ようこそ孔明のいる教室へ   作:tanuu

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閑話 6.5章

<居場所 side神室真澄>

 

 Bクラスの併合案を出したのは、私たちのグループだった。どうしたら他のグループを説得できるのか、それだけを考えていて、その末に生み出されたアイデア。それがBクラスを併合するというモノ。敵の対処が面倒なら、敵で無くしてしまえばいい。敵じゃなくする方法は同盟が一番楽だけれど、同盟するための材料が乏しい。そうであるならば、同盟よりももっと直接的に、敵を消滅させられれば良い。そういう考えに至った。

 

 消滅と言っても、全員退学させるのは現実的じゃない。そこでふと思ったのだ。全部こっちに移せればいいのではないかと。戦力増強と敵の消滅を同時にこなすことが出来る。これならば、十分に他者を説得することが出来る。まだ粗削りではあったけれど、このアイデアはグループ内の話し合いを通過し、そしてクラス内での投票も通過した。かくして、私たちのクラスは大元に私が存在する作戦の元、動き出した。

 

 そしてその一環として、私は一之瀬との会談に臨んでいた。私の部屋で密かに行われた会合。空間には紅茶の香りが漂っている。話し合いはおおむね順調に進んでいた。一之瀬も神崎も驚愕しながら、驚嘆しながら、それでもこちらの話しを蹴るような仕草は見受けられない。つまり、結構乗り気という事なのだろう。元々、相手を説得できる用にグループ内で話し合いを続けてきた。生半可な論点では反論できないように。

 

 順調、そう何も問題はないはずなのだ。それなのに、心の中で何かが蠢いている。

 

「私と共に来ませんか?」

 

 その言葉が私の中にあった黒い感情を突き動かす。気付けば、彼が一之瀬に差し伸べていた手を払いのけている自分がいた。咄嗟の事に困惑している彼の顔、何かを察したような一之瀬の顔、そして私自身は自分の行動が自分では理解できないでいた。こんな時にこんな事をするべきでは無いのは当然理解している。それなのに、自分の手は言うことを聞かず、まるで自分の理性以外の何かに従うように動いていた。

 

「どうしました?」

「む、虫がいたから」

「え、ちょっとマジで!? どこ行きました?」

 

 怪訝そうな顔をしてくるその目には、動揺と共に心配の色があった。体調でも悪いのかと案じている顔。その瞳が余計に罪悪感を刺激する。適当な苦し紛れの言い訳だったけれど、彼はそれに乗ることにしてくれた。

 

 その後普通に怒られた。それは全面的にこちらが悪いと思っている。思っているのに、こういう時どういう顔をしたらいいのか分からないまま、結局不貞腐れたみたいな態度を取ってしまう。迷惑をかけるなんて、信頼してもらっている身としては失格も良いところだろうに、それでも上手く自分の行動をコントロール出来なかった。

 

 部屋に戻って、自己嫌悪に陥る。思えば、怒られた事なんて無かったかもしれない。小中学校では手のかからない子として生活していた。先生に怒られた事なんて、一度も無い。もちろん忘れているだけで何か注意された事はあるかもしれない。まぁ友達を作りましょうくらいは言われていたけれど。それでも今日みたいな注意を受けたのは初めてだった。

 

 ここに来てから、初めての事ばかりだ。この訳の分からない学校についてでは無くて、自分の身の周りについて。もう辞められなくなっていた、自傷行為にも似た万引きを強制的に停止させられて、そこから怒涛のような日々を過ごして。毎日課題に追われながら、特別試験とかクラスの諸々のために走り回って。その日々は間違いなく大変だったけれど、これまでの無味乾燥な日々よりもずっとずっと輝いていた。

 

 銃口を向けてくる意味不明な人に信頼を抱くなんてどうかしているのは理解していた。でも、それでも私にとっては初めての居場所だった。他の人に言えないことも、そもそも秘密を抱えている同士だからこそ言える。今まで誰も、それこそ両親ですら見てくれなかった自分の事をずっと見てくれる。考えてくれる。思春期に与えて良い存在じゃないだろう。それに、割と顔も好みだった。

 

