ようこそ孔明のいる教室へ   作:tanuu

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抑えられない怒りは、しばしば挑発した傷よりも私たちにより害をもたらす。

『マルクス・テレンティウス・ウァッロ』


52.パーティー

「真澄さんには、これを渡したい」

 

 私は自分の髪を留めていた簪を外して、彼女の前に置いた。数刻前、私たちの関係性は大きく変化することになった。有り体に言えば、ただの協力者或いは友人関係に近い何かから、もっと先に進んだモノになったのだ。しかしどうにもこうにもお互いちゃんとした恋愛は初心者なので、何をどうしたら良いのかは手探りなところも大きい。それでも取り敢えず、私はやるべきだと思ったことをすることにした。

 

「でも、大事なモノなんじゃないの?」

「母の遺品だから、大事なモノという事では合ってる。でも、だからこそ真澄さんに持っていて欲しい。母は亡くなる前にこれを私に託した。いつか、あなたが愛せる人で、あなたを愛してくれる人に渡しなさいと言い残して。それはつまり、君のことだから」

「だから、いつも持ってたのね」

「その通り。だから、貰ってくれると嬉しい。多分普段使いするのは物理的な重量が重すぎるから、持っていてくれるだけでいいから。何と言うか、私の気持ちみたいなものだと思ってくれれば……」

「今日から付き合い始める相手にいきなりお母さんの遺品を渡すの、普通に重いから私以外にやるとドン引きされるわよ。だから絶対にやらないことをお勧めするわね。私は取り敢えず、大事にしまっておくから」

「ありがとう」

 

 私以外にやるとドン引きされる、は多分正しいと思う。とは言え、彼女以外にやる予定もつもりもないから彼女に渡したのだが。

 

「あとは、もう一つ言わないといけない事というか、やらないといけないことがある」

「何?」

「これだよ、これ」

 

 そう言って、私は用意していたものを机の上に出す。そこには彼女の顔写真付きの履歴書。そして彼女の家族や親族の履歴書。そのデータ版が入ったメモリー。これで彼女に関する個人情報は全部だ。残りは本国に保管してあったが、それは全て消去するように命じてある。消去されたことも確認した。この世界に残っているデータは、この学校がおそらく持っているであろうモノ以外ではこれが全部だ。

 

「うわっ! 懐かしい……。最初はギョッとしたわね、これ……」

「これが君と、その家族親族のデータ。ある意味では私たちの始まりはこれなわけだけど、もうこんなものは必要ないと思うから」

 

 私はそう言って、紙を破いてその破片を流しに持っていき、そこで火をつけた。ゆっくりと炎が紙を灰にしていく。そしてメモリーも粉砕し、共々ゴミ箱に放り込む。

 

「実際はどうであれ、これがある限りは形式上私は君に命令していることになる。それは嫌だったから」

「そう。まぁ、そうね。元々健全な関係性とは言い難かったけど、これがあるよりは無い方が良いとは思う」

「取り敢えず、やるべき事はこれで終わった。遅くなったけど、ご飯にしよう」

「ちょっと、その前に一つだけいい?」

 

 彼女は台所に行こうとした私の袖を掴んだ。

 

「どうした?」

「私の情報は全部持っていかれてるわけだけど、アンタは隠してること、沢山あるでしょ」

「……」

「黙っても仕方ないじゃない。元々最初から銃口突き付けられたわけですし。だからまぁ、色々事情があるのは理解しているつもり。簡単に言えない事も沢山あって、それが私が信頼できないとかじゃなくてこっちを危険に巻き込ませないためだっていうのも理解している。ただ、これだけは約束して。絶対勝手にいなくなったりしないって。それだけ守ってくれるなら、他は何でも良いから。いつか、教えても良いって思った時に、教えてくれればそれで良い。その日が来るのを私はずっと待ってるし、そうしてくれるように頑張るから」

 

 国内で違法なモノを隠し持っている正体不明目的不明の男は、自分の恋人とするのに実に不安な人間だと思う。というか、普通は選ぼうとは思わないだろう。そう言う意味では彼女も私も正常ではなかった。それでも良いと言ってくれた事に対して何か返せるものがあるとするのならば、ここでちゃんと彼女の言葉に向き合う事だろう。

