『ジョン・ロック』
私の目の前で呆けた顔をしている坂柳を、私は面白い光景だと思いながら眺めた。唖然、という言葉の具体例として辞書に彼女の写真を掲載しても文句は出ないだろう。YouTuberになれといきなり言われて、ハイ分かりましたと言われた方が怖いので、彼女の反応はある意味では当然ではあるのだが。
「そんなにも意外でしたか」
「いや、それはそうでしょう。いきなり何を言うのかと思えば……」
「金策としてはかなり理想的だと思いますけれどね。初期投資さえしてしまえば、後は継続性があればどうにかなる部分が多い。この場所から動かずとも出来るのです、あなたにも稼ぎやすい仕事と言えるでしょう。チェスをするでも良し、知的なコンテンツを語るでも良し、ゲームをするでも良し、歌うでも良し。顔
「私はそういう業界はあまり詳しくありませんが、そうそう上手く行くとは思えませんが……」
「そこら辺はお任せください。マネージングは私がどうにかしましょう。幸い、我々には資金力があります。その辺の人が少ない投資からしか始められないのに対し、数百万を使える時点でかなりやりようはあるかと。後は大陸にも可能性がありますから」
「大陸? 確かに中国市場は大きいですが、規制が厳しいと聞きますが」
「えぇまぁ。ですが、近年VPNの規制緩和が進んでいます。大陸では銀髪が凄く人気なので、あなたの需要は高いでしょう。そうでなくても、現役女子高生というだけでブランド力があります。変なストーカーもこの学校の特性でブロックできるので、強いですね」
まぁそれを突破してきたヤバいのも一人いるのだけれど、彼は既に牢獄へぶち込まれている。流石にあれには学校も懲りただろう。警戒はしているはずだ。
「ニコニコ動画も並行すればそれなりに上手くできる可能性もあります。歌ってみたとかは人気コンテンツですしね。声は悪くないので、ちゃんと練習すればいい具合に歌えるかと。まぁ最悪私が歌いますからご安心を」
「は、はぁ……」
「資金力があるので、それを投資に使いサブカル業界で覇権を取りに行くのも悪くないかもしれません。そうすれば投資した額の何倍も回収できる可能性があります。オタクは金払いが良いですからね、自分で言うのもなんですが」
「あなたには何かそう言う系の経験が?」
「それっぽいことは昔少しだけ。私がやっていたわけでは無いですけどね」
軍も広報活動をしないといけない。その一環で色々やってはいるのだ。私の部下の一人も、中国で歌姫をやっている。軍のイベントによく来てくれる存在として広報部は大喜びだ。そういう芸術やメディアの分野でじわじわと支持を集めるのも大事な活動である。断じてリアルアイドルマスターをしてみたかったという私の欲望によるものではない。
「クリエイターが天才だとは思いませんが、誰かにとって唯一無二のコンテンツとなる事は出来ます。様々な知見や経験を得る事だってできるかもしれません。どうですか、一回チャレンジしてみませんか?」
「まぁ、ちゃんと計画が筋道だって存在している上に勝算があるのならやっても構いませんが……」
「それは何より」
「とは言え、今は学校の規制が厳しいですよ?」
「えぇ、そこは問題です。今南雲会長や葛城君と共に高度育成高等学校IT化に伴う情報発信解禁の提言を作成していますが……まぁ通常の手段ではすぐには通らないでしょう」
「そうです。そう簡単に変わるとは思えません。開校以来ずっとそうしてきたのですから」
「ですので、通常の手段は用いません。丁度今、上手く行けば利用できる手段を見つけました。取引には材料が必要ですからね、その確保を進めています。同時に幾つか別の手段も使っていますが……まぁまだこちらは上手く行くかは分かりませんので取り敢えず置いておきましょう」
