『ラ・ロシュフコー』
「あぁ、そうですか。全然帰ってこないからどうしたのかと思ったら、男友達と話していて。しかも明日は坂柳と楽しくおしゃべりと」
「……あの」
「ふーーん。別にいいけどさ、別に」
「全然良くないでしょ……その言い方は」
部屋に戻ると、あまり機嫌のよくない真澄さんが待っていた。表情があまり変化していないけれど、それが余計に怖い。心なしか無表情に近いのと、そうであるにも拘わらず声が冷たい。
「まぁ良いけどさ、ホントに。坂柳との話だって大事な事を話すんだろうし。アンタにも自分の人間関係があるんだろうからさ。でも、もうちょっと構って欲しくはある。うざったいとは自分でも思うし、面倒な女だとも思うけど」
「いや、別に面倒では無いけど? それに、三歩下がってついてくる子が好きなわけじゃないし」
私は従順に言う事を聞いてくれる優しい存在が好きなわけではない。むしろ彼女のようにちゃんと主張してくれる方が良いと思ってる。中学時代の同級生には、盲目的な恋愛が好きじゃなくて、多少ツンケンしてる子が性癖なんでしょと言われた。当時の自分ではよく分からなかったけれど、今考えればあながち間違いでも無いのかもしれない。
「坂柳と喋るの、別に楽しくもなんともない。出来るならしたくないけど、しないといけないからするだけで、真澄さんが思ってるような感じじゃないから」
「知ってる」
「それは良かった。とは言え、色々任せてる事も多いし、埋め合わせはちゃんとするから」
「具体的には?」
「……何かご希望は?」
咄嗟に具体案の思いつかなかった私の言葉に、彼女は小さいため息を吐いた。
「まぁ、そんな感じになるか。知ってたけど」
「いや、君が何をして欲しいのか分からないから……。想像はある程度出来るけど、違ったら悪いし」
「具体案を相手に丸投げする方がなお悪いと思うけど」
「すみませんでした」
「悪いと思ってるなら……」
「なら?」
「キスして」
いきなり何を言い出すのか、と目を見開いて彼女を見る。急におかしくなったのかと思ったけれど、夕暮れの光がベランダから差し込んで陰になっている彼女の表情は、薄暗い中でも分かるくらいには不安に揺れている。彼女は自己肯定感が低く、自分が誰かと一緒にいる状況に慣れていない。それは間違いなく彼女の両親のせいだった。
だからこそ、彼女は確かな証を欲しがっている。今まで満たされなかった愛や寂しさを満たしたいという想いもあるだろうし、今手に入れたモノがまたいつかスッと消えてしまうような気がするという想いもあるのだろう。望んだモノ、願ったモノが手に入らない人生だったからこそ、彼女にとって手に入った状態である今が一番不安定な時期なのかもしれない。持っていなければ失う心配は無いけれど、持っているからこそ失う心配がある。
彼女の自己肯定感は単純に自分の能力を上昇させて、彼女のクラス内での地位を向上させ、かつ交友関係を増加させたことで改善傾向にあった。けれど、私という存在は改善傾向を押しとどめる力を持っていたらしい。失ってしまう可能性があり、恐らく彼女にとって一番失いたくない存在であるから、繋ぎとめようとしているのだと考えられる。愛される事に慣れていないが故の、不器用な愛情表現だと思えば、その姿も愛おしかった。
「それが君のお望みなら、喜んで」
ホントに応じられるとは思っていなかったのか、彼女はビックリした顔をしている。高身長な彼女と、私の身長差は丁度いい高さだった。目を白黒させて私を見ている。私は最初では無くて申し訳ないけれど、それでも愛情を持った相手にするのは初めてなので許してくれればいいかなぁと思った。所在なさげに彷徨っていた彼女の手を握って、そのまま顔を近付けたけれど、彼女は私を軽く遠ざけた。
「ご、ゴメン。自分で言っておいてアレだけど、心臓がもたないから。その顔、至近距離で見てるとおかしくなりそうで……なんか別のことにしていい?」
「それは構わないけど、ホントにいいの?」
「いいの。ホントにしたら、もうなんかぐちゃぐちゃになっちゃいそうだから。それがちょっと……怖い」
不安と期待とがない交ぜになった表情で、彼女は私を見ていた。その瞳は揺れていて、その頬は心なしかさっきまでよりもずっと赤い。どっちも恋愛初心者なので、ハッキリとした正解なんて分からないけれど、恋人の進み方にはその数だけ個人差が存在しているということは理解している。だから、ゆっくりだろうと何だろうと、私たちのやり方で前に進んで行けばいいのだと思う。
