ようこそ孔明のいる教室へ   作:tanuu

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賭けない男たち、というのは魅力のない男たちである。

『寺山修司』


63.臥龍

 合宿試験も5日目の朝を迎えた。昨晩私との語らいによって心を入れ替えた……という表現が適切かはわからないが、ともかく行動を変化させることにしたらしい山内は、清々しい表情で朝起きていた。ドラえもんのひみつ道具にこんな風に人を綺麗にするマシーンがあった気がする。ぼんやりとそんなことを思い出した。

 

 理由は大分不純ではあるけれど、別にそれは構わない。どんな理由であれ、努力して結果を残すことが大事だ。異性にモテたい、金銭的に豊かになりたい、承認欲求を満たしたいなどなど、別に理由なんてなんでもいいのだ。大事なのはどう行動し、どういう結果を残したかどうか。きっかけなど、所詮始まりに過ぎない。動機がいかに崇高でも、結果を残せなくては意味がないのだ。

 

 やる気が出ているタイミングでそれを挫くのはよろしくない。せっかく協力的になってくれているのだから、それを存分に活かすのが良いだろう。

 

「おっす、師匠! 俺は今回の試験でどうすればいいっすか!」

 

 師匠、というよく分からん呼び方ではあるが、それを言ってしまえば孔明先生も大概同じようなものかもしれない。勉学が出来、運動も問題なく、恋人がいる私は彼にとって師匠と呼べる存在なのだろう。あるいは、ちゃんと真剣に彼に向き合った存在が私くらいだったのだろうか。自分を見てくれない人が多かったからこそ、誇大な言葉で自信を飾るしかなかった。そういう可能性は大いにある。だとすれば、彼もかわいそうな存在と言えてしまう。

 

「そうですね……まずは、筆記試験で85点以上を目指してみましょうか」

「85点!? そんな点数、小学生の時しか取ったことないな……」

「今回取ればいいじゃないですか。目標はしっかりと立てることが大事です。それもスパンを考えて、ね」

「スパン?」

「はい。いわゆる長期、中期、短期の目標です。長期は年単位で先のことになりますね。中期は数か月先、短期はそれこそすぐそばにある目標です。あなたの長期目標は自身のスペックを高め、その末に恋愛を成就させること。中期は定期テストの点数と順位を最低学年の半分以上に上げること。短期は今回の筆記試験で85点以上を取ることですね。こうして三段階で目標を立てることで、進むべき指針が分かり、広い視野を持ちながら目の前のことに努力できるようになります。受験ではよくやるテクニックですね」

「そんなの教えてくれなかったぜ?」

「それはあなたの今までの環境があまり良くなかっただけだと思いますね。本来は学校などで教えるべきなのですが」

 

 彼はやはり、あまり先生などからも構ってもらえない人生を送ってきたのかもしれない。だからこそ共感性が低く、誇大な嘘を吐く。人間の行動の裏には必ず何かしらの心理がある。自己を否定され、過少に扱われ、期待されなかった末路が彼の姿なのかもしれない。

 

「まずはこの短期目標をクリアしましょう。そうすることで、一つステップアップ出来ると思います」

「おっす。でも、俺勉強苦手なんだよなぁ」

「それは基礎ができていないからですね。五月ごろに言った話を覚えていますか? 勉強は基礎が大事です。例えば、ピラミッドを想像してください。土台があり、その上に三角形に石が積みあがっているでしょう? ではこの土台がぐにゃぐにゃだったらどうでしょうか」

「上に乗ってる石が、崩れる?」

「その通り。この場合の土台とは、例えば中学の内容であり、もっと言えば小学校の内容です。その上に応用があり、高校以降の勉強があるのです。全教科そうですね。だからこそ、まずは基礎を覚える必要があります」

「なるほど」

 

 英語で言えば、中学までの単語と文法の先に高校の単語と文法がある。そしてリスニングやスピーキングは基本のリーディングが出来ないと上達しにくい傾向がある。数学や理科、社会などどの教科でも同じことだろう。だからこそ、出来ないなら出来なくなった場所まで戻って勉強しなおすことが有効だ。必要なら中学、あるいは小学校のテキストを使っていけばいい。恥ずかしいかもしれないが、必ず力にはなる。

 