「随分と浮かない顔ですね、神室さん」

 

 次の日、教室で昨日の事を思い出しながらため息を吐く私に、話しかけてきたのは坂柳だった。彼に随分と警戒されている彼女は、今のところはかなり大人しくしている。Bクラス併合計画についても割と面白そうだと言って協力してくれていた。まぁここで損害を出すような行為をすると、今まで勝ち続けてきたAクラスのクラスメイトは坂柳を尊敬しなくなるだろうから、それは正しいと思う。今のご意見番的な立ち位置が一番クラス内での特別性を出すのに向いていると気付いたのだと、私はそう考えていた。

 

「いや、別に……」

「諸葛君以外には塩対応ですね。それとも、私だからでしょうか?」

「そんなわけじゃないけど。誰だってあんまり気分が良くないことはあるでしょ?」

「それはその通りですね。しかし、私の見立てでは、あなたのそれは体調不良ではない。Bクラス併合計画が通過して、それからあなたの調子は段々と悪くなっているように見受けられます。私はその原因に心当たりがある。どうですか? 自分が本調子でないという自覚があるなら、私の話は聞いておいて損はないと思いますが」

 

 その誘いに乗るのが正しいのかは分からなかった。けれど、今彼女が私に対して何かをしてくるとは思えない。クラスにマイナスな行為をすれば自分の立場が危ういこともしっかり分かっているだろうからだ。それに、もし何か万が一にもマズいことになった場合だって、きっと助けてくれる人がいる。なら大丈夫かな。そう思って、私は彼女の誘いに乗ることにした。

 

 移動したのは中庭。普段はそこまで人のいない場所。お昼休みなので時間はあるから、ここで話すというのは悪くない選択だった。

 

「そのお弁当も随分としっかり作られていますね。それも諸葛君が?」

「そうだけど……あげないわよ」

「別にそういう意図で言ったわけでは無いのですが……私は御覧の通り小食ですので」

 

 彼女の昼食は多く見積もっても私の半分くらいの量しかない。こんなところでも女子力の差を見せつけられているような気がした。大食いの子なんて、あんまり女子っぽくないだろう。

 

「それで、何なのよ」

「そうですね。取り敢えず単刀直入に言った方が良いでしょうか。神室さん、あなたは自分の居場所が奪われることを恐れてはいませんか?」

「……は?」

「その表情は図星のようですね。なんで、という顔ですが見ていれば分かります。四月頃のあなたはあまり周囲と交流しようとしなかった。まさに孤独です。ですが、私の経験上真に孤独を望んでいる存在はそこまで多くありません。色々な事情で孤独になっている存在は、自分の居場所や理解者を求めている傾向にあります。そしてあなたにとって諸葛君はまさにそうだった。それは、あなたが彼と行動を共にするようになってからの態度や言動、周囲との接し方などを見ていれば分かります」

 

 すらすらと語られるのは、彼女がいかに自分を観察していたか、だった。素直に恐ろしいと思う。彼女は彼だからこそ抑えられているのであって、もし普通の生徒だったら抑えるのには相当な苦労をしていたか、無理だった事だろう。

 

「どうして、私の事なんて……」

「その潜在的な自己肯定感の低さも、あなたが居場所を求めている事の証左ですね。自己肯定感が低いからこそ、自己を肯定してくれる存在を求めている。まぁあなたの場合、相手がちゃんとした相手だったので、甘い言葉を囁くのではなくしっかりあなた自身の価値を高めてくれたのは僥倖だったでしょう。それで、なぜあなたを見ていたか、ですか。それは簡単です。あなたは興味深い存在でした」

「私が?」

「えぇ。私がこんな事を言うのは大変業腹なので是非本人には黙っていていただきたいのですが、諸葛君は優秀です。それも、私よりも。認めたくないですが、敵を知り己を知ればと言うように、ここは素直になるしかないでしょう。それで、その彼があなたをずっと重用している。使い勝手で言えばもっと良い生徒はいるにも拘らず。その理由を探していたのですよ。その結果、あなたの不調に気付けるまでに至った」

 