幾つか手段は用意してある。上が認めないなら、認める上にするだけの話。そのための工作は惜しまない。外でも色々と動いてもらっている。それと組み合わせれば、早期に改革が行われ始めるだろう。本格始動は来年かもしれないが、それでも十分と間に合う計算になっていた。
「あらゆる手段を用いて、私は目的を達成させます。そのために……場合によってはあなたの御父上殿にも勇退して頂く可能性がありますが、よろしいですね」
「……仕方ないでしょう。時代に対応できないならば、滅ぶのは致し方ない事です。個人的には止めて欲しいですが、そう言ってやめて頂けるほどあなたは優しくない。最大多数の最大幸福のため、私と他の生徒を天秤にかければどちらを取るべきなのかは明白ですから」
「ご理解いただけたようで何より。とは言え、教師役として生徒に優先順位をつけたりはしませんよ。親に頼らずとも生きていける力を身に着けて頂きたいとは思っていますが、最大多数の最大幸福という言葉は切り落とされてしまう少数者も出てしまう。そう言う存在を減らすのが教師の務めですから」
別に坂柳を虐めたいわけではない。けれど、彼女の父親はこの学校の責任者であり、適切かつ公正に運営していく責任を有している。それを果たせないならば、それは生徒にとって無益どころか有害だ。申し訳ないが、排除しなくてはいけない事だってある。親と子供は別人格だ。子供のために愛情ある親は必要だとは思うけれど、必ずしも親でなくてはいけないわけではない。子供の未来に害を与える親は、排除するべきだ。もちろん、ただ引退してもらうだけだが。
「取り敢えず、これから色々とご協力をお願いしたいと思います。ちなみに、心霊系やホラーゲーム実況もそれなりに人気がありますが……」
「絶対嫌です!」
「おや、それは残念。カメラで霊を撮影して除霊する名作があるので、あなたにピッタリかと思ったんですが」
今までの数倍の勢いで強く否定する坂柳。美少女が涙目でホラゲをやることに対し、それなりの需要はあると思う。特に中高生以上にはある程度刺さるだろう。若干心霊現象が起こってくれるとなお良い。丁度零シリーズは最新作が去年出たばかりなので、それなりの話題性もあると思うのだが。まぁ最悪騙してやってもらおう。
ともあれ、物理的に動けない彼女に役目を与える事が出来れば、より安心して彼女の能力を使えるようになる。どうせ普段の勉強に関しては余裕で暇なのだろうから、その暇を埋めてあげることも必要だ。小人閑居という言葉もあるのだから。
12月22日。この日は終業式である。明日から祝日兼冬休みとあり、真面目なAクラスも最高潮に浮足立っている。この冬休みに特別試験が無い事は日程的にも明らかであるため、安心して過ごせるのだろう。クリスマスに正月。盛り上がる要素には事欠かない。先生もそれを理解していた。
「以上でホームルームを終了とする。冬休み中も当校の生徒、そしてAクラスとしての自覚を持ち節度を守って過ごすように」
というありがたいお言葉と共に今年最後のHRは幕を閉じた。思えば長かったものだ。4月の最初にSシステムが発表され歓喜に湧いていた時間が懐かしい。あの頃とはクラス内の人間関係も、立ち位置も大きく変わった。
葛城はリーダーでは無くなったが今なお影響力は強い。それに、生徒会で南雲と戦えるようにはなっている。彼自身も色々思うところがあり、成長してきているのだろう。思考回路も多少は柔軟になって来たようだ。元々能力はあるのだし、保守派思想が悪い訳では無いのでそのまま伸ばせば一角の人物にはなれるだろうと見ている。私のクラス運営にも非常に協力的だ。
坂柳はクラス内での影響力はある程度保っている。どちらかと言えば性格の悪い意見を言うご意見番としての地位ではあるけれど、そんな地位でも存在感が無いよりはずっと良いようだ。能力はあるし、対人能力も無いわけではない。最近では真澄さんともそれなりに仲良くやっているようだ。森下に振り回されたりしながらも、彼女は彼女で比較的学生生活を楽しんでいるような気がする。まぁこれまでの学校生活に比べれば彼女を尊重しつつ対等に見てくれる生徒が多い。それは彼女にとってプラスのはずだ。