「分かった。じゃあ、今度どっか行く?」
「……行く」
「了解しました、お嬢様」
とは言え、この学校では行ける所なんてたかが知れている。学校の高層階から見える舞浜の花火を見て、ああいう場所に連れて行ければと思ってしまう。地下帝国じゃないけれど、一日外出券のようなものがあれば、と考えた事もあった。そうすれば彼女と一緒に折角にある東京の色々な場所へと行けるのに。
私は綾小路に言った通り、世界中を見てきた。多くの景色を見て、人に触れた。けれど、それは基本的に私一人だけだったのだ。たまに部下もいたけれど、多くは私一人だけ。それはそれで楽しかったし得るモノもあったけれど、同じ感動を感じたり、同じ感情を抱いたり、分け合ったりする相手が欲しいという気持ちもあった。別に海外じゃなくて日本の中だけでも構わないから、一緒に行けたらどれほど嬉しいだろうか。
そんな事由が許されるのはあと二年。この学校にいる間だけの事だろう。だからこそこの高校生である時代に、彼女と自由に歩みたかった。もっと平和な人生に生きていて、もっと良い形で彼女と出会えたら。そんな叶わない夢を見る。そんな夢など、見ないと決めたはずだったのに。これは弱さなのかもしれない。それでも、止められそうにはなかった。
坂柳との話は一之瀬たちの時と同じく真澄さんの部屋を借りて行うことにした。彼女は現在私の部屋で勉学に励んでいる。彼女は私が坂柳と話をすると聞いた時以上の難色を示したけれど、何とかお願いして渋々受け入れてくれた。しばらくは彼女の望む献立が食卓に並ぶことになるだろう。私の部屋に人を入れるわけにはいかないし、申し訳ないけれど許可してくれて助かった。
世間がクリスマス一色な中で、我々はよく分からない会談をしている。何とも言えない気分になって来るが、やらない訳にもいかないのでしょうがないだろう。一之瀬の時とは違う茶葉の紅茶の香りが漂ってくる。あの時よりもさっぱりとした味のモノにしていた。
「どうもわざわざ御足労頂きありがとうございます」
「いえ、それは構いませんが」
彼女は静かに紅茶を飲んだ。何の用事なのか、いまいち図りかねているような顔だった。無理も無いだろう。公衆の面前でホワイトルームやらなんやらの黒い話をするわけにもいかないのだ。彼女にとっては隠しておきたい話をちゃんと隠したのだから、感謝して欲しいくらいだった。静かにお茶を飲む坂柳に、私は口角を上げる。
「飲みましたね?」
「それが何か?」
「もし私があなたに害意を密かに抱いていた場合、あなたに飲ませたその紅茶の中に毒でも何でも仕込みますよ」
「……は?」
「いえ、単純な話です。あまり他人を挑発しないようにしましょうと昨日言いましたが、あなたはあまり納得していなかった様子でしたので。身をもって体感してもらおうかなと。あなたの挑発や行いに腹立たしいという感情を抱いた人があなたを害したいと思った時、それはそんなに難しい行いではないよ、というただそれだけの事です」
彼女は唖然とした顔で私を見ている。
「他人を害する者は、他人に害される覚悟をしなくてはいけません。他人から出された食べ物や飲み物を、よく無警戒に口に出来ましたね。あぁ、毒とは言いましたけど、本当の毒でなくても構わないでしょう。例えば洗剤だって良いわけです。後はそうですね、あなたの場合なら……強心薬の大量摂取をさせるとかも有効そうですね。他の人よりも、圧倒的に」
「……」
「心中を図った形にして、あなたに大量の睡眠薬を飲ませて殺した後、自分は少なめに飲んで心中失敗を見せかける事も出来ますね。やり方次第ではありますが。ともあれ、あなたを倒すのは随分と簡単という事です。あなたにとっては不本意かもしれませんが、相手の良心や良識に期待するのはあまり良いやり方とは思いませんね。あなたの性格で仮に初期のDクラスのような場所に放り込まれたら、何かをする前に殴られて終わりになる可能性もありますから」
食事に毒物を入れるなんて言うのは、暗殺の手段としては随分と初歩的であり、それ故に多くの場所で行われて来た手段だった。それは現代においても変わっていない。どうしても食事の瞬間は人間が油断がちになる。政敵との会談とかならまだ警戒もするが、ファストフード店や普通のレストランで警戒したりはしない。目を逸らしたすきに猛毒をぶち込むという事はよくあるのだ。