 

「約束する。私はちゃんと卒業するまでここにいるし、いなくなったりしない。その後の事はまだ分からないけれど、君が望んでくれるなら、ちゃんと迎えに行くから」

 

 私の言葉に、彼女は胸をなでおろした。その顔は安堵の表情で満ちている。

 

「そんなに私はどっかに行っちゃいそうだった?」

「かなり。いつも誰かのために頭使って、たまに無茶苦茶な事やって。そんなのばっかりだから」

「そんなつもりはないんだけど……」

「ならなお悪い。まぁさ、アンタもクラスのリーダーというか先生というかな訳だし、全ての生徒は平等に扱うべきなんだろうけど……ちょっとくらい、私の事を考える時間を作ってくれると嬉しい」

「了解」

 

 彼女は自分と両親の関係性が冷え切っていたことから、他人とのかかわり方がよく分からないままここへ来ている。そして、他人が自分を見てくれない事に慣れていた。そんな彼女が、それでも勇気を出して自分の事を見て欲しいとお願いしているのに、断るべき理由などどこにもない。

 

 これから私たちがどういう人生を歩んでいくのかは分からない。私たちの間にはまだまだ隠されたものが多く存在していて、単純に幸せな道を進めるほど楽観的な状況が取り巻いているわけでも無い。私は多くの人生を背負いながら今ここにいるし、やっていることも決して褒められるような行いではない。嘘と虚飾と悪逆で彩られた私の人生が、何事も無く幸福を成就できるような結末へ向かうとは、あまり思えないでいる。

 

 それでも、私の胸を焦がすこの愛情だけは、真実だった。

 

 

 

 

 

 翌日、私は随分と軽くなった後頭部に違和感を感じながら、学校に登校していた。いつも頭の後ろに重たい金属が二本存在していたので、その分後ろに引っ張られていたのだが、それが無くなった分身軽に感じる。それに加えて髪型をどうするのかも、今後考えて行かないといけない事だった。おろすか、縛るか、結ぶか。色々と選択肢はある。切ってしまおうとも思ったが、真澄さんは切らないで欲しいというので伸ばしたままにすることにした。今はストレートのまま下に伸ばしている。

 

「おはようございます」

 

 教室の扉を開けて挨拶したら、こちらを向いた全員がポカンとした顔をしていた。どういう髪型にするかで手間取り、時間はもうすぐHRが始まろうとしている。教室にはクラスメイトが全員揃っていた。

 

「お、孔明センセはイメチェンか?」

「まぁ、そんなところです」

 

 一瞬誰だか分からないというような顔をしていたクラスメイトは、それでも一応顔で私と判断してくれたようだ。それでも戸惑う空気がある中、橋本が私に質問する。こういう時に動けるのも、また大事な能力だった。Dクラスからの移籍者の面倒も見てくれているし、彼のコミュニケーション能力はクラスでも大事な財産だ。

 

「おや、失恋ですか諸葛孔明」

「いや、それだったら髪を切らないとですよ、森下さん……」

 

 私の席の隣から離れたと思ったら、今度は森下の近くになった坂柳は心なしか少し疲れている。杉尾が食らっていた被害が色々分散されたようで、坂柳も無事被害者となっている。確かに元々森下は坂柳寄りの存在だった。元自派閥のメンバーだし仲良くしようとしたら振り回されているのには少し同情する。今はツッコミ役という職業を得たらしい。語彙力が高いので適任だろう。

 

「坂柳さんの言う通りです、滅多なことを言わないでください。付き合って一日で失恋なんて、笑い話にもならないじゃないですか」

「「「……え」」」

「あ、しまった」

 

 場の空気が固まる。タイミングの悪いことに、お手洗いから帰って来た真澄さんが教室に入って来る。

 

「……なに、これ」

「ゴメン、バレた」

「えぇ……」

 

 困ったような彼女の声。それと同時に時間が動き出し、教室内が喧騒に包まれる。

 