真澄さんもクラス内での女子代表をなし崩し的に手に入れ、多くの女子生徒から頼られる立場になっている。利権団体の代表者では無いけれど、自分達の意見を反映してくれる存在としては大事な存在なのだ。他の生徒も派閥の壁が消え、交流が促進されている。どうせ三年間同じ面子なのだから、仲良くしておくのが吉だろうと思う。転入してきたDクラスの生徒も上手くやれていた。少しずつ成績も伸びている。良い傾向だった。
「どうやら動き出すみたいだぜ」
橋本からの報告を貰ったのは、そんな冬休み前の最終日だった。
「Cクラス、遂に動きますか」
「あぁ、ちゃんと想定通りBクラスに仕掛けるみたいだ。いつもはあれだけうろちょろしてる奴らが、今日はスーッといなくなってる。神崎から報せがあった。正確には神崎から頼まれてたDクラスのヤツからだけどな。軽井沢が青い顔で走って行ったらしい」
「なるほど、どのポイントですか?」
「四番目の場所だったぜ」
「分かりました、助かります」
「龍園の作戦は上手く行くと思うか?」
「どうでしょうね。軽井沢さんを切り捨てるのは容易い事ですから、そうする可能性もゼロではないでしょう。しかし、私はそうは思えないでいます。まだ彼女には、価値がありますから」
軽井沢はBクラス内で影響力がある。それに、綾小路は仲間と共に、というのを今のモットーとしている。それならば、軽井沢を助けるのは彼の信条としては必ずしないといけない行動になる。だからこそ、彼の言葉が嘘ではないのなら、軽井沢は救援されるはずだ。決定的な事が発生する前に。
その辺りについてはあまり心配はしていない。軽井沢は可哀想だと思うけれど、私に危険を冒してまで彼女を助ける理由は存在しない。もっと罪のない善人なら助けにも行くけれど、彼女は彼女でそれなりに問題のある子であった。彼女は中学時代に被害者だったのかもしれないけれど、被害者が次の加害者になることはままあるし、それが許されるわけでも無い。
何より、彼女は私の生徒ではない。私に助けられる存在には限界がある。優先するべきは、自クラスの生徒だ。全てを救おうとするのは、何も救わないのと同じである。それに、龍園自身が囮であり、他に狙いがある可能性も捨てきれないのだ。である以上、動くに動けないのも実情として存在する。もっと言えば、こちらにも計画があるので、申し訳ないが彼女にはしばらく耐えて貰わないと困る。
「どうする? 俺たちも動くか?」
「いえ、それは大丈夫です。龍園君が囮である可能性は残っていますから、そこに十分に警戒してください。特に女子生徒の方を重点的に」
「大体はクリパの準備で集まってるから大丈夫だと思うけど、注意はしておくぜ」
「ありがとうございます。龍園君の方はこちらでどうにかしますので、ご安心を。これまでありがとうございました。本来こんな事を頼むべきではないのですが、どうしても人手が足りないので」
「いやいや、姫さんに比べれば人遣いも大分マシだしよ。俺はAクラスで卒業できればそれで良いから、頼んだぜ孔明センセ」
「えぇ、もちろん期待には応えるべく努めますとも」
橋本と神崎は上手い仕事をしてくれた。これで上手く情勢を掴むことが出来ている。目下、静かに進んでいる陰謀と暴力の流れに対し何も知らないというのは好ましからざる状況だ。
橋本には綾小路の情報は流さない。彼は保険を掛ける癖がある。もし仮に綾小路が私を上回ると彼の中で判断された場合、土壇場で裏切る可能性が捨てきれない。そうなってしまっては困る。信用は出来るけれど、信頼は出来ない。それが彼という人間だった。橋本が去った後、携帯電話が鳴り響く。その連絡を受けて、私は席から立ち上がった。