坂柳は私の顔を、何か恐ろしい怪物を見るような目で見ている。けれど、普通の人間はこんなことを言われても慄いたりしない。彼女が私を見つめる目は、彼女がこれまでしてきた行いやしようと考えてきたことを示す鏡のようなものだ。心当たりがあるからこそ、恐怖する。そうでなければ、そう言う事もあるかもしれないけれどそこまでの恨みは買ってないと、堂々と言うことが出来るはずなのだから。何も言わないのが、自分にそういう運命が待ち受けている可能性を無視できない根拠を坂柳自身が持っている何よりの証拠だった。
「随分とご気分が優れないようですが、お加減は大丈夫ですか?」
「だ、誰のせいで」
「誰のせいって、それはあなたですよ。あなたにそういう事をされる心当たりが無ければ、そんなにビクビクすることも無いんじゃないですか? 龍園君がそこまでの自爆攻撃をするとは考えにくいですし、彼はこういう手段はとらずに直接の暴力に及びそうではありますけれど、何れにしてもあなたは自衛能力がない以上、物理的な攻撃にはかなり無力です。ご理解いただけましたか?」
「……はい」
こんな手法はあんまり取りたくはなかったのだけれど、たまにはちょっと怖い想いをしないと理解してくれないこともあるだろうと考えて、こういう手法を取った。お前を殺すの、結構チョロいよと言われて、流石に肝が冷えたみたいだ。やっとかという想いはあるけれど、学習してくれないよりはずっといい。
普通の人は大体何らかの自衛が出来る。男女の差とか色々あるけれど、真澄さんみたいにそれなりに動ける子でなくても逃げるとかは出来る。けれど、坂柳に関してはそれも出来ない。身体が不自由でも自衛能力が高いという事はあるし、ウチの副司令みたいに物理的に左目が無いけれど戦闘力は高い、という事もある。坂柳もその杖が仕込み杖で座頭市みたいに戦えるのかと最初は思ったが、別にそう言うわけではなかった。であればこそ、逃走という最低限の防衛策も出来ない彼女は手段を考えるべきなのだ。下手に煽って行動されても、防ぎようがない。
もちろんその後加害者は司法の裁きを受けるだろうけれど、死んでしまっては元も子もない。彼女だって生を全うしたいはずだ。
「私もクラスの生徒を守るべく努力はしますが、どうしても限界はあります。いわゆる無敵の人を作らないように工夫することが必要ですよ。自衛できないならね」
「はい……」
「さて、こんな暗い話はこれくらいにして、本題に入りましょうか」
「……分かりました。あなたの知らない事と、私の知ってる事について、でしたか。正直どういう事なのか、今一つ掴みかねています」
「そう難しい話ではありませんよ。言った通りの話です。しかし、どこからどう話したモノかは難しいですね。あなたが坂柳という名前を持っているならば、そして御父上殿とそれなりに交流があるならば、この話から始める事にしましょう。私の名前は諸葛孔明ですが、最初からこんな一歩間違えればキラキラネームな名前だったわけではありません。最初の姓は鳳でした。鳳孔明。これはこれで大概な気もしますが、ともあれこれが私の最初に名前です」
「鳳……? まさか」
「恐らく想像通りかと。私の父は鳳統元、あなたの父の指導教員にして、高度育成高等学校の創設における論理的指導者にして、ホワイトルームの理論的な創設者です」
彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。この学校の生徒では自分と綾小路しか知らないと思っていたその名前を、まさかこんなところで聞くことになるとは思ってもみなかったのだろう。唐突に明かされた真実に、彼女は面食らっているようだった。
「どうして……いえ、愚問でしたか。あなたが本当に鳳教授の息子ならば、知っていてもおかしくはありませんね」
「話が早いようで助かります。私はホワイトルームについて知ってはいますが、訪れたことはありません。その点はあなたの方が詳しいでしょうね。私は父のおかげであの施設の魔の手から逃れていました。尤も、そのせいで大分苦労もしましたが……今となってはもうそれは過ぎた話です」
「大したものですね、あの施設の手から逃れるとは」