 その帽子の下から覗く怪しい瞳が私を捕らえている。ちょっと怖いとも思った。しかしやはり彼が警戒するだけのことはあるのだろうとも思った。でもよく見れば、他クラスを攻撃する案を立てる際に見せたあの狡猾な、他者を貶めることに喜びを感じているような雰囲気は感じない。

 

「あなたは居場所を失うのを恐れている。同時にそれに無自覚であった。だからこんなにも動揺しているのでしょう。気付いていないかもしれませんが、あなたの箸はずっと止まったままですよ。そしてあなたが恐れているのは一之瀬さんでしょう。他は正直脅威になり得ない。私が言うんです、間違いありません。Bクラスにあなたの立場を脅かせる存在がいるとすれば、それは一之瀬さんに他ならない。だからあなたはそれを恐れた。どうでしょうか?」

 

 ふと、頭の中に空想の映像が流れた。Aクラスの室内で、彼が前に立って話している。いつもは私が横にいたけれど、その景色では、そこに一之瀬が立っている。葛城が実直に意見を述べ、坂柳が滔々と演説している、いつもの光景。違うのは私がいないという事。その景色は容認しがたいもののはずなのに、どうしてだろう、お似合いだと思ってしまった。

 

 弁舌と実績を以てクラスメイトを動かす君主の横に、穏やかで信望の厚い宰相が侍る。クラスのリーダーをしているよりも、一之瀬はずっと精神的にも楽そうに見えた。二人で手を取り合って、そうやってクラスを運営して。なんとも理想的な光景だろう。そして、そこに私の居場所は、あるはずも無かった。

 

 狂おしいほどに腹立たしく、絶望的なまでに周囲からしてみれば理想的な、そんな光景。自分の居場所はもうきっと、そこには無いのだ。元々、今の関係性、今の地位がおかしいだけ。前までそうだったように、私はまた一人孤独の中に戻るだけなのだろう。そんな事はもう出来ないと知っているのに。孤独の痛みも、一人の苦しみも知ってしまった。出会わなければ知らずに済んだ感情に、私は振り回されている。歪と知りながら、歪んでいると知りながら、私はもう戻れない。

 

「お加減が優れませんか」 

「誰の、せいで……」

「あなた自身のせいですよ」

「……は?」

「私はただ、あなた自身の恐れについて聞いただけ。あなたが何を想起したのかは分かりませんが、その景色はあなたが作り出した幻に過ぎない。あなたは勝手に苦しんで、勝手に吐きそうになっている。遭ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり。権中納言敦忠がそう言っているままの状況でしかないでしょう」

 

 それだけ言うと、彼女は静かにサンドイッチを食べた。持っていたペットボトルの紅茶を呑み込んで、そして彼女はもう一度こちらを向く。

 

「本当に一之瀬さんはあなたの代替品足り得るのでしょうか」

「どういう事?」

「確かに、一之瀬さんは多くの点で優れています。人格、人望、学力、思考力、行動力、成果、プロポーション。これらの多くが、或いは全てがあなたよりも上かもしれない」

「煽ってる?」

「いいえ。ですがそれでも、彼女はきっと諸葛君には心から信頼されないでしょう。能力的に信用はされるでしょうけれど、それでも信頼はされない。その一点において、あなたは一之瀬さんに絶対的な勝利者たれる。この学年、或いはこの学校で最も優秀な存在に選ばれたのは、彼女でも葛城君や私でも無く、他ならぬあなたです」

「どうして、そんな事が言えるのよ」

「彼はあなた以外に敬語を崩そうとしない。にこやかに、人当たりはよく、誰もが信じたくなるような美麗な表情を崩さない。それは同時に、我々全員に対し平等に心を開いていない証。けれどあなたは違う。あなたにだけは砕けた言葉で、態度で接している。見ていればこの程度、誰でも分かるでしょう。私が人間感情の機微に敏いとはあまり思いませんが、それでも理解は出来ます」

「……」

「もし不安ならば聞いてみればよいでしょう。私をどう思っているのかと。きっとそう悪い返事は帰ってこないと思います。まぁあのクソボケ男の事ですから中途半端極まりない返事を返して来るでしょうが、そこで押し込めば大体どうにかなります。自分を他の生徒とは違うベクトルでは考えないといけない存在と言う定義に当てはめさせることが、勝利への秘訣ですね」

