『孫子』
取り敢えず現状に必要な全てのデータは揃った。現在はまだ4月の3週目のど真ん中。後1週間半でこの一見天国に見える生活も終わりだろう。チャンスは今だった。まだクラスのリーダー格ですら全貌を把握しきれていない今、情報を一気に開示する事が地位の確立には不可欠である。
誰かの下で働く気は今のところあまりない。むしろ、派閥が拮抗しててくれた方が助かる。その間にいる事が一番の利益になるだろう。だが、特に意味もなくフラフラしていると思われては動きやすい反面、影響力が下がる。不気味な第三者、中立派こそが選んだ選択肢だった。
先手必勝、兵は拙速を尊ぶ。であるからこそ、情報の裏付けが取れたこの日の放課後を利用することにした。放課後各々の行動をとろうとしているクラスメイトの注意を引くために声を出した。
「すみません、皆さん。少しだけ、お時間よろしいでしょうか。ご協力下されば10分もかかりませんので。クラスの今後に関わることですので、部活動等あると思いますが、ほんの少しだけ、時間を頂ければと」
その言葉に反応して、多くのクラスメイトがこちらを見る。無視して教室を出ていく生徒はいない。ある程度全員と会話したのが効いている。加えて、入学式当日の行動のおかげで話だけは聞いてやろうという人も多い。
一番とっとと出ていってしまいそうな神室真澄はここで出ていくと面倒だと感じたのだろう。いの一番に席に座っている。ついでに自分の働きの成果を見たかったのかもしれない。彼女はああ見えて意外と承認欲求と言うか尊厳欲求と言うかが強い。
「聞いてみましょう。なにか、有意義な事をきかせてもらえるかもしれませんよ?」
「俺もそれには賛成だ」
坂柳有栖と葛城康平。Aクラスの二枚看板が呼びかけてくれたおかげで去就を迷っていた数名も席に着いた。それを確認し、廊下側の窓のカーテンを閉め、鍵をかける。その行動にやや不審そうな目を向けてくる者が多い。いきなり監禁まがいのことをし始めたのだから当然だ。それを分かりつつ無視して教壇に立つ。
「ご協力、ありがとうございます。貴重な時間を拝借しましたので、それでは早速始めましょう。4月の始め、入学式の日の説明で、私は先生にこう尋ねました。『このポイントは来月以降も毎月10万頂けるものなのか』と。覚えておいでの方も多いでしょう。この質問の明確な回答を入手しましたのでお伝えします。答えはNOです」
微かなざわめき。しかしすぐ収まるのは民度の高さゆえか。
「様々な調査によって、1つの事実が判明しました。この学校には我々に配布されているポイント、学校側はプライベートポイント(pp)と呼称しているものの他にもう1種類ポイントが存在します。その名は『クラスポイント(cp)』。これの効果は現状判明していることで2つ。1つ目はこれに×100をした数字がppとして配布される。2つ目はこれの数字によってクラスが移動することもあるという事です。そして、このcpは生活態度などによって変化します。最初の設定値は何処のクラスも一律で1000cpだったようです。この1カ月間はそれ自体が生活態度などの試験だったと言う訳です。どれだけ失点を抑えるか、のですね。皆さんは大変生活態度・授業態度がよろしいので大きなマイナスは無いでしょうが、気を付けるに越したことはありませんね」
なにか質問はありますか?と聞いた私に、スッと手が上がる。銀髪の少女はやはり、ここでも動いてくる。
「どうぞ」
「大変興味深いお話でした。ですが、これのエビデンスは何処にあるのでしょう?」
「なるほど、それは非常に的を射た質問です。確かに、私が妄想を語っている可能性もありますからね。しかし、これは事実です。証拠はここに」
再生されるレコーダーの音声。私と橘茜との会話が教室に滔々と響く。
「この音声は生徒会書記の橘茜先輩との会話の際の音声です。彼女の反応、発言、立場等を考えてこの内容は真実であると言えます。万が一嘘を吐いていた場合、そのメリットもありませんし学校にこれを報告された場合彼女の心証は大きく下がります。後輩を騙し、平気で嘘を吐く非道な先輩、と。彼女が慕っている堀北学生徒会長はそれを許すでしょうか? 中身の完成度も高い。嘘にしては出来過ぎです。これで証拠と言えるでしょうか?」
「ありがとうございました。情報精査も万全ですね」
「誤った情報ほど怖いものは無いのです」
証拠も揃っている以上、真実だと思わざるを得ないだろう。私の推論が正しければ、このAクラスは優等生揃い。であればここから身の振り方についても思いつくはずだ。
しかし気になることが1つ。坂柳は少し悔しそうな顔をしている。まさかと思うが彼女もこの情報を掴んでいた?ではどうやって。勿論私と同じ手法を使った可能性もある。しかし、橘茜の驚きは本物だった。この反応は、こういうことを聞いた1年生が私以外にいないことを示している。生徒会内で情報が共有されていない可能性は少ない。ともすればだ。彼女はどうやってそれを知り得た?