「え、え、そこの二人遂に、遂に!?」

「どっちから、どっちから!?」

「おめでと~!」

「並ぶと顔がいいなぁ……」

「孔明先生から神室さんでも美味しいし、神室さんから孔明先生でも美味しいよね。確定するまでシュレディンガーだから、どっちの栄養も摂取できるし!」

「やっと付き合ったのかよぉ」

「彼女いない組には目に毒だったぜ。これからも目に毒なのは変わんなそうだけど……」

「爆発しろ……末永く……」

「推せる~」

 

 私たちはあっという間に囲まれて、その後しばらく質問攻めだった。それでも祝福してくれる声が多いのは、このクラスの民度の高さを表しているように思う。変に茶化したり馬鹿にしたりしないクラスにいる事が出来たのは、私にとっても幸運だった。これまでの人生で一番人に囲まれて目を回している真澄さんだったけれど、彼女の口元が緩んでいたのを私は見逃していない。

 

「どんなもんですか、私の手にかかればこの程度余裕余裕。あれ、もしかしてこれからずっと今まで以上になるんですか……?」

 

 ドヤ顔からいきなりしまったという顔になっている坂柳などもいるけれど、葛城は腕を組みながらウンウンと謎に頷いている。変人にも恋人を祝うくらいの常識はあったようで、森下も小さくパチパチと手を叩いていた。橋本はニヤっと笑っているし、戸塚や柴田などが盛り上がっている。こんな調子は真嶋先生が教室に来るまで続き、入って来た先生を盛大に面食らわせたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 色々なことがありつつも冬休みが近付いている。少し浮足立った雰囲気が教室を満たしていた。さもありなんと思う。八百長で終わったとは言えペーパーシャッフル関連の諸々は終わり、特に後顧の憂いなく休みに入れるのだから。お正月もあるので、イベントごとに盛り上がる気持ちは理解できる。私の場合は新年ではなく春節の方が重要なのだが、日本ではなじみのないイベントなのかあまり取り上げてくれない。爆竹なんて鳴らしたら心臓が止まってしまいそうな生徒がいるので、ここでは自粛することにした。

 

「クリパ参加希望は早めにお願いしまーす!」

「2名追加でよろしく」

「は~い。孔明先生と神室さんね。OKです!」

 

 どこのクラスにもこういうイベント好きはいるもので。放課後の教室ではメンバーリストの作成をしている。予約に必要なんだろう。交流することは大事な事なので、クラスの統率者として顔を出さない訳にはいかない。

 

「私、まだ何も言ってないんだけど」

「来ないの? イタリアンらしいけど。それに君が来ないのは寂しいなぁ」

「……行く」

 

 関係性に与えられた名前が変わったとしても、私たちの間に流れている空気感だったり会話はそこまで変化していない。少し変わったことがあるとすれば、それは多少会話の内容が変わったことだろうか。前よりは少しだけ、感情に素直な言葉を言えるようになった気がする。

 

 彼女自身も元々することないと言っていた。関係性がどうなったにしろ、勿論しっかりマンツーマン冬期講習は用意しているが、流石にクリスマスと正月くらいはお休みにするつもりでいる。受験生でも無いのだから少しくらいはのんびりしたって良いだろう。

 

 メニュー表を早速眺めている気の早い真澄さんと話していると、携帯にメールが入る。差出人は橋本。メッセージには『龍園とCクラスの抗争。メンバーは高円寺、綾小路、堀北など。姫さんが介入し始めている。休憩スペース』と書かれている。龍園がしびれを切らしてBクラスの黒幕を探し始めているのだろう。直接的な介入まで始めたという事は、我慢の限界に来たのか、軽いジャブなのか。もしくは高円寺が黒幕ではないと確信するための手段なのか。何れかだろう。どっちにしろ、綾小路が龍園の追い求める存在であると知っている私から見れば少し滑稽な動きだった。

 