 

 優雅に語るその口調に、私は唖然とした。内容に関しては納得できるところが多いので別に構わない。唖然としたのは、そんな事が彼女の口から出てくるとは思えなかった。私を揺さぶるだけ揺さぶって楽しんでいるのか、そこに付け込んで自分の勢力下におきたいのか、どうせその辺じゃないかと疑っていたけれど、それは間違いだったのだろうか。

 

「なんで、そんなに色々助けてくれるわけ?」

「あなたと親密にしておくことは彼への楔になるという側面が一つ。Aクラスの人間として、Bクラス出身の一之瀬さんに大きい顔をされるよりは元々同じクラスだったあなたが前にいた方が良いと思っているのが一つ。そして何より一番大きいのは、毎日毎日関係性が不明瞭な男女の会話を聞かされるのにいい加減辟易してきたのが一つ。聞いていて腹立たしいですね、主に諸葛君の行動と言動が。お互いに好意があるならそれで良いじゃないですか」

「いや、それは脳筋すぎるでしょ」

「はいはい、どうせ私はフラれた女ですよ。ですが疲れるのは事実なので。このまま放置していると三年間ずっと同じままずるずる引きずりそうですからね。それは私の精神衛生上よろしくない。さっさと解決して万全の状態になってもらわないと、私としても挑み甲斐が無いですし」

「挑まなくても良いと思うけど……」

「ともかく! 一之瀬さんはあなたの代わりにはなり得ないという話でした。ご納得いただけましたか?」

「まぁ、一応」

「とは言えご注意くださいね。あくまでも私の勘ですが、あの手の方はどうにも心を許すとズブズブと染まってしまう可能性が高い。勝手に恋心を募らせるだけならまだ良いのですが、得てして自分以外を排除する攻撃型に転じかねません。なまじ能力がある分厄介ですね。ああいう顔で、欲しいものを手に入れる際に手段を択ばないタイプと見ました」

「そうは見えないけど……」

「いえ、分かります。何となく、そんな感じがあるんです」

「自分がそうだからじゃないの?」

「失礼ですね。そんなことは……ないはずです」

 

 坂柳自身についての事はあんまり信用ならない語り口だった。とは言え、ちゃんと論理的に、私の居場所が失われない事についての説明をしてくれているのは理解できる。坂柳の言った理由が本心なのか、それ以外にも何か理由があるのか。それは私には分からない。けれど、今は素直に受け取ることにした。あまり優れているとは思わない自分の頭脳だけれど、坂柳の言葉を受け取ることに対する問題点は見つけられなかったから。

 

「坂柳」

「はい」

「ありがとう。一応、その、助けてくれたわけだから」

「クラスメイトの手助けをするのは当然の事ですよ」

「白々しい声と顔」

「まぁ失敬な。主従は性格も似るのでしょうか」

「そんなわけ。てか、アンタ振られたの? 誰に? 結構可愛いところあるじゃん」

「内緒です」

 

 彼女はしまったというように顔をそむけた。

 

「クラスの人? それともクラス外? 先輩?」

「黙秘します」

「自分の件はだんまりって、そうはいかないでしょう。ほら、話しなさい。どうせストーカーみたいに観察して、いきなり告ったんでしょ。自分が可愛いからフラれないと思ってさ」

「いや、そんな、ことは……」

「え、マジでやったの……?」

「なんでそうなるんですか!」

 

 坂柳という生徒について、私はよく分からない事の方が多い。警戒した方が良い相手なのは理解している。あまり性格が良い方ではないことも、理解している。彼が注意を払っている以上、決して優秀なだけの存在ではないことも知っている。確かにあまりお世辞にも良い人とは言えないだろう。けれど、そういう存在でも決して悪性だけで存在しているわけでは無いのだと、改めて思えた。

 

 考えてみれば当たり前の話だろう。悪人だって善行をするし、善人だって悪行をする。人間なんてそんなものだ。彼も私もそうであるように、きっと坂柳も変なベールとか偏見とか性格の悪さを剥ぎ取れば、ただの高校一年生の女の子でしかないはずだ。