「今回の合宿試験における道徳の筆記試験はややこの基礎云々とは異なりますが、勉強の仕方は同じなので教えていきます。まず覚え、その後しばらくした後に反復して覚えます。人間の記憶はどうしても忘れていくモノ。だからこそ反復を行い、記憶を定着させるのです。そしてそのあと、私に説明してください」

「説明? なんでだ?」

「説明することで、自身の理解が及んでいない場所、なんとなくしか理解できていなかった場所をあぶり出せます。また、伝達能力の向上、語彙力の向上、試行錯誤する力などが身に付きます。自分の考えを高い語彙で適切に伝えることは、今後大事になってきますよ」

「なるほど」

 

 彼は素直にウンウンと相槌を打っている。根は素直なのだろう。だからこそ、ちゃんとやれば吸収も早いのではないだろうか。行動力はある方だと思うので、それを勉強に生かせれば努力は出来るタイプだと思う。あとはやる気を継続させるため、彼の肯定と適度な小さい成功体験を積み重ねれば上手く軌道に乗ると思う。

 

「いや~マジで丁寧にありがとな。こんなに説明してくれる奴なんて今までいなかったからなぁ」

「あなたに本気で向き合おうとしなかった周囲の存在に対し、私は些か不信感を覚えざるを得ませんね」

「俺さ……兄貴いるんだよ。七個上の」

「そうなんですか」

「でさ、まぁこれが俺に似ないで優秀でさ。だから、俺は出がらしなんて言われて、誰も期待してなかった。出来たこと褒める前に、出来なかったことばっかりグチグチ言われてさ」

「そうでしたか。私は、出来ないことに目を向けるのも大事ではありますが、出来たことを考えるのも大事だと思いますね。何より、大事なのは出来ようとすることです。逆に言えば、出来ないのは悪いことではありません。出来ようとしないのが悪いことなのです。私はそう思いますね、教鞭をとる身としては」

 

 努力することが大事だ。努力しても結果が出なければ、社会ではダメなのかもしれない。けれどまだ彼らは社会に出る前に子供たちなのだ。子供には、努力することの大切さと、努力した人が一定数報われる環境が用意されてしかるべきだと思っている。結果を求めるのは社会に出てからでいい。それまでは、自分のできる最大限の鍛錬を続ければ、それでいいのだ。

 

 こういう話をしたということは私が多少なりとも信頼され始めたということなのだろう。これはよい傾向だ。どういう経緯であるにしろ、信頼はあった方がいい。

 

 山内は肯定されたと捉えたのだろう。顔が喜色に染まっている。その表情は、ずいぶんと純粋なものに見えた。堀北などには否定され、クラス内でも彼を馬鹿にする空気はあったのだと思う。ここに来る前も、来た後も彼は多くから否定された。友人関係はそれなりにあったのだろうけれど、それでもそれは建設的な友人関係ではなく薄っすらと見下しあったり、足を引っ張りあったりする関係性であったのだと推察した。

 

「師匠、マジで先生なんだな……」

「そうあろうと努めているつもりですよ。少なくとも、この学校の教員よりは。信頼には応えたいですしね」

「この試験終わっても、俺に教えてくれるのか……?」

「あなたがそれを望むなら」

 

 見返りは敢えて求めない。それに、彼とのパイプがあるのは大事だ。彼は良くも悪くも声がでかい。それはBクラスの中での発言回数が多いという意味だ。男子の中では付き合いも多く、それなりに交友関係もあるだろう。綾小路とその仲間たちは佐倉が真澄さんと仲が良い。軽井沢などのイケイケ組はこちらに友好的。橋本がBクラスの女子一名に粉をかけているようだし、その辺も利用できる。逆に男子とのパイプが弱かったが、ここで山内がその役目を担ってくれれば、Bクラス内の動きなどをキャッチできる。

 

「高嶺の花を狙うという意味では、私のクラスにもいないわけではないですし、仲良くなれるかもしれませんね。ねぇ、吉田君」

「え、えぇ、俺!?」

「あなたですよ。心当たりはおありでしょう?」

「流石孔明先生……バレたか」

「概ねは」

 

 彼がクラスメイトの白石を好いているのは知っている。白石の方は無しの礫というか、眼中にないというか、恋愛対象にすらなっていないというか、とにかく脈無しではあるのだが。しかし、最初脈無しだからと言ってずっとそうとは限らない。そこから何かしらのきっかけで変化する、ということもあるからだ。吉田はずっと白石にアピールするべく、健気に勉強している。そのせいか、成績は上がっていた。