……坂柳。それはこの学校の理事長の姓であり、先代の理事長の姓でもある。高度育成高等学校が坂柳一族の王国だ。であれば、彼女は……。疑い出すときりがない。しかし、疑わないよりはいい。彼女の身辺調査、優先する必要があるかもしれない。
「今更言う必要はないかもしれませんが、残りの日々もどうぞ、品行方正に。誰かの不必要な行動がクラス、ひいては自分に影響します。自分の収入は自分の行動次第ではなく自分に加えクラス全体の行動で決まるのですから。最初、私はこの学校は自己責任を主軸に置いているのだと思いました。個人として優秀な存在を育成しようとしているのだと、ですが違ったのです。それだけでは無かった」
「集団の中で優秀であること、か?」
「その通りです、葛城君。そして更に集団として優秀であることも求められている。そこに先ほど言ったcpでクラスは移動する、と言う話を組み合わせると見えてくるものがあると思います」
「……クラス対抗?」
誰かの言った言葉がそのまま正解だ。個人戦とクラス対抗戦、どちらも両方こなさなくてはいけない。
「その通りです。ですので、今日話した内容は情報公開がなされるまではご内密に。カーテンと鍵は情報漏洩を減らすべく閉めました。漏らしても構いませんが、その場合、多くの生徒から恨まれる可能性がある事をご承知おきください。それと、節制は大事です。いつ大金が必要になるか分かったもんじゃありません。先立つ物は用意しておくのが吉です。点数の減り具合も知りたいですし、他クラスに犠牲になっていただきましょう」
自分の金がかかってるんだ、そうそう簡単に漏らす馬鹿はいないだろう。
「ついでにですが、朗報となるかもしれない私の推論をお話しましょう。これは特に証拠などはありませんので気楽にお聞きください。この学校のクラス分けはAクラスが優等生、Dクラスが劣等生となっている可能性が高いです。腹痛を催した際に各クラスの授業風景を見ましたが、Dは学級崩壊していました。Cも品行方正とは言えませんね。Bは多少マシでした。この推論が正しければ皆さんは最優のクラスという事ですね」
この言葉に少し安心したような空気が流れる。
「もっともまだ確定ではありませんが……。cpに関する詳しい説明は橘先輩によれば5月の初日に公開されるはずだそうです。その日を楽しみに待つとしましょう。ただ、私の主観ではまだまだこのシステムは謎が多そうです。それを解き明かすのが鍵になってくるでしょう。皆さんで
深々と頭を下げる。一瞬静まり返った後に最後にぶち込んだ情報に驚く生徒が多い。しかし、そんな人もそうでない人も手を叩いてくれる。もう一度深々とお辞儀をして、壇上を後にした。
その後のクラス内はなかなか騒がしいものだった。ポイントの使い過ぎを嘆く者、これからの身の振り方を考える者等々だ。坂柳有栖と葛城康平は早速思案を始めている。どう動くべきか、だ。クラス対抗となった瞬間にリーダーの立場と派閥はかなりの意味を持つ。足を引っ張り合っていては他クラスに足元を掬われるだろう。そうそうにどちらかが支配することで合意する、もしくは共同することで収まればいいのだが、そうはいかないだろう。英雄は並び立てないものだ。
そして派閥の持つ意味が顕著になったのに加えクラスにもう一つ変化があった。私の地位がある程度定まったという事だ。どっちにも属さない中立派。情報と行動は素早いが自分が率いると宣言したりはしないタイプ。名前的にもぴったりだという事でつけられた渾名は「
かくして自分の先見性をアピールし、知識と行動力と発想力とが備わっている人材だという事でリーダー格からは一目置かれ、それ以外からも信頼を得ると言う目的が達成された。あとは中立派として振舞えば益々信頼は増える。
「協力して」「クラスをいい方向に」などの発言から私の行動は派閥の利害によらないクラスの為の行動だと思ってくれたのならば幸いだ。一層動きやすい。大成功に思わず口角を上げた。
「大変素晴らしい成果だったと言えるな」
あの発表の後、反省会と言うか振り返りの会を部屋で行うことにした。あまり反省すべき点はないのだが。
「隠しておかなくてよかったわけ?」
「いや、この情報は秘匿する意味が低い。どのみちもうすぐ解禁される情報だ。隠すより、思いっきり暴露して有能さをアピールした方が良い」
「クラスカーストってやつ?」
「俗に言うそれだな。今回の情報でこの学校がただのパラダイスではないと多くの生徒が確信しただろう。それは多かれ少なかれ心に動揺を生む。その動揺をどう鎮めるか。行動の仕方でリーダーの気質がより鮮明に見える。それを観察するための措置でもあった」
「見えたらどうするわけ。喧嘩でも吹っ掛ける?」
「なんでそうなる。なるべく荒事はやらない方が良い」
「銃口突き付けてきた人とは思えない台詞ね」
「あれは非常時だ。仕方ないだろう。必要なものを手に入れるために手段を選んではいられなかったんだ。ともかく、抗争に参加はしない。中立を貫く。その方が情報も入りやすい上に派閥が拮抗してる間はクラス内での立ち回りがしやすい。いがみ合うのにそこまで興味のないサイレントマジョリティーは例え自分がどちらかの派閥に属していても、それはそれとして穏健に見える中立派に安心感を抱く。その心理は利用できる」