 

 彼女の事がちょっと好きになれた気がした。同時に、自分の進むべき道、やるべき事も少しは見えた気がする。いくら一之瀬が私の代替になれずとも、選ぶという可能性を考えさせないためには、私自身が努力しないと意味はないのだろう。

 

「やるべき道、見えたかも。取り敢えずこれからも努力することにする」

「そうですか。それで構わないでしょう。ついでに私の事も忘れてくれると助かりますが……」

「それは無理かも」

「はぁ……。まぁ顛末が悲劇だろうと喜劇だろうと、観覧は続けてあげますよ。頑張ってくださいね。自分の居場所は自分で守る。自分の恋は自分で貫く。それが淑女の在り方というものでしょう」

 

 いつもそうしていれば、もっとカリスマ的な存在でいられただろうにという顔で、彼女は微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

<優しさ side坂柳有栖>

 

 私は一体どうすればいいのだろうか。自分の行動に悩んだことはいつ以来か分からない。けれど、私は今確かに悩んでいた。自分の未来に、これからについて。

 

 体育祭の後のあの時、私は確かに綾小路君にフラれた。それは愛憎全ての籠った告白だったけれど、彼は私を歯牙にもかけず、そして無慚にも置き去った。あれから少しの間、私は彼を憎んだ。そして彼の心を奪い去った諸葛孔明という男のことも恨んだ。けれど、時がある程度経ち、そして私が少しだけ冷静に自分の事を観察した時、綾小路君のいう事が正しいことも理解できてしまった。

 

 私は何も成し遂げていない。Aクラスに配属されたというだけで、何かを成し遂げたのだろうか。特別試験には今のところ全て不参加で、体育祭も座っているだけで。私が成し遂げた具体的な成果など何もない。それでも与えられた場所で何とか成果を上げようと、諸葛君主催のディスカッションではしっかり考えた。それでも私の案は敗北した。それも、彼の教え子である神室さんの手によって。

 

 とどのつまり、私は諸葛君はおろか、その教え子にすら負けたのだ。屈辱であり、拭えない敗北感が私にまとわりついた。それでも同時に、仕方ないと思えた自分がいた。勝利することで、他者を踏みつけることで自分の存在意義を保ってきた。弱く動けない自分が他者に踏みつけられないようにするには、私自身が踏みつければ良いのだとそう思って。そしてそれはきっと、正しくなかったのだろう。踏みつけるだけでは生み出せないモノがあって、それによって神室さんは強くなり、私は何も出来ないままだった。

 

 結局、私はだれか自分のために動いてくれる存在がいなければ何も出来ない、そんな人間だったのだろう。夏休みに恨みを買う恐ろしさを知り、秋に己の無力さを知った。私に残されたのは何なのだろう。確かに成績は良い。ただそれだけの女が私だった。葛城君とは違い生徒会役員という付加価値も無い。かつて己が蔑んだ存在に、いつしか自分がなっていた。

 

「私はどうすればいいのでしょうね」

「何をいきなり、どうしたんだ」

「いえ……独り言です。忘れてください」

 

 Bクラス併合案について話し合った後の教室で、私はそんな事を不意に呟いていた。私の言葉を聞いた葛城君は不審そうな顔をしている。

 

「そう言うわけにもいかないだろう。クラスメイトが困っているのだというのに、無視は出来ない」

「てっきりあなたは私が嫌いなのかと思っていましたが」

「いや、そういうわけではないんだがな。諸葛にも前に似たようなことを聞かれたが、別に俺はお前が嫌いなわけではない。ただ単に、クラスの矢面に立ち、誰かに恨みを買うのならお前より俺の方が良いだろうと思っただけの事だ。万が一のことがあった場合、俺ならば抵抗できるからな」

「……そうですか」

「お前はそれを憐れみと思うかもしれない。確かに、そういう見方も出来るだろう。だが俺はお前を憐れんでいるつもりはない。むしろ認めているからこそ、余計に恨まれる可能性を考慮しているつもりだ」

「いえ、そんな事は思っていませんが……」

 