 

「共通点は仲良くなる布石、でしょう? まぁ朝食の準備は大体終わりました。しばしご歓談という名のコイバナをどうぞ」

 

 促すまでもなく、山内は吉田と話していた。山内は行動力がある。それはコミュニケーションにおいても同じだ。男子相手なら、高円寺のような変人でもない限り基本はそれなりにコミュニケーションが取れる。吉田はごく普通の精神性を持った男子なので、話をしてもそこまですれ違わないのだと思う。さて、これでいい具合に関係性を築き、Aクラスへの好感度は高まった。

 

 ここで恩を売っておけば、自然と好意的な態度を取ってくれるだろう。であれば、日常会話の中から情報を引き出すのはお手の物だ。私にメリットが存在しない善意による無償奉仕に見えて、その実ちゃんと対価は存在している。しかし恩を感じさせるのは、彼が成長を実感し成功体験を分かる形で味わう必要がある。真澄さん教育プランの一部を流用し、彼に合わせてカスタマイズするのが合宿から帰還した後、一月中旬以降のタスクになりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

「という具合で、何とかいい具合に進めてる」

「へぇ、意外なこともあるのね」

 

 一日における数少ない男女の接触時間において、私の前に座った真澄さんは意外そうな顔をしながら私を話を聞いていた。それでも目線の片方がしっかり皿に向いているし、箸は全く止まる気配がない。とは言え、食べている時の表情は普段の食事の時とは違った。

 

「あんまり美味しくない?」

「そうは言わない。でも……私の好みじゃないかも。普段食べてるやつの方が何倍も美味しい」

「それは何より。作っている側としてはやりがいがあるね」

 

 彼女が喜んでくれるのは作っている人間としては嬉しいことだ。もし、仮に私を縛る多くの物がなければ、あの実家で二人で暮らしていけるのかもしれない。そうしたら、どんなに良いことだろう。私は自分がいい親になれるかはわからないけれど、彼女と二人ならなれるような気がする。それに、子供がいようといまいと、同じ屋根の下で暮らして、食卓を囲めるなら、それで私の欲しい幸せが全部手に入ったような気がするのだ。

 

 そんなことは、口が裂けても言えないけれど。

 

「まぁ、なんにしてもやる気になってくれたならいいんじゃない?」

「それはそう。謎に師匠と呼んでくるのは少し勘弁してほしいけど」

「似合ってるわよ、師匠」

「絶対そう思ってないね」

「思ってる思ってる」 

 

 彼女は小さく笑いながら、胡乱げな視線を送る私を見つめていた。遠くにいた山内がAクラスの男子たちと話している。私を見つけると話しかけようとしていたが、目の前に真澄さんがいるのも発見し、回れ右して戻っていった。気遣い、というスキルを覚えたらしい。良いことだ。別にやって来ても私は怒らないけれど、邪魔された彼女がムッとする可能性はある。

 

「何の師匠なの?」

「勉強と……恋愛?」

「伝授できるほど、恋愛スキルあるの?」

「さぁ、それは何とも。理論上の話なら言えるけど」

「それなら坂柳にだって言えるわよ」

 

 坂柳が今すごく何かの被害にあった気がするが、気にしなくていいのだろうか。

 

「アンタの恋愛術教えると、人生懸けた恋愛し始めない? 大丈夫? 山内の恋愛観ぶっ壊れそうだけど」

「別に私たちの関係性をモデルケースにしたりしない。それに、本気で愛してるなら人生懸けたっていいと思うけど」

「懸けてるの?」

「そのつもりだけど?」

「……ふーん。撤回できないから」

 

 彼女は小さくそう言って、誤魔化すように勢いよくお茶を飲んだ。照れ隠しがへたくそなのも、彼女のかわいいポイントだと思う。基本的にはカッコいいとか凛々しいとか綺麗という言葉が似合う人ではあるけれど、ちゃんとかわいいところも存在している。まぁそれは私が知っていればいいのだけれど。

 

「それはそうと、女子の方はどう?」

「坂柳がちゃんと音頭を取って上手く回してる。走るのとかは私が中心でやってるし、協力できてると思うけど」

「一之瀬の方は?」

「一之瀬にとってすればこういう試験は得意だろうから、全然問題なさそう。情報交換とかで結構話すけど、問題なく進められてるって」

「そう。それはよかった」

「ただ、坂柳が色々計画してるみたい」

「色々?」

「そう。私もまだ詳しくは知らないけど……ちょうどいいから本人に聞いたら?」

 