坂柳は今日森下に連行されて、折紙でパーティー用の輪飾りを作る仕事をさせられている。真澄さんもDクラス女子の勉強の面倒を見るため一之瀬に依頼されて行っている。つまり彼女たちは一人ではない。だから、私も安心して行動できる。
シトシトと雨が降っている。もうすぐ雪になりそうだ。あまり雪は好きではない。気が重いと思いながら、歩き出した。屋上への入り口には、数分で到着した。広い校舎だが、それでも移動にそう時間はかからない。
「お待たせして申し訳ありません、綾小路君」
階段の下に、綾小路と茶柱先生が立っている。前者がいるのは当たり前だが、後者はここで何をしているのか。答えは多分、何もしていないだ。この上で何が行われているのかを知っているだろうに。
「どういうことだ……?」
「今回、龍園と決着をつけるに当たっての証人ですよ。向こうは手段を択ばない相手ですからね。やったやられたの押し問答は避けたいので。どちらが被害者でどちらが加害者か、明白にしてもらう役目を担ってもらうために呼びました」
「先ほど私が言った手で諸葛に介入してもらうつもりか? この事態を収拾させるために」
茶柱先生は怪訝そうな顔で言う。私はそれを無視して、綾小路に話しかけた。
「綾小路君、茶柱先生の言った手とは?」
「軽井沢が虐めを受けている事を伝えた。それに対し、オレだけで事態を収拾させるのは難しいが教師である自分なら事態収拾は容易いと告げられた。その上で、協力はしない、教師が生徒同士の問題に介入して解決する行為は褒められた行いではないそうだ」
「なるほど。それに間違いはありませんか、茶柱先生?」
「間違いはない。だが、それがお前に何の関係がある」
「関係はあります。綾小路君、ありがとうございます」
龍園がXを探していると知り、そしてその正体である綾小路が軽井沢を駒として使っている情報を得て、最後にその軽井沢を龍園が狙っているという事実を認識した。それにより、私には一つの計画が思い浮かんだのである。
綾小路は必ず目撃者を欲する。それも、信頼できる証人を。何故かと言えば、それがいないと彼が一方的に龍園を殴ったと主張されかねない。そうなってしまわないように、誰か証言をしてくれる人が必要なのだ。そして彼は教師を、具体的には担任教師である茶柱先生を使おうとするだろう。けれど茶柱先生は恐らくそれに協力しない。それがこの学校の教師の姿だ。中でも一番消極的な彼女ならば、必ず動かないと踏んでいたが、見事にその予想は的中した。
今軽井沢が受けているのは虐めというのも生ぬるい暴行罪だ。それを知りながら放置し、関与しないと宣言し、教師の役目を放棄した。生徒を守るという最低限の行動すらせず、隠蔽し、虐めを助長した。これは立派な問題行為だ。そしてそれにより、軽井沢は精神的かつ肉体的な苦痛を被った。教師の怠慢により、本来被るべきではなかった苦痛を受けたのだ。同時にこの学校の監督不足でもある。
かくしてここに、一つの訴訟を始める事が出来る。すなわち、国家賠償請求。
日本国憲法第17条には「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」と記されている。これを認めさせるには、
①証拠によって事実認定できる損害が発生していること
②公務員こと教師にいじめの存在を認識できる予見可能性があり、被害回避することが可能であったのにこれをしなかったこと
③注意義務を怠ったこととそれによって生じた損害とに相当な因果関係があること
が必要となるだろう。①は明白だ。軽井沢に外傷があるとより明白になる。加えて、女子生徒であり、相手が男子生徒である分余計に加害者への目は厳しくなる。②も綾小路に告げられているし、その上で介入しないと自分で宣言した。③も言うまでもないと思う。彼女は防げたのに防げなかった。何なら現場のすぐ近くにいたのにも拘わらず何もしなかった。批判されないで済む道理が無い。