 憐れみと優しさ。その違いは理解しているつもりでいる。優しさは苦手だ。自分にこれまで向けられてきた優しさは、憐れみを多分に含んでいた。動けない私が可哀想。身体の弱い私が可哀想。大変な想いをして可哀想。そんな自分が優しい人であると思われたいがための優しさに、これまで触れてきた。真心の籠った優しさなど、親などごく少数からしか受けたことはない。

 

「お前がこれからどうすればいいのかもどうしたいのかも、俺はよく知らん。だが、俺は少なくともこの学校では学び続けるつもりでいる」

「学ぶ?」

「そうだ。俺は最初、知っての通りクラスのリーダーになるつもりでいた。諸葛にはそれを手伝ってくれればいいと思っていた。だがそれが思い上がりであると、無人島や船上試験で思い知らされ、そして今もそれは続いている。神室と協力して今回の併合案を作成したが、それで全く上回れた気分にはなれないな。実働は結局、諸葛任せになっているのだから」

「では、葛城君も……」

「も、という事はお前もそうなのだろうな。俺たちは恐らく気が合わないが、この一点に関しては同じ感情を抱ける。俺たちは諸葛に負け、己の無力さや矮小さを知った」

「……」

「だからこの学校にいる間は諸葛に学ぼうと思っている。幸い、先生をやってくれているからな。生徒が学ぶことを拒んだりはしないだろう。どう振る舞うのが良いのか、こういう時にどう考えれば良いのか。そういう事を俺は学ぶつもりだ。そしていつか、正々堂々と諸葛に対峙できればそれで良いと思っている」

「随分と気が長い話ですね」

「あぁそうだな。だが、人生は決してこの学校の三年間で終わりでは無いだろう? これから先もずっと、長い間続いていく。お前だってそのはずだ。三年間で終わりという事はないはずだ。ここではお前が諸葛に勝つことは難しいかもしれない。だがもしお前が何かしらで勝ちたいなら、今は雌伏の時として振舞い、もっとこの先の人生で挑めばいいだろう」

「私が、彼に学べと?」

「それはお前の自由だが、何かを変えたいなら行動しない事には変わらない。まずは周囲に優しくしてみればいい。打算があろうと無かろうと、結局は結果が大事だ。お前は知恵が回る。心を読むのも上手い。相手に対し真摯に向き合い、話し合う。対等な相手としてな。そうすればお前を信じ、優しさや友情を抱く人間も増えるだろう。そういう小さなところから進んで行くしかないんじゃないのか。俺も、お前も」

 

 それは全くの正論だった。痛々しいまでに正しい言葉の羅列だった。論戦で負けるとはこういう気分なのかと思い知らされるくらいには、苦々しくも正しい言葉だった。今勝てないなら、勝てるように努力するしかない。そんな事は分かっている。

 

 いや、きっと分かっていなかった。分かっていたけれど目を逸らしていた。だからこそ今こうして突き付けられている。

 

「諸葛も完璧人間ではない。諸葛の手が回らないところを、お前が動けばいい。そうしているうちに、少しずつだが学べることもあるんじゃないのか。有栖の栖は住処という意味だろう? Aクラスの生徒が、精神面で居所となれる存在になればいい。諸葛は前に引っ張る力はあるが、寄り添うのは得意かどうか分からないからな。それに、女子にしか分からないこともあるだろう」

「……」

「お前にとってすれば、同学年の人間など全て知能レベルの劣った存在に見えるのかもしれないが、それはお前の評価軸が乏しいせいだろう。人にはそれぞれの強みがある。お前に出来るが人に出来ないことがあるように、人には出来るがお前に出来ないことがある。当たり前の話であり、ただそれだけの分かりやすい話だ。お前に必要な事は、もっと他人を見る事だろう」

 

 友人など、作ったことが無かった。これまでの人生で、私は周囲の人間に対し、どうしても知的レベルが合わないからと歩調を合わせる事が出来ずにいた。それでも良かった。誰かを駒として、道具として使うことで、私は生きていく事が、優秀な存在でいる事が出来たのだから。

 