 真澄さんが私の背後に視線を向ける。振り返れば、食事を終えた後であろう坂柳がいた。我々の会話の流れとは関係なく、元々こちらへ来るつもりだったのだと思う。彼女は私に頭を下げて椅子を引くと、腰を下ろした。

 

「お疲れ様です、坂柳さん」

「はい、お疲れ様です……。些か疲れました。こういう試験は苦手です」

「仕方ありませんね」

「神室さんには助けられています。私の分まで走って頂いているので」

「そうなの?」

「別に、当然でしょ。坂柳が走れないのは別に坂柳本人のせいじゃないし。誰かがやらないといけないんだから」

「そっか」

 

 私の優しい視線に、彼女は照れ隠しをするように視線を背けた。それを見て、坂柳が苦めに淹れたお茶を一気に飲み干す。正確には、飲み干そうとして思ったより熱かったのかワタワタしていた。

 

「ご夫婦の会話は別の機会にしていただくとして。お願いですから色々と()調()には気を付けてくださいね。自クラスのトップ二人がいきなり家族計画に邁進するため指揮が出来なくなった状態で指揮をするなどごめんですから」

「それはもちろん」

「……」

 

 すごく迂遠な言い回しで避妊してくださいねと言っている。坂柳、割とこういう話をぶち込んでくるタイプのようだ。まぁ大事なことではあるけれど。実態は半同棲状態なのにキスすらしていないので、彼女の心配は現在のところ杞憂ではあるのだけれど。真澄さんは意味に気付いて顔を赤くして俯いている。

 

「それはさておき坂柳さん。何か色々と計画しているようですが、ご報告をいただいても?」

「えぇ、そのつもりで来ました。勝手に進めてもよいのですが、リーダーはあなたですので。クラスメイトの皆さんから反感を買うつもりはありませんからね。口頭で言うのも憚られますので、こちらを」

 

 彼女はメモを私に渡す。そこには「真鍋グループの空中分解作戦進行中、山下を焚き付け真鍋と分離させつつあり。現在好調に推移、同グループには亀裂を確認」「櫛田に堀北への妨害をさせることを承諾さることに成功。万が一の場合は助けると思わせているが、言質は与えていない」と記されている。端的に状況を説明するメモだろう。読んだ後、真澄さんにも渡す。後で破いてトイレにでも捨てれば情報機密は完璧だ。

 

 しかし、思ったよりも大胆に動いている。真鍋グループはCクラスの中でもかなりうるさ型のグループだと聞いている。ここが崩れれば、平和主義者の椎名を合法的に取り込んでCクラスを無力化できるはずだ。龍園は失脚中だし、力関係的には石崎より椎名の方が上の様子が見て取れる。

 

 そして櫛田だ。彼女が私に何を考えているのか知らないが、それでも優先目標は堀北らしい。坂柳は櫛田の裏の顔を知らないけれど、それでも上手く説得したのだとしたら大したものだと思う。しかし櫛田は女優だ。坂柳が騙されている、という可能性もゼロではない。ともあれ、もし本当に上手くいったならBクラスのタカ派を黙らせ、軽井沢を筆頭に傀儡にできる。同時に山内や佐倉を使って幾重にも情報を集める。これで学年は支配でき、我々を邪魔する勢力は消えるだろう。

 

「こちらも山内君を改心させ、再教育に成功しました」

「おやまぁそうですか……それはざんね、失敬良いことですね」

「本音が漏れてますよ」

「何のことやら。ですが、現実問題として諸葛君の行動はよいと思います。彼はBクラスの中でも最下層。学年の一番底辺でした。それを引き上げられたとなれば、あなたの指導力の顕著な例となりますし、能力が低い生徒たちが一斉にあなたを支持する可能性が高い。堀北さんの勝ち筋は彼らを味方にして龍園君と手を取り合う道でしたが……それを潰せる道が見えてきました」

「なるほど、そういう考え方もできますか」

「堀北からすれば嫌でしょうね。気づいた頃には地盤の候補が全部根こそぎ持っていかれてるんだから。じわじわ盤面が詰みに向かってる将棋みたい」

 