「綾小路篤臣がいかに強引な手段を取ろうとも、海外にまでその手は伸ばせないですから」
「アメリカやイギリスにも繋がりはあるようですが?」
「モスクワや北京に睨まれてまで動くつもりはなったようですね」
「では、あなたは竹のカーテンの向こう側から?」
「まぁそういう事です」
彼女の目は泳いでいる。どうも先ほどの物騒な発言に、より真実味が加わったらしい。なるほど確かにソ連では
「まぁ私の出自に関してはどうでも良いんですよ、極論を言えば。一番大事なのはこれからどうするかです。あなたは自分の主義主張に基づいて、綾小路君を倒したいと考えている。そうですね?」
「それはその通りですが……どこでそれを?」
「本人に聞きましたよ」
ここは多少脚色を挟んでいるが、綾小路は坂柳とあまり接触したくないようなので、そこら辺は問題ないだろう。問題になったとしても、そこまで大きく取り沙汰するほどの内容ではない。
「ともあれ、あなたの目的としては綾小路君を打倒する事。そして私の目的はホワイトルームを破壊し、綾小路篤臣を筆頭に同施設の管理運営を行ってきた人間を破却し、この施設によって人生を狂わされた多くの罪なき子供の人生を取り戻す事です」
「大した目標ですね。そんな事が可能だと思っているのですか? 如何にあなたが優秀でも、相手は大きな暴力装置を持っています」
そこは問題ない。私が暴力装置そのものみたいな存在だ。綾小路篤臣が持っているのは精々ヤクザの戦力くらい。こちらからすればさしたる脅威ではない。やろうと思えば、今すぐにホワイトルームの本拠地を灰塵にするくらいは造作もない。とは言え、中に子供がいるかもしれない以上そんなことは出来ないが。
「その点はご心配なく。さて、私たちは似て非なる目的ですけれど、ともあれあの施設を許してはならないという意見は一致しているはずです」
「そうですね」
「であればこそ、積極的では無くても消極的な協力は出来るはずです。今後、あの施設は綾小路君を狙ってくるでしょう。それを防ぐのもそうですが、何より関係ない多くの生徒が巻き込まれないようにしないといけません。そのために私は諸々行動していくつもりですが、その際に場合によってはあなたの協力を求めることになるかと思います。どうでしょうか?」
「なるほど……しかし、私は綾小路君と協力せずに彼を攻撃する事も出来るはずです」
「えぇ、それは事実。ですがあなたは綾小路君をどう攻撃するんですか? あなたはどういう勝負を仕掛けるつもりなのか知りませんが、あなたに出来る事は限られています。先ほどそれは申し上げましたね? 仮に綾小路君が乗ってくれたとしても、それは自分の土俵で戦っているだけ。全くもって不公平ではありませんか?」
「……」
「あなたは自分の持っていないモノを求め、他者と能力を比べ続けるよりも、自分の持っている能力を磨いて自分を高める方向を目指すべきだと思いますが、どうでしょう。他人を蹴落としたとしても、自分が上に行けるわけではありません。自分の実力そのものは同じままです。それに、何の意味があるのでしょうか」
彼女が他人を攻撃したがるのは、自分の優位性を示すためだ。そんな事をするのは、今まで自分が劣位に置かれていたことが多いからだろう。小学校の世界観で、頭が良い事はそこまでの価値がない。むしろ、足を上手く動かせず杖を持っている彼女を排斥する声の方が多かっただろう。だからこそ、他者を攻撃して屈服させることで自分を守ろうとした。幼い子供の多い世界の中で、確かに彼女は最初被害者だったかもしれない。しかし、被害者は容易に加害者になりうる。攻撃し、他人を貶め、そうすることで身を守る。
もちろん元々嗜虐心の強い性格だった可能性は否めない。しかし、それが助長された原因があるのだとしたら、それは間違いなく坂柳自身の経験が由来しているはずだ。なんで私がこんな生徒指導兼カウンセラーみたいなことをしているのだろうか。この学校、生徒の家庭環境や過去に問題のある家が多すぎるんじゃないか。そこら辺をどうにかしないと根本的な解決は出来ないのかもしれない。