けれど、私は茶柱教諭に対して損害請求をしたいわけでも無い。また、賠償金が欲しいわけでも無い。なにせ、賠償金は本当に支払われたとしても、軽井沢に振り込まれるモノになるだろうから。私に取り分を貰う理由がないし、正当性も無い。
私がやりたいのはこれを利用した上層部の変革と、それに伴う自分たちの進めたい情報解禁改革、それを端緒とする外部世界との接触機会増加だ。外に出て活動することが出来るようになれば、我々の金策は進みやすくなる。ついでに、大人を利用したギャンブル、投資などの許可も推進したい。
今回の件をきっかけにして、国家賠償請求を行い、坂柳理事長の責任問題とする。理事
綾小路はこの計画を知らない。ただ、茶柱先生がどう動くかだけは知らせて欲しいとお願いしていた。彼はついでという事で、私の要求に応えてくれたのだ。恐らく私を証人として使うという目的もあるのだろうけれど、お互いに利益がある。win―winという事だ。
「諸葛、お前は何に感謝している」
「あなたの行動にですよ、茶柱先生。そして、それを知らせてくれた綾小路君にです」
「何を言っている……?」
「分からなくても大丈夫です。あなたはさしたる役目を背負っているわけではありませんし、あなたを攻撃する意図はないので。全ては私の生徒の未来のためですから」
薄く微笑む私に、茶柱先生は不気味なモノを見るような顔をする。まぁ彼女に恨みは無いけれど、生徒を脅すというおよそ教育者に、それ以前に人として相応しくない行動をしている因果だと思って欲しい。誰にでも悔い改める機会は与えられるべきだけれど、大人である以上どうしても厳しい目線にならざるを得ない。
「何を言って……」
「特に何もする気が無いなら、そろそろよろしいでしょうか? 私は綾小路君に用事があるので。さて、綾小路君。ここからどうしますか? 私がお手伝いする必要があるならば動きますが」
「いや、取り敢えず必要ない。10分くらいで終わるだろう。ただ、石崎がバケツを持って何回か往復していた。恐らく、軽井沢はびしょ濡れで寒空の下に放置されている。可能なら、その対処が出来る人材を求める」
「分かりました。では、行ってらっしゃい」
私は静かに綾小路を見送る。確かに、軽井沢のアフターフォローは必要だろう。彼女を助けなかったのはこちらの都合ではあるし、そこには申し訳なさも感じてはいる。なにせ彼女はこちらの計画のためのキーパーソンだったのだ。勝手に利用したのはこちらの都合。せめてこれくらいはしてもバチは当たらないだろう。
「さて、茶柱先生。びしょ濡れの女子生徒の対応を私にさせることに対し、同じ女性として何らか思うところがあるのであれば、適切な処置を考えてくださると助かるのですが。例えば、星之宮先生を……いやダメか」
軽井沢にとって虐められたという行為はあまり外には見せたくない事実だろう。もしかしたら構わないかもしれないが、本人に聞かない事にはどうしようもない。星之宮教諭では生徒の個人情報をペラペラ喋りかねないので怖い。やっぱりこの学校、スクールカウンセラーが必要だ。それに、保険医という本来中立であって欲しい存在がクラス間抗争に関与しているのも普通に問題だと思う。
「何かありますか? 出来れば中立的な存在かつ守秘義務を守れる存在に頼みたいのですが」
「……生徒会はどうだ」
「なるほど、ではそうしましょう」
私の存在を訝しみながらも、茶柱先生はアイデアを出して来る。確かに生徒会役員ならば、この状況において軽井沢を保護することが出来るだろう。今の生徒会役員の中で一番繋がりがある女子役員は一之瀬となる。早速彼女に電話することにした。
「あぁ、お疲れ様です。一之瀬さん、今少しよろしいですか? 割と緊急の案件なので、出来るだけ早く屋上への階段前にお越し頂きたいです」