 綾小路からSOSは来ていないし、何らかの介入は本来しなくてもいい案件だが、そこに首を突っ込んでいる存在がいる。坂柳は私と綾小路が繋がっていることも、親世代の因縁がある事も知らない。そろそろ教えないといけないとは思っていたが、その前に事態が動いた。彼女が知っている情報はホワイトルーム関連だけ。でなければ自分と綾小路の関係に介入するなと警告するはずだ。

 

 龍園が多くの前で彼女の隠したい事実に気付かないよう妨害しに来たという事だろう。まぁ、それはそれで大事な事ではあるけれど、綾小路が自分で対処できないとも思えない。であれば、今回の介入は坂柳のお節介という見方も出来た。無視も出来るが、龍園がどう動くかは分からないし、坂柳も多分冷静じゃないだろう。変な挑発をして怪我でもされたら大変だ。であれば、一応様子は見に行っておいた方が良いだろう。

 

「ちょっと問題が発生した。少し出る」 

「どこ行くの? 付いてく」

「……いや、来ない方が良い。何があるか分かったもんじゃない。相手は龍園だ。どんな手段に出るか分からない。他の面子は自衛できるが、君はそうじゃないでしょ?」

「でも!」

「今日は卵の特売日だから、買ってきて」

「……」

「信頼していない訳じゃない。ただ、心配なんだ。分かってくれると嬉しい。君が傷つくのを見たくない」

「……分かった。行ってくる」

「よろしく」

 

 龍園がどういう意図で動いているのかはイマイチ掴めないところがある。単純にBクラスを叩き潰したいのか、あるいはそれ以外の狙いがあるのか。前者ならば難しい話ではない。彼はまだ諦めてはいなくて、私に対抗するために目障りな存在から叩こうとしているだけの話だ。しかしそうでない場合は話が変わって来る。そこら辺の見極めもしたかった。

 

 

 

 

 

 私が到着したころにはこの奇妙なパーティーはなかなかの盛り上がりを見せていた。高円寺は龍園たちを全員倒せるという発言をしている。彼については謎が多いものの、基本自由にしているのであまり優先度は高くなかったが、実力はあると見ている。なので、この発言も嘘やはったりでは無いのだろう。

 

「どうやら私が君の言う黒幕だという誤解は解けたようだねぇ。おや、もう1人追加のギャラリーも来たようだ」

 

 気配を消していたつもりは無いが、察知能力は凄まじいものがある。なかなか見抜けるものではないと思っていたが……高円寺の警戒レベルを上げる事にした。もしかしたら綾小路と同等か或いはそれ以上の可能性もある。ともすれば私にとっても脅威だ。暴力的では無い事が救いか。

 

 堀北は私の登場にはあまり動じなかった。後ろには須藤もいる。綾小路はいつも通り。視線は1度交わったが、特に互いに反応はしない。Cクラスの面子としては龍園の他に石崎たちがいる。Aクラスは坂柳と橋本、鬼頭がいる。坂柳の親しい人間ではあるものの山村は呼ばれなかったらしい。まぁここにいても戦力外だろう。

 

「おやまぁ大した洞察力ですね」

「チッ面倒なのが来た」

「招かれざる客のようですが、ご心配なく。今回は龍園君の邪魔をするつもりで来たのではありません。クラスを預かる者として、クラスメイトが何とも不気味な集会に参加していると道行く人に聞いたものでして。であれば、様子見という訳ですよ。それと、こうしてご挨拶するのは初めてですね。私、姓は諸葛名は孔明。以後よろしくお願い致しますよ、高円寺君」

「ふむ。礼には礼を以て返さねばねぇ。私は高円寺六助だ。こちらこそ、君とは1度話してみたかったものさ、ミスター諸葛」

「これは光栄なお言葉。それはまたの機会にでもゆっくりと。今はそれどころでは無いようですから」

「あぁ、そうするとしようじゃないか」

 

 龍園は一応話終わるのを待っていたようだ。意外と律儀な奴である。

 

「話は終わったか? 最後に俺の質問に答えてもらおうか。お前らのクラスの背後にいるのは誰だ」

「それに答えてあげても良いが……」

「少し、よろしいですか?」

 