「確かに、私には友人などいませんでしたが」

「そうだろうな。悪口とかではなく、そうだろうと思っていた。だがな、個人的な意見だが、誰も必要としないという事は、誰からも必要とされないという事の裏返しでは無いか?」

「随分と……敵に塩を送ってくれますね」

「俺はお前を敵とは思っていない。関係性はどうあれ、共にAクラスの生徒であり、共に諸葛の教え子であり、共に卒業を目指す身だ」

「……そうですか」

 

 何かを変えるには、自分から行動しないといけない。葛城君の言う事はすべて正しいのだろう。自分がどうするべきかの答えは、もう手に入れていた。自分だけが強くなるのではなく集団を強くして勝ちあがる。それこそが真の勝利だと綾小路君は言っていた。それが綾小路君の想う勝利基準ならば、私がそれに従って挑まない限り、彼は自分の敗北を認めないだろう。

 

「お前は他者のことなど路傍の石にしか思っていなかったのかもしれないが、お前は自分が思っている以上に他者から影響を受けているだろう。他者から影響を受けることは決して敗北ではないし、誰にでもある事だ。それこそ、諸葛にだってあるだろう。偉そうに言ってしまったが、そういう意味ではお前も俺も変わらぬ一人の人間だ。そこに、何の違いもありはしない」

「そうかもしれませんね。いえ、きっとそうなのでしょう。どうも、お時間を取らせました」

「構わない。俺はクラスメイトとして、ただ意見を述べただけだからな」

 

 私は綾小路君に勝つことを諦めてはいない。それは同時に、少なくとも諸葛君と互角以上にやり合えないといけないことを意味している。そのためには、綾小路君の信じる価値基準での成果を、私が挙げないといけないのだ。結果が大事であり、動機は横においておけると葛城君は言った。ならば、私のこの動機であろうとも、クラス内での貢献を積み重ねればいつかは――――。

 

 私は生涯、勝利することは出来ないのかもしれない。それでも可能性がゼロでは無いのだとしたら。まだ、未来は定まっていない。それが数少ない、私の希望だった。取り敢えずまずは、最近不調の神室さんに声をかけることにした。その理由には察しがついているし、一番最初に接触するなら彼女が良いだろう。

 

 それに、どういう訳か、彼女とは仲良くなれる。そんな気がする。

 

 

 

 

 

 

<浸透 side大陸>

 

 中華人民共和国四川省成都市武侯区武侯祠同街。同国西部軍管区軍司令部兼特殊作戦旅団白帝会本部。諸葛孔明の率いる部隊の本部では、日夜構成員が軍務に明け暮れている。世界の様々な場所で、時には軍人以外として活動している四千人の上級構成員と、その下にいるもっと大規模かつ自分がその組織にいる事を知らない下部構成員。それがこの組織の全貌だった。建物中央、司令官執務室では代行の副司令が業務を行っている。その戸が叩かれた

 

「どうぞ」

「失礼します。報告が上がりました。ご命令通りの内容となっております。ご確認を」

「どうも。……良いでしょう。こちらのシナリオ通りにお話しして貰えたようですね」

「えぇ、それなりに苦労しましたが。日本など知らないとの一点張りでして。とは言え書類はもう作ってしまいましたからね。その通りに話して頂かない事には困ってしまう。色々と手を尽くしましたが、最後には頷いてくれました」

「身柄は?」

「第三収容所に」

「よろしい」

 

 カツカツと指で机を叩く副司令の左目には、龍の眼帯がある。とある任務で上官を守り、その輝きは永久に失われた。名前は黄雹華、階級は大校。銀色の髪がトレードマークであるが、染めただけというのが本人のコンプレックスだった。

 

「閣下は何をお考えで? このホワイトルームだかホワイトシチューだかにそこまでの脅威があるとは思えませんが」

「私もそう思ってはいます。しかし、これは優位な交渉材料になり得るでしょう? こんな人権侵害以外の何物でもない存在が日本国に、西側自由主義を謳う国家の中に存在している。それは政治的には大きなカードです。政府がつるんでいようがいまいが、放置していた・気付かなかった時点で問題化できます。この組織では多くの子供を必要とする。どうもある世代では一名を除いて全員脱落したとか」