緊急という事で、一之瀬はすぐに応じてくれた。彼女はこういう時にすぐ来てくれるので助かる。生徒会役員としてちゃんと仕事をしてくれるのは素晴らしい。教師より余程善人なのは、この学校の歪みをよく示していた。
「大丈夫? ちょっと、落ち着いた?」
一之瀬の問いに、軽井沢は小さく頷いた。手には温かいマグカップがある。石油ストーブの独特の匂いが生徒会室を満たしていた。暖房と合わせて中々暑いくらいの状況だけれど、この寒空の下でびしょ濡れになった軽井沢にとっては丁度良かったらしい。綾小路に抱えられて降りてきたときは相当震えていたけれど、今は少し落ち着いたらしい。
南雲は状況を何となく察したのか、黙って生徒会室を貸してくれた。こういう時の対応は存外まともで助かる。十数名を退学に追い込んでいる生徒会長の方が教師より親切なのは、頭の痛い現実である。
「少しだけ診察しますよ、危害を加えませんので大人しくしていてくださいね」
低体温症などの危険性もあるので、少しだけ彼女を診る。こんな女の子みたいな見た目は、こういう時に女子の警戒心を多少は下げる役割があるようだ。ザ・男に触られたりするよりは良いという事なのだろうか。
「安心してください、私にも彼女がいますので。まだ刺されたくないですから」
「えぇッ!?」
一之瀬が驚愕した声をあげている。そう言えばDクラスにはまだ伝えていなかった。あっという間にAクラス経由で伝わると思っていたけれど、Aクラスはかなり民度が良いようだ。ゴシップネタで騒がない理性があってありがたい。
「まぁそれはともかくとして……体温は問題ないですね。これ、何本に見えますか?」
「二本?」
「経緯の説明など、出来ますね?」
「出来るけど……どういう質問?」
「いえ、低体温症になっていたならばはすぐに病院に搬送しないといけないので。意識ははっきりしていますし、体温もちゃんと平均以上ですから、取り敢えず今のところは大丈夫そうです」
一之瀬は安堵したような顔をしている。他人の心配を出来る優しい生徒だ。いや、本当はこれが普通なのかもしれないが。医師免許を持っているので、私の診断はあっていると思う。とは言え、医師としての活動はしていない。その点は従妹に負けてしまう。ウチの組織の軍医をまさかここへ今すぐ引っ張って来るわけにもいかない。
綾小路は今龍園の処理をしている。どういう会話をしているのかは知らないが、龍園を訴えたりするつもりはないようだ。その辺の常識が無いのが、ホワイトルームといういかれた場所の出身である証拠かもしれない。一般常識が欠如しているのも、暴力が蔓延している場所出身なせいで暴力という手段が普通に存在しているのも。
「さて、軽井沢さん。諸々の事情は大体聞いております。綾小路君は龍園君を訴え出るつもりはないようですし、退学に追い込むつもりはないようです。しかし、被害者はあなた。どうしてもというのであれば、私が綾小路君を説得しますが」
私の言葉に軽井沢は少しだけ俯き、そして首を横に振った。
「清隆が訴えないなら、それでいい」
「そうですか。では、それを尊重しましょう」
随分と凄い忠誠心だ。或いは、別の感情が入っているのかもしれない。寒空の下、綾小路が来るのかも分からないのに耐え続けたのは中々出来る事ではない。例えそれが打算に満ちただけの行動だとしても、軽井沢にとっては間違いなく救いだったはずだ。かくして、忠誠心は増していく。別の重たい感情も伴いながら。
とは言え、その感情の結末は多分悲劇的なモノだろう。軽井沢は彼を愛せるかもしれないが、きっと彼にとって軽井沢は愛せる人間ではない。もしかしたら変化する可能性もあるけれど、それを期待するには、彼の対人経験値が少なすぎる。まぁ想い想われ振り振られも恋愛の中ではよくある事だ。首を突っ込むのも良くないだろう。
「ではもう一つ、あなたの窮状を知りながら何も行動しなかった茶柱教諭に関しては、如何ですか」