 龍園の問いかけに答えようとした高円寺を遮るように坂柳はベンチに座りながら口を挟んだ。

 

「面白いお話をされていますね。Bクラス内にCクラスを邪魔する存在がいるとか。ドラゴンボーイさんが探しているという噂は聞き及んでいましたが、本当の事なのですか?」

「黙ってろと言ったはずだ、坂柳。次その呼び方をしたら殺す」

「ふふっ。気に入りませんでしたか? 素敵なネーミングだと思いますけど。すみません。どうも私の理解の及ばない事が起こっているようでしたので、つい」

 

 またそうやって挑発する。龍園が本気で殺しに来たらどうするつもりなんだろうか。彼女の細い首を折るのに、さしたる力は必要ないだろう。彼女は最近大人しくしていたけれど、それはどうやら内向きの話。根本の部分はあまり変化していないと見える。或いは、綾小路に少しでも注目が行く可能性を減らす目的があるのか。

 

「あなたは自分のプランが幾度も見抜かれて敗れてしまった。無人島や船上ではこちらの諸葛君にまんまと嵌められたようですが、それだけでは無くBクラスにも妨害を食らっている。だからまずはBクラスの方を排除しようとしている。それは間違ってはいませんが、この学校ではクラス間の戦いが基本です」

「よく言うぜ、誰が考えたのか知らないが、お前のクラスはそれを破壊しようとしてるじゃねぇか」

「さて、何のことでしょう。それはともかく、他クラスの邪魔をするのはルール上不思議な事ではありませんよね? 事実、あなたはそうしていますし、諸葛君も堀北さんもそうしている。どなたかは存じ上げませんが、正体を隠して戦う事も立派な戦略です。それをわざわざ、こうして無関係の生徒を問い詰めて聞き出すようなことをするべきなのでしょうか。正直、見苦しい行為にしか見えないのです」

 

 やはり坂柳は綾小路を庇おうとしている。だからこそ、こうして涙ぐましい挑発と努力をしているのだ。見苦しい、という美意識のようなものを龍園が重視するとは思えないが、それでも挑発は挑発だった。

 

「俺の計画がXのせいで狂ったのは認める。だが問題はそこじゃない。裏でコソコソ動いている奴を表舞台に引っ張り出すための行動だ」

「恐喝まがいの仕草も、戦略の内だと?」

「そうだ。必要なら暴力も辞さない。俺は俺のやり方で楽しむだけだ」

「だとすれば見苦しい上に無能であると宣言しているようなものではありませんか? 聞き及んでいますよ、あなたが如何にして敗れたか。きちんと分析すれば、ここにいるメンバーが無関係であるのは明白のはず。そもそも、無人島でご活躍されたのはそこにいらっしゃる堀北鈴音さんだとか。あなたの探している正体不明の人物など、本当に存在しているのでしょうか? 私にはどうも、いない幽霊に怯える子供のように見えてなりません」

 

 幽霊に怯えていたのはどちらかと言えば坂柳なのだが、その辺は龍園の知るところではない。

 

「少なくとも見苦しい上に無能なのは俺じゃなく、お前じゃないのか?」

「ほう?」

「俺はクラスの王としてここにいる。鈴音やBの奴らも大なり小なりクラスの運営に関連しているだろうよ。軍師野郎に嵌められたDはいねぇが、Aの代表はそこで代表みたいな顔してしゃしゃり出てきているお前じゃねぇだろ。諸葛が言うならともかくリーダーにすらなれなかった負け犬に、無能だの見苦しいだの言われる筋合いはねぇなぁ! 間抜けな坂柳さんよぉ、自分が上手くいかない鬱憤を俺で晴らすのは止めて欲しいもんだな」

「なるほど、確かに私は今やかつてのような立場にはいませんし、諸葛君の風下にいるのも事実。しかしこれでもAクラスの勝利のために献策していますし、財政管理も任されています。少なくとも、ドラゴンボーイさんが言うほど無関係と言うわけでは――――」

 