 真澄さんは堀北へのかすかな同情を滲ませながら言う。真澄さんもあまりコミュニケーションが得意な生徒ではなかったので、堀北には多少のシンパシーがあるのかもしれない。

 

 そして、坂柳の視点は私にはなかったものだ。やはり、彼女は優秀だと思う。こういう時に自分になかった視点をくれる参謀役というのは欠かせない。ちゃんとクラスのために行動してくれるのであれば、もう少し彼女を信じてもいいような気がしてきた。

 

「話を戻すと、前者に関しては効果が出つつあります。後者に関しては、当然私が騙されている可能性もありますから、積極的な関与はしないで対象の行動を待っていこうと思います。下手に動いて罠にはまるのが怖いですから」

「賢明でしょう。裏切り者を信じるわけにはいきません」

 

 多分堀北を排除したい感情は本物だと思うが、そうではない可能性を捨てきれない以上、予防線を張るのは大事なリスクヘッジだ。それが自然と考えられている時点で、坂柳も成長している。前までは攻撃一辺倒でリスクヘッジをしない作戦立案が多かった。この前の討論会がいい作用を与えたのかもしれない。

 

「わかりました。女子に関してはあなたに任せると言いましたし、そのまま継続してください」

「感謝します」

「信頼していますよ、あなたが成果を挙げてくることを」

「ご期待してお待ちください。では、私はこれで」

「お盆下げた? まだなら私がついでに持ってくから」

「ありがとうございます」

 

 真澄さんが立ち上がって、坂柳のお盆を持っていく。こういう時に率先して動ける優しさがある。

 

「彼女、よく私を助けてくれていますよ」

「それはよかった」

「いい方ですね」

「でしょう? 私の彼女です」

「はいはい……」

 

 呆れたような顔をしつつ、私の懇親のどや顔を無視して彼女は真澄さんのところへ向かった。そのまま女子棟に戻るのだろう。去り際に真澄さんが小さく腰のあたりで手を振っている。それに応えつつ、二人を見送った。あそこに何かしら友情が芽生えているのはよいことだと思う。女子の頭脳担当とリーダーとで今後上手くまとめてくれると嬉しい。人材はいて困ることはないのだ。使いこなすのは私の得意技。このまま成長してくれるのが一番望ましかった。

 

 

 

 

 

 

 

「龍園、ちょっと話がある」

 

 櫛田桔梗と坂柳有栖の密会を目撃してしまった伊吹は、自身のかつてのリーダーである龍園翔のもとへと向かった。彼女にはこの情報をどうすることもできない。椎名は平和路線を貫こうとしているし、真鍋とは折り合いが悪く、金田も特段行動を起こす気はないように見えた。つまり、Cクラスは今現状維持だけを目的とした組織になっていたのである。

 

「何の用だ、伊吹。お前が俺に話しかけるメリットなんざ、欠片もないはずだぜ」

「あんたさ、ホントに諦めたの?」

「……」

 

 龍園は答えない。そのまま黙って茶を飲んだ。答える意思がない、と判断した伊吹は苛立ちながらも話を続ける。

 

「さっき、ヤバいのを見た」

「なんだ」

「坂柳と櫛田が会ってた。坂柳が櫛田にクラスを売って堀北を妨害するように唆して、櫛田はそれに乗った」

「はっ、そうかよ。櫛田も筋金入りだな。だが、それを俺に知らせてどうなる」

「知らない。ただ、私が持ってるよりはずっと役に立つと思った。悔しいけど」

 

 龍園の目に怪しい光が灯る。櫛田桔梗は元々堀北鈴音を裏切っていた。今回そうしたとしても、別段不思議ではない。問題は坂柳、ということだった。彼女の行動の背後に諸葛孔明が関与しているのかどうかが全ての鍵になってくる。坂柳の独断であれば、それは諸葛孔明の息がかかった行動ではない、つまりは隙が多少なりともある可能性が存在していることを意味していた。

 

「うちのクラス、もうバラバラになってる。椎名は優秀だけど攻撃しない。金田もおんなじ。真鍋のグループはなんか揉めてるし……このままじゃAクラスの作戦に飲み込まれて終わりになる」

「今、なんて言った」

「だから、Aクラスの」

「そこじゃねぇ。真鍋だ」

「え? だから真鍋のグループが揉めてるって」

 