「あなたは優秀です。他の生徒よりも余裕がありますから、今後の課題としましょう。時間がかかっても構いません。あなたはあなたがどういう風に綾小路君や他の生徒と向き合うべきなのか、しっかりと考えてください。他人を攻撃することのリスクについては学べたはずです。その上で、どういう心構えで人と接するのか。それを考えましょう。前にも言った気がしますが、あなたは天才ではありません。あなたはまだ、何も成し遂げていない。つまり、まだあなたは学びの段階にいます。他者から学ぶ姿勢を無くした時、人は成長しなくなりますよ。あなたが何か少しでも思うところがあるのならば、行動してくださる事をお願いします」
「……分かりました」
存外素直に受け入れてくれた。彼女は彼女で色々考える事があったのだろう。他の生徒からの影響だって受けているはずだ。あまり交流していなかった葛城と話していたり、真澄さんと話したりする場面を見かける。森下に振り回されているのもそれなりに影響を与えているはずだ。逆に言えば、森下に弄っても良い存在と捉えられているという事なのだが……それは言わぬが花だろう。
「では、よろしくお願いします」
「……はい」
「最後に、少し明るい話を。あなたの日頃の行動を見ていて、Dクラス併合作戦の金策アイデアを一つ思いつきました。まだ課題は多いですが、上手くクリアすれば比較的容易にスタートできるかと」
「何でしょうか」
「坂柳さん」
「はい」
「あなた、配信者になってください」
「背信者? 何を裏切れと?」
「あぁ、そっちじゃないですね。いわゆるYouTuberをやりましょうということです」
「…………はぁ?」
彼女は随分と素っ頓狂な声をあげた。
「まったく、結構人遣い荒いぜ」
坂柳と諸葛孔明の会談の最中、Aクラスの橋本は密かにCクラスの動向を探っていた。正確には、Cクラスが動向を探っているBクラスの生徒の様子をであるが。
「これに何か意味があるんだろうか」
一緒に付き合っているDクラスの神崎が呟く。橋本はそれに肩をすくめて返答した。
「さっぱりだ。だけどよ、あの孔明センセの考えてることだ。少なくとも、煽られて飛び出るウチの姫さんよりはずっと何かしらの意図があるんだろうさ」
「だと良いんだが……。Cクラスの生徒がBクラスの生徒を狙っているというのは知っていた。なんでもBクラスを影から操る存在Xなどという眉唾物の存在を探しているんだそうだな」
「らしいな。俺も聞いた時は半信半疑だったが……ホントにそんな奴がいるのか疑わしくはある。とは言え、無人島の時を思い出して見ろよ。俺たちが見たあの時のDクラスはとてもじゃないがまとまっているようには見えなかった。それなのに獲得ポイントは二位だぜ。何かあったと見るのが自然だろ。堀北がやったってことになってるが……アレはどうも疑わしくないか」
「そうか? 堀北は優秀な生徒だろう?」
「お勉強はな。けど、ホントにあんな策略が出来るヤツなら、その後の船上試験でもっと上手く立ち回ってただろ。体育祭でも、ペーパーシャッフルでもそうだ。頭の良さと指導力とかそういうのは必ずしも結びつかないってのは、誰だってわかる話だ」
堀北鈴音がDクラスからBクラスまで押し上げるのに貢献した。少なくとも、あのクラスの中ではそういう認識になっている。しかし実態は当然そうでは無い。疑わない生徒はそれを疑わないが、龍園は言わずもがな、Aクラスにいる生徒は疑っている。なにせ、優秀な人物なら自クラスかせめて一之瀬のクラスにいてもおかしくないのだから。つまり、頭の良さを補って余りある欠点があるという事。そんな人物にクラスを上に上げるだけの力があるのか。そういう観点からも疑問が出るのは必定だった。
加えて言えば、直接見た事のある生徒はそのとっつきにくさを知っていた。それは孤高のリーダーというのには些か狷介過ぎたのである。
「仮にその存在Xなる人物がいたとして、そう簡単に外に出てくるとは思えないが」
「それはそうだ。だからこそ、龍園はおとりを使おうと思ってるんだろ。目立ちたくないやつがクラスの流れを操ろうと思ったら、声のデカいヤツを使う。あのクラスで声がデカいのは平田、櫛田、軽井沢、須藤辺り。この辺を見張っておけば、そう間違いはないはずだぜ。龍園が仕掛けようとする人物が特定出来たら知らせろってのが孔明センセからの要望だったしな」
「それは道理だが……諸葛は何を狙ってその人物を特定しようとしているのか」
「それは全く分からん。もしかしたら、もう既に特定は出来てるんだがいつ龍園が仕掛けるかは分からないから見張らせて問題があったら報告させようとしてるのかもな」