「非効率的な組織ですね」

「全くその通り。業腹ながら、我々を教育した場所の方がまだマシだったという事です。尤も、我々がその命を全うできたのは閣下のおかげに他ならないわけですが……。ともあれ、その脱落者の()()は容易ではない。なにせ、表に出せない方法で集められたわけですからね」

「あぁ、つまりその中に我が国から誘拐された子供が混じっていてもおかしくないし、証拠を向こうは提出できないという事ですか。それはこちらの()()()行動の正当な理由になると」

「そういう事です。少なくとも、領土を要求するよりは真っ当に見えるでしょう? 同胞は救わなくてはいけない。いかなる手を使おうとも、ね」

「閣下は……第三次大戦をお始めになるつもりで?」

「さぁそればかりは。一次大戦は祖国の自由を願う一発の銃弾から始まりました。二次大戦は己の誇大妄想に取り憑かれた男の野心から始まった。もし第三次大戦がアジアから始まるなら、それは人工の天才という神の領域に手を突っ込んだ男の下らぬ野望から始まるのかもしれません」

 

 着々と情報は丸裸になっていく。ただの秘密結社と一国の正規軍。その能力にも財力にも圧倒的な差がある。今回の情報に関し人民解放軍が主導で動くことを条件に、KGB(ソ連国家保安委員会)に情報が移送されている。向こうは向こうで解析と調査を進めているだろう。朝鮮人民軍偵察総局にも共有がされている。

 

「まぁ何にせよ、作戦段階は次に移行します。ちょうど、突き甲斐のあるネタを発見したとの報告が上がっているので。相手がどの程度か確かめたいので、私も出ようかと」

「松雄栄一郎……こんな日本人が何か?」

「まだ分かりません。しかし、大きな流れの鍵を握っているかもしれない。私はそう思っています」

「小官には分かりかねますが、ご武運を」

「どうも」

 

 報告書には何人かの名前が載っている。まだこれがどう役に立つかは分からない。しかし、材料は大いに越したことはない。自分の主がホワイトルームとやらの殲滅を望むなら、それを為すだけだった。

 

「そう言えば、海軍のアナスタシア殿下は無事にご出産なされたとか。参謀長殿はさぞお喜びでしょう」

「えぇ。一応見舞いには行きましたが、母子ともに元気そうでした。喜ばしい事です」

「おやこれは意外ですな。副司令閣下は殿下の事をお好きではないと思っておりましたが」

「それは事実ですが、個人の好悪とこれとは別の話です。それに、同じ女として狙った獲物を落としに行った胆力と行動力、そして命を懸けた戦である出産に挑んだ彼女の不幸を望んだりはしません。あの銃も真っ直ぐ撃てない、人望と指揮力だけで艦隊司令をやっている彼女が息も絶え絶えに苦痛と戦っていたのです。それは尊敬するべきでしょうから」

「なるほど、それはその通りですな。閣下が海軍部を創設したことも、外部から将校を、しかも言い方は失礼ですが反動露帝の血脈たるあのような方を引き入れた際には正気を疑いましたが……結果を見れば閣下が正しかった。我々には見えていないモノが見えておられるのでしょうな」

「そういう事でしょう。ともあれ今は母子の健康を寿ぐのみ。そうだ、話は変わりますが、あなたはこれから北京でしたね。そうであれば、首席付き筆頭護衛官の陸中尉にこれを」

「畏まりました。しかし、これは一体?」

「転属命令書です。彼女には、女子中学生の護衛を担当してもらいます」

「女子中学生?」

「えぇ、この七瀬とかいう娘は、渦中の中にいる少女ですからね。先んじて保護をしておかないと」

 

 金色の髪の少女の写真をトントンと叩く。日本側でその動きをキャッチしている者は誰もいない。淑やかに、しかし確かに、作戦は進行しつつあった。諸葛孔明がポイント節約生活の中で明日の夕食作りに悩んでる間にも、着実に。




次回からは7巻の内容に入りますが、多分そこまで長くはないと思います。7巻って綾小路父と龍園の回なので、前者はともかくあんまり後者は関係無いですし……。
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