 そう発言した坂柳の言葉が終わる前に龍園は素早く坂柳へ距離を詰める。やりたいことはわかった。彼は蹴りを繰り出そうとしている。挑発したのは坂柳だが、それは人を蹴り飛ばしていい理由にはならない。あまりこういう手段は好みでは無いのだけれど、今は非常事態だから仕方ないだろう。

 

 前に突き出した龍園の足めがけて小石を指で弾く。真っ直ぐに飛んだそれは、龍園の足に直撃して、彼の勢いを逸らし、彼は倒れ込んだ。

 

「グッ……」

 

 足にそれなりの痛みの走っているであろう龍園は苦痛の声を漏らす。一応痛いくらいで済むように手加減はした。本気でやったら、それこそ彼の足には穴が開いて、しばらくは歩けなくなってしまうだろう。それでも痛かったようではあるが、すぐに立ち上がった。思ったよりはダメージ耐性と根性があるようだ。中々すぐに立ち上がれるものでも無いだろう。それなりに戦った経験はあるらしい。

 

「てめぇ……何をした」

「なんですか? あなたが勝手に転んだだけですよ」

「そんな訳ねぇだろ」

「そう言われても困りますね」

 

 やったことはそこまで難しい話ではない。指弾と呼ばれる中国武芸の技の一つだ。内容は指で小石やコイン等を勢いよく弾き飛ばし、対象にぶつける。それだけである。個人的には超電磁砲(レールガン)みたいで結構気に入っている。氷などでやると証拠が残りにくく、相手にも気付かれにくいのも有用だ。現に、龍園は私がどう攻撃したのか分かっていない。弾になった小石は既にどこかへ行ってしまった。

 

「仮に私が何かをしていたとしても、坂柳さんの言動は褒められたものではありませんが、それはあなたが抵抗できない人間の顔面に向かって蹴りを入れてよい理由にはなりません。指導は言葉でするべきです、文明人ならばね。彼女も私の生徒ですから、暴行の被害者となる前に止めるのは私の義務です。今回は何もしないで済みましたが」

「もう1度呼んだら殺すと言ったはずだぜ? 俺は宣言通りに行動しただけだ」

「殺す、ですか。この国では随分と軽い言葉ですね。世界には、それを言ったらば直ちに蜂の巣にされても文句は言えない場所だってあるというのに。それと、私的制裁は法律で禁じられています。自力救済は中世で終わりですよ」

「いい加減にしなさい。今のあなたたちの行動は大問題よ」

 

 堀北が静止に入る。

 

「心外ですね、私は何もしていませんが」

「そんなわけないでしょう」

「証拠がありませんね。仮にそうだとしても、割と正当防衛では?」

「正当防衛の適応は素人が判断できるようなモノじゃないわ。もっと上手く制止する方法もあったはずよ」

「あなたが坂柳さんを守ってくださいね、そう仰るなら。それと、正当防衛は急迫不正の侵害、防衛の意思、防衛の必要性、防衛行為の相当性が必要要件です。それぞれについて詳しくは言いませんが、状況的には適応させられるように法廷闘争が可能であると私は判断していますよ。仮に何かしていたとしてもね」

 

 あくまでも私は何もしていない姿勢を貫く。仮にそれが嘘偽りだと大勢が分かっていたとしても、事実と認めるかどうかには大きな差があるのだ。一連のやり取りを見ていた高円寺がつまらなそうな顔をしている。これまでの茶番劇は彼のお気に召さなかったらしい。

 

「退屈な顔ぶれだねぇ。現状、私に届きそうなのがミスター諸葛しかいないとは。嘆かわしい」

「龍園君に引き続きあなたまでもですか、高円寺君。私を挑発したいのでしたらお好きにして頂いて結構ですが、根拠は示して欲しいものですね」

 

 堀北は「なんて人たちなの……」と呆れ、動揺してしまっている。変なところで彼女は常識的だ。いや、我々が異常なだけか。

 

「それほど私の発言が気に入らないのかい、リトルガール。事実を言ったまでさ。根拠など示す必要もない。私がそう思った。それで十分なのだからねぇ」

「ククク、リトルガールか。なかなかどうしていいネーミングセンスじゃねぇか」 

 