橋本の想像は正しかった。既に孔明の中では特定されている。それは綾小路からの情報でもあったし、彼個人の考察でも特定は出来ていた。なにせ、櫛田は正体が知っての通りであり、平田は博愛的だ。須藤は些か役不足。ともすれば、軽井沢あたりになると簡単に想像できる。
そして、万が一の際に戦闘要員とするべく軽井沢への見張りを橋本や神崎など複数名に交代でお願いしているのだった。比較的成績に余裕があり、手隙の人物かつそれなりに動ける人間を選別して依頼している。もちろんお願いであるから拒否することもできるが、橋本のように役立つところを見せたい人物や神崎のように汚れ仕事でも協力するべきと思っている人物が率先して動いていた。
「それによ、どう考えても軽井沢の動きを見張るCクラスの奴らが多い」
「だが、あんな有り様では簡単に軽井沢本人に見抜かれてしまうと思うが」
「それも狙いなんだろ。軽井沢に狙われている恐怖を与えて、誘導することが出来るかもしれないからな」
「なるほど……まったく、ここでは嫌な想像ばかりしないといけないな」
「それは同感だ」
二人は小さくため息を吐く。冬休みを前にして、まさか他所のクラスの女子を見張る羽目になるとは、入学前からすれば全く想像だにしていなかったのだから仕方ないだろう。そこに橋本の電話が鳴り響く。
「おっと、電話だ。おう、もしもし……あぁ、サンキュ。よろしくな」
「何の電話だ?」
「別件で調べてた事があったんだが、それの調べがついたらしい。流石葛城、生徒会だけあってこういうのを調べるのはすぐ出来るな」
「調べる事……?」
「こっちも孔明センセ案件でな。監視カメラの中で、常時モニタリングされていない場所を出して欲しいと。ついでに、ここ数ヶ月の中で異常が発生した監視カメラは存在しないか確認しろってな」
「監視カメラ? しかしなんでそんなものを……あぁ、龍園が仕掛けるとすれば、監視カメラの無い場所、或いは常にモニタリングされていない場所という事か」
「そういう事だろうぜ。モニタリングされてないってことは、壊したりしてもすぐには気付かれない。少なくとも軽井沢をボコボコにする時間くらいは稼げる」
「だが監視カメラを壊したらそれこそかなりのペナルティーとなりそうなものだが、龍園は随分と懐に余裕があるんだな」
「それはどうだろうなぁ。壊さなくても、色でも塗ればもうカメラとしては使い物にならないから、そういう感じなのかもしれないぜ」
そして葛城からの報告で、既に監視カメラ関連の情報は全てAクラスサイドに露見している。諸葛孔明は決行場所を幾つかピックアップしておき、同時にAクラスとDクラスの両方に注意喚起を出していた。曰く、自分の過去などに対する暴露を名目に呼び出す旨の連絡があった場合、速やかに学校側に通報した後自分に相談するように、と。Cクラスの狙いが十中八九Bクラスであるとは思っているものの、万が一があるかもしれないのでその対策として諸葛孔明は行動していた。
「にしたって、龍園もよくやるぜ。まぁ本人は、俺たちに行動を読まれてるなんて思っても無いんだろうけどよ」
「人は目指しているモノがあると、脇が甘くなる。龍園もそういうタイプだったというだけの事だろう。或いは、諸葛がそこまで自分に注目を向けているとは思っていないかなだな。今現在、AクラスとCクラスに対立はないし、無理もない話だろう」
「それはそうなんだけどな。とは言え孔明センセも絶対に守らないといけない相手がいるからなぁ。そこら辺は神経質になるのも無理ない話だ」
今日は特に何もなく、軽井沢は無事に帰宅する。恐らく龍園の行動が決行されるは数日後の冬休み前最終日ではないかとAD連合陣営は考えている。そこが一番生徒が浮つく日であり、学校付近に残る生徒も少なくなる。学期が終わり、教師の監視の目も緩む。そういう隙を突くと考えられていた。
十中八九はBクラスへの攻撃。しかしもしそれが全てダミーのカモフラージュで、実際はAクラスを狙っていたら。そしてもし諸葛孔明を攻撃したい場合一番のウィークポイントになるのが誰なのか。それは当の本人が一番よく分かっていた。自身の愛する人を守るべく、彼の蜘蛛の糸の如き監視の目がゆっくりと龍園とそしてもう一人、この事態をどう処理するのかが不確定なBクラスの担任教師を包んでいた。