「まぁ、あの先生はいつでもそんな感じでしょ。元々期待して無かったし」
「それはそれで教師としては問題ですけれど……。とは言え、腹立たしいか否かで言えば?」
「そりゃ、ムカつきはするけどさ」
「ありがとうございます。やはり、そう思いますよね!」
「う、うん……」
「その言葉を聞きたかった」
私は言質取ったりと口角を上げた。一之瀬は何かしら私がやろうとしているのは察しているようだが、何も言わない。多分、そこまで問題だとは思っていないし、彼女は彼女の正義感から茶柱先生に対し思うところがあるのだろう。
「では、軽井沢さん。面倒な手続きは全てこちらが進めます。あなたはこちらの台本に従ってお話してくださるだけで構いませんので、どうかご協力いただきたい」
「それで、私に何のメリットがあるの?」
「メリット、そうですね。単純にポイントをお支払いすることは出来ますよ。或いは……外部との接触、特にSNSなどやりたいとは思いませんか?」
「人並みには」
「であれば、それを可能に出来るかもしれません。あなたの協力があれば。それとも……過去にあなたを苦しめた人間への復讐がお望みですか?」
「いや、最後のは別に……どうにも出来ないだろうし」
「そうでも無いですけれど、あなたがそれを望まないならそれはそれで良いと思います。被害者であったのは事実だとしても、被害者はずっと被害者でいるわけではありませんし。無論、あなたの過去を否定はしませんが、被害者は容易に加害者になりうる。あなたの態度がどういう由来なのかは掘り下げませんが、それはかつてあなたを足蹴にした存在と同じような行動をなぞっているだけではないか、と私は思いますよ」
彼女がもう少し人に親切だったら、違う未来もあったのではないかとは思う。こんな苦しみを味わう事の無い未来もあっただろう。けれど、そうはならなかった。とは言え、まだいくらでもやり直せるだろう。人生は長く、そしてまだまだ果てしないのだから。
「さて、いかがでしょうか」
「条件がある」
「何でしょうか」
「堀北さんが、AクラスがDクラスを吸収しようとしてるって言ってた」
「……」
「なら、それに私たちを加えて」
「私たち、とは具体的には?」
「それは……」
軽井沢は悩んだような顔をする。彼女だって願いはあるだろう。そして人並み程度に知己もいるはずだ。友達と呼べるような存在だって、きっと数名はいるだろう。そして綾小路への感情もある。それ故に、どうするべきか悩んでいるようだった。自分一人だけ、と言われても別にそれはそれで良いと思っていたのだが、ここで悩める辺りまだ善性は残っている。
「取り敢えず、私と、そっちが良いと思える人を」
「なるほど。どう思いますか、一之瀬さん」
「軽井沢さんに頼もうとしている事って、本当に必要な事なの?」
「それはもちろん。我々の金策には割と近道となる事ですから」
「分かった。私たちの後で余裕があるのなら、良いと思うよ。それが絶対条件だけど」
「ありがとうございます。一之瀬さんの許可が出ました。その契約で構いませんか? Dクラスの全人員を移動させた後という事になります。それまであなたが在学しているかも不明ですし、もしかしたら実行できない可能性もありますが」
「それで、良い」
「そうですか。では、よろしくお願いします」
それなりの代金は支払うことになったが、逆に言えばかなり優位な条件で契約を締結できた。これで綾小路がいたらこうはいかない。我々は必要な人間と言葉を手に入れた。これを使い、計画を加速させる。その末にもし余裕があるのならば、約束通り彼女たちを引き抜こう。それくらいには結構重要な内容なのだ。
なにせ、国立学校法人東京都高度育成高等学校並びにその経営陣を提訴しようというのだから。全ては変わらず、私の生徒たちの未来のために。南雲が言うようにここが檻ならば、破壊するだけなのだ。