クラス内はひとまずこれで片付いた。後は5月になるのを待つだけでいい。そうすれば正解であることが先生より告げられ、99%事実だった情報は100%になる。改めて学校の隠匿を突破したこちらへの尊敬が集まる。と言うシステムだ。もし何もしなければリーダー候補の2名はSシステムに裏があるのには気付いてそれを伝えていたかもしれない。だが、初日に意図せずではあるが裏がある可能性をばら撒いてしまった。彼らの工作は根っからとん挫したのである。それでも派閥を形成出来ているのは人柄と策略によるものか。
クラスポイントシステムに関してはクラスの誰も完全に知らなかったと見て良いだろう。部活の先輩も教えないようにしているようだ。さもなくば、クラスポイントの情報を告げた時に一様に驚いた顔はしないだろう。もし、かなり低い確率だと睨んでいるが情報を持っていたとしても自分だけ、もしくは派閥内で秘匿しようとしていた物を一気に第三者によって放出された形になる。しかも見た目は善意によってそれはなされたように見える。咎められないのだ。
つまり、どう転んでも私の目標は達成されるのである。
「ま、何があっても不利にならないようにしてたんでしょ」
「何故、そう思った」
「用意周到に人を脅すネタを仕入れてくる人間が、無防備で行動したりしないと思うのは普通じゃない」
「それもそう、か……まぁ良い。とにかくだ。今回の一連の流れで大変役立ってくれたな。正直、驚いている。適当にボッチを捕まえようとしていたのだが、予想外だった。これからもよろしく頼むぞ」
「はいはい。よろしくされなくてもやるしかないんだから、いちいち言わなくていい」
そう言いながらも悪い気はしていないのが良くわかる顔をしている。彼女は分かりにくいようで分かりやすい。
「さて、飯時か。お前は肉と魚だと肉の方が好きだと思うが合ってるか?」
「合ってるけど……なんで知ってるの」
「昼飯の割合が肉の方が多いから。あと、通院履歴を見るとアレルギー系は無し、と」
最早ナチュラルに俺が彼女の通院履歴を持っていることを何も思わなくなったらしい。異常が続くと平常になるというのは本当だったようだ。
「と、いう事で頑張った報酬追加分といこう。今日の成功でかなり機嫌がいい。なので、飯を食わないかというお誘いだ」
「どこで」
「ここで」
「……別に良いけど、変なもの出さないでよ」
「安心しろ。料理は得意だ」
「普段貧乏飯の癖に」
「普段はな、普段は。ま、座ってろ」
疑わしい目で見てきた彼女だったが、十数分後に出された食事を見て一瞬目を見開く。恐る恐る箸を付けた後、「ま、まぁ、悪くないんじゃない」と言いながらバクバク食べてなんなら追加まで図々しく要求してきた辺り、彼女も普通の女子高生らしく思えた。幼少期に教育を受けたような記録は無いが、流石女子と言うべきか、それとも自身の努力の結果なのだろうか、所作は綺麗だ。顔は悪くないので様になっている。普段からもう少し愛想が良ければ友達ももう少し多くなりそうなものだが。
多少普段買わない食材のために散財したがこれくらいは許容範囲内だろう。部下の機嫌をとるのも上司の仕事である。弱みを握り握られの関係であっても待遇が良ければ自発的に頑張ろうと思ったり、情報を得るために粘ってくれたりする。今後は他クラスとの接触も増えるだろう。仕事も増やすつもりだ。なので、こうして時々飴で釣るのが適度な働かせ方であると思っている。あくまで自論なので正解かは分からないが。
基本無表情か鋭い視線の人物が珍しく機嫌が良さそうなのを観察しながら、夜は更けていく。そして、数日が経ち、どういうわけか最後だけ難しい小テストを経て5月の1日を迎えるのだった。
<報告>
実態調査、生徒実力調査、いずれも順調。クラス内でクラスポイントの情報を拡散。地位確立に95%は成功。後の詰めをやるのみである。情報拡散の際も過度に動揺しない人物が多く、即座に質問をする者もいるなど、やはり実力者が多い。初日報告の際の2グループは派閥へと進化している。現在表立った対立は無いが、今後方針を定める際に対立する可能性高し。また、以後は他クラスへの接触も増やしていく。手駒との関係性は良好。徐々に心を開きつつある。今後も要経過観察。心服させられるように努める。
監視カメラの位置と角度、射程範囲の完全版を作成完了。送信する。作った感想としては特別棟はカメラ少なし。今後何らかの問題行動が行われるとすればここの可能性大。また、我々としても利用しやすいポイントであると言える。
<要求>
以前に報告のあった葛城康平の妹の病状について、鮮明なデータを求める。
<返答>
しつこいようだが、情報漏洩には気を付けられよ。この通信等を特に警戒されたし。懐を開いたように見せて情報を盗もうとしている可能性あり。努々油断する事無きように願う。データの件は承知した。例によって1週間は待たれよ。