宮先生と同じ時間を過ごしていた人だから。私は切り捨てられたくありません」
「……」
「先生が本当に生徒の未来を考えて向き合ってくださる日を、私はいつでもお待ちしています」
私の言葉に戸惑いと懊悩を見せながら、真嶋先生も退出していく。これで彼の固定観念のようなものは少し破壊されたはずだ。少なくともこれまでと同じではいられないだろう。自らの行いは正しいのか? という疑問符が彼の行動に付きまとう。それは、彼をこちら側に引きずり込む第一歩だ。なんで先生の面倒も見ないといけないのか意味が分からないが、それでも同じクラスの運命共同体になったという意味では、彼もある意味で私の生徒なのかもしれない。
ともあれ、作戦は成功した。後は頃合いを見て柴田をこっちへ引き取れば完璧だ。流石に今日やると星之宮先生がぶっ壊れかねないので、もう少し日を置くことにする。ペーパーシャッフルは八百長でどうにかなるし、後は全く問題ない。他クラスがこれにどう反応しようとも、最早あまり問題ではない。
元々のcpは
A:1489
B:643
C:362
D:202
であったが、これにより
A:2132
B:362
C:202
D:0
となった。なお、Bクラスは龍園のクラス、Cクラスが堀北のクラスである。Bクラスとの差は5.8倍、Cクラスとの差は10.5倍だ。来月からは各生徒に21万3200ppが入って来る。9割徴収すれば19万1880となる。柴田を月末に移籍させれば41人となり、合計で786万7080ppが回収できる計算だ。
そして来月にペーパーシャッフルが実行されれば、cpは2232となり、各生徒には22万3200ppが入って来る。9割回収で20万880ppとなり、41人から回収すれば823万6080ppとなる。11月と12月に1610万3160ppが回収可能な計算だ。Bクラスからの回収金と柴田移籍の余りを使えば、12月でもう一人くらいは移籍させられるかもしれない。そうなれば1月初頭の回収額は843万6960pp。全然目標には足りないが、悪くないペースではある。この額をキープしただけかつ、残りの学校期間毎月回収すると2億ppにはなる。それだけでも目標の25%は自前で回収できる。仮に移籍金額が半分なら50%になる。移籍してきた数が増えれば、回収額も増える。悪くない計算だ。
「じゃ、じゃあ私は先に戻るから……」
「あぁ、はい。鍵です」
真澄さんもさっさと逃げるように帰ってしまう。場にはやっと終わったという顔の南雲と私だけが残された。
「終わったな」
「えぇ、ご協力ありがとうございました」
「いきなり取り乱したもんだからビックリしたぜ、まったく。何があったんだか知らないが、あんなところでグチグチ言って挙句の果てに生徒に論破されてるんだ、しょうもないな。実力主義を言うなら教師も実力派を揃えてこいって話だ」
「まぁ辛い過去がおありなのでしょう。……とは言えそれはあんな態度を取って良い理由にはなりませんが。少なくとも人を導く仕事にいる以上は。あぁとは言え、この学校の教師は人を導きはしませんけれど」
南雲は同意するように鼻を鳴らす。
「お前、自分よりアイツの方が大事なのか?」
「アイツというと、真澄さんですか?」
「それ以外に誰がいるってんだよ、今の状況で」
「それもそうですね」
「で、どうなんだ」
「……どう、でしょうか。流石に彼女のために死ねと言われたら躊躇しますが、自分の出来る限りのことで喜んでくれるなら、そうしたいとは思います」
「お前と神室、どっちか退学になりますっていう試験が来たらどうする」
「それは私が退学すればいい。その時にはきっと、彼女は一人でも大丈夫でしょうから」
「そうか」
南雲は呆れたようなため息を吐いて、椅子に深く腰掛ける。そして置いてあったお茶を飲み干した。
「お前の言っていることは間違っちゃいねぇな。人間の本質なんざ、そう簡単には決めつけられない。お前の言葉を聞いて俺もそう思った。何より、あれと一緒にされるのはごめんだ」
「そうですか。てっきりあなたは同じような事を思っていると考えていました」
「失礼な奴だ。だがまぁ、それも事実だな。今は少し、変わりつつあるが……」
「それは何より」
「お前は、自分よりも大事な存在がいるという気持ちと言ったな」
「えぇ、言いました。それが何か?」
「それを今この学校ではアイツに抱いていると」
「そういう事になるんでしょうかね」
「お前、そういうのをなんて言うか知ってるか」
「?」
「世界はそれを、愛と呼ぶんだぜ」
彼はキメ顔でそう言った。