 龍園は心底楽しそうにしている。鼻で嗤いながら坂柳を見下した。

 

「高円寺君、あなた英語の使い方を間違えていますよ? 私は幼女ではありません」

「ふっふっふ。それを決めるのは君ではなく私なのだよ。間違った用法ではないさ。君がガールないしレディと呼ぶに相応しい年齢と体型になれば、そう呼ばせて貰うだけだからねぇ」

「それこそ誤りですよ。用法としてはリトルガールは小学生の女の子にしか使わない言葉です。この世界はあなたの好き勝手が許されるように出来ている訳ではありません」

「常識に捉われないのが私の流儀さ」

「……いい加減にしろ、高円寺」

 

 鬼頭が一歩前に歩みを進めた。その常に着けている白い手袋を外そうとする。

 

「んだよアイツ。手袋外したら鬼でも出てくんのか?」

「なんだそれ」

「知らねーのかよ。昔流行った漫画があんだよ」

 

 漫画の話をしている須藤と綾小路はさておき、暴力沙汰は止めたい。

 

「鬼頭君」

 

 私の言葉に、彼の行動が停止した。

 

「やめてください」

「……分かった」

「ありがとうございます」

 

 彼は静かに後ろに引き下がる。彼我の実力差を鑑みての事か、或いはこちらの言動に正当性を感じたのか。その辺は分からないが、余計な暴力沙汰は防ぎたい。なんでこんな生徒指導を私がしないといけないのか。暴行に対する指導がこの学校は甘すぎる。法治国家を名乗るなら、もう少しどうにかして欲しい。監視カメラばっかりの母国の方がもう少しマシだった。

 

「そろそろ行ってもいいかね? 私はこれでも多忙な身でね」

「……ああ、もう良いぜ。お前は今日片付けておいてよかった。行け」

 

 龍園も高円寺と接する時だけ少しげんなりしている。さしもの彼も非常識という武器を持っている高円寺の相手は疲れるようだ。

 

「ああ、そうだ。堀北ガール」

「わ、私? 何かしら」

「私は今後もクラスに関わる気はほぼ無いが、もしミスター諸葛と戦えそうな時があるのならば呼びたまえ。その時は力を貸してあげようじゃないか」

「!? ……期待しておくわね」

「そうするといいさ。ミスター諸葛、君は私を必要とするかい?」

「あなたが私の指導に従ってくださるなら、考えますが」

「それはまだ、判断しかねるねぇ」

「そうですか。気が変わったらご連絡してください」

「あぁそうしよう。では諸君、シーユー」

 

 高円寺は嵐のように去って行く。多くを引っ掻き回せるだけで彼は既に力がある。どんな方法であれ場を支配できるのは強い。しかも堀北に恩を売りつつ、私にもちゃんと布石を残すという上手い外交をしてのけた。彼は彼で強かに生きようとしている。そんな中、龍園はリトルガールと呼ばれて怒り心頭の坂柳を無視するようにCクラスに話しかけた。

 

「もうお前らにも用はねぇ。好きにしな」

「龍園君、あなたの行動は常軌を逸しているわ。理解に苦しむわね」

「だったら俺の行動は正しいって事だな。俺は今日で大分候補を絞り込んだ。お前の背後にいるのが誰なのか。黒幕っぽく見える奴が本当にそうなのか」

「あなたが何を言っても聞く耳は無いわね。付き合わされるだけ時間の無駄だもの。それよりも今後、クラスメイトに近付くのは止めてもらっていいかしら」

「それは俺の自由だな。だが安心しろ。もうすぐ終わる。それになぁ鈴音。俺は何も違反していないぜ」

 

 ルールを意に介さない人間がそれを盾に使う。一見矛盾しているようだが、実は正しい。法を破る者は、法を熟知していないといけない。何が良くて、何がダメなのか。それを知ってから動くのが真の脱法者だ。

 