 龍園の記憶では、真鍋のグループは真鍋を中心にかなりよくまとまっているはずだった。しかし、ここに来て急に分解し始めた。それこそ、あまりクラスメイトとの交流がない伊吹ですら気付くレベルで。そこに何かしらの人為的な介入があったと考えるのは自然な流れだった。Aクラスの併合作戦。それに乗っかりたい生徒は多い。Bクラスの中にも軽井沢を筆頭にそういう派閥がある。そして、それに反対する首魁は恐らく堀北だろうと龍園は判断した。

 

 だからこそ、坂柳は櫛田を使って堀北を封じ込めようとした。そしてCクラスのタカ派である真鍋も黙らせようとしている。そうすれば、Cクラスは大人しく作戦に迎合し、蜘蛛の糸に縋りだすだろう。その先にあるのは、諸葛孔明による学年の支配。それに協力し貢献した坂柳の地位も、当然高いものになる。

 

 諸葛孔明の意思があるにしろ無いにしろ、坂柳が中心に張り巡らされた陰謀であると龍園は見抜いた。そして、それは事実である。

 

「あんたさ、この学校でこのまま終わっていいの?」

「……俺は負けた。それが全てだ」

「その割には、今色々考えてた風に見えた。諦めたやつが、相手の作戦なんか見抜こうとしないと思うけど。私は馬鹿だから、どう考えたってAクラスには必要とされてない。黙って負けるのは癪。だから、あんたが戦うなら協力してやらなくもない。ほかのやつらもそうでしょ。あんたが戦わないから、黙ってる。もし立ち上がるなら、やろうってやつは多いと思うけど」

「……」

 

 龍園は沈黙する。今の伊吹の指摘が彼にとって正しいと感じたからだ。諦めきれない何かが彼の中にある。綾小路に直接的な敗北をし、そしてそれすら読まれて諸葛孔明に利用された。それは龍園にとってこの上ない屈辱であり、敗北であった。だからこそ身を退いて、こうして逼塞している。けれど、その日々の中で確かに胸の中に燻る何かがあるのを感じていた。

 

「どれだけ負けても、不敵に笑うのが王ってやつじゃないの。あんたのことは嫌いだけど、そこだけは認めてるつもりだった。そうやって一生、ウジウジしてればいいじゃない」

 

 そう吐き捨てて、伊吹は龍園に背を向ける。しかし、歩き出しはしなかった。龍園が声をかけたからだ。

 

「伊吹」

「……何?」

「鈴音の様子はどうだ」

「どうって言われてもね。まぁ元々櫛田との仲は良くないし、私が言えた義理じゃないけどクラスでも浮き気味なんでしょ。軽井沢の一派が今のBクラスの中心だろうし、居心地はよくないでしょうね」

「そうか。なら、価値はある」

「はぁ?」

「あの軍師野郎はAクラスを手中にしてる。順当に強いやつらが順当にやってりゃそりゃ勝てる。厄介な坂柳も今やコマの一つだ。それに一之瀬が加われば鬼に金棒だな。一之瀬とそのお仲間は面白みはねぇが、戦力としてはそれなりに使える。で、それに軽井沢の派閥が迎合中。学年のざっと五分の三くらいは抑えられてる」

「それがどうしたの」

「分からねぇか? 残りの五分の二はまだ去就を迷ってる。それを結集すれば、可能性はゼロじゃねぇ」

「あんた、まさか……!?」

「そのまさかだ。伊吹、会いたい奴がいる。この試験が終わってからでもいいが、とにかく早くに会合をしたい」

 

 自クラスを抑え、そして上手く風見鶏をこちらに傾かせることが出来れば。そうすればAD連合に対して多少なりとも勝利の目は見えてくる。自分をボコボコにした綾小路、自由人だが高い実力を持つ高円寺、未だ八方美人の平田など、去就の分からない生徒は多い。そういう連中を組み込むことが、龍園の考える最大の勝ち筋だった。

 

 そして、祭り上げるべき傀儡の名を口にする。軽井沢派閥と事実上それと利害関係が一致した櫛田に対抗するには、ある程度の知名度と実態はどうであれ実績が欲しい。そして大事なのはAクラスへの強い執着心と、諸葛孔明に与さない意思がある人物。それを持っている人物は彼の中でほとんどいなかった。その人物の名を口にする。

 

「伊吹、鈴音を呼び出せ」

 

 龍園翔の大博打が始まろうとしていた。

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