「フィナーレ、楽しみにしている。軍師野郎、お前もだ。俺は絶対に諦めない。必ずお前を引きずり下ろしてやるぜ」

「お好きにどうぞ」

「張り合いのない奴だ。だからこそ、その顔に驚愕を浮かべさせてやりたくなる」

 

 ニヤッと笑いながら龍園は去って行った。Bクラスの面子も帰り支度を始める。綾小路は龍園の中で全ての準備が整ったことを察したのだろう。これは龍園の遠回しな宣戦布告だ。事態は動くだろうが……後は綾小路に任せるべき案件だろう。

 

「坂柳さん。あまり人を挑発しないように。あなたを守ってくれる存在がいるのかもしれませんが、それはいつでもいると言うわけではありません。この学校はどうも犯罪に対する、本来道徳的かつ倫理的な教育を受けたならば存在しているはずのセーフティーを外しやすい空間であるようです。そういう場所で、あなたは一番弱い。事実としてですので、気を悪くしないでください。いかに頭が良かろうと、その首を絞められ、心臓に刃を突き立てられたら終わりです。余計な恨みなど買わない方が良いんですから。よろしいですか?」

「……はい」

「そんな不満そうな顔をしてもダメなモノはダメです。私だっていつでもお助けできるわけでは無いのですから。無用なトラブルには首を突っ込まないのも、君子のあるべき姿であると思いますがね」

「分かっています」

「分かっているなら、次は無用な恨みを買わないようにしてください。そして……明日、少しばかり時間はありますか?」

「えぇまぁ一応は」

「であれば、少々お時間をください」

「構いませんが、何をするんですか」

「お話ですよ。あなたの知らない事と、私の知ってる事について、ね」

 

 私はそう言って小さく微笑む。ホワイトルーム関連の諸々について、ここでしっかりすり合わせをしておかないと後々拗れそうだ。綾小路の気を引くためにおかしな行動をされても困る。大人しくなっているし、成長してきてはいるのだが、それでもまだまだ目を話せる段階では無かった。

 

「鬼頭君と橋本君も、ほどほどに」

 

 二人は静かに私に頭を下げた。この二人も随分と義理堅い。坂柳に振り回されていても、それでも付き合っている。乗り掛かった舟という事なのだろうか。

 

「では、私は帰りますので」

「……諸葛君」

「何でしょうか」

「…………先ほどはどうも、ありがとうございました」

「私は特段何もしていませんが、取り敢えずあなたに怪我が無くて良かったです」

 

 顔を逸らして目を合わせないようにはしているけれど、一応ちゃんとお礼を言った坂柳に社交辞令的な返答をして、私は帰路に着く。彼女は私が何をしたのかのメカニズムに気付いているらしい。怪我が無くて良かったのは一応本音ではあるが、同時に余計な挑発を二度としないでくれという想いも存在している。本人以外も傷つく可能性があるのは看過できない。そして、教室へ戻るBクラスの生徒と同じく私も後者に戻る。

 

「そう言えば須藤君、さっき鬼が左手にいる漫画の話をしていましたが、アレ読んでたんですか?」

「あ?あぁ、そうだぜ」

「結構ホラーな回もありましたよね、アレ」

「なんだ、諸葛も読んでたのかよ。お前はそう言うの読まないタイプかと思ってたぜ」

「いえいえ、意外と漫画やアニメは見てる方ですので。ONE PIECEとかも読んでますよ。後はBLEACHとか」

「マジかよ!」

「大マジです。……綾小路君、話に入れなくて寂しいのはわかりますがその顔は止めて下さいね。今度貸してあげますから。全巻持ってますので」

「本当か? 助かる……」

「ところで推しは誰です? 私はゆきめさんも割と好きですが、いずなさんも結構いいなと思ってました」

「分かるぜ!」

「なるほど、こういう感じの漫画なのか。勉強になるな」

「これがAクラスリーダー……嘘でしょう……」

 

 話がはずんでいる我々男子の後ろでガックリしている堀北が印象的だった。この後漫画の話をしていたら遅くなり、卵を買いに行かせた真澄さんの雷が落ちることになるとはこの時思いもしていなかったのだが。

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